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奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「御殿場事件」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E5%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6&ao=a
* ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2018/02/12 10:58: https://twitter.com/hirono_hideki/status/962868448970792960 :
Twilogで調べました。上記のツイートにあるように、動画で再生中の映像に裁判の書面があって、そこに弁護人の弁護士の名前がありました。これは大きな発見でした。沼澤龍起というかなり珍しい名前だけに、これは見たことのない弁護士名だと直ちに確信しました。
御殿場事件に具体的な弁護士の言動が見えてこないことは、ずっと疑問に思っていたことです。映像の静止画からコピペをすることは出来ませんが、僅かな文字数なので読み取って検索を行いました。先程もやってみましたが、名前だけでは事務所名ぐらいの情報しか出てきません。
名前と御殿場事件を組み合わせた検索ワードでも、情報は乏しく、上位に見えたのは次の一件のページだけです。該当部分の引用とともに下記にご紹介します。
御殿場少年事件『それでも僕らはやってない~親と子の闘い3000日』冤罪は菅家利和さんのように大人にも子どもにも多発している!! - 夢を追い続ける車椅子の弁護士吉峯康博 http://yoshimine.dreama.jp/blog/274.html
御殿場少年事件有罪確定へ 弁護人、再審請求「可能性探る」=静岡
2009/04/16 東京読売新聞 朝刊 35ページ
御殿場市で2001年9月、少女(当時15歳)を乱暴しようとしたとして、婦女暴行未遂の罪に問われた当時16~17歳だった元少年5人(23~24歳)の上告審で、最高裁が5人の上告を棄却する決定をした。事件から7年半。少年審判と刑事裁判の間を揺れた5人の有罪が確定する。
この事件では少年10人が逮捕され、捜査段階で全員が犯行を認めた。静岡家裁沼津支部の少年審判で5人が否認に転じ、うち4人が検察官送致(逆送)後に起訴。もう1人は刑事裁判の無罪に当たる「不処分」となったものの、検察側が抗告し、東京高裁、最高裁で不処分が取り消され、その後起訴された。
4人の1審公判では、検察側が、被害者がウソをついていたとして犯行日を9月16日から同9日に変更する訴因変更を行うなど、上告審まで一貫して被害者の証言と元少年の供述の信用性が主な争点となっていた。
最高裁の棄却決定について、4人の弁護人の沼沢龍起弁護士は「犯行日が変更されたり、被害者の供述の信用性が認められたり、最初から厳しい裁判だった」としたうえで、「『上告理由に当たらない』と書いてあるだけで、(最高裁は)棄却理由に一切触れておらず、冷たい決定」と語った。
再審請求については、「被害者の証言を信用するか、しないかの問題なので、再審に必要な新証拠を探すのは難しいが、可能性は探りたい」とした。
沼沢弁護士などによると、棄却決定の通知は14日午前、元少年らのもとに届いた。同日夜、4人と家族が沼津市内の沼沢弁護士の事務所に集まった際、4人は落ち着いた様子で、収監に向けた心構えなどを話し合い、「これでおしまいではない」と声をかけあっていたという。
この事件では、少年審判で中等少年院送致の保護処分となった元少年1人も、無実を訴えて保護処分取り消しを家裁沼津支部に申し立てて受理され、刑事裁判の再審にあたる審判が08年2月に始まり、08年12月に結審している。
記事の投稿日と思われる日付は、2009年06月19日、となっています。日付を見ていて気がついたのですが、記事の末尾に次の記載がありました。
冤罪事件について、これまで私がブログに書いた下記記事もご覧下さい。
・2006年1月11日 「少年えん罪事件について-綾瀬母子殺人えん罪事件などを素材に-」
・2007年11月9日 取り調べの全過程の可視化(録画・録音)の実現を!! 取り調べの全過程の可視化が実現しない限り、えん罪は減らないのです!! 少年(高校生)が録音した『取り調べの生の(本物の)テープ』を聞き(読み)研究
・2008年5月12日 安田好弘弁護士えん罪事件についての不当な東京高裁判決要旨を掲載しました!市民の皆さん、学生諸君!立派な東京地裁川口政明判決と読み比べよう!
・2008年6月2日 『山形明倫中事件(山形マット死事件)』を問う!!-元少年たちは無実です!!元少年に『再審』(裁判のやり直し)を!!
このうち一番最後の山形マット死の事件の記事のリンクだけ、訪問済みの表示になっていました。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)が主任検事をつとめたという少年事件です。
吉峯康博という弁護士について調べてみました。意外なことに、弁護士として活動しながら55歳で脳出血となって車椅子生活になったということです。次のページに書いてありました。
障害者である弁護士たち!!『限界はない-障がいをもちながら第一線の弁護士として活躍する9人の物語』 - 夢を追い続ける車椅子の弁護士吉峯康博 http://yoshimine.dreama.jp/blog/427.html
『綾瀬母子強盗殺人えん罪事件』で不起訴の決定を受けたとも書いたありますが、これも見覚えのある事件です。事件の内容は記憶にないですが、今でもテレビで姿を見かけることが少なくない女性弁護士が、検事のときにたずさわったという事件ではなかったかと思います。調べて確認します。
住田弁護士が検事として関わったのは、草加事件のようです。この事件の内容も以前、住田弁護士のことで調べていたと思いますが、思い出すことはありません。いずれも事件名だけは、事件当時テレビで耳にした事件名として、記憶に残るものがいくつかあり、混同気味でもあります。
住田弁護士 少年事件 - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&ei=t8WbWqH1MIWb0gStgoqwBA&q=%E4%BD%8F%E7%94%B0%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E3%80%80%E5%B0%91%E5%B9%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oq=%E4%BD%8F%E7%94%B0%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E3%80%80%E5%B0%91%E5%B9%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6&gs_l=psy-ab.3...3431.18424.0.19127.37.34.0.0.0.0.305.4247.0j19j4j1.25.0....0...1c..64.psy-ab..18.15.2648.6..35i39k1j0i4k1j0i131i4k1j0i67k1j0i4i37k1j0i10k1j0i203k1j0i7i4i30k1j0i7i30k1j33i160k1.236.eShmGL8c92M
綾瀬母子強盗事件についても、次の記事に一通り目を通しました。綾瀬という地名は印象的に記憶にあったと思うのですが、この事件の内容は、過去に読んだ事件という記憶の喚起はありません。
確認のためGoogleで調べたのですが、やはり綾瀬市は海老名市に隣接し東名高速道路の道沿いでした。なぜ綾瀬という名前がとりわけ印象に残っているかと言うと、被告訴人安田敏の妻となった女性の旧姓が、綾瀬というような名前だったからです。少し違っていたかもしれません。
少し思い出してきましたが、あるいは柳瀬であったかもしれません。最近は全く見かけませんが、岐阜市に柳ケ瀬という歓楽街があって、美川憲一のヒット曲もあったかと思い出しましたが、被告訴人安田敏が岐阜の海津町でライスセンターの出稼ぎをしていたときソープランドに行っていたという場所です。
昭和61年の6月から8月頃、私も被告訴人安田敏の誘いと口利きで海津町で生活をしていたのですが、被告訴人安田敏が運転するドライブで、その柳ケ瀬のソープランド街をドライブしたことがありました。しかし、柳ケ瀬と柳瀬という名前を、それほど強く結びつけて考えた記憶はありません。
被告訴人安田敏は、その女性のアパートに転がり込み同棲をするようになったと聞いています。アパートと言っても、家の二階だけがアパートの貸し物件になっていました。金沢市花里で、そこには官舎がありました。警察の官舎とも被告訴人安田敏に説明を受けていたかもしれません。
この被告訴人安田敏の妻となった女性についても詳しく書いておく必要がありますが、より記憶の鮮明な時期に何度も書面に記録をしているので、ここで劣化した記憶で詳細を書くことは、対外的な意味しかなく、その意味でも綾瀬強盗殺人事件は、警察の落ち度や不信を強烈に印象づけるものでした。
一応アパートと書いておきますが、その花里のアパートは、1DKでした。ダイニングキッチンというのか、それが奥の部屋とほぼ同じくらいの広さであったと記憶にあります。奥の和室の広さはたぶん6畳で広くても8畳だと思います。
奥の和室はよくある畳の部屋だったのだと思いますが、奥に3分の2ぐらいのスペースをベットが占めていました。たぶんセミダブルベッドだと思います。枕は金沢市内の向きにありました。たぶん西向きではないかと思います。
足元には、見たことのないような小さな仏壇、あるいは仏壇ではなかったかもしれません。そこに亡くなったという父親の遺影があったことは、印象的に憶えています。その遺影の顔写真ですが、数年前、北海道で猛吹雪の中、9歳の娘を守って凍死したという男性の公開写真とよく似ていました。
実際は時間の流れから逆になりますが、北海道の娘を守った凍死事故の報道を見た時、被告訴人安田敏が転がり込んだ部屋にあった遺影によく似ていると思ったのです。
被告訴人安田敏と妻となった女性は、二人でセミダブルベッドで寝ていたものと思われますが、足元が亡父の遺影の近くになるはずで、とくに信仰心のなかった私ですが、これはどうなのかとかなり疑問に思ったのです。
続きは、別の小項目として書きたいと思います。
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