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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年5月29日火曜日

# 昭和40年代のオカルト漫画「恐怖新聞」を彷彿とさせる、最近のテレビ報道における弁護士の社会的影響 #

# 昭和40年代のオカルト漫画「恐怖新聞」を彷彿とさせる、最近のテレビ報道における弁護士の社会的影響 #

2018年05月28日10時42分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-23_2333〜2018-05-28_1041/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月28日10時42分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-2323332018-05.html>

 前の小項目で、三輪記子弁護士とセットで取り上げる予定だったローカスこと三浦義隆弁護士のことをほとんど書かないまま締めくくってしまったことに気がついたので、そのタイミングでまとめ記事を作成しておきました。このところタイムラインも開いていません。

 あらためて「恐怖新聞」について調べてみました。


つのだじろうによる恐怖漫画作品。『週刊少年チャンピオン』誌(秋田書店)において、1973年から1975年まで連載(全29話)された。1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まる「恐怖新聞」によってもたらされる、不幸な未来の恐怖を描く。主人公・鬼形礼にまつわる長期的なストーリーと、鬼形が狂言回しとして登場する独立した短編作品からなる。

1970年代のオカルトブームの一端を担い、アニメ、ビデオ、ゲームソフト、映画、パチスロ機、電子ブックからタイピング練習ソフトまで様々なメディアでリメイクされ続けている。

同じ作者の『うしろの百太郎』は霊に関するストーリーだが、本作には霊のみでなく、UFOや悪魔なども取り入れられている。霊に関するストーリーでは、根本的な原因が解決しないまま話が終わることもある。

[source:] /引用元:/ 恐怖新聞 - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E6%80%96%E6%96%B0%E8%81%9E>


 このところ日大の悪質タックル問題がテレビで大きく取り上げられていますが、似たスポーツのラクビーの場面を漫画の恐怖新聞で目にしたような記憶がかすかに残っています。たぶんその影響もあるのだろうと、ちょうど今気がついたところです。

 日大の問題が報道されるようになる少し前、歌手の西城秀樹さんの訃報があって、昭和40年代後半の映像も繰り返し紹介されていました。昭和47年のデビューだったというのも初めて知りましたが、古い記憶の整理のような機会にもなりました。

 その一つに「愛と誠」という映画があって、西城秀樹さんが出演していたことはなんとなく記憶にあったのです。もともと漫画のイメージが強かったのですが、この愛と誠の漫画は単行本として書店に並んでいるのを見たという記憶は思い出せません。

 wikipediaでみたところ、週刊少年マガジンの連載となっていましたが、思っていたよりずいぶん長い連載で、ストーリーなどをみても最終回を含め後半の辺りは、登場人物も筋書きもほとんど記憶にないものでした。

 娯楽が少ない時代でもあったので、小中学生の頃はよく漫画をみていました。なかでも週刊少年マガジンは、いつも行っていた仙人町の「いのひら」という理髪店に揃えてあったので、他の週間漫画よりは欠かさず見る機会が多かったようにも思います。

 「愛と誠」で最も印象的だったのはスキー場での怪我の場面でしたが、座王権太という大男も記憶に残る存在感がありました。長距離トラックの仕事で仙台方面に行くようになってからも、国道286号線で蔵王の近くを通るたびに「愛と誠」の漫画を読んだ小学校低学年の頃を思い出すことがありました。

 映画「愛と誠」のYouTube動画を見ていると、作品紹介のようなものでしたが、「悪の花園」というのが出てきて、古い記憶が少し蘇りました。

 もともと昭和40年代の後半というのは、家の近くの水産高校のグラウンドでラクビー部が練習する様子をみていました。京都の花園ラクビー場の話も聞いていて、石川県の代表で花園大会に出場する常連の羽咋工業高校とは、対戦の度に100体0で負けているという話も聞いていました。

 京都の親戚からも京都の花園高校の話を聞いていたような記憶もあります。母親の兄弟の長男のおじさんの長男が、当時、高校生で、友達数人でバイクで遊びに来たこともありました。ちょうどダウンタウンブギウギバンドが流行している頃で、それに影響を受けた感じでした。


1972年末にサディスティック・ミカ・バンドに対抗した長いバンド名「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を思いついた宇崎竜童が、当時のバンド仲間(アマチュア)にレコーディングの話を持ちかけたところ全員怖気づいて解散状態になる。その後メンバー集めに奔走し、1973年4月に改めてバンドを結成、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと命名する。同年12月に東芝/エキスプレスレーベルからシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。

1974年12月に「スモーキン'ブギ」(70万枚の大ヒット[1])、1975年3月に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を発表。

[source:] /引用元:/ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%AE%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89>


 確認のため調べたのですが、自分の記憶との齟齬が感じられました。スモーキングブギが昭和49年12月、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が昭和50年3月となっています。私は昭和50年4月に宇出津の小棚木に引っ越したはずです。京都の従兄弟がバイクで来たのは夏のはずです。

 昭和50年4月に宇出津の小棚木に引っ越してから京都の従兄弟が遊びに来たという記憶はなく、辺田の浜の家にバイクで来たのはよく憶えている記憶です。

 ダウンタウンブギウギバンドも当時は真新しさが際立っていましたが、ボーカルの宇崎竜童は、昭和50年代なるとテレビで表立つことはなくなり、山口百恵の楽曲の作曲家として存在感が大きくなりました。妻が作詞をしていていたので、それも有名になっていました。

 キャンディーズの方がピンクレディーよりデビューも早かったと思いますが、そのキャンディーズも昭和50年4月より前、辺田の浜に住んでいた頃にはテレビで見たという記憶も残っていません。

 「恐怖新聞」は、週刊少年チャンピオンの連載としても見た記憶が残っていますが、それより単行本として読んだ印象の方が若干強く残っています。千間書店の棚にも並んでいたと思いますし、それを立ち読みしたような記憶も残っています。

 辺田の浜に住んでいた頃も千間書店には行っていたと思いますが、宇出津小学校から自宅とは逆方向でもあったので、行くのは少なかったと思います。

 中学生の頃は、よく千間書店に行っていました。立ち読みをする時間も長かったと思います。能都中学校の通学路ということもありましたが、夕方にふらりと出かけることもありました。

 2009年に羽咋市から宇出津に戻り、2,3年後ぐらいだったと思いますが丸1年程かけて梶川橋の架替え工事がありました。梶川橋の横にあった千間書店は、その工事が始まる前に取り壊して移転していたように思います。道路を挟んでその向かいには同じ梶川沿いに被告発人大網健二の家がありました。

 千間書店で被告発人大網健二と顔を合わせ、そのまま彼の家に遊びに行くこともありました。彼の家の横の梶川沿いは、あばれ祭りで神輿を川に落とす場所でもあります。デジカメなどなかった時代から川沿いには多くのカメラマンが集まっていました。

 小さい頃にも梶川に神輿を落とすのをみていたのですが、母親と一緒にいたという記憶は残っておらず、そのあとの八坂神社の松明の方では、母親と一緒にいたような記憶がかすかに残っているだけです。

 「恐怖新聞」ですが、その後、羽咋市に住んでいるときダイナム羽咋店のパチスロ機で目にすることがありました。設置台数は少なめだったと思いますが、正面の出入り口に近い陽当りの良い場所に台がありました。

 昨年の5月に七尾市でスマホをiphoneに変更したのですが、そのとき一ヶ月間の無料体験で漫画の閲覧アプリのサービスがあって、その無料期間中に、「恐怖新聞」の漫画をみたこともありました。画面がきれいすぎたので多少違和感がありましたが、昔見たストーリーと同じだと思いました。

 「恐怖新聞」も連載の初めの方だけ見たという記憶で、どのような結末として連載が終わったのか記憶にはないのですが、「恐怖新聞」が終わったあとのようなタイミングで見るようになったのが「うしろの百太郎」でした。

 「うしろの百太郎」の方がオカルトブームの火付け役となったように思いますが、自分が見たと記憶にあるのも初期の作品だけで、印象に残っているのは「丑の刻参り」だけです。

 その後、ブームは「大霊界」などに繋がっていったような印象として記憶がありますが、その頃には見向きもしなくなっていたので、内容もしらないのですが、少しは何かで見たような記憶も少しは残っています。Gメン75の印象が強い丹波哲郎が中心になっていました。

 時刻は、29日11時15分です。また色々と考える時間が長くなって中断をしていました。今日は日大前監督とコーチの処分が出されるようです。前監督は最も重い処分、コーチは2番目に重い処分が出るような関係者の情報が出ているようです。

 前々から薄々感じていたことですが、日大のアメフトの問題で、弁護士の影響力の大きさをオカルト的に考えるようになってきました。平安時代は陰陽師という占い師が暗躍したような話も聞いたことがありますが、現代社会における時代絵巻を見るような気持ちでテレビを見ています。

 時刻は11時29分です。2,3日更新が止まっていて気になっていた高島章弁護士(新潟県弁護士会)のタイムラインで、大量の更新があったことを確認しました。現時点で15時間前のツイートに集中がみられますが、最新のツイートでも10時間前となっています。

 ちょうど、久保利弁護士について取り上げておこうかと考えているタイミングでした。タイプに違いがあると思いますが、魔法使いのようなオカルト性を感じるところは両者に共通しています。

 ともあれ、高島章弁護士(新潟県弁護士会)のTwitterが更新されたのは朗報です。何かと勉強になるし参考になる弁護士ですし、資料としても一級品だと考えています。

2018年5月28日月曜日

# 三輪記子弁護士とローカスこと三浦義隆弁護士に共通して感じてきた弁護士の商売性、と日大の悪質タックル問題の世論の熟成環境 #

# 三輪記子弁護士とローカスこと三浦義隆弁護士に共通して感じてきた弁護士の商売性、と日大の悪質タックル問題の世論の熟成環境 #

2018年05月26日10時58分の登録: #三輪記子 @bi_miwa#のツイート/2018-05-11_1936〜2018-05-26_1043/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月26日10時58分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/bimiwa2018-05-1119362018-05.html>

2018年05月26日10時59分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-19_1820〜2018-05-26_1045/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月26日10時58分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1918202018-05.html>

 あとで更新するかもしれないですが、当面は上記の2つのまとめ記事をご説明のベースにしたいと思います。三輪記子弁護士のタイムラインは、これまでほとんど見ていなかったのですが、先程URLの取得でスクロールダウンをしていたところ、ずいぶんリツイートが多いと思いました。

 三浦義隆弁護士のタイムラインも余り見てはおらず、他の弁護士のリツイートとして目にするものが多かったと思います。上記の記録もタイムラインを開かないまま「ubpost.rb lawkus」という方法でコマンドを実行しました。

 コマンドの引数にTwitterのアカウント名を指定していますが、引数を指定しない場合は、スクリプトの条件式でクリップボードに保存されたツイートのURLからアカウント名を抽出し、それを変数に代入して使うようにしています。

 三輪記子弁護士は「2018-05-11 19:36から198件:最新2018-05-26 10:43という範囲(14日15時間7分)の取得」。

 ローカスこと三浦義隆弁護士は「2018-05-19 18:20から199件:最新2018-05-26 10:45という範囲(6日16時間25分)の取得」。

 ローカスこと三浦義隆弁護士のツイートは、主に日大の悪質タックル問題に関連して気になるものを見かけていたので、記録もこまめにしていると思います。ここ最近の一覧を取得してみます。


2018年05月03日14時59分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月03日14時59分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805031459.html

2018年05月03日22時32分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月03日22時31分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805032231.html

2018年05月04日05時40分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月04日05時40分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805040540.html

2018年05月04日11時45分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月04日11時45分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805041145.html

2018年05月04日21時38分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月04日21時38分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805042138.html

2018年05月05日15時04分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月05日15時04分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805051504.html

2018年05月06日07時52分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-24_0639〜2018-05-05_2223/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月06日07時52分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2406392018-05.html

2018年05月06日23時18分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-24_1618〜2018-05-06_2253/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月06日23時18分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2416182018-05.html

2018年05月07日22時48分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-25_0132〜2018-05-07_2229/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月07日22時48分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2501322018-05.html

2018年05月08日23時00分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-28_0056〜2018-05-08_2259/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月08日23時00分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2800562018-05.html

2018年05月10日17時14分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-07_2316〜2018-05-10_1629/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月10日17時14分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-0723162018-05.html

2018年05月10日17時24分の登録: \ystk @lawkus\橋下氏が煽った懲戒請求は、一応「被告人の不利益になる弁護活動をした」という体裁を取り得た(少なくとも扇動者の橋下氏はそういう言い方をしていた) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus.html

2018年05月11日12時15分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-08_2212〜2018-05-11_1154/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月11日12時15分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-0822122018-05.html

2018年05月12日10時17分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-09_1205〜2018-05-12_1003/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月12日10時17分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-0912052018-05.html

2018年05月13日19時22分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-10_0723〜2018-05-13_1246/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月13日19時22分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1007232018-05.html

2018年05月14日13時13分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-10_0813〜2018-05-14_1310/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月14日13時13分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1008132018-05.html

2018年05月14日20時31分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-10_0953〜2018-05-14_1809/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月14日20時31分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1009532018-05.html

2018年05月15日16時56分の登録: REGEXP:”光市”/ystk(@lawkus)の検索(2010-03-23〜2017-12-15/2018年05月15日16時55分の記録13件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/regexpystklawkus2010-03-232017-12.html

2018年05月16日02時11分の登録: \ystk @lawkus\弁護士になって7年弱だが、「弁護士は一定の経済的余裕を持つのが望ましい。仕事に飢えた弁護士は危険」というのが偽らざる実感ですね。 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus7.html

2018年05月17日20時00分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-13_0704〜2018-05-17_1901/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月17日20時00分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1307042018-05.html

2018年05月17日21時05分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-13_0704〜2018-05-17_1901/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月17日21時05分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1307042018-05_17.html

2018年05月18日01時35分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-13_1046〜2018-05-18_0132/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月18日01時35分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1310462018-05.html



 今月5月に入ってからのものだけを上記に掲載しましたが、思いの外、数は多く感じられました。この数は記録の必要性、重要性の反映でもあります。

* ツイート%s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター)%2018/05/26 10:32%<https://twitter.com/s_hirono/status/1000187974422708224>
> 2018-05-26-103219_三輪記子(@bi_miwa)さん | Twitter.jpg https://t.co/6iDwiSUlPD


 上記は、三輪記子弁護士のTwitterアカウントのスクリーンショットになります。ずっと気になってきたのは、アイコンのことです。かれこれ半年以上は同じものだと思いますが、1年前となると違っていたような気もします。

 3年ぐらい経つでしょうか、Twitterのアイコンの絵柄が丸い縁で切り抜いたようなかたちになりました。角がなくなったとも言えるのですが、その部分に文字があると見えなくなってしまいました。

 自画像のような絵があって右に「おまん」左に「こんにちわ」と見えます。右が3文字、左が5文字ですが、左の1番目の「こ」の字を、右の下に持ってくると「お」「ま」「ん」「こ」という卑猥な放送禁止用語が出来上がります。とても軍前途は思えないメッセージ性を感じるものです。

 時刻は、5月28日10時24分です。中断していました。昨日のお昼、アッコにおまかせ、という情報番組に三輪記子弁護士が出演していましたが、台所でアジの南蛮漬けを作っていたので、コメントも見ていませんでした。このところテレビで見る機会も増えていると思います。

 ここ数日気になっているのは、高島章弁護士(新潟県弁護士会)のTwitterに更新がないことです。

* リツイート→BarlKarth(高島章(弁護士))>tsukassaito(斎藤司)|2018/05/25 11:25/2018/05/25 00:08|<https://twitter.com/BarlKarth/status/999838935336370176>/<https://twitter.com/tsukassaito/status/999668383246270465>
> 刑法学会WS趣旨説明のスライド、レジュメなどもなんとか完成。当日、うまくいくといいなぁ。


 上記が最新のものになりますが、その一つ前が同じくリツイートになりますが、中村元弥弁護士のツイートのリツイートです。

* リツイート→BarlKarth(高島章(弁護士))>1961kumachin(中村元弥)|2018/05/25 11:25/2015/11/26 14:31|<https://twitter.com/BarlKarth/status/999838841295945728>/<https://twitter.com/1961kumachin/status/669750388401180674>
> バール先生こと高島章先生は、日本刑法学会などで実際にお会いしてみると、ものすごくセクシーでチャーミングで物静かで「この人、モテるだろうなあ」と感じさせる方である


 2015年11月26日の中村元弥弁護士のツイートですが、ずいぶん前のものです。これを少しでも多くの人に見てもらいたいために、更新をストップしているのかと勘ぐることもあるのですが、本当のところはわかりません。

 ここ最近、弁護士という職業に対してオカルト性というものをこれまで以上に強く感じるようになってきました。塩見直子弁護士のツイートには、少年少女漫画の要素も感じていたのですが、漫画と現実の距離がここまで近く感じたことはなかったと思います。月との関係にも似ています。

2018年5月26日土曜日

# 村松謙弁護士のタイムラインで目にした女性弁護士アカウントの日大反則タックルの問題で、若い世代に伝えたいです、ということ #

# 村松謙弁護士のタイムラインで目にした女性弁護士アカウントの日大反則タックルの問題で、若い世代に伝えたいです、ということ #

 また中断をしていました。昨日は誘いがあって久しぶりに小木港東一文字堤防にアジ釣りに行っていました。中断前の予定では、小田原から座間市、八王子市へと説明をつなぐつもりでいたのですが、その後多数の問題が入り込んできて混乱気味でした。

 新潟の高島章弁護士(新潟県弁護士会)にも大きな動きがあったのですが、色合いの強すぎる古参の弁護士より、法教育にたずさわり、小さい子供がいるというツイートも前にみたことのある小田原の村松謙弁護士を軸に、若い世代にも影響を与えそうな女性弁護士にしらばくフォーカスを移します。

2018年05月25日14時10分の登録: #村松 謙 @kmuramatsu#のツイート/2018-05-23_2025〜2018-05-25_1343/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月25日14時09分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/kmuramatsu2018-05-2320252018-05.html>

 上記のまとめ記事をベースにします。2018-05-23 20:25から198件:最新2018-05-25 13:43という範囲(1日17時間18分)の取得

24件目 (リツイート): kmuramatsu(村松 謙)|nmr_ems(弁護士 塩見直子) 日時:2018-05-25 08:44/2018-03-09 15:49 URL: <https://twitter.com/kmuramatsu/status/999798445178171393>/<https://twitter.com/nmr_ems/status/972001520320311299>
> 面白いので是非読んでみてください!ただ、①パートナーなのでよく一緒にされるけど私はヤリ○○でもエキセントリックでもないということと、②三輪弁護士も仕事に対してはいたって真面目(むしろこのキャラでよくあんな真面目に仕事できるな)、と… https://t.co/frjAVEsF8D


 リンクの記事は以前読んだことのあるものでした。一月ぐらいは経っているように思います。男女問題として色々と思うところはありましたが、特に取り上げておきたいとは判断しませんでした。

 今回、村松謙弁護士がリツイートをしているのは、塩見直子弁護士です。アイコンの顔写真を見てすぐに気が付きましたが、三輪記子弁護士のTwitterで固定ツイートにツーショットの写真がある相方の女性弁護士でした。

* ツイート%bi_miwa(三輪記子)%2017/10/25 08:54%<https://twitter.com/bi_miwa/status/922974687373574145>
> この度、京都修習同期である塩見直子弁護士と新事務所を開設しました。


 あらためてツイートを読むと、京都修習で同期だったと書いてありました。京都で司法修習といえば、忘れることのないものがあります。弁護士業界の独特の雰囲気もお伝えできればと思うので、探してご紹介しておきます。

* ツイート%taniyama(弁護士谷山智光)%2013/02/28 22:16%<https://twitter.com/taniyama/status/307117053783986178>
> 無罪判決をとったら修習生をお茶屋に連れていこう。


 すんなり見つけ出すことが出来なかったのですが、調べる過程で次の野田隼人弁護士のツイートも見つけて思い出しました。数が多いと忘れてしまうものも多いです。部分的な言葉から探し出すのも難儀することが多いです。

* ツイート%nodahayato(弁護士 野田隼人)%2016/10/24 23:23%<https://twitter.com/nodahayato/status/790559410233847808>
> @SATOMasako @Dr_yandel えーっと、祇園のお茶屋へのご案内でよいですか?


 上記の野田隼人弁護士のツイートが、佐藤正子弁護士への返信ツイートだったというのは、初めて気がついたように思いました。佐藤正子弁護士にはだいぶん前からブロックされているのですが、夫婦別姓で共同経営する野田隼人弁護士のパートーナーではないかと想像したこともありました。


<2018年05月25日(金) 15時31分41秒にTwitterAPIで取得したSATOMasako(佐藤正子)のプロフィール情報>
サトマコです。弁護士をしています(滋賀弁護士会、高島法律事務所)。一般財団法人河合隼雄財団監事、日弁連取調べの可視化本部事務局員など。大阪生まれ。美人でセクシーかつおもしろくてかしこい人になるのが目標です。wezzy連載中。#2015dec_baby https://t.co/Y6OMAmjON8



<2018年05月25日(金) 15時33分13秒にTwitterAPIで取得したnodahayato(弁護士 野田隼人)のプロフィール情報>
滋賀弁護士会/62/京都大学LS非常勤講師(刑事弁護実務)/成功報酬制の債権回収,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。月2日くらいフィリピン/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND



[4891] % mysql -u root benngosi_twitter -e 'SELECT profile FROM tw_user_tweet WHERE user LIKE "nodahayato" ORDER BY tw_date ASC;' -s|sort|uniq
滋賀弁護士会/62/京都大学LS非常勤講師(刑事弁護実務)/成功報酬制の債権回収,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。月2日くらいフィリピン/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/62/京都大学法科大学院非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/62/京都大学法科大学院非常勤講師(刑事弁護実務)/成功報酬制の債権回収,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。月2日くらいフィリピン/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/京大LS非常勤/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国の事件に対応。月5日は東京。同じくらい大阪。/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/京都大学法科大学院非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
弁護士(滋賀弁護士会)/京産大・京都大学 非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。他の人があんまりやっていないこと。/全国の事件に対応/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
弁護士(滋賀弁護士会)/京都産業大学・京都大学 法科大学院非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,フィリピン法務/全国対応 事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
弁護士(滋賀弁護士会)/高島法律事務所-滋賀県高島市/京都産業大学・京都大学 法科大学院非常勤講師/日弁連では刑事法制・独禁法・中小企業支援、中小企業の海外進出支援/元マ的なもの・現役でIT屋さん
弁護士(滋賀弁護士会)/高島法律事務所-滋賀県高島市/京都産業大学・京都大学 法科大学院非常勤講師/日弁連では刑事法制・独禁法・中小企業支援、中小企業の海外進出支援/元マ的なもの・現役でIT屋さん/「とある弁護士さん」(某書)
弁護士(滋賀弁護士会)/高島法律事務所-滋賀県高島市/京都産業大学・京都大学非常勤講師/日弁連では刑事法制・独禁法・中小企業の海外進出支援/元マ的なもの・現役でIT屋さん


 野田隼人弁護士が既婚者かどうかわかりませんが、自信のない記憶ではあるものの以前、子供のことをツイートしていたような気もします。他の弁護士アカウントと取り違えている可能性はありますが、それらしいツイートを見たような気もするのです。

 子供のことをツイートしていた弁護士アカウントとして割合はっきり憶えているのは、村松謙弁護士と「ほうたろう」です。娘と息子の顔写真も頻繁にアップロードしているのはローカスこと三浦義隆弁護士です。

 時刻は、5月26日10時07分です。昨夜、テレビで気になるニュースがあってローカルニュースだったと思うのですが、今朝の北陸中日新聞の朝刊に出ていました。朝刊の方は年齢と名前が出ていなかったのですが、ネットのニュースではどちらも出ているものが半々ぐらいでした。

線路上で男児2人が意識不明 はねられたか 石川 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180525/k10011453121000.html>

 上記は名前と年齢が出ていないニュースです。昨夜のテレビニュースでは、はねられた、とも言わず。線路で倒れていたというだけの報道であったように思います。第一報ということになりそうですが、新潟の小2女児殺害事件の時の夜の報道と似ているように感じていました。

 今回も、線路で遊んでいたという一面を印象づける報道と、二人で線路にしゃがんでいたというドライブレコーダーの映像のことを書く報道がありました。楽しい世界に旅立つつもりで二人は線路で遊んでいたのかと考えました。

 昨夜は21時のNHKのニュース番組をみながら眠ってしまったように思います。夜中の2時半頃かに一度目が覚めました。それで民放の報道を見逃したのですが、森友学園の籠池夫妻の保釈のニュースは、余り大きくない印象でしたし、Twitterでも少しだけしか取り上げを見ていません。

 さて、昨日の続きになる塩見直子弁護士のツイートのご紹介です。アカウントの存在を初めてみたように思ったのですが、自作のコマンドで調べるとリストに登録済みのようでした。

* ツイート%nmr_ems(弁護士 塩見直子)%2018/05/24 02:39%<https://twitter.com/nmr_ems/status/999344007288254465>
> 日大アメフト部の会見やっと追いつきました!結局、上は責任逃れで誰も守ってはくれない。だからこそ、「自分の意思を強く持って、違うと思ったなら違うと言える強さを持ってほしい」「自分が立っている狭い世界が全てだと思わないで」ということを若い世代に伝えたいです。



樋口:読んでいただけばわかりますが、この本は育児日記とは名ばかりの、妻の男性遍歴暴露日記ですから。

三輪:私は別に何を言われても全然平気なのですが、男の人が同じことをやったら「武勇伝」で、女がそれをやると「ヤリマン」と蔑まれることに対するおかしさはずっと感じてますね。

私は武勇伝のつもりはまったくないし、自慢するつもりもまったくないんですけど、男女の扱いの違いは本当に納得がいかない。

ヤリマンが尊称にならないとおかしいと思ってます。ヤリマン尊称化プロジェクト、略してYSP実行中ですよ!

[source:] /引用元:/ 奔放すぎる女性弁護士と翻弄される主夫作家 三輪記子&樋口毅宏のファンキーな日々 <https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/fusako?utm_term=.hfbeQodwnG#.yxN79W3A5P>


 昨日は、記事のリンクを紹介した塩見直子弁護士のツイートだけの紹介になっていましたが、上記がその記事です。

 日本でも古い時代、女性が集落の複数の男性と性交渉を行い、誰が父親なのかにこだわらず共同で育てたという話を半年ほど前に何かで読んだことがありました。同様の習慣というか風俗は、中国の辺境の少数民族にあると数年前にテレビで見たような記憶もありました。

 日大の反則タックル問題ですが、ネットでは殺人タックルとするものも。弁護士らはほとんど手放しで日大側を痛烈に批判しています。その辺りも含め、次に、三輪記子弁護士とローカスこと三浦義隆弁護士をセットにして、兼ねて感じてきた商売性優先の弁護士不信を交えて書いておきたいと思います。

2018年5月22日火曜日

# 昭和40年代の大阪万国博覧会と麻疹の思い出、天神様の北野天満宮から小田原の村松謙弁護士のツイート #

# 昭和40年代の大阪万国博覧会と麻疹の思い出、天神様の北野天満宮から小田原の村松謙弁護士のツイート #

* ツイート%motoken_tw(モトケン)%2018/05/09 09:19%<https://twitter.com/motoken_tw/status/994008900037894144>
> 青木理さん 典型的な他人に守られていることを知らない知識人 麻疹は死ぬよ #BLOGOS https://t.co/Iqg81NL1ca


 テキスト保存しているモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートのまとめファイルから「麻疹」で検索をして見つけ出したのですが、5月9日の9時19分の投稿となっていました。午前中に目にしたような記憶もあります。

 リンクの記事を読み筆者のTwitterも見たのですが、「元自衛隊医官 危機管理専門血液内科医」というプロフィールの人でした。

 麻疹と聞いて思い出すのは、大阪万国博覧会に行ったことで、万博会場の記憶もほとんど残っておらずテレビで見た映像と区別がつかなくなっているのですが、唯一記憶に残っているのが、京都の親戚の家で半月ほどと聞いたように思うのですが病気で静養していたことです。それが麻疹でした。

 なんとなく寝込んでいたような記憶もかすかに残っているのですが、しんどい思いをしていたという記憶はありません。記憶に残っているのは体が良くなって、明日帰ると聞いた日のことです。外に出でそこは広い神社の広場だったのですが、強い記憶として天神様と「通りゃんせ」が残っています。

 「通りゃんせ」の歌の歌詞にあるように、怖い思いをしながら不思議なものを強く感じていたという体験です。その時の病気が「はしか」であったことも、京都から帰ってから、母親が立ち話をする会話として聞いていたような記憶です。

 他に記憶に残っているのは、夜に大きな川の川沿いに赤提灯がいっぱい点灯したような店に入ったことです。今でいう居酒屋だったのかもしれませんが、私が居酒屋という言葉を聞くようになったのは、昭和58年の初めころに、「居酒屋」という曲が流行したことだったと思います。

 同じ頃のヒット曲に「氷雨」や「釜山港へ帰れ」がありました。普通免許を取って日の浅かった被告発人大網健二の車で夜によくドライブをして遊んでいた頃のことです。車は自動車修理工場の彼の家の車で、代車に使われたコロナという車種でした。

 他にも気になることがあったので、集中力を高めるためにも少しでも疑問を解消しておこうと思い、京都の親戚の住所を探しました。ずっと前に郵送してもらった荷物の送り状をどこかに保管しておいたと思ったのですが、探し出すのにけっこう時間が掛かりました。

 その探し物をしている過程で、思わぬ発見として被告発人大網健二の名刺がありました。写真をアップロードでまとめ記事にしています。平成11年8月以降の名刺です。同じ社名と住所のものは、金沢市桂町の元チェリー商事の倉庫として目にしていたもので、写真も記録しています。

 北野天満宮については、それまでにも調べたことがあったのですが、目的の発見のようなものはありませんでした。親戚の住所もGoogleマップで調べていたと思いますが、発見と思うようなものはありませんでした。

 5月9日に調べた時は、ストリートビューで京都の親戚の家まで見つけることになりました。母親の妹の次女のおばさんの家だと思います。比較的新しい家だったので、昭和40年代にあった家には到底思えませんでした。同じ場所で建て替えがあったのかも不明です。

 ストリートビューで近くの検索として「北野天満宮」を指定すると、ずいぶん近くに表示されたのですが、それでも2キロちょっとでした。私の家から宇出津新港のアルプまでがそれくらいの距離になるのだと思いますが、子供が歩いて行けるような距離には思いませんでした。

 親戚の家の周辺もストリートビューで調べたのですが、私の記憶にあるような、大きな敷地の神社やお寺は見当たりませんでした。寺院は近くにありましたが、周辺の住宅に古いものは見当たらなかったので、新興の住宅地として開発された地域にも見えました。

 前に、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の法律事務所と八坂神社を調べたときも同じぐらい離れた距離でしたが、移動時間は車でもバスでもけっこう長めでした。あらためてモトケンこと矢部善朗弁護士の法律事務所の周辺をGoogleマップで見ていると、別の発見がありました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/22 11:19%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/998750058391654400>
> 八坂神社 から 四季の風法律事務所 - Google マップ https://t.co/1VHkSYLbU0


* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/22 11:20%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/998750451494350849>
> 門前町 から 四季の風法律事務所 - Google マップ https://t.co/T5uW4Iwfyi


 門前町まで1.4キロと表示されています。下京区です。有名な西本願寺の大きな土地が広がっていますが、初めに京都市の門前町としてスマホで調べた時は、この情報が見つかりませんでした。

 半年ほど前になると思いますが、病院で会話が出来るとき、母親が何度も「もんぜんちょう」と口にするようになったのです。それも京都の上京区の門前町だといいます。近くに本願寺があるのかと尋ねても、知らないと答えていました。これは一貫しています。

 認知症も進んでいるのでまともな会話は出来ないし、眠たがってまったく起きようとしないことも多いのですが、「門前町」と「小島伝次郎」のことは一緒によく口にするようになったので、気になっていました。前は「おとうちゃん」と京都の言葉で言っていたのですが、それが変わってきました。

 能登にも門前町があって、現在は輪島市ですが、宇出津が能都町だった頃は同じ石川県鳳至郡でした。門前町の輪島市への編入の方が1,2年早かったかもしれません。ずっと「もんぜんまち」と耳にしていたので、母親が「もんぜんちょう」と言い出したときも違和感を感じました。

 輪島市門前町は總持寺祖院として有名ですが、歴史が古く大火で消失があるまでは大本山か総本山だったということです。それが神奈川県の横浜市の方に移ったということも2015年頃に理解したように思います。

 数年前、總持寺祖院に行き拝観をしたのですが、それらしい説明は見たように思うものの理解が出来ませんでした。輪島と横浜を同時に意識するようになったのも、2015年の連続テレビ小説まれ、がきっかけでしたが、同じ頃に横浜弁護士会の名称変更の問題もありました。

 全国の弁護士会で、県名を使わず市の名前を使っているのは、神奈川県の横浜と石川県の金沢だけ、というような情報も見かけていました。神奈川県弁護士会所属と思われる弁護士には、かねて注目してきた弁護士が数人いて、その一人が小田原市の村松謙弁護士でした。

 童謡というジャンルになるのか「通りゃんせ」という曲も、前に調べたことがあったと思うのですが、5月9日に調べると、他にも1つあるようでしたが、小田原市の神社が歌の発祥になるという情報をみて、これまでの常識がひっくり返ったような気分になりました。

 あらためてなぜ京都のイメージが固定化されていたのか考えると、曲調が古都の京都らしいというのもありますが、「天神様」と歌詞に出てくるので、菅原道真が祀られている北野天満宮と考えるのが、やはり自然なことだと思いました。

 栃木県の思川が、北九州の宗像、沖ノ島に祀られる田心姫命に由来するという情報をネットで見たときも驚きでしたが、伝統文化の広い分布として、それで少し慣れていましたが、昔の関東というのは東国武士や東人の無骨なイメージがあるだけに、やはり違和感を感じます。

 小田原市というのも、歴史的に有名で大きな拠点となった場所というイメージがあります。そういう歴史的伝統文化も踏まえ、村松謙弁護士はかねてより不思議に感じる存在感がありました。山伏や修験道者のような理解を超えた存在感があり、それが小田原市という場所にも溶け込んでいました。

# 久しぶりにテレビで見た検察批判のジャーナリスト青木理氏と、古今東西稀に見るエクストリーム擁護の博覧会という深澤諭史弁護士のツイートから、昭和40年代へ #

# 久しぶりにテレビで見た検察批判のジャーナリスト青木理氏と、古今東西稀に見るエクストリーム擁護の博覧会という深澤諭史弁護士のツイートから、昭和40年代へ #

 自分の記憶をたぐると10日ほど前になるでしょうか、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインの本人のツイートをきっかけに、久しぶりに青木理氏の名前を目にしました。名指しで批判を受けていたので珍しいと思ったのですが、麻疹がきっかけでした。

 麻疹という漢字が「はしか」ということもその時初めて知ったように思います。麻という漢字は大麻と同じですが、1年ほど前か芸能人が沖縄で大麻の栽培や吸引をしていたことで大きな問題になり、そのとき神社のしめ縄にも使われているもので、神社との関わりも歴史的に古いと知りました。

 テレビで青木理氏の話を聞いていると、開いていた深澤諭史弁護士のタイムラインに更新があり、次のツイートが目に入りました。博覧会という文字がありますが、これは私の経験として麻疹とダイレクトに結びつくものです。

* ツイート%fukazawas(深澤諭史)%2018/05/22 08:02%<https://twitter.com/fukazawas/status/998700470393683968>
> モリカケ問題と,不当懲戒問題という,古今東西,稀に見るエクストリーム擁護の博覧会が同時に2つも見られる偶然。


 時刻を見ると8時2分となっていて、これは私が台所の方から戻りテレビをつけたときに表示されていた時刻です。初めに昨日の山口県下松のクマの殺処分の場面を目にしたように思いますが、一通りチャンネルを変えて内容を確認してから北陸朝日放送のグッドモーニングを見始めました。

 加計学園の新事実のような問題がトップに来るのか見ておきたかったのです。時刻は9時29分ですが、グッドモーニングでは2分ほど前にそれが終わり、よく聞いていなかったですが、3分から長くて5分ぐらいの時間の割当だったと思います。大きな扱いではなかったです。

 少し脱線するかもしれないですが、それほど大きな問題なのかと疑問に思ったのは、広島出身の落合洋司弁護士(東京弁護士会)のタイムラインで次のツイートを見ていたからです。

* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:35%<https://twitter.com/yjochi/status/998603180811239425>
> こういう腐りきった自民党を支え続ける公明党、学会も、みんな仏罰が下って地獄に落ちるんじゃない?笑


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:30%<https://twitter.com/yjochi/status/998601818044182529>
> 自民党の国会議員も、いい加減、嘘つきや人でなしを担ぐのはやめないと、人として恥ずかしいんじゃないの。そういう羞恥心をどこかに置いてきたから自民党なのかもだけど。笑


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:21%<https://twitter.com/yjochi/status/998599738449514498>
> 副総理は、訳のわからないこと言っては撤回、謝罪の迷走太郎だし。世界の笑い者だわな。


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:20%<https://twitter.com/yjochi/status/998599329886625794>
> 内閣人事局使って飼いならした下僕官僚は、財務事務次官はセクハラオヤジ、国税庁長官は嘘つきの文書改ざん野郎、元首相秘書官は記憶自由自在男。日本はどうなるんだ。笑


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:14%<https://twitter.com/yjochi/status/998597906079797248>
> あべちゃんや仲間たちが、どういう言い訳するか楽しみだな。毎日が言い訳。笑


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 00:05%<https://twitter.com/yjochi/status/998580528382070785>
> 秋山兄弟は、坂の上の雲を通じてしか知らないが、ごくごく平凡な士族の家に生まれ、たまたま兄は陸軍、弟は海軍に進んで、進んだ道で職務に物凄く打ち込む、その姿が印象的。愛媛県民の県民性なのかも。兄はロシアのコサック騎兵団を破り、弟はバルチック艦隊を壊滅させる。今度は一強政権を打倒か。笑


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 00:00%<https://twitter.com/yjochi/status/998579358095716352>
> ご覧いただき、ありがとうございます。 https://t.co/d4m3ujJpBE


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/21 23:58%<https://twitter.com/yjochi/status/998578897636675586>
> 愛媛県が、あべちゃんや取り巻きを、徐々に追い込みつつあるのが凄い。素朴に感心している。


* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/21 23:57%<https://twitter.com/yjochi/status/998578533021630464>
> 愛媛県職員って、記録を取ることについて、驚くべき執念深さ、丹念さを持っていると、率直に感心している。秋山兄弟を輩出した土地柄か。


* ツイート%asahi(朝日新聞(asahi shimbun))%2018/05/21 23:18%<https://twitter.com/asahi/status/998568610657267716>
> 加藤厚労相、加計側との面会認める 愛媛県新文書に記載 https://t.co/zPZAVUmkQ8


 昨夜、3時間もののサスペンスドラマを見ていた関係で、気が付かないままチャンネルがそのままの状態でMRO北陸放送のNEWS23という番組を見ていたのですが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)が出ていて顔出しで何かコメントしていました。アメフトの問題だったような気もします。

 スマホで撮影していたテレビの画面で確認したのですが、やはりアメフトの悪質タックル問題でした。短い時間で撮影に成功していましたが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)の出ている場面は23時23分の時刻が表示されていました。

 そういえば、最近は深澤諭史弁護士のタイムラインでも落合洋司弁護士(東京弁護士会)のツイートはリツイートとして見かけていないように思いました。

 さきほど深澤諭史弁護士のツイートからエクストリームという言葉を調べたのですが、極端、過激という意味の他に、スポーツ的な要素として、離れ業などとも書いてありました。

 落合洋司弁護士(東京弁護士会)ツイートも極端に感じるものが多いです。深澤諭史弁護士のツイートは見世物小屋の曲芸のように感じるものが多いです。弁護士サーカス団一座というイメージが、寄せ集められた深澤諭史弁護士のタイムラインから伝わってきます。


2018年5月21日月曜日

# 2018年5月18日放送「金曜ロードSHOW 高畑勲監督 かぐや姫の物語」を視聴して感じ、本件告訴事件について考えたこと #

# 2018年5月18日放送「金曜ロードSHOW 高畑勲監督 かぐや姫の物語」を視聴して感じ、本件告訴事件について考えたこと #

* ツイート%kinro_ntv(スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式)%2018/05/16 09:42%<https://twitter.com/kinro_ntv/status/996551457951268864>
> 自分の人生に悩んでいる方…


 上記のツイートは、小項目の見出しを作るのに、正式な番組名を探していてTwitter検索から見つけたものです。別の作品の番宣で近年知ったように思うのですが、以前は「金曜ロードショー」だったものがいつの間にか変わっていました。

 時刻は、9時32分です。一行書いて中断していましたが、また、書いておきたいことが2つ増えました。

 昔、水曜ロードショーという映画の番組があって、洋画が多かったような印象も残っているのですが、いつの間にかなくなっていました。昭和の時代から続いた長寿番組だったと思います。金曜ロードショーもやや後発だったような気もするのですが、似たような番組でした。

 水曜ロードショーの方は、水野という人が司会者で番組の終わりに、映画って本当にいいですね、と締めくくるのがお決まりとなっていました。印象に強く残っているのはレンタルビデオが始まる前の時代です。

 金沢市でレンタルビデオ店が始まったのは、ちょうど私が金沢市場輸送で4トン車の長距離トラックの仕事をはじめた昭和59年のことであったと記憶にあります。当初、金沢でも2店舗ぐらいでしたが、それこそ雨後の筍という言葉のように増えていきました。

 1泊2日ではなかったと思いますが、一本借りるのに1500円でした。当時でも映画館で上映をみるのと大差はなかったと思います。

 昭和61年頃には、ビデオの機器を買い、レンタルビデオにも足を運ぶようになったのですが、機器を買った店が金沢市保古一丁目の「ぼんくら」という喫茶店の隣ぐらいの同じ並びにある家電店で、機器を買った客にビデオの無料の貸出もしていたように思います。

 住んでいた東力2丁目のアパートから、歩いても5分もかからない近い場所でしたが、そんな場所でも歩いていくという発想はなかったです。Googleマップで調べたところ、「珈琲亭ぼんくら」となっていました。割りと大きな喫茶店でしたが、何度も入ったことはなかったです。

 その喫茶店ぼんくら、のすぐ近い通りから少し入ったところにあるアパートに、宇出津の城野町に住んでいたAKさん夫妻が住んでいて、何度か遊びに行くこともあったのですが、いつも車でした。

 最初に、レンタルビデオを1本1500円で借りた時は、それを宇出津に持っていって、城野町のAKさんのお宅で、視聴したことをよく憶えています。この城野町に住んでいたAkさんは、OSNとも被告発人大網健二とも被告訴人安田敏とも共通の友人でした。

 当時、城野町に住んでいたAKさんは、川元急送という金沢市内の運送会社で市内配達の仕事をしていました。川元急送も中央卸売市場に出入りする運送会社でしたが、ニュー三久というスーパーの配達の仕事を中心にやっていました。

 私も昭和62年の8月から11月、金沢市場輸送で市内配達の仕事をしていた頃は、日曜日だけの休日に、広島商店という中央卸売市場の青果の仲買の仕事で、ニュー三久の配達の仕事をしていました。ほとんどがバナナの配達という仕事だったと思います。

 当時、私がいつもの仕事で受け持っていた片町・小立野コースだけでも、ニュー三久の店舗は、本多町、菊川、笠舞、浅野川とあったことを思い出します。小立野の付近にもあったような気がしますが、思い出しません。

 城野町に住んでいたAKさんは、その後、私が福井刑務所に服役していた頃にもなりますが、被告発人大網健二の兄であるOSNの鳶職の会社で、長く働いていたと聞きます。平成9年頃には、やめて型枠大工の仕事をしていると聞いていましたが、どこに住んでいるのかも聞くことがなかったです。

 城野町の家というのは、AKさんの妻の実家でした。私の一つ年上で、OSNとは同級生になります。いつも同じ宇出津の新村浜に家のあるKHさんと二人で行動していました。松波で自殺した蛸島のTSさんの妻だった人です。

 蛸島のTSさんは、被告発人安田敏の水産高校漁業科の同級生で、卒業と同時に、安田敏は金沢中央卸売市場のウロコ水産、TSさんは金沢市場輸送に入社したと聞きました。

 昭和56年の夏ですが、私がOSNと二人でぶらぶらしていたところ、TSさんの車が通りかかり、車に乗せてもらって、当時住んでいた問屋町のガソリンスタンドまで送ってもらったのですが、後になってそのときTSの助手席に乗っていたのが、被告発人安田敏だと知ったように思います。

 私が被告発人安田敏と初めに一緒に遊んだと記憶にあるのは、昭和55年の夏休み、友達の友達になる鵜川の家に数人で遊びに行ったとき、夜中、バイクに乗っていた安田敏らと出会って、しばらく一緒にいたことです。その時は、怖い先輩というイメージもありました。

 鵜川は宇出津と同じ能都町で、宇出津の次に大きな町でした。父親の姉という人の家があって、小学生の低学年の頃は、何度か遊びに行ったのですが、どのあたりに家があったのか、どんな人だったのかも全く思い出せません。ドラマに出てくる顔のない人物のような存在感となっています。

 鵜川の町の中心部に住んでいたことは間違いないと思います。一つだけよく憶えているのは、おばさんの家から少し歩いた文房具店に入ったとき、その時の宇出津小学校の校長先生が出てきたのでとても驚いたのです。自分の学校の生徒だと気づいている様子は感じられませんでした。

 久田という名前の校長先生だったと思いますが、久田という名前は宇出津にもけっこうな数ある名前でした。小学校6年生のときだったと思いますが、鵜川から来ているという女の先生がいて怖い先生という評判もあったのですが、その先生に鵜川の偉人、久田船長の話を聞いたことを印象的に憶えています。

 辺田の浜の家の白黒のテレビで、水曜ロードショーをみていた時代だったと思います。昭和40年代の後半です。西部劇が多かったようにも思いますが、ほとんどが洋画だったように憶えています。もう少しあとの中学生の頃だったかもしれないのですが、印象に残っている日本映画は「羅生門」だけでした。

 羅生門はもともと白黒映画だったように思います。平安時代の京都が舞台であったとも思います。子供なりに評価の高い映画作品であることは見聞きしていたのですが、ストーリーが全く理解できなかった映画として、そのことが最も強く印象に残っています。

 羅生門はいわゆる黒澤作品だったと思います。その後、大きな時代劇の映画が高く評価され、世界の黒澤などと呼ばれるようになりましたが、私は不思議と関心を持たつ作品はレンタルビデオでも一つも見たことがありませんでした。

 どういうわけか、自分でも不思議だったのですが、NHK大河ドラマの「風と雲と虹と」だけは強い関心を持ちました。前にも書いたことがありますが、平将門のドラマです。そういえば、ここ数年は平将門の名前を見ることがないので、今では余り知られていない歴史上の人物なのかもしれません。

 真逆とも思えるのが、真田丸の大河ドラマで有名になった真田幸村です。真田幸村のことは昭和40年代のNHKの人形劇で名前は知っていましたが、それも猿飛佐助や霧隠才蔵といった部下の方が主役であったように思います。人形劇のタイトル名が浮かんできませんが、真田十勇士の物語かと思います。

 猿飛佐助と霧隠才蔵の名前だけはよく憶えているのですが、役柄のことも記憶にありません。同じ頃に「仮面の忍者赤影」という実写の漫画がテレビ放送されていて、そちらは記憶に焼き付いています。仮面ライダーやウルトラマンが出てくる少し前で、月光仮面に近い時期かと思います。

 同じNHKの人形劇でよく憶えているのは「八犬伝」でした。主題歌が特に印象的で、ずっと憶えていて、ときどき思い出してきます。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」が中心的なテーマになっていたと思います。

 YouTubeで人形劇と主題歌の動画もみてきましたが、そこに怪物のような女が出てきます。ネットで調べるといったん助命を許されたがすぎに処刑された女が、恨みで化けて出てきたような話でした。見た感じ、とんでもない化物のようなのですが、不思議なことに子供の頃の記憶にはないのです。

 真田幸村という人物の話は、その後ほとんど見ることがなく、それが不思議にも思っていました。拘置所や刑務所の官本で日本史の人物の本もいろいろと読みましたが、真田幸村が特に注目の人物として描かれるのは見なかったように思います。

 福井刑務所で服役し、まだ3,4級生だった頃に、大河ドラマが竹中直人が演じる豊臣秀吉だったので、年間を通じて視聴したと思いますが、真田幸村が出てきたという記憶はありません。秀吉の死後に真田幸村が活躍したと考えれば当然なのかもしれないですが、個人的に縁のなかった人物です。

 「真田丸」も面白いと評判でしたが、ほとんど見ていませんでした。歴史の人物を脚色し想像力で物語を作るという手法に共感が出来なかったというのが、まず先にあったように思います。

 昨夜見た「かぐや姫の物語」も、歴史上の「かぐや姫」や「竹取物語」を、脚色しアレンジしたものと聞きますが、もともとが実在する人物ではなさそうなので、意味が違ってくるとも思います。

 「かぐや姫の物語」は、2月のアカデミー賞のノミネートで話題になった年、半年ぐらいあとだったように思いますが、テレビの地上波で放送されたものを視聴しました。今回はノーカット版ということでしたが、どこがカットされていた場面なのか、わかるものはありませんでした。

 たさ、終わりの方で捨丸とドローンの映像のように空中遊泳する場面は、前に見た記憶のないものでした。捨丸の夢なのか、どちらともとれるような場面とも思いました。拘置所の官本の中で読んだ「邯鄲一炊の夢」のことも思い出します。

 金沢刑務所では拘置所も同じで、免業日の午後に2時間の昼寝の時間がありました。「午睡」と一般では馴染みのない言葉で呼ばれていました。昼寝をしなければならない時間ではなかったですが、昼寝をする人がほとんどだったので、静かにしなければいけない時間でした。

 布団をしいて、寝転がって本を読むこともありましたが、昼寝をして夢をみることもありました。刑務官が鳴らす鐘の音で午睡の時間が終了し、それを合図に眠りから目覚めることもありましたが、あれも普通の社会の中の生活だとまずない体験だと思います。

 あとで別に書きたいと思いますが、今朝はテレビがきっかけで、久しぶりに「胡蝶の夢」を思い出しました。壮士の本の中にも出てきたと思います。文庫本で4冊買って全て読みましたが、難解なところが多く、珍しくわかりやすいとも思ったのが「胡蝶の夢」のところです。

 「胡蝶の夢」は、金沢刑務所の拘置所にいるとき、官本として4冊のうち2冊を読んだ憶えがあります。とても面白く読みやすかったのですが、2冊しかなかったので2冊しか読めませんでした。金沢刑務所の拘置所では、通路を移動する本棚で、タイトルだけで借りる本を決めなければなりませんでした。

 中国の歴史の異民族のことをイメージしたのですが、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」は、日本の幕末の医師を主人公とした物語でした。今、久しぶりに思い出して、気がついたのですが、もしかすると和歌山の華岡青洲の妻のことも、その本で読んだのかもしれません。

 華岡青洲の妻のことは、官本で2,3回、読んだと思うのですが、普通に社会で生活しているときに、ネットでもテレビでも名前は見たことがないように思います。以前、ネットで調べたことはありました。「私は忘れない」と同じ作者の作品があることを知ったことも、書いたと思います。

 時刻は、5月21日17時20分です。またまる一日以上中断をしていたかと思います。書いておきたいことが次から次に増えすぎて、考えの整理や取捨選択だけでも大変です。

 小項目の見出しを確認すると、テレビでかぐや姫の物語を視聴したことと、関連付けて告訴事件について考えたことを書く予定でした。感覚が鋭いうちに早めに書いた方がよいのは重々承知なのですが、ありがちなパターンとして後手に回ってしまった感があります。

 まだ一月は経っていないように思いますが、何かのきっかけで「かぐや姫の物語」のことを思い出し、それについて書いた翌日ぐらいに、テレビで高畑勲監督の訃報を知ったということもありました。

 私がずっと前から気にかけてきたことで、思い出しては気に掛け考える時間が長くなっているのも、本件告発事件の被害者である安藤文さんのご両親、安藤健次郎さんと安藤紀世さんのことです。生存の確認すらできない状況で、なんとかならなかったのかという悔恨もあります。

2018年05月21日17時40分の登録: 2018-04-04-100838_高尾城址から振り返る、平成9年から平成11年の被害者安藤文さんの父親安藤健次郎さんとの関係・告発に至る経緯 http://hirono2017kk.blogspot.com/2018/05/2018-04-04-100838911.html

 上記のエントリーは、さきほど投稿したものですが、だいぶん前に中断したままになっていました。タイトルと内容が十分に整合していない未完のものですが、内容より経緯を優先することで、強制的に締めくくり投稿をしました。最後の小項目は次になります。

2018年05月01日17時51分の登録: # 能登町藤波の海蔵院末薬師堂と輪島市門前町の高尾山、宇出津の天徳寺と祖父母の関係、実行しなかった京都の母親の妹からの頼まれごと # http://hirono2017kk.blogspot.com/2018/05/blog-post.html

 すでにご説明済みのことですが、タイトルの冒頭と末尾に#がつくものは、小項目としてEmacsから投稿したものです。Markdownのモードを使って、再利用をするかたちでCAPS+」とキー操作をするだけでブログへの投稿が完了するようにしています。

 時刻は17時54分ですが、今しがたテレビで、住宅にクマが立てこもり麻酔銃で捕獲の後、殺処分されたというニュースがありました。山口県の下松市とのことです。確認していませんが私の長距離トラックの経験では、瀬戸内海の海沿いに近い場所だったように思います。光市の近くとも。

 クマについても金沢の卯辰山と白山市の尾口村の関連でずっと前から書いておきたいことがあります。光市の海沿いと思われる映像も昨夜のバラエティ番組で、京都府の丹後半島に似たような場所を映像として見たように考え、取り上げておきたいと考えていました。

 昨日の日曜日の夕方はテレビで、卯辰山の全国高校相撲大会をみました。大会の結果は石川県の県内ニュースとしてこれまで目にしたことがあったと思いますが、大会の中継を見たのは初めてでした。それも16時30分からの放送だったので、録画したダイジェストの放送なのかと思っていました。

 昨日は、テレビで卯辰山の全国高校相撲大会を見た後も、偶然として割り切れないようなことが2つありました。初めの一つは、これまでにも何度かあったことですが、銭湯のテレビで目にした放送内容でした。

 北朝鮮に関する放送内容でしたが、この問題は、佐々木亮弁護士、北周士弁護士、神原元弁護士らの不当懲戒請求問題、最近は見かけなくなっている従軍慰安婦問題とも同根ではないかと考えることのあったことにつながるものです。

 従軍慰安婦問題は、弁護士らが作り上げた種まきの成果物という側面があるように考えてきたのですが、同じ戦時中の日本軍の問題行動として著名なインパール作戦があります。いずれも間接的な情報以外に確認は無理だと考えるのですが、とんでもない扱いをしているも深澤諭史弁護士が顕著です。

 深澤諭史弁護士の語るインパール作戦は、いわゆる成仏理論と同じく、司法制度改革や弁護士としての社会的待遇への不満あるいは怨嗟として、しきりに取り上げています。

 前に「かぐや姫の物語」を視聴したとき、月から神仏の一団が、かぐや姫を迎えに来て強制的に連れ去っていく場面をみたとき、その人の運命を決定づける大きな力に、法曹の力を見る思いがあり、それが深澤諭史弁護士の世界観に重なって見えるものがありました。

 今回は、ノーカット版という放送を視聴した後、Twitterの検索で感想や反応を見ていたのですが、そのなかに人の死をビジュアルに表現している、というものがあって視野が広がり、違った視点を持ったような気持ちになりました。

 数年前のアカデミー賞のノミネートとで大きな話題となり、「かぐや姫の物語」という長編アニメの存在を知ってすぐの頃だったと思いますが、娘の健やかな成長を願った両親から、自分が平成4年4月1日の傷害・準強姦被告事件で健康な体を奪ってしまったという考えがありました。

 しかし、その事件の本当の原因、事実は石川県警察の捜査で解明されず、本来、安藤文さんを窮地に追い込んだ市場急配センター関係者らの作り上げた外形的な事実で塗り替えられた物語となってしまいました。本来、捜査の不備を指摘する立場の弁護士らが、それを悪用するかたちで判決を確定させました。

 私はもともと、神仏の存在も死後の世界も確認のしようがないという考えなのですが、数百年前、千年前に死んだ人も数日前に死んだ人も余り違いはないのではと漠然と考えるのです。今の私にとって、安藤文さんの両親は生存の確認も出来ない存在ですし、安藤文さんも同じです。

 個人差はあると思いますし、21歳という若い時の受傷の方が回復力も旺盛と考えるのですが、なにかで脳に大きなダメージを受けた人は長生きが出来ないと聞いたことがあり、先日の西城秀樹さんの訃報も考えさせられるところがありました。

 私と安藤文さん家族の関係は、平成11年8月の安藤健次郎さんに対する傷害事件と、平成17年10月の金沢中警察署の山出警部補が介入した出来事で完全に途切れています。

 安藤健次郎さんや石川県警察の本意、本心に関わりなく、その関係を大きく阻害しているのは弁護士だと考えるようになりました。それこそ深澤諭史弁護士が飛びつきそうな御馳走になるのも皮肉な話ですが、それが弁護士妖怪大泥棒神社の物語の顛末であります。

2018-04-04-100838_高尾城址から振り返る、平成9年から平成11年の被害者安藤文さんの父親安藤健次郎さんとの関係・告発に至る経緯

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# 2018年4月3日放送のテレビで、金沢城公園で満開となった桜と、同じく金沢の桜の名所として紹介されているのを見て、初めて知った高尾城址 #

[link:] 2018年04月04日12時12分の登録: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2018年4月3日撮影のスマホの写真38ファイル 金沢・高尾城址の桜他 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/04/shirono.html>

 当日の写真をTwitterに投稿し、そのツイートをまとめたのが上記の記事です。テレビの画面をスマホで撮影したものもありますが、夕方、銭湯に行ったタイミングでも浴場に入る前に、同様の高尾城址の桜を紹介する番組を見ました。

 夕方の放送では、城址ではなく高尾の石川県教育センターとして紹介されていたかもしれません。ほとんどの場合、夕方の銭湯のテレビのチャンネルはテレビ金沢で、平日は16時頃から19時前まで全国放送のAveryというニュース番組を含む「となりのテレ金ちゃん」が放送されています。

 午前中に見た番組は、石川テレビの放送で、午前10時頃から始まる「リフレッシュ」という石川県内のローカル番組です。こちらも平日だけの放送だと思いますが、途中で、ひるおび!やワイドスクランブルを見るのにチャンネルを変えることが多いのでよくわかりませんが、1時間弱の放送だと思います。

 金沢市内でも高尾という地名というか町名はなじみのあるものでした。高尾南というのもあったはずで、どこからどのあたりまでが高尾になるのか調べたこともなかったのですが、野々市町(現在は野々市市)と隣接し、金沢工業大学に近いというイメージがありました。

 平成9年の7月の中頃から10月の初め頃まで仕事で通った小さな建設会社も住所が高尾になっていたと思いますが、住宅地の真ん中にあるような場所だったので、高尾に山があるというイメージはありませんでした。

 ただ、最近でも金沢市内での場所を説明するのに、「高尾の国際ホテル」という話し方をする人がいましたし、10日ほど前になりますか九十九湾でアジ釣りをしているときに聞いた話だったのですが、そういえばずっと前にも同じような「高尾の国際ホテル」という言い方を聞いたような気がしました。

 その金沢国際ホテルというのは、私の古い記憶の中で広い道路が市街地からの少し高台にあって、その道路の山側に道路に隣接した建物でした。私の中では、金沢市内でも最も古い記憶に近いものとして残っています。誰かが天皇陛下(昭和天皇)の泊まった格式の高いホテルと説明をしていました。

 さきほどGoogleマップの地図で調べたのですが、金沢国際ホテルの前の道路は「県道45号線」となっていました。道は金沢市内から一本道なので「泉ヶ丘通り」もその県道になるようです。金沢市内では他に県道何号線と聞くものもなかったですが、今日初めて知ったことです。

 泉ヶ丘通りは、ラジオ放送の交通情報で、他に野田専光寺線、六枚交差点などとともに決まって名前の出る主要道でした。もう何年もラジオの交通情報は聞いたことがないので現在も同じかどうかわかりませんが、平成10年代に山側環状道路というのが出来ているので、交通事情も違っているはずです。

 県道45線について調べると、金沢鶴来道路とも書いてありました。やはり鶴来に行く主要道路だったのかと思いましたが、鶴来町の入り口か手前の辺りに、大きな村田製作所の建物がありました。ストリートビューで見ると、手前に大きな交差点があったように記憶していたのが見当たりませんでした。

 たしか鶴来町は国道15何号線が通っていたはずで、それが白峰から福井県内の勝山市に繋がっていたはずです。記憶が薄らいでいるものの仕事で通った土地勘が残っているのに関わらず、Googleマップは分かりづらいと感じることも少なくありません。

 Googleマップを拡大すると、国道157号線であることが確認できましたが、一本道で行った記憶のある白山比咩神社の前の道路は県道45号線となっているようです。泉ヶ丘通りが白山比咩神社に繋がっているというのは意外な発見でした。白山信仰の参拝をふくめ歴史の深そうな街道です。








# 平成11年の建設・建築現場への日雇い派遣の仕事、その中でも一番長く通った金沢市山科の河川の災害復旧工事の現場 #

 仕事では山科と聞いていたのですが、さきほどGoogleマップで確認をすると、金沢市山科と別に金沢市山科町があって、この山科町の方が山際になるので、本当は山科町の現場と呼ぶのが正しいようです。

 いや、Googleマップをよく見ると山科町というのは、泉ヶ丘通りから離れすぎていて、あとで宅地造成された新興の住宅地とも考えられます。手前に広い道が見えますが、これが山側環状道路のはずです。平成11年の時点でも工事は始まっていたのかもしれないですが、道路は存在しませんでした。

 県道45線の泉ヶ丘通りに近い山科の地名を見ると、やはり円光寺に隣接していました。円光寺は金沢市内で知名度も高くバスターミナルのようなものもあって商店街のような町並みもあったと記憶します。

 時刻は17時07分です。先程、テレビのとなりのテレ金ちゃんで、穴水町のサバ踊り、という神社の神事をやっていたので、ネットで調べていました。穴水町木原という地名で、どこ辺りなのかとGoogleマップで調べると、能登空港の珠洲道路から反対側にある集落でした。

 どこかで20戸か20人ほどの集落という情報も見かけましたが、400年続いている神事とのことです。神社の名前も白山神社でした。同じ能登町でも近年になって初めて知った集落も少なくはないのですが、サバ踊りというのも山間の集落で、全く聞いたことがなかったので、意外性も高かったです。

 まな板に塩サバと包丁を紐で括り付けていました。被害を与え、娘までさらった白ムジナを退治したのが神事の始まりとのことです。能登町の旧柳田村には猿鬼伝説がありますが、10年ほど前になりますか、今も続いているらしいマラソン大会の同名のポスターで初めて知りました。

 昔話と言えば、一つに竹林が出てくるというイメージがあります。かぐや姫の竹取物語のイメージが強いのだと思いますが、悲しい別れとなる物語だったと思います。数年前、アカデミー賞だったかの候補になっていたアニメをテレビで見ました。

 昔テレビで見た昔話とは違って、仏像のような集団が迎えに来るというラストシーンであったと記憶しています。なぜ仏像なのかと不思議に思ったのですが、それが宗教的なイメージとの融合にもなったと思います。

[link:] 高畑勲監督の「かぐや姫の物語」アカデミー賞候補に 海外で高い評価 <https://www.huffingtonpost.jp/2015/01/15/kaguya-hime-academy-awards-takahata_n_6483632.html>

 調べると、「かぐや姫の物語」というタイトル名だったようです。上記は2015年1月16日の記事となっていました。同じく短編アニメの候補に「ダムキーパー」というブタの少年の物語がありましたが、かなり強く影響を受けています。弁護士脳汚染という世界観につながっていきました。

 2015年と言えば、4月の初めかあるいは3月の終わりに、能登の輪島と横浜を舞台にした連続テレビ小説まれ、の放送が始まりましたが、同じ年のことであったということも記憶から抜け落ちていました。

 「かぐや姫の物語」というタイトル名は記憶になかったのですが、私がTwitterのアカウントのプロフィールの名前に含めた「泥棒神社の物語」にも多少は影響があったのかもしれません。宮沢賢治の銀河鉄道の夜はイメージとしてモチーフに含まれていたのですが、物語ではなかったです。

 平家物語は、モチーフの要素として含まれていたと思いますが、この平家物語も最近になって白山市との関わりを知ることになりました。それも銭湯のテレビがきっかけで、となりのテレ金ちゃんの放送でした。

 さきほど、Googleマップで「金沢市高尾」で検索したところ、地区の輪郭が強調表示されましたが、山の奥の方に伸びる見たこともないような変わった地形となっていました。私が知っていた高尾の場所は、中心部ではあるもののざっと見た感じ、15分の1ぐらいの場所だったようです。

 同じく15分の1ぐらいが住宅地で、その他の広い場所はほとんどが山林のようです。同じ山林で窪町が隣接していますが、その隣に先程の山科町が見えます。

[link:] 高尾町 - Google マップ <http://bit.ly/2GUSPqi>

[link:] 山科 - Google マップ <http://bit.ly/2GAQYnr>

[link:] 山科町 - Google マップ <http://bit.ly/2GzIvAy>

 それぞれ確認すると、山科の方はほとんどが住宅地でした。山科町の方は一部に住宅地があるもののほとんどが山林で、それもかなりの広さです。地図で見ると離れた場所だと思っていた野田山墓地と隣接していることも確認されました。

 山科町と高尾の山林では、季節がわからないものの山の緑の色がずいぶん違っていて、山科町のほとんどの山は深緑で草に近い低木が密生しているように見えます。

 辺りの山にこだわるのは大きな竹林があったからです。昭和59年に金沢市場輸送の仕事を始めた頃から筍の出荷地として知っていました。円光寺の山と聞いていたようにも思います。一度、直接、筍を積みに行ったような記憶もあるのですが、円光寺のバスターミナルの近くで泉ヶ丘通り沿いの場所でした。

 金沢市円光寺で指定すると、全て山間から離れた住宅地で、それも思っていたよりずいぶん狭い範囲でした。わかりやすい目安の地名として円光寺が、筍の産地のようになっていたようです。

 金沢の筍の出荷時期というのは4月の終わりから5月の前半で、詳しくは思い出せないですが、2,3週間の時期だったと思います。昭和59年に初めて筍の仕事をした時は、4月に入ってからだったように思いますが、被告発人大網健二も一緒に金沢市場輸送の長距離の仕事を始めた時期でした。

 筍の仕事の終わりの方と少し重なっていたと思いますが、次に同じように忙しくなるのが金沢港でのスルメイカの仕事でした。昭和59年の時は、7月に入ってからも続いていたように思いますが、5月から6月の間に一ヶ月間ほど続けてスルメイカの仕事があったように思います。

 平成11年の時、山科の現場が終わったすぐ後だったような気もするのですが、別の仕事で泉ヶ丘通りで山科からもう少し奥に行ってから、左手に山の上を方をぐんぐん登っていく現場に行ったことがありました。林道が蛇行していましたが、上の方に行くと見たことのない大きな竹林が広がっていました。

 時刻は18時29分になったところです。3分ほど前、同じテレビ金沢で穴水町のサバ踊りをやっていましたが、さらわれた娘を救い出すためサバを使っておびき寄せた、という説明がありました。前に見たのも同じ内容だったのかもしれませんが、途中になってからサバ踊りという言葉で目を向けました。

 山科の現場での最終日は、早い時間に仕事が終わり、いつも一緒に行っていた小松市から来ていた溶接の職人と二人で、その人が早く会社に戻ると他の現場に行かされるかもしれないので、時間をつぶそうと言い出し、どこか高尾の辺りの商業施設の駐車場にいた場面が記憶に残っています。

 山科の現場は、2月の20日過ぎに日雇い派遣の仕事を始めてから早い段階の仕事だったと思います。ほぼ毎日のように通うことが多かったですが、それは派遣先の現場からの指名によるものでした。堀田建設という会社の仕事でした。直接会社に行くことはなかったですが野々市町と聞いたように思います。

 野々市町と松任市の境の辺りに土場がありました。資材置き場で土砂置き場にもなっていました。周囲はほとんど家がなく田んぼになっていたとも思いますが、あまり良く思い出せない場所です。そこで土嚢を作ることもありました。

 この堀田建設の仕事は、ほとんどが川での災害復旧工事の仕事でした。山科の仕事が終わってからどのくらい間があったか憶えていませんが、6月頃には集中的に山中温泉の山奥の現場に通うようになっていました。安藤健次郎さんと頻繁に連絡するようになった時期のことです。

 今は聞かなくなったので変わっている可能性もありますが、当時の山中温泉は江沼郡となっていたと思います。福井県に近い石川県のはずれでした。片山津、山城と並んだ加賀温泉の一つで全国的にも温泉地としての知名度はある程度あるように思います。

 時刻は18時51分です。「誉のドコ行く?」というコーナーが終わったところでしたが、白山市白峰が出ていました。もう3ヶ月ぐらいずっと白山市の奥の方を回っているようです。初めに見たのも白峰かと思ったのですが、それは「はじめてのおつかい」との勘違いかもしれないと思い直しました。

 最初の頃に印象的だったのは、白山市の奥の方の集落の蕎麦屋で、その店の山岸という主人が元警察官と番組で話していたことでした。白山市に注目するようになった最初のきっかけだったかもしれません。あとで確認します。

 山科の現場の仕事が終わったのは4月中だったと思います。終わる数日前か、数日後の日曜日に、久しぶりに被告発人大網健二から連絡があって、西金沢の展示中の建売住宅で会って話をしました。豊蔵組の東京出張所や群馬県の山に現場があるような話を彼がしていた時のことです。

 ふと、数年ぶり、あるいは10年以上ぶりに思い出したのですが、西金沢には昭和59年の金沢市場輸送の仕事をしていた時、よく荷物を積みに行く工場がありました。羽二重餅という商品名が記憶にあるのですが、これは福井県の名物のようです。敷地内には、西金運輸のトラックもいました。

 冷凍食品の工場であったとも思うのですが、思い出せることは少ないです。西金沢の駅からも近い場所にかなり大きな敷地となっていましたが、平成に入った頃には工場を見かけることもなくなっていたかもしれません。冷凍食品のようなものを運んでいたことは間違いないように思います。

 時刻は4月6日21時46分です。中断をしていたと思います。JekyllとBloggerのどちらでも埋め込みツイートを表示できるようにしたのですが、Bloggerの方ではまって10時間以上の時間を軽く潰してしまいました。解決は思わぬものでしたが基本的な出力に見落としがありました。

 ずっと正規表現の記述を疑っていたのですが、そちらに間違いはなかったので、検証を重ねたことで少し自信を深めるプラスの作用もありました。

 中断前に、西金運輸と羽二重について書いていましたが、西金運輸は現在、金沢市無量寺の住所になっていました。こちらは前にも調べた結果と同じように思いました。西金沢の羽二重は、羽二重豆腐が正式名称でした。会社の場所を勘違いしていたのですが、同じ場所にあることを確認しました。







# 不思議なタイミングでの「かぐや姫の物語」高畑勲監督死去のニュースと、初めに能登町天坂のラーメン店のテレビで知った医王山遭難事故のニュース #

* ツイート%kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)%2018/04/04 19:10%<https://twitter.com/kk_hirono/status/981474049162276865>
{% tweet 981474049162276865 %}
冷凍食品の工場であったとも思うのですが、思い出せることは少ないです。西金沢の駅からも近い場所にかなり大きな敷地となっていましたが、平成に入った頃には工場を見かけることもなくなっていたかもしれません。冷凍食品のようなものを運んでいたことは間違いないように思います。


 上記は中断前の記述部分のツイートですが、4月4日19時10分という意外な結果でした。昨日の4月5日は丸々中断をしていたことになりますが、昨日は色々とありました。翌日である今日の6日金曜日から天気が崩れるという予報も出ていたので、午前中、母親のいる病院に行ってきました。

 木曜日の午後に用事を頼まれていたのですが、その日の用事はなかったことになりました。病院に行った後、正午前に近くの天坂のラーメン店で、久しぶりの外食をしたのですが、店のテレビで医王山で行方不明者というニュースが流れていました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 16:29%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981795939508674560>
{% tweet 981795939508674560 %}
医王山 - Wikipedia https://t.co/ItzN56wLQi


 家に戻ってからネットで調べたのですが、それらしいニュースは見当たりませんでした。医王山についてもずっと前から気になることがあったので、取り上げることを予定したのですがテレビのニュースで医王山を耳にするというのも思いのよらぬことでした。

 医王山について調べていると、高尾城址の見晴らし台と同じく金沢市の夜景の名所として、キゴ山という地名が出てきました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 16:33%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981797060675493889>
{% tweet 981797060675493889 %}
銀河の里キゴ山駐車場の夜景 (石川県金沢市) -こよなく夜景を愛する人へ https://t.co/huTQCbr9CD


 銀河の里、という言葉も初めて目にしたのですが、当日に母親のいる病院に行く時、立ち寄って桜並木の写真を撮影した「やなぎだ植物公園」も、星空の天体観測の名所となっていることを思い出しました。

 キゴ山の夜景の情報には、プラネタリウムのことも書いてありましたが、宇出津小学校の修学旅行で、金沢市泉野にあったプラネタリウムに行ったことを思い出しました。この修学旅行は、他に卯辰山の金沢ヘルスセンターに宿泊したことと、兼六園で記念撮影したことだけ記憶に残っていました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/06 08:22%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/982035660948176896>
{% tweet 982035660948176896 %}
医王山で60歳の男性が行方不明 | NNNニュース https://t.co/cG9APF9Gaf


 医王山については、他に分けて書いておきたいことがあります。

 今日のテレビの石川県内ニュースでは、医王山ではなくキゴ山となっていましたが、視界不良で滑落してしまったと妻に携帯で連絡を入れていたという行方不明者は遺体で発見されたということでした。夕方のニュースでは死因は凍死とのことです。

 一般の人が遺体を発見したというニュースになっていましたが、昨日も捜索隊が出ていて発見できなかったとのことです。キゴ山は標高が500メートル少しで、調べると奥能登で最高峰という輪島市の高洲山と同じぐらいでした。高洲山は、輪島市内から見ていたので、だいたいの大きさがつかめました。

 昨日は、母親のいる病院に行った後、ラーメン店で食事を済ませて宇出津に戻る時、平体の火葬場の跡地に立ち寄り、聖観音像の写真撮影を行ったのですが、その時、お寺のような建物の前に残雪が残っているのを見て、宇出津の町とどれだけの標高差があるのか気になっていました。

 宇出津の町では、もうずいぶん前から残雪は目にしていませんでしたが、母親のいる病院の側の珠洲道路でも道端にかなりの量の残雪を見かけ、不思議に思っていました。ラーメン店に向かう手前のことです。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 15:16%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981777592410750981>
{% tweet 981777592410750981 %}
【かぐや姫の物語】ラストシーンの「なぜ」 ? - YouTube https://t.co/hwDrERBUFU


 母親のいる病院に行く前かと思っていたのですが、上記のツイートで確認したところ、病院から戻った後に、「かぐや姫の物語」のラストシーンについて調べていました。

 母親のいる病院に行く前の発見は、録画一覧で再生したNHK連続テレビ小説「半分、青い。」でした。録画再生で3話分の視聴をしてから病院に出かけました。本日の5話は、そのままの放送で視聴をしましたが、録画済みの4話はまだ視聴していません。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 09:04%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981683922957320192>
{% tweet 981683922957320192 %}
録画再生を開始したNHK連続テレビ小説「半分、青い。」。録画済みリストでタイトル名を見るまで全く情報を見なかった。


 NHK連続テレビ小説は、2015年の輪島市と横浜市を舞台とした「まれ」の時から毎回予約の指定をしているのですが、その予約の解除がうまく出来ないまま、ほとんど視聴することなく録画を消去していました。

 「半分、青い」という今月に入って始まった連続テレビ小説も視聴しないまま削除しかけたのですが、タイトル名を含めた事前の全く得ていなかったことが、不思議な縁のように思い視聴してみることにしたのです。

 3話分が主人公の女の子の出生の物語となっていました。それも珍しいドラマと思ったのですが、その出生の年が1971年となっていたことが気になりました。1970年8月15日が被害者安藤文さんの出生だからです。時代背景はほぼ同じだったので、偶然とは思えない巡り合わせを感じていました。

 本日、高畑勲監督死去のニュースを初めに知ったのは、北陸朝日放送のモーニングショーという番組の番組終了直前の場面でした。高尾城址のことがきっかけで、竹林から「かぐや姫の物語」について調べたばかりだったので、これも偶然とは思えないような不思議な巡り合わせを感じました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 15:40%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981783522753970176>
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【ネタバレ】「かぐや姫の物語」が描いた姫の犯した罪と罰とは何か| https://t.co/yjfOIqOH3f


 上記のツイートの記録にあるように、サブタイトルのようにもなっていたらしい「姫の犯した罪と罰」というのも、考えさせられる重いテーマとなっていました。







# 桜の名所としてテレビで紹介されていた金沢の高尾城址と宇出津の遠島山公園に共通する「じょうやま」という呼び名から思い出した月見御殿の姫のお話 #

 金沢市の高尾は高尾台とも呼ばれていたように思いますが、新興住宅地というイメージが強く、歴史的なお城と結びつけて考えることがなかっただけに、テレビで「じょうやま」と呼ばれ親しまれている、という話を聞いた時、知らないことがあるものだと感心しました。

 小さい頃からなじみのある宇出津の遠島山公園も地元では「じょうやま」と呼ぶことが普通でしたが、正式には「棚木城址」ということになるのかと思いますし、そのような案内板も出ていたと思います。

 数年前までは、よく魚釣りに行っていたのですが、昨年(2017年)の1月頃を最後に行っていないように思います。公園の中にバイクを停めて、15分ほど崖の坂道を降りて下にある堤防に行っていました。恵比寿様の祠があることからだと思いますが、地元では恵比寿の堤防などと呼ばれていました。

 当時は「恵比寿の角」と呼んでいましたが、中学生の頃は夏によく泳ぎに行っていました。遠島山公園から坂道を降りることもあれば、宇出津港の赤灯台、白灯台から湾内を泳いで渡ることもありました。宇出津の周辺では一番海のきれいな場所で、今でも海の中の様子がある程度、記憶に残っています。

 その中学生の頃というのは、昭和50年代前半のことですが、遠島山公園の入口には、今も建物は残っていますが売店のような店もあって、そこでかき氷かソフトクリームを食べたような記憶も残っています。観光地のようにもなっていましたが、今は近所の人が犬を連れ散歩をするのを見るぐらいです。

 遠島山公園を散歩することもありました。釣りに降りる場所とは逆方向ですが、先端に離れ島があって、その少し手前に月見御殿の跡地という案内板が出ていました。数年前に行った時は、屋根付きの休憩所のような建物があったように思います。6年ほど前だったように思います。

 時刻は、4月19日16時33分になります。かなり長い間、本書の作成を完全に中断をしていました。

* ツイート%kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)%2018/04/07 10:01%<https://twitter.com/kk_hirono/status/982423175068725248>
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遠島山公園を散歩することもありました。釣りに降りる場所とは逆方向ですが、先端に離れ島があって、その少し手前に月見御殿の跡地という案内板が出ていました。数年前に行った時は、屋根付きの休憩所のような建物があったように思います。6年ほど前だったように思います。


 Twitterでは、上記の4月7日10時01分のツイートからの再開になります。中断の理由はいくつかあるのですが、まず弁護士ツイートの記録スクリプトの修正を行いました。そのあと、スクリーンキャストでの動画記録の再開も行ったのですが、これもスクリプトの大幅は修正を迫られました。

 ようやく準備が整ったという段階で、小木港にアジ釣りに行くこともあったのですが、財務省の事務次官のセクハラ疑惑問題、それと弁護士であり医師でもある米山隆一新潟県知事の女性問題があって、前者は特に弁護士らの反応が大きかったので、しばらく静観するような心持ちにもなったのです。

 初めの中断のきっかけは、数年前の遠島山公園の月見御殿の写真をパソコンやGoogleフォトで探したことにありますが、見つけることが出来なかったもののその他の発見もありました。翌日か翌々日が日曜日で、午前中に遠島山公園へ行き、月見御殿や離れ島をスマホで撮影してきました。

 どうも姫の具体的な名前などは残されていないようでした。案内板にある一つのツイートでおさまるような短いお話だけが残されているようですが、それもまた正確な記録の必要性を考える機会にもなります。

 今は、他に優先させたいこともいくつかあるので、遠島山公園の月見御殿のことはまた別の機会に書いておきたいと考えています。

 遠島山公園の月見御殿の姫のことを思い出したのも、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」がきっかけでしたが、調べた翌日に、高畑勲監督の訃報がテレビニュースになっていたので、それも不思議に感じました。

 遠島山公園に行ったのが日曜日だったと思いますが、その次の金曜日の夜に、高畑勲監督の「火垂るの墓」がテレビで放送されていました。翌朝の4時に小木港にアジ釣りに行く予定が出来ていたので、その支度もあって、集中して視聴できなかったのですが、録画はしてあります。

 かぐや姫のことは、2016年12月31日に初めて海蔵院末薬師堂に行った時、竹林を見つけたときも思い出しました。竹取物語とも言われていたはずです。







# 能登町藤波の海蔵院末薬師堂と輪島市門前町の高尾山、宇出津の天徳寺と祖父母の関係、実行しなかった京都の母親の妹からの頼まれごと #

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「海蔵院末薬師堂」の検索結果 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E6%B5%B7%E8%94%B5%E9%99%A2%E6%9C%AB%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A0%82&ao=a&order=allasc>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2017/01/01 19:30%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/815505579003219968>
{% tweet 815505579003219968 %}
能登町藤波海蔵院末薬師堂御開帳 | 居酒屋『熊さん亭』店主の日記 https://t.co/MUApthUcTZ


* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/01/17 11:41%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/953457279969280000>
{% tweet 953457279969280000 %}
海蔵院末薬師堂御開帳 於能登町藤波 : ブッディツーリズム https://t.co/U1p5okAFFK


 検索結果は2件のみでした。2017年1月1日のツイートのリンクのブログは2012年1月、2018年1月17日のツイートのリンクのブログは2011年5月に更新が止まったままです。このブログの存在がなかったら建物の名称も中の様子も全く知ることは出来なかったと思います。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「海蔵院末観音堂」の検索結果 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E6%B5%B7%E8%94%B5%E9%99%A2%E6%9C%AB%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%A0%82&ao=a>

 検索結果が少なかったので、海蔵院で調べ直すと、「海蔵院末観音堂」がありました。最初に見つけたのもこちらの方だったのかもしれません。近くに薬師寺川という小さな川があるので、薬師堂の方がしっくりくるような気もしますが、詳しいことはわかりません。

 海蔵院については、同じ藤波の柳倉にもお寺には見えない古い建物があって海蔵院と呼ばれていることはネットの情報で確認しています。小さい頃から見覚えのある建物でしたが、40年以上前の当時でも人が出入りをしているような建物には見えませんでした。

 海蔵院のことは、たまに顔を合わせて話をすることのある藤波の辺田の浜の人に話を聞いたのですが、宇出津の天徳寺が管理をしているようなお話でした。

 柳倉の海蔵院の方は、海沿いの国道249号線沿いにあって集落にあるのですが、辺田の浜の海蔵院末観音堂と思われる建物は、小高い山の上にあって民家とは離れています。宇出津のバイパスの道路の入り口になっているので、そのバイパスが出来てから目立つような場所になりました。

 目立つと言っても意識して山の方を見上げないと視界には入らないと思いますし、外見上物置小屋にしか見えないとも思えます。私はその辺田の浜で一歳から小学校5年生に進学する直前まで生活していたので、昔のことを思い出しながら周囲を見渡すこともあったのですが、普通はないことだと思います。

 宇出津新港の信号機のある交差点の小高い山の上にその建物はあったのですが、ずっとそれほど意識しないで生活していました。初めて見に行こうと思ったのが、大晦日の12月31日のことでした。買い物を済ませて帰るときに、信号待ちで止まっていて目に入ったのです。

 最初は建物ことより、赤い花の咲く木のことが気になりました。冬に咲く花というのも珍しと思いましたが、寒椿という花ではないかと思いました。もっと小さかったですが、辺田の浜で住んでいた家のほんの小さな植え込みにも同じような花が咲いていたことを思い出しました。

 大晦日と言えば、平成13年12月31日に金沢刑務所を満期出所した日のことを思い出すことも多いのですが、子どもの頃以来まったく見ることのなかった紅白歌合戦を見るようになったのも刑務所での生活でした。

 その紅白歌合戦で印象に残っていたのが、新潟県出身の小林幸子の曲で、曲名は覚えていませんが、「雪椿」というような歌詞のある曲のことも、その赤い花を見て思い出しました。

[link:] 雪椿 小林幸子 - YouTube <https://www.youtube.com/watch?v=A_7hpv6_g6U>

 調べると、曲名がそのまま「雪椿」だったようです。たぶん花は同じではないかと思うのですが、子供の頃は「寒椿」と聞いていたような気もしますが、宇出津の町では長い間、見かけることもなかったような気もしました。

[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2016-12-31_150523_辺田の浜・海蔵院末観音堂.jpg <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono2016-12-31150523jpg.html>

 何枚か写真をアップロードしました。上記は写真を含むツイートのまとめ記事です。

 前にどこかで書いたことがあると思いますが、だいたいこの辺りの場所に、お堂のような古い建物があることは小さい頃の記憶にあったのです。年に数回ぐらいは決まって思い出すことがあったのですが、同じ場所を探してみようと考えることはありませんでした。

 川の近くにトタンの小屋があって、その奥に細い道があり、一度だけその道を上まで登ったのですが、登った山の上に小さなお堂のような建物があったのです。しかし、改めて思い返しても、現在同じ場所にある建物とは思えず、夢の中の風景と記憶が混同しているのかと考えることもあります。

 以前、神奈川県に移った本山と輪島市門前町の總持寺祖院について調べていると、總持寺祖院の近くに高尾山という山があることを知り、そこに夢の中で見たのと似たお堂のような建物の写真を見つけたことがありました。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2017年12月05日 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/date-171205/allasc>


三三番石仏が終わって広場に出て、正面にお堂らしくないお堂がある。中は良く見えない。高尾山立持寺が寺名らしい。「能登国33番観音霊場の28番立持寺」と書いてある。10.20分。

[source:] /引用元:/ 峨山 <http://www.geocities.jp/suzumenokai1114/152satoyama-gazan.html>


 上記の引用部分にある写真だったと思います。この写真ほど広い場所ではなく、よく見ると建物も白い壁のようになっていますので、夢の中の建物とは違うような気もしましたが、最初に見た時は似ているような気がしました。日本昔ばなしに出てくる古い寺のようなお堂が記憶に残っています。

 高尾山といえば、東京都八王子市が有名ですが、私が初めて知ったのはPC遠隔操作事件の報道でUSBメモリーが埋められた場所として報道を見たことです。しかし、当時は横浜市内に近い神奈川県内か隣接した東京都とばかり思い込んでいました。場所を調べようという気持ちは起こりませんでした。

 高尾山が八王子市だと知ったのは、昨年の10月か11月の座間9遺体遺棄事件がきっかけでした。警視庁高尾警察署というのが出てきて、神奈川県座間市の事件だというので気になり、調べたところ、八王子市内に高尾警察署があることと高尾山があることを知ったのです。

 高尾山のことは、八王子市の地名の由来薬王院のことでも調べていたように思うのですが、八王子市だとはっきり知ったのはその時だったと思います。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)が八王子市の大学院に教授として通っていたことも、調べる動機となりました。

 素戔嗚尊や牛頭天王の共通点として八人の子どもがいて八王子と呼ばれたという情報をネットで見かけたのですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の法律事務所の住所が、京都市の八坂神社の近くであることも同じ頃に、気がついた発見でした。

 それより前になると思いますが、高尾と聞くと、仙台高尾を思い浮かべることの方が多かったと思います。2016年の4月、ちょうど今頃なので2年前になりますが、一年目の祭礼委員をしている時、強風で曳き山が倒れ怪我人の出る事故があって、その白山神社の曳き山の人形が仙台高尾だったのです。

[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2016-04-17_121934_石川県鳳珠郡能登町宇出津曳き山祭り.jpg <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono2016-04-17121934jpg.html>

 Twitterに写真を投稿しツイートのまとめ記事を作成しました。夜中の2時から朝山があるのですが、まともに見たのはこの時が初めてで、魚市場の近くまで行ってから白山神社の近くまで戻るというルートも、この時初めて知りました。

 深夜にも大音量のスピーカーで木遣り唄を流すというのが朝山の特徴でしたが、次の2017年は暗い時間、マイクの音を消していました。今年はまだわかりませんが、それも時代の移り変わりなのかもしれません。当日は、町から避難する年寄りや病人も少なくないと聞きました。

 私が小中学生の頃は、4基の曳き山が出ていたのですが、現在は2基です。以前は一部の町内として出ていた曳き山も、いったん中止になったあと、酒垂神社と白山神社の氏子のお祭りとして再開したと聞きました。

 普段、町で見かけることの少ない小学生ぐらいの子どもも多く、たぶん他の地区から招かれた子どもが多いのではと思いますが、女の子の数の方が多いような気もしました。曖昧な記憶ですが私が子供の頃は曳き山にのる女の子の姿はなかったように思います。

 子どもに事故がなかったのがなによりと思いましたが、誰一人、強風で曳き山が横転するとは想像にもしていなかったようです。春は南風が強い日が多く、南風は宇出津の港の中に吹き込む風なので、その影響がもろに出たのだと思いますが、ベテランの漁師も経験のないような風が吹いたとのことです。

 翌年になりますが、昨年つまり2017年の3月10日には能登高校の女子高校生の殺害事件があり、2件の行方不明と、遠島山公園での1件の死亡者がありました。行方不明の1件は、遠島山公園を最後の足取りとし、もう一件は宇出津新港でサザエ採りをしているときに流されたようです。

 1月の終わりか2月の初めにも小木港で、釣り人の転落不明の事故があって、失踪を偽装したのではという疑いの声もあったようですが、新潟県の糸魚川市能町の底引き網に遺体が引き上げられたという小さいニュースがありました。2ヶ月ほどあとであったように思います。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2017/04/24 23:22%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/856513591402430464>
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糸魚川市能生沖に身元不明の男性遺体 | 上越妙高タウン情報 https://t.co/LkjjZzncTo


 Twilogで探し出しました。リンクの記事は残っていましたが、能登で行方不明者があったことは記事にありません。地元でも気が付きにくいような小さな報道でした。

 時刻は4月20日6時57分。一時間ほど前、6時前に目が覚めていました。

 今年も1月の中頃に、宇出津新港で能登高校の男子学生が行方不明になるという問題があり、思い出しましたが1月17日のことでした。ナマコ漁の船に遺体が引き上げられたのが2月4日となっていたと思いますが、その報道があったのは3,4日後だったと思います。 

 新聞の小さい記事でしたが、その1,2日前に地元で遺体が見つかったという話は聞いていました。気になったのは、新聞の記事が漁業関係者の話となっていたことです。

 確認すると2月7日の北陸中日新聞朝刊でした。「漁業関係者の取材で分かった」と書いてありました。警察がプライバシーを重視している感じだったので、このまま身元確認の公表もされないのかと考えていました。

 なにか作業で一段落した状況の時、宇出津新港に買い物に行ったのですが、久しぶりに会えば話をする人と公園の前の道路で出会い、宇出津新港の遺体の話を聞いたところ、数日前にテレビでDNAの確認が出来たと報道されていたという話を聞きました。

 家に戻ってからネットで調べると確かに情報が出ていました。宇出津新港で出会った人に聞いた話では実名は出ていなかったということだったのですが、実名が出ていたので、少し不思議に思っていました。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「ナマコ」の検索結果 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%B3&ao=a>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2016/03/18 21:09%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/710800356100349952>
{% tweet 710800356100349952 %}
弁護士 村松 謙さんはTwitterを使っています: “とくダネ!、ナマコ漁やってる。二億円だって。イノシシどころじゃねぇぞ!!弁護士の新しい職域!!” https://t.co/23H1o6Lx7m


* ツイート%kmuramatsu(村松 謙)%2016/03/18 08:40%<https://twitter.com/kmuramatsu/status/710611895917498372>
{% tweet 710611895917498372 %}
とくダネ!、ナマコ漁やってる。二億円だって。イノシシどころじゃねぇぞ!!弁護士の新しい職域!!


 ぜんぜん記憶になかった村松謙弁護士のツイートが見つかりましたが、そういえばひと頃、弁護士の生活の窮状としてイノシシ狩りのことが話題になっていました。発端は岐阜県の弁護士がシンポジウムで発言したことになっていたように思います。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/02/22 21:29%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/966651225717456898>
{% tweet 966651225717456898 %}
この撮影の後、宇出津新港釣り公園でポケモン(スポット3、ジム1)。それからどんたく宇出津店に買い物に向かうときに、知り合いにあって不明の男子高校生の身元が判明したテレビニュースを見たと聞いた。不明の高校生もポケモンに行くと友達と別れた報道。高校生の姿をスポットで見たことはない。


[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2018年02月22日 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/date-180222>

 2月22日のツイートとして発見しました。当日のツイートをみていると、気になるものが幾つかあります。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/02/22 22:13%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/966662277771309057>
{% tweet 966662277771309057 %}
大杉漣さんの自殺疑惑、調べることになったきっかけはローカスこと三浦義隆弁護士のタイムラインでのツイートだった。何故かそのまま出所を刑裁サイ太だと勘違いしていた。早めに気がつく発見があって良かった。


 直前のリツイートが7件全て「公開拒否」と表示されていたので気になっていたのですが、三浦義隆弁護士のツイートのリツイートだとすれば納得です。Twilogで公開拒否を見たのも三浦義隆弁護士のアカウントだけでした。

* ツイート%lawkus(ystk)%2018/02/22 14:29%<https://twitter.com/lawkus/status/966545514706513925>
{% tweet 966545514706513925 %}
大杉漣さんは病死だったようだが、急性心不全と聞いて(察し)みたいな反応してる人が散見された。それでふと思ったのだが、「マスゴミは自死報道に関するWHOのガイドラインを全然尊重しない!」との批判あるけど、尊重したケースがあっても可視… https://t.co/9FzKsWeaIm


 大杉漣さんの病死のこともほぼほぼ忘れていましたが、2月の20日頃のことであったようです。死亡する前日か前々日に死亡することを予告するような投稿があったということで話題になっていましたが、2,3日のことで、その後、続報も見ていないように思います。

[link:] 大杉漣さんの急死を予言していた!? 1週間前に「Yahoo!知恵袋」に投稿された“不吉な質問”の真相究明 <http://tocana.jp/2018/02/post_16084_entry.html>

 内容の確認も必要なので調べたのですが、以前見た内容とは違った印象の記事です。前日や前々日というのも私の思い違いで、一週間前が正しいようです。

 大杉漣さんといえば演技の巧みな俳優として高い評価を受けていましたが、私が初めに意識したのは、そのような評価とは関わりなくたまたま見た2時間ドラマでした。主役は町医者の泉ピン子で、舞台は静岡県の漁港。大杉漣さんの役どころは、孤独で頑固者の漁師でした。


浜田克利
演 - 大杉漣
漁師。不漁、持ち船「栄進丸」の不調、脳溢血による妻の急逝と不幸が重なり、孤独感から気持ちが薄れて愛想が悪くなり仲間や息子の栄太も寄り付かない存在に。妻が倒れた際、救急受け入れを拒否され病院をたらい回しにされて亡くなったことで、病院に不信感を持っている。栄太に苦労させたくないと漁師を自分の代で終えようとしたが、急転して継がそうと決意するも本人の目の前で倒れて、胃がんと判明する。自分の不甲斐無さに罰が当たったと嘆くも、花世に諭される。手術は難航するも成功し、できるだけ長く生きようと決意する。

[source:] /引用元:/ おふくろ先生の診療日記 - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%A8%BA%E7%99%82%E6%97%A5%E8%A8%98>


 少し手こずったのですが、シリーズの第4作として情報を見つけました。放送日が2012年3月12日で、「人はひとりじゃない!伊豆・稲取編」がサブタイトルのようです。思ったよりずいぶん前のことでした。夜に見たドラマだったので、あれですが、田舎なので再放送の可能性もありそうです。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2012年03月12日 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/date-120312/asc>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/03/12 22:21%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/179195392351678465>
{% tweet 179195392351678465 %}
月曜ゴールデン「おふくろ先生の診療日記4~人はひとりじゃない!伊豆・稲取編~」 2012年3月12日(月)  21時00分~22時54分 http://t.co/jrw58QLc みています。


 放送日に違いはなかったと確認しました。こういう確認がやりやすいのもTwilogの恩恵です。金沢地方検察庁の田中という担当者の会話を録音したものをYouTubeにアップロードしたというツイートもありますが、田中という人のこともよく思い出せなくなっています。

 一番記憶に残っている金沢地方検察庁の担当事務官はミヤさんですが、あの人だけは3年度連続ではなかったかと思います。時期的に田中という人は、ミヤさんの前任という可能性もありそうです。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/03/12 17:37%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/179123984233807872>
{% tweet 179123984233807872 %}
金沢地方検察庁_20120312.wmv - YouTube http://t.co/EfzaUFQM この度、モトケンこと矢部善朗(京都弁護士会)@motoken_tw にブロックされたことにより、本気で的を絞って弁護士の責任を追及することにしました。刑事責任も視野にいれて。


 そのまますっ飛ばそうかとも考えたのですが、リンクのYouTube動画を視聴。動画と言っても音声のみの静止画です。田中さんのことは声を聞いてすぐに思い出しました。前に同じような音声動画を視聴したときも同じ声の人物であったのですが、的確な対応をしてくれていたように感じていました。

 再スタートに相応しい資料の発見です。弁護士の責任追及を真剣に考え始めた時期だと確認しましたが、2012年3月12日というのは考えていたよりかなり前のことです。前年の3月11日は東日本大震災の当日ですが、金沢地方裁判所に再審請求の話をしていたときに、大津波の発生がありました。

 正確にいうと、金沢地方裁判所から折り返しの電話を待っている時間に、たしか14時26分という大地震の発生と直後の大津波があったと記憶しています。

 時刻は4月26日11時15分です。Twitterでは次のツイートからの再開になりますが、中断中に作成したスクリプトでのブログ記事からの引用になります。

21件目 ツイート: kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中) 日時: 2018-04-20 08:45 URL: <https://twitter.com/kk_hirono/status/987115041877979136>
{% tweet 987115041877979136 %}
正確にいうと、金沢地方裁判所から折り返しの電話を待っている時間に、たしか14時26分という大地震の発生と直後の大津波があったと記憶しています。


[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: #告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中 @kk_hirono#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年04月26日11時13分 <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/kkhirono201804261113.html>

 スクリプトによるブログ記事については、いくつかパターンの異なるものもあるので、いずれまとまったご説明の必要はあるかと考えています。

 引用した部分のツイートは、<http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/kkhirono201804261113.html#p21> というページ内リンクのURLになります。HTMLのID属性を使った昔からあるページ内リンクのジャンプですが、pに番号を付けただけの単純なものとしています。

 ブラウザのURL欄で直接URLを編集しページを開くということを理解する人は少ないように思われますが、わかる人にはわかる単純なやり方なので、是非参考に活用していただければと思います。なお、ページタイトルの部分はJavaScriptで取得し表示させているものです。

 書きたいこと書いておきたいことが多すぎたのも中断の大きな理由ですが、とにかくこの小項目のタイトルにある内容を書いておきたいと思います。その残りの部分が「宇出津の天徳寺」になるのですが、中断中に撮影した写真があるので、それをご紹介したいと思います。

[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: #非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年04月26日11時02分 <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono201804261102.html#p199>

2018-04-24 12:26から199件:最新2018-04-26 11:00という範囲(1日22時間34分)の取得

 上記の部分はツイートの取得件数と取得の時間範囲ですが、自作のプログラムで試行錯誤を繰り返したので正確性にやや自信の持てないところもあります。4月24日12時26分から4月26日11時0分までとなっていますが、これはあくまでツイートの投稿日時で、撮影日とは異なります。

 予定はしていなかったのですが、気候が良かったこともあり、その場の気分で酒垂神社の曳き山まで見に行き、その場の思いつきで天徳寺にいってスマホで写真を撮影したものです。バイクは能登町役場前の駐車場にとめていました。

158件目 ツイート: s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時: 2018-04-24 12:38 URL: <https://twitter.com/s_hirono/status/988623256042196992>
{% tweet 988623256042196992 %}
2018-04-21_192001_宇出津・天徳寺・曳き山祭りの夜.jpg https://t.co/DOUxr1yhr4


153件目 ツイート: s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時: 2018-04-24 12:39 URL: <https://twitter.com/s_hirono/status/988623474775113728>
{% tweet 988623474775113728 %}
2018-04-21_192730_宇出津・天徳寺・曳き山祭りの夜.jpg https://t.co/gqcL1Z7Kge


 上記の153件目から158件目までが天徳寺での撮影になりますが、後の時間に撮影したものが初めに並んでいるようです。この画像付きツイートの本文は、そのままファイル名を使ったものですし、そのことを示すためにjpgという拡張子も残しています。

 ファイル名の冒頭の接頭辞の部分は年月日時分ですが、写真ファイルのExif情報から取得した撮影日時を使っています。デジカメではなくスマホでの撮影なので時刻に狂いがある可能性はほぼないものと考えています。

 ファイル名は自作のスクリプトで変換していますが、時刻の部分は次の処理を行っています。


date=`jhead $f |sed -n -e 's/^Date\/Time    : \(....\):\(..\):\(..\) \(..\):\(..\):\(..\)/\1-\2-\3_\4\5\6/p'`

 時刻の書式変換を行っています。ここで押さえておきたいポイントは、jpgファイルに含まれるExif情報から撮影日時を取得し、プログラムで処理をしているので、タイピングでの時刻の打ち間違えの可能性はないということです。

 時刻は5月1日14時23分です。また数日間中断をしていましたが、パソコンでの作業環境を安定させるためUbuntuの新規インストールをやっていました。今回は大きな変更点があったので、数々の修正に追われ難儀をしましたが、ようやく以前とほぼ同じ作業環境を構築することが出来ました。

 さきほども1点、スクリプトの修正を行い実行可能の状態にしましたが、まだ少し取りこぼしが残っているかもしれません。よく使うスクリプトはほぼほぼ修正を済ませ以前と同じように使えていますが、主にデータベース関係で大幅は修正を迫られることになりました。

 いよいよ本格稼働の準備が整ったところですが、この小項目における宇出津の天徳寺のご説明を済ませて次に移りたいと思います。

 時期がはっきり思い出せないのですが、京都市に住む母親の妹、次女のおばさんに5千円を受取り頼みごとをされたのです。その頼みごとというのが宇出津の天徳寺に行くことでした。私の祖父母だと思いますが寺にあずけている何かを京都に移すか移したため天徳寺に行くように言われたのです。

 次女のおばさんから直接5千円札を1枚渡されたということは間違いないと思うのですが、その時の状況というのもはっきり思い出せなくなっています。そもそもなぜ天徳寺なのかという疑問がありました。

 宇出津の魚市場の近くに天徳寺という寺があって、そのあたりが天徳町という町内ということは子供の頃から知っていましたが、小路の入り組んだ場所で、その近くに行くことはほとんどありませんでした。宇出津の中でも最も小さいぐらいの町内だと思います。

 宇出津は40ほどの町内に分かれていますが、小さい町内は戸数が16ぐらいと聞いています。具体的には天徳寺の他に中島町、川原町が範囲が狭く小さい町内です。この町名というのは地図や住所にはないものです。住所としてあるのは宇出津、宇出津新、宇出津山分、崎山、宇出津新港かと思います。

 酒垂も小さい町内ですが、同じ祭礼委員をやっていたその町内の人に聞いた話では、町内に小中学生は一人もいないということでした。

 あばれ祭りも各町内が出すキリコのお祭りですが、2年目の祭礼委員だった昨年のあばれ祭りは36町内のキリコで、町内ごとに並び順の番号が決められます。キリコを出さない町内が天徳町、大竹町、城野町でした。もう一つあったような気もしますが、思い出せなくなっています。

 宇出津の町の全体的な傾向でもありますが、数年前から古い家の取り壊し、更地化が進んでいます。何か法律が変わって維持する負担が大きくなったのが原因と聞きましたが、随分更地が増えて、その分町の中の見通しが良くなったということもあります。天徳寺の周辺もそのような更地が増えていました。

 今は、魚市場の近くの本通りから天徳寺の建物の一部が目に入りますが、それもここ2,3年ぐらいの間に気がついたことのように思います。次女のおばさんに天徳寺の話を聞いたときも、正確な場所と建物が頭に思い浮かびませんでした。

 覚照寺は魚市場の側の本通り沿いで目立つ場所にありますが、そのすぐ近くということと天徳町の大体の場所はわかっていました。具体的に言うと覚照寺と大藏町の間ということです。

 覚照寺の方は、目立つ場所にあるというだけではなく、私の父親のお墓の寺だと子供の頃から聞いていましたし、平成21年8月31日に母親が脳出血で入院するまでは、毎月、21日か23日だったと思いますが、若い長髪の坊さんが言えに来て、仏壇にお経をあげに来ていました。

 決まった日にちはわからないですが、白山神社の神主も月に一度ぐらいの頻度で家に来て、神棚に祝詞をあげていました。どちらも母親が家にいなくなってから訪れることはなくなりました。

 母親が脳出血を起こしたのは、繰り返しますが平成21年(2009年)8月31日のことです。月曜日の早朝でしたが、前の晩の日曜日に自民党から民主党への政権交代となる総選挙がありました。

 同乗した救急車は、特に説明することもなく十八束から珠洲方面に向かい、珠洲総合病院に入院することになりました。

 母親は男2人、女3人の5人兄弟で9月の11日ではなかったかと思いますが、珠洲総合病院に集まりました。今、過去のカレンダーを表示するcalコマンドを実行すると9月12日が土曜日なので、集まったのはこの12日だったのかもしれません。

 親族会議というかたちになるのかと思いますが、今後のことを話し合うため、私もその夜はラブロ恋路に宿泊をしました。夫婦連れは次女のおばさんと三女のおばさんでしたが、この三女のおばさんだけは、その夜、同窓会ということで、九十九湾の百楽荘に宿泊し、翌朝、夫の人の車で迎えて行きました。

 天徳寺の用事を頼まれ5千円を渡されたのも、このとき以外はあり得ないと思います。すでにその時、次女のおばさんは体に無理をして珠洲まで来たと話していたように思います。同じ京都市内の長男のおじさんの方が、特に体調の不安を口にすることもなく元気そうに見えていました。

 はっきりした時期は思い出すことができなくなっているのですが、それから半年から1年ぐらいではなかったかと思います。長男のおじさんが難病を患い入院し、寝たきりの状態の上、食事もとれなくなり、体に管を通して生命が維持されているという話を聞きました。

 その頃は、京都の次女のおばさんからも愛知県の三女のおばさんからも、ちょこちょこと家に電話がありました。三女のおばさんの方は、メールや形態への電話もありましたが、京都のおばさんは家の固定電話だけでした。

 長男のおじさんの病気の具体的な話を聞いたのは京都の次女のおばさんからだったと思います。はじめに話を聞いてから半年から一年ほどのことだったように思いますが、電話で京都の長男のおじさんが亡くなったという話を聞きました。

 それから半年ほどあとだったように思いますが、宇出津の私の家に、京都の次女のおばさんが来ました。その時は、京都の長男のおじさんの奥さんも同行していて、私に遺影を見せてくれました。その人と会ったのも小学生の低学年の頃以来だったように思います。

 声が大きく勢いのある京都弁が特徴で、私の母は苦手としてい感じでしたが、そのおばさんが亡くなったおじさんが私のことを気にかけ強く案じていたという訴えをしていたのが印象的でした。その直後だったと思いますが、私は行かなかったとだけ説明し、天徳寺の5千円を次女のおばさんに返したのです。

 もう一つ、京都の親戚との記憶に残る場面があります。旧柳田村上町の母親の病院で京都の次女夫妻と会ったことです。この次女夫妻には、子供の頃、毎年夏に京都から来て、珠洲や輪島のあちこちに車で連れて行ってもらっていました。

 私の母親が同行したことは一度もなかったのですが、それは母親の車酔いがひどかったからで、タクシーで基本料金の区間の走行でもやっとという感じでした。それが被告発人大網健二らと一緒に福井刑務所に迎えに来たときは、福井市から羽咋市まで平気で車に乗っていたので驚きました。

 愛知県の三女のおばさんも同じ病室に来ていたのだと思いますが、実際は次女のおばさんの姿もはっきりした記憶には残っておらず、おじさんが就職には車も必要だろうという話をして西金沢に知り合いか友人が自動車工場をやっていると話していたことです。

 具体的な会社の名前も言っていましたが、ネットで調べるようなこともせず、すぐに忘れてしまいました。もしかすると天徳寺の頼みごとをされたのは、その時だったのかもしれないのですが、病室で5千円を預かったという記憶はないのです。

 もう5年ぐらい経っているように思うのですが、愛知県の三女のおばさんの電話で、京都の次女のおばさんが入院しかなり重い病状だと聞きました。それからまた半年か1年ほどして、退院して家に戻ったが無理は出来ないという話を同じ三女のおばさんの電話で聞きました。

 退院をして家に戻ったものの会話をするのも困難な状態という話に聞こえたように憶えています。呼吸器系の病気と聞いたようにも思うのですがほとんど思い出せなくなっています。こういうことも記録の必要性を痛感するとともに、現在の私のスタイルに影響を及ぼしました。

 一つ日付を含めはっきりしていることは、2012年8月13日の電話のことです。長い間何故か8月12日と勘違いをしていました。2012年という年のことも確信が持ていなかったので、次のキーワードでTwilogで調べました。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「遊覧船」の検索結果 - Twilog <https://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E9%81%8A%E8%A6%A7%E8%88%B9&ao=a>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/08/13 15:28%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/234899316370714624>
{% tweet 234899316370714624 %}
およそ22年ぶりぐらいに九十九湾の遊覧船に乗って来ました。1500円でした。... http://t.co/ZvP5PGU1


 朝の早め時間だったと思いますが、珠洲警察署に電話をかけ、電話を切って向かおうと玄関を出る直前のタイミングで電話が掛かり、出ると京都の次女のおばさんだったのですが、夜以外に電話があったのもその時だけだったように思います。

 なんの用事で電話があったのかも憶えていないのですが、ずっと前から気になっていた事実をその時、京都の次女のおばさんに確認したのです。これが大きな転機ともなったのですが、宇出津の天徳寺の話からは外れるので、別の機会に書いておきたいと思います。

 退院したと聞いてからも京都の次女のおばさんから電話があったことはなく、愛知の三女のおばさんからも次女のおばさんの話は聞いていません。三女のおばさんからも半年以上連絡はありません。あるいは、昨年の8月にお盆で帰省したとき、母親の病院に行ったという連絡かもしれません。

 帰省と言っても愛知の三女のおばさんの実家が宇出津にあるというわけではなく、旦那が宇出津の田町の人で家の墓参りにも来ているという話をしていました。田町の家は随分前から残っていないと思いますし、その家族がどこに移り住んだという話も聞いていません。宇出津ではその家だけ知る苗字でした。

 田町というのも正確には宇出津の町内名ではなく、立町と横町のことを田町と呼ぶと聞いてきましたが、宇出津小学校の近くには田町というバス停も存在しています。山の上のほうが上田町(かみたまち)で、そのあたりのトンネルの先が、藤波の辺田の浜になります。

 2年か3年前になると思いますが、夜、愛知の三女のおばさんから電話があったとき、このときもずっと前から気になっていた質問をしました。次女のおばさんのときとは違い事件とは無関係のことですが、私には祖父にあたる母親の兄弟の父母の亡くなった時期のことです。

 年を重ねるほどに疑問が大きくなったのですが、祖父の話やエピーソードというのは全くに近く聞いたことがなかったのです。小島伝次郎という名前は何かに書いた文字としてちょくちょく見かける機会がありました。

 祖父母の記憶というのは私に全く記憶にないのですが、写真まで残されていません。昭和の初め頃の古い写真が二枚残っていますが、一枚は京都の嵐山ではないかと思われる風景の集合写真で、まだ0歳ぐらいの抱かれた子供が、昭和4年1月19日生まれの母親の可能性がありそうだとは考えています。

 もう一枚の古い写真は、二人の着物姿の女性の撮影で、写真館で撮影されたと思われるものです。どちらかが祖母の可能性がありそうに思うのですが、確認したことはないので確かなことはわかりません。いずれも私が物心ついたころから家にある写真です。

 私の父親の写真というのは随分な数残されているのですが、母親の父母は葬式の遺影のようなものも残されていはいません。魂を抜かれるという迷信を信じて写真の撮影を嫌がる人が少なくなかったという話は、私が子供の頃の昭和40年代にも聞いてはいました。

 祖父母は私が生まれる前に死んでいるものとばかり思っていたのですが、愛知の三女のおばさんの話では、私の父親と一緒になって私の誕生をたいへん喜んでいたということでした。先日、家の鴨居にある小島伝次郎の表彰状に昭和42年4月9にという日付があることに初めて気が付きました。

 私の父親が亡くなったのも昭和42年か43年の4月でした。小さい頃は母親が人によく、この子が3歳のときになくなったと話していたことを憶えています。数え年というのもあるので、はっきりしませんが、私は昭和39年11月26日の生まれです。

 福井刑務所に郵送で差し入れのあった裁判の資料には、私の戸籍謄本もあって父親の戸籍の記載もありました。被害者安藤文さんの戸籍謄本も同じようにありましたが、どちらもずっと目にしておらず、見たときも余り関心はありませんでした。

 宇出津の天徳寺は、私にとって縁もゆかりもなかったお寺です。5千円が5万円ならば、京都の次女のおばさんの言いつけに従いすぐに出向いていたと思いますが、唐突な話で理解も出来ず、行動に移して行こうと考えたことは一度もありませんでした。しかし、今となっては気になるところです。

 宇出津新港でばたりと出会った人に、ナマコ漁で引き上げられた遺体が行方不明の能登高校と確認されたというニュースの話を聞いたと書きましたが、それからしばらくして、今度はその人が突然死で亡くなったという話を聞きました。戸が少し開いていたので、発見が早かったとも聞きました。

 宇出津新港の関係で昨年(2017年)3月10日から4人がなくなったことになります。最初の3月10日が能登高校の女子高生の殺人事件でした。直後に被疑者も自殺をしたという被疑者死亡の書類送検ですが、実態は解明されがたい迷宮入りのような事件でした。

 一人は夏にサザエ採りをしていて密漁になるとも聞きましたが遺体は見つからず行方不明のままだと思います。同じ期間になると思いますが、遠島山公園でも2人が亡くなっているようです。一人は最後の足取りの靴が残されていたということですが、行方不明のままのようです。

 偶然にしても、狭く小さい町で立て続けに、気になることが起こると、それなりに考え込まされることがあり、それがたびたびの中断の一因にもなっていました。