エ. 平成3年12月22日の夜,被告発人安田敏の花里のアパートに掛かってきた,会社からの運行指示という電話
以前は,他に色々ありすぎて,さほど重視する問題とは考えていなかったのですが,今改めて思い出しながら考えてみると,不可解な点が大きく感じられます。
電話があった時刻は22時から23時の間だったと思います。その日の被告発人安田敏は普段とは別人のように上機嫌でした。妻の出産を間近にしているという喜びもあったのかもしれません。
被告発人安田敏のアパートの電話は当時珍しい特徴があって,昭和40年代に普通であったダイヤル式の黒電話でした。その何年も前から一度も見たことがなかったので,とても珍しいものでした。
その電話機の特徴もあるのですが,気になったのは近くにいるのに電話口の声がまったく聞こえなかったことです。被告発人安田敏が一人芝居で何かやっているようにも思えたぐらいです。それでも電話のベルが鳴ったことは間違いのないことでした。
被告発人安田敏は電話口で,相づちをうつようにほとんど一方的に相手の話を聞いている様子でした。とても素直な様子でもありました。
10月か11月頃には,被告発人安田敏の出社が遅く,自宅に電話をしても電話線を抜いて出ないと,被告発人松平日出男と被告発人東渡好信が口を揃えて苦情を言っていました。一度だったと思いますが,実際,花里まで被告発人安田敏を呼びに行かされたこともありました。
金沢市場輸送の仕事は,行き荷で雑貨の定期便が多かったのですが,市場急配センターではなかったと思います。日本通運,トナミ運輸,中越運送の定期便を金沢市場輸送ではやっていました。仙台,福岡,千葉などです。
11月だとまだ七尾市の能登木材,林ベニアの仕事が始まっていなかったと思います。金沢中央卸売市場の裏側の倉庫から馬鈴薯を積む仕事が多い時期でした。北海道から船のコンテナで金沢港に運ばれてくると聞いたことがありました。
他は雑貨の貸し切りの仕事があったと思いますが,被告発人松平日出男らが問題にしていたのは被告発人安田敏の午後1時ぐらいの出社で,連絡がとれないと運行の指示に支障が出るという話でした。
午後の1時から2時の間に会社を出発すれば,それで十分,荷物の積み込みに間に合う仕事しか経験がなかったので,それもおかしな話とは思っていました。早い時間に積みに来いという指示を受けた経験はなかったからです。
電話の線抜きと同じ頃に,被告発人松平日出男と被告発人東渡好信が口を揃えて問題にしたのは,他に被告発人安田敏が危険な運転をしているという話もありました。スピードを出しているという話でしたが,具体的な話ではないように感じていました。
雪が降るようになってから被告発人安田敏と話をしたことはあったのですが,関越道の湯沢インターと長岡市の間で,かなりの積雪や吹雪の中,被告発人安田敏がゆっくり走ったというので,何キロかと聞いてみると,80キロだと話していました。普通は50キロぐらい落とす状況下だと思います。
今思い出せるのは,工事現場突入の件,茨城県土浦市の話と,東名高速豊橋インターでの白菜散乱の話,清水倉庫でのタイヤ爆発の件ぐらいですが,被告発人安田敏がいろいろと問題を起こしていたことは事実で,会社の対応が甘すぎて不自然には思えていました。
被告発人安田敏には他に50万円の前借りのこともあったのですが,被告発人安田敏の非常識な振る舞いを,被告発人松平日出男は私に自分の責任のように思わせていました。これは被害者安藤文さんの関係とも共通するところがあります。
電話を終えた被告発人安田敏は,今から豊橋に行くことになったと話しました。愛知県の豊橋市です。これは小林運送の仕事で,私も平成4年2月中に2回やりましたが,豊橋の仕事のことを聞いたのもこれが初めてだったかもしれません。
被告発人安田敏の話では,津幡のYTの仕事で,津幡から金沢方面に向かっているとき,金沢東インターの手前で,国道8号線バイパスが大きくカーブしているところと聞きました。ちょうど道路の上には北陸自動車道があって,下をくぐるような場所とも思い浮かべました。
そこで津幡のYSが他の車とトラブルになり,車の外でケンカとなって,道路に頭をぶつけしばらく気を失っていたという話を,今の電話で聞いた話として被告発人安田敏は私に説明をしていました。
怪我の程度はよくわからなかったですが,数日後に津幡のYTと会ったときは何事もなさそうな様子でした。怪我の話を聞くようなこともなく,他にその話をする者もいなかったと思います。
誰からの電話だったのかと被告発人安田敏に尋ねたはずですが,被告発人安田敏の返事が思い出せなくなっています。被告発人松平日出男か被告発人東渡好信のどちらかでした。あるいは曖昧な返答だったかもしれません。
さきほど考えたのですが,会社が開いていない夜中の仕事が多い長距離トラックの仕事で,何かあったときの連絡先として,被告発人松平日出男の自宅の電話番号も聞いていませんでした。
実際,金沢市場輸送のときは配車係だった本恒夫の自宅に,仕事のことで夜中に電話をしたことがありました。夜中に電話で次の朝の仕事の指示を受けるようなこともあったのですが,携帯電話などない時代のことです。
実際は,平成4年の2月頃かに市場急配センターに携帯電話が一台入ったのですが,被告発人東渡好信が北陸ハイミールの倉庫でフォークリフトの運転をしながら独り占めで使っているような話でした。その電話番号というのも知らされることはなかったです。
被告発人東渡好信が持っている携帯電話を北陸ハイミールの倉庫で見ることもあったのですが,大きなラジオカセットを肩からぶら下げているような感じでした。
被告発人安田敏は少しも不満なそぶりはみせず,上機嫌のままこれから豊橋に向かうと話し,私も東力2丁目の自宅アパートに戻りました。東力ストアの前で追突事故に遭ったのは,そのときではなかった気がするのですが,被告発人安田敏のアパートから戻ったときだったとは思います。
夜に被告発人安田敏の花里の被告発人安田敏のアパートに行ったのは,その12月22日だけだったとも思います。その後,被告発人安田敏のアパートに行ったのも,たぶん一度だけで,年明けの1月になっていたはずです。
そういえば1つ思い出したのですが,ショートケーキを手土産に被告発人安田敏の花里のアパートに行ったことがありました。
平成4年1月に入って,被告発人安田敏の花里のアパートに行ったときは,昼で,被告発人安田敏の買い物に付き合い,レンタルという話だったような気もするのですが,生まれたばかりの子供のための加湿器だと被告発人安田敏は話していました。
湿度の高い北陸で,除湿機というのは見たこともあったのですが,加湿器というのは他に聞いたこともなく必要なものなのか疑問もあってよく憶えています。
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