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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2020年8月27日木曜日

ア. 平成3年9月中頃,被害者安藤文さんが手伝ってくれた車のフィルム貼り

ア. 平成3年9月中頃,被害者安藤文さんが手伝ってくれた車のフィルム貼り
(ア). 数日前,被害者安藤文さんの軽四が大倉さんの4トン車にぶつけられた
 大倉さんも金沢市場輸送での麻雀の常連メンバーだったと思います。被告発人安田敏に聞いた話では,群馬県高崎市の国道で事故死したということでした。国道17号線と聞いたように思いますが,高崎市だと国道18号線の可能性もありそうです。

 大倉さんは市場急配センターの社員ではなく,4トン車の持ち込み運転手でした。けっこう箱の大きな4トン車で,家具でも運んでいたようなトラックでした。かなり古く,塗装などはされていなかったように思います。

 被害者安藤文さんの車の後部がぶつけられていたと思います。会社前の駐車場で,駐車スペースは,事務所の建物に向かって右端,これは裏駐車場に入る通路の境になります。

 バックでトラックの後ろをぶつけていましたが,考えられるのは,事務所前での方向転換になります。ぶつけようと思って運転をする人は少ないですが,今考えるとかなり不自然な事故であったとも思えます。昼間で,天候も良かったです。

 大倉さんはぶつけてすぐに,2階の事務所から降りてきたと思う被害者安藤文さんに,「直してやる」といったことを一言言ったように思いますが,不機嫌な感じでした。

 他にも何人か,ぶつけられた被害者安藤文さんの車の後ろの方に集まっていましたが,今は顔ぶれも思い出さなくなっています。後ろのガラスが割れていたように思いますが,大きなへこみのようなものは記憶にありません。

 彼女の車は,軽四のホンダトゥデイで,それが最初のモデルだったと思いますが,新型車を見かける頃に彼女の車も金沢市場輸送の駐車場で見かけるようになったと記憶にあります。平成2年春のことです。

- ホンダ・トゥデイ (自動車) - Wikipedia https://t.co/ETLXXgQOSt 1990年2月23日に、軽自動車の規格変更に合わせマイナーチェンジが行なわれた。全長が100mm延ばされ、合わせてデザインも変更される。エンジンは660ccのE07A型が搭載される。

 ホンダトゥデイについて調べてみました。マイナーチェンジとありますが,「JA2型(1990年-1993年」として,上記のWikipediaのページに写真があるのが,被害者安藤文さんの所有と同型車だったと思われます。

 色は黒で,横の下の方に青色のラインが入っていたと記憶にあります。その場で聞いたような気もするのですが,松任市のホンダで買ったと彼女は話していました。松任市のホンダというのがよくわからなかったのですが,野々市町の明治乳業の前辺りをイメージしていたと記憶にあります。

 今でこそ,Googleマップがありますが,金沢市,石川郡野々市町,松任市の境というのは,車で走っていて,ずいぶんとややこしく感じるものでした。野々市町の向こうが金沢市内になったりします。馬替などです。

明治 北陸工場 業務係 - Google マップ https://t.co/taTjlODE0z 〒921-8844 石川県野々市市堀内4丁目172

新潟運輸 金沢支店 - Google マップ https://t.co/WP5lrJgQuQ 〒921-8842 石川県野々市市徳用1丁目40

 国道8号線バイパスの松任駅側も一部,野々市市となっていました。新潟運輸の住所を野々市市と確認しました。松任駅に向かう道路の左手に新潟運輸がありますが,昭和63年当時の私の記憶では,反対側の道路右手にありました。

 松任市内でも松任駅周辺というのは余り縁がなくて,仕事以外で行くことはほとんどなかったと思います。ただ,一度,YTの妻と,前妻に頼まれて,待ち合わせか送迎をしたようなことはあったように記憶します。

Honda Cars 石川 金沢古府店 - Google マップ https://t.co/JmEprwaMiD 〒920-0362 石川県金沢市古府2丁目125−1

 ホンダのディラーの名前が思い出せないですが,国道8号線バイパスの松島交差点の近く,野田専光寺線の上記の場所にあったのが,ホンダトゥデイの取扱店で,トゥデイの看板が出ていたと記憶にあります。

Honda Cars 石川西 白山店 - Google マップ https://t.co/6CDX1SoB3K 〒924-0803 石川県白山市乾町38−1

 同じ「Honda Cars」として,白山市内に店舗があります。国道8号線バイパス沿いのようですが,平成4年前の間に,その場所にホンダの店舗があったという記憶はありません。

 気になって松任市内のホンダを調べてみたのも,当初私は,被害者安藤文さんの自宅を松任市内と考えていたからです。遅くとも10月5日の電話では,彼女に質問し,金沢市内の住所を確認しています。

 私の方から横にいた被害者安藤文さんに話しかけたのですが,前から関心のあったスモークフィルムのことでした。彼女は,友達と一緒に貼ったと答えていました。

(イ). 被告発人多田敏明と津幡のYTの目撃から始まる被害者安藤文さんのフィルム貼りの手伝い
 当日は水曜日で,金沢中央卸売市場が休みとなっていました。盆と正月,そして日曜日以外の休みというのは,そのときが初だったかもしれません。そういうふうに聞いていましたし,7,8月中に水曜日が市場の休みになることはなかったと思います。新制度の始まりです。

 calコマンドでみると,平成3年9月は,11日と18日が水曜日です。今はどちらなのか特定が困難ですが,まだ1階休憩室の建築工事中だったことははっきりしています。一週間か長くて10日ほどの工事だったと思います。

 市場急配センターの市内配達の仕事は朝6時頃からが多かったと思いますが,16時から16時半頃には終わっていたようです。たまに18時頃まで,1階休憩室に残っている社員運転手もいましたが,その1階休憩室もまだできる前のことです。

 ほぼ8月いっぱいまで市内配達の仕事をしていた頃は,やはり16時頃に会社に戻ることが多かったと思いますが,どういう時間差なのかわからないものの,他の運転手の姿をみることは少なく,多数が集まるのは見た憶えがありません。

 まだ金沢市場輸送の休憩室に市場急配センターの市内配達の運転手がいた頃も,帳簿の束を机に置いて,けっこう長い時間,作業日報の作成をしている姿を見かけたものですが,市場急配センターに来てからは余り見かけなかった気がします。

 私自身も同じような受取伝票の帳簿の束を手に作業日報の作成をするようになったのですが,割と単純な作業で時間も掛からなかったと思います。夕方には,そういう会社に人の少ない時間帯がありました。

 当日は朝からそんな夕方の人の少ない時間帯のような状況で,2階の事務所は被告発人池田宏美と被害者安藤文さんの二人だけという様子でした。少し前まで2階の事務所にいて,何か用意をしていたような場面も記憶にあります。

 たしか前日に東京で積み込んできた外果の荷物を荷下ろしして会社に戻りました。直接,被告発人松平日出男に指示を受けたとも記憶にあるのですが,夕方に金沢中央卸売市場まで運ぶ梨の仕事をするように言われました。金沢市内の外れになる舘山です。

- 舘山町 - Google マップ https://t.co/ekrNsh6arY 石川県金沢市

 一度,東力のアパートに戻ったような気がしないでもないのですが,車のスモークフィルムは,数日前に購入済みだったと思います。夕方まで自由な時間ができたので,休日にするつもりだったフィルム貼りを会社ですることにしました。

 たぶん,1階休憩室の工事の関係で,事務所前の駐車場に会社の車は駐車されていなかったのだと思います。工事の業者も仕事には来ていなかったと思います。建築資材が前に置かれ,シートがかぶせてあったような状況は,ぼんやりと記憶に残っています。

 2階の事務所から階段を降りた出入り口の左前で,フィルム貼りを始めました。水道のホースの水を使うのに都合の良い場所であったとも思うのですが,周囲には余裕がありました。

 だいぶん記憶が劣化していると思います。たぶんになりますが,被告発人多田敏明と津幡のYTの2人が2階の事務所から降りてきて,会社前の道路に横付けした4トンウィング車に戻る前に,私に話しかけ,横に座って,少しフィルム貼りの手伝いを始めました。泡のような空気を抜く作業になります。

 けっこう手間と時間の掛かる作業でした。被告発人多田敏明と津幡のYTが横に座ってすぐだったと思いますが,2階の事務所から被害者安藤文さんが降りてきて,黙ったまま横に座って,フィルム貼りの手伝いを始めたのです。

 被告発人多田敏明と津幡YTの2人は,驚いた様子でしたが表情に出すこともなく,それほどではありませんでした。今から大阪府の高槻市の市場に馬鈴薯を運ぶと言っていたので,少しするとトラックに乗り込み出発してきました。

(ウ). 被害者安藤文さんがフィルム貼りの手伝いをしながら交わした会話
 被告発人多田敏明と津幡YTの2人が出発すると,市場急配センターの会社前は,私と被害者安藤文さんの二人だけになりました。彼女は黙ったまま,うつむいて刷毛でフィルムの空気を押し出すような作業をしていましたが,黙っているわけにもいかないので,私から声を掛けました。

 前に何をしていたのかと最初に尋ねたと思います。彼女は,県庁で臨時職員をしていたと答えましたが,初めて知る話ではなかったように思います。

 たぶん,被告発人安田敏から聞いていた話で,そのほとんどを彼は,免停中で,高松コースの市内配達に同乗させていた被告発人多田敏明から聞いていたようです。ほとんどの場合,トッチという前置きがありました。被告発人多田敏明の呼び名です。

 実際の時間がわからないのですが,長く感じる時間でした。目撃者が出たのは,いずれも二回目で,今考えると,午後になっていたような気もします。

 一方で,午後には1階休憩室の工事が始まっていたような記憶もあるのですが,彼女がフィルム貼りを手伝っているときに工事はなかったと思います。

 2回かあるいは3回に分けて,彼女は2階事務所から降りてきて,フィルム貼りを手伝ってくれました。「親のコネや」とも彼女は話していたように思いますが,他の会話の内容がほとんど思い出せなくなっています。

(エ). 竹沢俊寿会長の目撃
 これはやはり午後になっていたように思うのですが,被害者安藤文さんがフィルム貼りの手伝いをしていたところに,裏駐車場の方から竹沢俊寿会長が一人で歩いてきました。体調が良くないという話もあって,やっと歩いているという感じでした。

 竹沢俊寿会長は,私と被害者安藤文さんが一緒にいるのを見て,ずいぶん驚いた様子でしたが,糖尿病で目が悪くなっているという話もあって,いつも色の濃いサングラスをかけていました。そのまま2階の事務所に上がっていったと思いますが,来た時間帯といい,かなり珍しく感じました。

 他にも竹沢俊寿会長が市場急配センターの二階事務所に来ることはありましたが,夫人が同伴をしていたと思います。12月の中頃にそういうことが1度あって,それとは別に1月中と思いますが,夕方の遅い時間に,1階休憩室にいるところを食事に誘われるようなことがありました。

 会社の建物の横側を竹沢俊寿会長が歩いていたような記憶があります。これは,次のカベヤも同じでした。フィルム貼りの場所を変更した憶えはないですが,マルモ整備のパンチパーマの整備工のときは,2階の事務所に上る階段の出入り口付近でした。

(オ). 被告発人松平日出男の友人,通称カベヤ(たぶん松岡という名前)の目的と,お前ら夫婦やったんか発言
 被告発人松平日出男の姿を見かけた憶えはないのですが,いつも被告発人松平日出男と二人で行動するカベヤという人物が,一人で市場急配センターに来て,2階の事務所の方に向かっていったのも珍しいことでした。

 カベヤという人物は,いつも細長い鞄のようなものを手に持って,集金に回っているように見えたものです。内装工事の会社の社長で,壁の仕事なのでカベヤと呼ばれているとも聞いていました。被告発人松平日出男とは相当仲が良かったらしく,いつも一緒に行動をしていました。

 そのカベヤも金沢市場輸送での麻雀のメンバーだったと思います。ただ実際に麻雀をする姿というのは余り見ておらず,横で眺めていることが多かったような気もします。誰から聞いたのか憶えていないですが,松岡という名前だと聞いたとも記憶に残っています。

 カベヤという人物は,1月11日の片山津温泉せきや,での新年会にも参加し,宿泊をしていました。

 落ち着いた様子にも感じましたが,私と被害者安藤文さんが二人きりでフィルム貼りをする姿を見て,カベヤという人物は,「お前ら,夫婦やったんか」などと言いました。彼女は,「そんなん見えるけ」とだけ答えていました。

 カベヤという人物も私に妻子がいることは知っていたはずと思うのです。ちょうど被告発人松平日出男とカベヤが金沢市場輸送に麻雀に来る時間帯,私はよく金沢市場輸送の事務所の前で,車に乗ったままの妻子を長い時間待たせていました。

(カ). マルモ整備のパンチパーマの整備工の目撃
 一番,驚いた表情を見せたのが,このマルモ整備のパンチパーマの整備工になります。それこそ顔が引きつったようにも見えました。金沢市場輸送でもずいぶん長く会っていなかったと思うのですが,市場急配センターに用事があったようです。2階の事務所に上がる様子でした。

 当時は金沢市内と思っていたのですが,今Googleマップで確認すると野々市市二日市町になりそうです。そこに小さな整備工場がありました。簡単な修理とオイル交換を,金沢市場輸送ではマルモ設備でやっていました。

 しかし,金沢市場輸送の物置にドラム缶を置いて,運転手が各自でオイル交換をするようになってからは,ほとんどマルモ設備に行くことはなかったと思います。オイル交換は1万キロで,月に1回半ぐらいの頻度でした。

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