カ. 被告発人安田敏の妻と,平成14年当時の被告発人安田敏の生活ぶり
被告発人安田敏は,私に妻の話をしていましたが,名前を柳瀬と言っていたように思います。市場急配センターの市内配達に似たような名前の若者がいたので,余計に印象に残っているのですが,綾瀬だったのかちょっと違っているような気もしてきました。
金沢市内の諸江に住んでいたとも話していましたが,諸江は国道8号線バイパスにまたがる地域で,金沢市内中心部よりバイパスの向こう側だと言っていたと思います。
父親と二人暮らしで,その父親がガンで亡くなり,天涯孤独になったような話をしていました。花里のアパートでは,ダブルベッドの足元に同じぐらいの高さの台があったのだと思いますが,その台の上に父親の遺影のような写真がありました。
厳格そうな父親の写真でしたが,被告発人安田敏は父親が亡くなる前,病院で会って話をしたとも言っていました。私の方から細かいことは聞かなかったのですが,前に小立野の飲み屋の前で別れた後では,そこまで生活が変化する期間があったのかという疑問はありました。
小立野の飲み屋の前でへたりこみ,私にタクシー代をくれたように思うのですが,かなりすさんだ生活ぶりにも思えました。その飲み屋のマスターのことも過去の書面には記述があるはずです。
その小立野の飲み屋のマスターと二人で,東京の池袋のサンシャインビルをバックで撮影した写真など,被告発人安田敏は私にいろいろ写真を見せてくれました。
そのなかには被告発人安田敏の妻となる彼女の写真もあって,職場で数人で写ったものでした。5,6人であったかもしれません。そのうちの一人が知られた曲の歌手と被告発人安田敏は説明をしていたと思います。演歌系です。
それというのも被告発人安田敏の妻となる彼女の職場が,有線という話でした。有線放送という音楽関係の仕事かと思います。詳しくは知らないですが当時は喫茶店などで,その有線放送の音楽を流していると聞いたことがありました。
前に同じ有線の仕事をしていると聞いた人がいて,それが配車係から金沢市場輸送の社長になった本恒夫の妻でした。会ったことはないし,顔も記憶にないのですが,本恒夫より年上か,年上に見えるという話を聞いたことがありました。
実は一度,顔を見ているかもしれない可能性があるのですが,見たかもしれない本恒夫の娘の顔を含め記憶には残っていません。入り江の回転寿司で輪島の運転手が,「なんちゅう食べるおなごかい」と言ったので,隣の席をみると,本恒夫の家族が食事をしていたのです。
この本恒夫についても過去の提出書面には知る限りのことを記述していますが,竹沢俊寿会長とも特別な関係があり,福井刑務所では暴力団員だったという話も聞いています。富山市内で飲み屋を経営,静岡ではサラ金をやっていたと言います。
被告発人東渡好信を金沢市場輸送に招いた人物でもあり,被告発人安田敏が金沢市場輸送の入社から市場急配センターで仕事をするようになった経緯にも絡んでいて,以前は,被告発人,被告訴人に加えていたこともありました。
自分の記憶の衰えもあって,竹沢俊寿会長と本恒夫は被告訴人,被告発人から外したのですが,事件の真相解明には不可欠の人物と当時は考えていました。あのストライキも被告発人東渡好信との出来レースだった可能性があります。
被告発人安田敏の見せた写真は,石けんでも入っていたような箱に入れたもので,よくある薄い小さなアルバムに入った写真もあったと思いますが,無造作に詰め込んであったような印象も残っています。
写真の数が多い割には,意図的な選別がされているような印象がありました。私にみせるために用意した写真という感じです。それほど注意深く写真をみていたわけでもなく,あとになってじわじわと気になるようになったという感じでした。
被告発人安田敏は妻との入籍の時期についても私に話していたかもしれないですが,それも記憶にはありません。ただ子供が産まれてから入籍をするとは考えられず,早産の可能性もあるので,早めの入籍はあったものと考えています。
被告発人安田敏の妻は,私と初対面の頃から身構えたような様子があり,気迫のようなものが伝わりました。最初に会ったのが平成3年の4月の終わりか5月の初めで,12月22日の夜になるまで,徹底的に顔を隠していました。
有線で仕事をしていたと被告発人安田敏に話を聞きましたが,出会うようになってから少なくとも毎日は仕事に出かけている様子はなく,一台しかない車で被告発人安田敏の送り迎えなどもしていました。
私は平成13年12月31日に金沢刑務所を満期出所しました。被告発人安田敏に会ったのは翌年の4月の初めだったと思います。私が近くの電子部品の工場で仕事を始めたのが4月の10日過ぎだったので,その少し前だと思います。
被告発人安田敏の鵜川の実家の方に電話をすると,七見の町営住宅に住んでいることと電話番号がわかりました。それで電話で最初は話したのだと思いますが,午後に宇出津の私の家に来てもらって直接話をしました。
偶然なのだと思いますが,その翌日ぐらいに宇出津新港の職業安定所で被告発人安田敏に会いました。高岡市の方に面接に行くとかあるいはそこに仕事が決まって行くことになったと話していました。
ショッピングタウンともいうアルプの駐車場であったと思うのですが,そこでも被告発人安田敏に会ったように思います。狭い職業安定所の駐車場ではなかったと思うのですが,その日,二度,妻が運転する車を見ていたような気もします。
かなり古い大型車でした。型式も古く正確なことはわからないですが,これがランドクルーザーという車なのかと思いました。戦車のような大型車で,ずいぶんと燃費が悪そうでした。ちょっと聞いた話ですが,この手の車種は2020年の現在でもずいぶん燃費が悪いようです。
2,3年前,比較的最近になって知ったのですが,同じ団地のような場所で,住所は鵜川と七見に分かれるようです。その辺りは桜木という町名も昭和の時代から聞いていました。
字七見 - Google マップ https://t.co/5iiShi3reV
Googleマップで再確認しましたが,住宅地の真ん中辺りで鵜川と七見に分かれています。町営住宅と聞いたこともあるのですが,被告発人安田敏は自分の自宅の住所を七見だと言っていたと思います。告訴か告発をするので,住所を教えてくれと言うと教えてくれました。
告訴と言ったのか告発と言ったのか私自身がよく憶えていないという意味です。これはどちらもやったと思いますし,どのときどちらにしたのかよく憶えていません。
被告発人安田敏との会話はそのほとんどをボイスレコーダーに録音し,録音した音声ファイルを再審請求をしていた金沢地方裁判所に提出しています。インターネットでも情報公開をしていました。
最初は,七見のパーキングに駐車した車内で録音をしたように思います。平成15年の正月前後,年末で正月休みの初めだったかもしれません。ボイスレコーダーはそのしばらく前に購入していました。12月に入ってからだと思います。
被告発人安田敏は仕事が長続きせず転職を繰り返していたようです。その場その場で条件のよい職場を探していたようですが,これは昭和60年に始まった岐阜県海津町の出稼ぎに始まっているようで,失業保険などの受給とセットにしていました。その生活スタイルが続いていたようです。
宇出津新港のどこかの駐車場,たぶんアルプの駐車場ですが,離れたところに被告発人安田敏の妻が運転をするランドクルーザーのような大型車がありました。何か強い警戒心と注目が伝わってきたのですが,昨年の秋,二子山でイノシシの親子に遭遇したときの気配に似ていました。
直接,被告発人安田敏の七見の住宅にも行ったのですが,家の中から妻の声が聞こえ話をしたものの姿は見えなかったように思います。電話でも話をしましたが,警察に相談するようなことを言われ,ずいぶんと警戒した様子でした。
平成3年の12月に産まれたという子供は女の子でした。そのあと弟が産まれたようですが,この男の子は,七見の被告発人安田敏の家に行ったとき,少し姿を見たような憶えがあります。おとなしそうな男の子でした。
電話で被告発人安田敏の家の子供と話をしたこともあったのですが,しっかりした感じの声を聞きながら男の子だと思い,時折,坊やと呼びかけながら話をしていたところ,あとで名前を聞くと聞いたことのある長女の名前でした。
七見の被告発人安田敏の家は,丘の上のような場所の平屋の住宅地で,町営住宅だと思います。かなり古い建物になっていました。生活や豊かに見えなかったですが,あのものすごく燃費の悪そうな車のことは気掛かりでした。
もっとも平成15年当時は最もガソリンの値段が下がった時期だったかもしれません。金沢市内のガソリンスタンドでは1リッターが80円台になっていましたが,昔も今の奥能登では,それよりかなり割高です。これは灯油も同じで,金沢でポリタンクにまとめて買ってくる人もいます。
ずいぶんと古い大型車だったので,リッター辺りよく走って3,4キロぐらいという感じでした。鵜川から金沢までは100キロ以上あります。少なめに100キロ,リッター4としても片道25リッターになり,当時の消費税のことはわかりませんが,リッター100円として2500円になります。
ガソリンが安い時代であったので,それほど負担にならなかったのかもしれないですが,節約とは真逆です。被告発人安田敏は妻が鵜川の角田ストアーでレジのアルバイトをしているか,していたという話もしていました。
私はその鵜川の角田ストアーの場所を長い間,勘違いしていたのですが,3年ほど前の夕方に店の前にバイクで通りかかったときは,明るい時間でしたが営業していませんでした。たまたま定休日だったのか不明です。
今,2014年の1月3日から更新がなさそうな宇出津の角田ストアーのFacebookを見たのですが,ついでに安田敏でFacebookの検索をしたところ,4件のアカウントが出てきましたが,被告発人安田敏のアカウントは消えているようです。
もう3,4年Facebookで被告発人安田敏のアカウントを確認していなかったのですが,それまでは顔写真があったり,矢沢永吉のコンサートの情報がありました。鵜川のにわか祭りの太鼓の写真か動画もあったと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿