(イ). 珍しく22時頃まで会社に残っていた社員運転手
21時ぐらいなら他にもあったと思うのですが,その日は22時から23時近くまで運転手が集まり,雑談をしていました。
はっきり憶えているのは,被告発人東渡好信,浜上さん,七尾のMさんですが,これだと私を含めて4人になります。5人はいたと思うのですが,6人かもしれません。他にいたと考えられるのは河野さんになります。大分前からですが,この河野さんのことが不鮮明になっています。
数年間はばっちり記憶をしていたので,平成5年11月28日付の手書きの書面にははっきりしたことが記述されていると思うのですが,すでに述べているとおり,今のところ調べて確認はしない方針でいます。
よくそれだけ長い時間,集まって会話が続いたと思うのですが,17時から18時の間には集まって話が始まっていたはずです。16時頃から始まることも普通にありました。
今思い出して気になったのは,七尾のMさんのことです。今でも名前を覚えていて,間違っていないと思うのですが総合的な判断で名前は伏せておきます。1月に入り,片山津温泉の新年会が終わった後の入社であったと思います。
その前は七尾市の共栄運輸にいたという話でした。七尾市で鮮魚を運ぶ運送会社は,共栄運輸ぐらいで,他にあっても小さい会社だったと思います。保冷車の数では小林運送が多かったと思いますが,スギヨの専属で練り製品を運んでいました。
全部のトラックではなかったかもしれないですが,共栄運輸のトラックは箱の後ろに,お祭りの太鼓の紋章がありました。それで目立ったということもありますが,よく見かけていたので台数も多かったのではと思います。
七尾のMさんは,何度か1階休憩室の畳の部屋で泊まっているのを見ています。部屋といっても戸や襖のない部屋でした。広くて6畳だったと思います。小型テレビが置いてありましたが,あまりついていることはなく。テレビを見たとはっきり記憶にあるのは4月1日の星陵対堀越学園戦ぐらいです。
そういえば,この平成4年2月1日は土曜日でした。土曜日なので遅い時間まで集まっていたのかわからないですが,さきほどから気になっていた謎が解けました。
畳の部屋に泊まっているのを見かけたのは,被告発人東渡好信と七尾のMさんの二人だけです。輪島市の浜上さんも泊まっていたはずですが,はっきり見たという記憶はありません。2月頃にはアパートを探していて,見つかったというような話も,平成5年11月28日付の手書きの書面にありました。
そういえば浜上さんの乗用車というのが思い出せないのですが,乗務しているトラックで輪島まで帰っていた可能性はあります。被告発人東渡好信も乗用車を見かけるようになったのは,2月か3月に入ってのことだったと思います。
金沢から七尾と輪島では倍ぐらい距離があると思います。穴水町からだと輪島と宇出津は同じぐらいだったと思います。30キロほどです。金沢から七尾は看板に60キロというのを見かけていました。
Googleマップで経路を調べてみると,金沢中央卸売市場から宇出津まで121キロ,金沢中央卸売市場から輪島市までが111キロとなっていました。七尾市だと66キロと68キロの経路がありました。
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