(エ). 3月23日の夜の電話,のんきのも思えた被害者安藤文さんの母親の声
さきほど考えていたのですが,他の電話機からの割り込みの声であったように思えます。被害者安藤文さんは,ずっとすすり泣く様子で,ほとんど話しませんでした。
「彼氏おるんやったら,彼氏だけにしておけや,ほんでいいやろ」などと,私は何度も彼女に確認を求めていたのですが,彼女は答えることなく,その繰り返しのときに母親の声が聞こえたと思います。そして,もう一度ぐらい同じ問いを繰り返し,返事がなかったので電話を切りました。
当時の最新の電話機の機能は,よくわからないのですが,市場急配センターの会社の電話も新しいもので,2階の事務所と1階休憩室の間の電話機で通話ができました。専用のダイヤルがあったとも思います。
2階の事務所は電話機が少なくとも被告発人池田宏美,被害者安藤文さんの机にあって,たぶん被告発人松平日出男の机にもあって,被告発人梅野博之の机にもあったと思うのですが,電話番号は1つだけでした。
その割に話し中というのが余り記憶になく,1つの電話番号で一度に複数の通話ができたのか不明です。1階休憩室の電話は,余り鳴ることがなかったとも思います。
その1階休憩室の電話で,唯一外部からの電話で,電話を取ったと記憶にあるのは,3月の最後の日曜日の午前中,被告発人安田敏に掛かってきた女性の電話でした。顔を合わせても話はしていなかったと思いますが,その場で被告発人安田敏と二人だけで居合わせたのも気になる偶然です。
電話口で娘がすすり泣いているのに,母親が側にいて動揺しないというのもおかしなことと思っていました。すでにその前の電話で,彼女の母親が私に対して,警戒感を示す態度を見せることがありました。1月25日かと思います。
2月の半ば過ぎにも一度,被害者安藤文さんの自宅に電話をしていると思うのですが,そのときは1月21日の夜以来,2度目に父親が出て,このときは被害者安藤文さんに対して,怪訝を向けた様子で,電話に出るのか確認をしている様子が伝わりました。
平成5年の5月か6月と思う,控訴審で,判決前最後となった審理で,被害者安藤文さんの母親と思われる女性の姿をみました。出入り口前の一番後ろの席で,安藤健次郎さんと一緒に座り,ずっとうつむいたまま泣き続けている様子でした。
たぶん,被告発人小島裕史裁判長は,その審理の公判で結審をする腹づもりだったとも考えられるのですが,次回判決という告知はありませんでした。
その3月23日の夜の電話は,それほど長くなっていなかったと思うのですが,11月25日の夜の電話か,10月12日の電話がかなりの長電話となっていました。やはり10月12日だと思います。それも遅い時間に掛けた電話でした。私の自宅アパートに掛かった無言電話がきっかけです。
彼女の母親の声は,「いつまで話とるがぁ」でしたが,不満をぶつけたものの優しい声でした。なにか他に電話が掛かるとか,そういう用事があったのかもしれません。
そういえば,一度,彼女の自宅の電話で,会話中に他から電話が掛かり,切り替えをするような話が出たかもしれません。これはずっと眠っていた記憶で,それも曖昧模糊としています。
0 件のコメント:
コメントを投稿