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市場急配センター殺人未遂事件に加担した4弁護士2裁判官の告訴告発
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年5月1日火曜日

# 能登町藤波の海蔵院末薬師堂と輪島市門前町の高尾山、宇出津の天徳寺と祖父母の関係、実行しなかった京都の母親の妹からの頼まれごと #

# 能登町藤波の海蔵院末薬師堂と輪島市門前町の高尾山、宇出津の天徳寺と祖父母の関係、実行しなかった京都の母親の妹からの頼まれごと #

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「海蔵院末薬師堂」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E6%B5%B7%E8%94%B5%E9%99%A2%E6%9C%AB%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A0%82&ao=a&order=allasc>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2017/01/01 19:30%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/815505579003219968>
> 能登町藤波海蔵院末薬師堂御開帳 | 居酒屋『熊さん亭』店主の日記 https://t.co/MUApthUcTZ



* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/01/17 11:41%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/953457279969280000>
> 海蔵院末薬師堂御開帳 於能登町藤波 : ブッディツーリズム https://t.co/U1p5okAFFK



 検索結果は2件のみでした。2017年1月1日のツイートのリンクのブログは2012年1月、2018年1月17日のツイートのリンクのブログは2011年5月に更新が止まったままです。このブログの存在がなかったら建物の名称も中の様子も全く知ることは出来なかったと思います。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「海蔵院末観音堂」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E6%B5%B7%E8%94%B5%E9%99%A2%E6%9C%AB%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%A0%82&ao=a>

 検索結果が少なかったので、海蔵院で調べ直すと、「海蔵院末観音堂」がありました。最初に見つけたのもこちらの方だったのかもしれません。近くに薬師寺川という小さな川があるので、薬師堂の方がしっくりくるような気もしますが、詳しいことはわかりません。

 海蔵院については、同じ藤波の柳倉にもお寺には見えない古い建物があって海蔵院と呼ばれていることはネットの情報で確認しています。小さい頃から見覚えのある建物でしたが、40年以上前の当時でも人が出入りをしているような建物には見えませんでした。

 海蔵院のことは、たまに顔を合わせて話をすることのある藤波の辺田の浜の人に話を聞いたのですが、宇出津の天徳寺が管理をしているようなお話でした。

 柳倉の海蔵院の方は、海沿いの国道249号線沿いにあって集落にあるのですが、辺田の浜の海蔵院末観音堂と思われる建物は、小高い山の上にあって民家とは離れています。宇出津のバイパスの道路の入り口になっているので、そのバイパスが出来てから目立つような場所になりました。

 目立つと言っても意識して山の方を見上げないと視界には入らないと思いますし、外見上物置小屋にしか見えないとも思えます。私はその辺田の浜で一歳から小学校5年生に進学する直前まで生活していたので、昔のことを思い出しながら周囲を見渡すこともあったのですが、普通はないことだと思います。

 宇出津新港の信号機のある交差点の小高い山の上にその建物はあったのですが、ずっとそれほど意識しないで生活していました。初めて見に行こうと思ったのが、大晦日の12月31日のことでした。買い物を済ませて帰るときに、信号待ちで止まっていて目に入ったのです。

 最初は建物ことより、赤い花の咲く木のことが気になりました。冬に咲く花というのも珍しと思いましたが、寒椿という花ではないかと思いました。もっと小さかったですが、辺田の浜で住んでいた家のほんの小さな植え込みにも同じような花が咲いていたことを思い出しました。

 大晦日と言えば、平成13年12月31日に金沢刑務所を満期出所した日のことを思い出すことも多いのですが、子どもの頃以来まったく見ることのなかった紅白歌合戦を見るようになったのも刑務所での生活でした。

 その紅白歌合戦で印象に残っていたのが、新潟県出身の小林幸子の曲で、曲名は覚えていませんが、「雪椿」というような歌詞のある曲のことも、その赤い花を見て思い出しました。

雪椿 小林幸子 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=A_7hpv6_g6U>

 調べると、曲名がそのまま「雪椿」だったようです。たぶん花は同じではないかと思うのですが、子供の頃は「寒椿」と聞いていたような気もしますが、宇出津の町では長い間、見かけることもなかったような気もしました。

奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2016-12-31_150523_辺田の浜・海蔵院末観音堂.jpg http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono2016-12-31150523jpg.html>

 何枚か写真をアップロードしました。上記は写真を含むツイートのまとめ記事です。

 前にどこかで書いたことがあると思いますが、だいたいこの辺りの場所に、お堂のような古い建物があることは小さい頃の記憶にあったのです。年に数回ぐらいは決まって思い出すことがあったのですが、同じ場所を探してみようと考えることはありませんでした。

 川の近くにトタンの小屋があって、その奥に細い道があり、一度だけその道を上まで登ったのですが、登った山の上に小さなお堂のような建物があったのです。しかし、改めて思い返しても、現在同じ場所にある建物とは思えず、夢の中の風景と記憶が混同しているのかと考えることもあります。

 以前、神奈川県に移った本山と輪島市門前町の總持寺祖院について調べていると、總持寺祖院の近くに高尾山という山があることを知り、そこに夢の中で見たのと似たお堂のような建物の写真を見つけたことがありました。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2017年12月05日 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/date-171205/allasc>


三三番石仏が終わって広場に出て、正面にお堂らしくないお堂がある。中は良く見えない。高尾山立持寺が寺名らしい。「能登国33番観音霊場の28番立持寺」と書いてある。10.20分。

[source:] /引用元:/ 峨山 <http://www.geocities.jp/suzumenokai1114/152satoyama-gazan.html>


 上記の引用部分にある写真だったと思います。この写真ほど広い場所ではなく、よく見ると建物も白い壁のようになっていますので、夢の中の建物とは違うような気もしましたが、最初に見た時は似ているような気がしました。日本昔ばなしに出てくる古い寺のようなお堂が記憶に残っています。

 高尾山といえば、東京都八王子市が有名ですが、私が初めて知ったのはPC遠隔操作事件の報道でUSBメモリーが埋められた場所として報道を見たことです。しかし、当時は横浜市内に近い神奈川県内か隣接した東京都とばかり思い込んでいました。場所を調べようという気持ちは起こりませんでした。

 高尾山が八王子市だと知ったのは、昨年の10月か11月の座間9遺体遺棄事件がきっかけでした。警視庁高尾警察署というのが出てきて、神奈川県座間市の事件だというので気になり、調べたところ、八王子市内に高尾警察署があることと高尾山があることを知ったのです。

 高尾山のことは、八王子市の地名の由来薬王院のことでも調べていたように思うのですが、八王子市だとはっきり知ったのはその時だったと思います。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)が八王子市の大学院に教授として通っていたことも、調べる動機となりました。

 素戔嗚尊や牛頭天王の共通点として八人の子どもがいて八王子と呼ばれたという情報をネットで見かけたのですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の法律事務所の住所が、京都市の八坂神社の近くであることも同じ頃に、気がついた発見でした。

 それより前になると思いますが、高尾と聞くと、仙台高尾を思い浮かべることの方が多かったと思います。2016年の4月、ちょうど今頃なので2年前になりますが、一年目の祭礼委員をしている時、強風で曳き山が倒れ怪我人の出る事故があって、その白山神社の曳き山の人形が仙台高尾だったのです。

奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2016-04-17_121934_石川県鳳珠郡能登町宇出津曳き山祭り.jpg http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono2016-04-17121934jpg.html>

 Twitterに写真を投稿しツイートのまとめ記事を作成しました。夜中の2時から朝山があるのですが、まともに見たのはこの時が初めてで、魚市場の近くまで行ってから白山神社の近くまで戻るというルートも、この時初めて知りました。

 深夜にも大音量のスピーカーで木遣り唄を流すというのが朝山の特徴でしたが、次の2017年は暗い時間、マイクの音を消していました。今年はまだわかりませんが、それも時代の移り変わりなのかもしれません。当日は、町から避難する年寄りや病人も少なくないと聞きました。

 私が小中学生の頃は、4基の曳き山が出ていたのですが、現在は2基です。以前は一部の町内として出ていた曳き山も、いったん中止になったあと、酒垂神社と白山神社の氏子のお祭りとして再開したと聞きました。

 普段、町で見かけることの少ない小学生ぐらいの子どもも多く、たぶん他の地区から招かれた子どもが多いのではと思いますが、女の子の数の方が多いような気もしました。曖昧な記憶ですが私が子供の頃は曳き山にのる女の子の姿はなかったように思います。

 子どもに事故がなかったのがなによりと思いましたが、誰一人、強風で曳き山が横転するとは想像にもしていなかったようです。春は南風が強い日が多く、南風は宇出津の港の中に吹き込む風なので、その影響がもろに出たのだと思いますが、ベテランの漁師も経験のないような風が吹いたとのことです。

 翌年になりますが、昨年つまり2017年の3月10日には能登高校の女子高校生の殺害事件があり、2件の行方不明と、遠島山公園での1件の死亡者がありました。行方不明の1件は、遠島山公園を最後の足取りとし、もう一件は宇出津新港でサザエ採りをしているときに流されたようです。

 1月の終わりか2月の初めにも小木港で、釣り人の転落不明の事故があって、失踪を偽装したのではという疑いの声もあったようですが、新潟県の糸魚川市能町の底引き網に遺体が引き上げられたという小さいニュースがありました。2ヶ月ほどあとであったように思います。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2017/04/24 23:22%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/856513591402430464>
> 糸魚川市能生沖に身元不明の男性遺体 | 上越妙高タウン情報 https://t.co/LkjjZzncTo



 Twilogで探し出しました。リンクの記事は残っていましたが、能登で行方不明者があったことは記事にありません。地元でも気が付きにくいような小さな報道でした。

 時刻は4月20日6時57分。一時間ほど前、6時前に目が覚めていました。

 今年も1月の中頃に、宇出津新港で能登高校の男子学生が行方不明になるという問題があり、思い出しましたが1月17日のことでした。ナマコ漁の船に遺体が引き上げられたのが2月4日となっていたと思いますが、その報道があったのは3,4日後だったと思います。 

 新聞の小さい記事でしたが、その1,2日前に地元で遺体が見つかったという話は聞いていました。気になったのは、新聞の記事が漁業関係者の話となっていたことです。

 確認すると2月7日の北陸中日新聞朝刊でした。「漁業関係者の取材で分かった」と書いてありました。警察がプライバシーを重視している感じだったので、このまま身元確認の公表もされないのかと考えていました。

 なにか作業で一段落した状況の時、宇出津新港に買い物に行ったのですが、久しぶりに会えば話をする人と公園の前の道路で出会い、宇出津新港の遺体の話を聞いたところ、数日前にテレビでDNAの確認が出来たと報道されていたという話を聞きました。

 家に戻ってからネットで調べると確かに情報が出ていました。宇出津新港で出会った人に聞いた話では実名は出ていなかったということだったのですが、実名が出ていたので、少し不思議に思っていました。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「ナマコ」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%B3&ao=a>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2016/03/18 21:09%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/710800356100349952>
> 弁護士 村松 謙さんはTwitterを使っています: “とくダネ!、ナマコ漁やってる。二億円だって。イノシシどころじゃねぇぞ!!弁護士の新しい職域!!” https://t.co/23H1o6Lx7m



* ツイート%kmuramatsu(村松 謙)%2016/03/18 08:40%<https://twitter.com/kmuramatsu/status/710611895917498372>
> とくダネ!、ナマコ漁やってる。二億円だって。イノシシどころじゃねぇぞ!!弁護士の新しい職域!!



 ぜんぜん記憶になかった村松謙弁護士のツイートが見つかりましたが、そういえばひと頃、弁護士の生活の窮状としてイノシシ狩りのことが話題になっていました。発端は岐阜県の弁護士がシンポジウムで発言したことになっていたように思います。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/02/22 21:29%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/966651225717456898>
> この撮影の後、宇出津新港釣り公園でポケモン(スポット3、ジム1)。それからどんたく宇出津店に買い物に向かうときに、知り合いにあって不明の男子高校生の身元が判明したテレビニュースを見たと聞いた。不明の高校生もポケモンに行くと友達と別れた報道。高校生の姿をスポットで見たことはない。



奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2018年02月22日 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/date-180222>

 2月22日のツイートとして発見しました。当日のツイートをみていると、気になるものが幾つかあります。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/02/22 22:13%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/966662277771309057>
> 大杉漣さんの自殺疑惑、調べることになったきっかけはローカスこと三浦義隆弁護士のタイムラインでのツイートだった。何故かそのまま出所を刑裁サイ太だと勘違いしていた。早めに気がつく発見があって良かった。



 直前のリツイートが7件全て「公開拒否」と表示されていたので気になっていたのですが、三浦義隆弁護士のツイートのリツイートだとすれば納得です。Twilogで公開拒否を見たのも三浦義隆弁護士のアカウントだけでした。

* ツイート%lawkus(ystk)%2018/02/22 14:29%<https://twitter.com/lawkus/status/966545514706513925>
> 大杉漣さんは病死だったようだが、急性心不全と聞いて(察し)みたいな反応してる人が散見された。それでふと思ったのだが、「マスゴミは自死報道に関するWHOのガイドラインを全然尊重しない!」との批判あるけど、尊重したケースがあっても可視… https://t.co/9FzKsWeaIm



 大杉漣さんの病死のこともほぼほぼ忘れていましたが、2月の20日頃のことであったようです。死亡する前日か前々日に死亡することを予告するような投稿があったということで話題になっていましたが、2,3日のことで、その後、続報も見ていないように思います。

大杉漣さんの急死を予言していた!? 1週間前に「Yahoo!知恵袋」に投稿された“不吉な質問”の真相究明 http://tocana.jp/2018/02/post_16084_entry.html>

 内容の確認も必要なので調べたのですが、以前見た内容とは違った印象の記事です。前日や前々日というのも私の思い違いで、一週間前が正しいようです。

 大杉漣さんといえば演技の巧みな俳優として高い評価を受けていましたが、私が初めに意識したのは、そのような評価とは関わりなくたまたま見た2時間ドラマでした。主役は町医者の泉ピン子で、舞台は静岡県の漁港。大杉漣さんの役どころは、孤独で頑固者の漁師でした。


浜田克利
演 - 大杉漣
漁師。不漁、持ち船「栄進丸」の不調、脳溢血による妻の急逝と不幸が重なり、孤独感から気持ちが薄れて愛想が悪くなり仲間や息子の栄太も寄り付かない存在に。妻が倒れた際、救急受け入れを拒否され病院をたらい回しにされて亡くなったことで、病院に不信感を持っている。栄太に苦労させたくないと漁師を自分の代で終えようとしたが、急転して継がそうと決意するも本人の目の前で倒れて、胃がんと判明する。自分の不甲斐無さに罰が当たったと嘆くも、花世に諭される。手術は難航するも成功し、できるだけ長く生きようと決意する。

[source:] /引用元:/ おふくろ先生の診療日記 - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%A8%BA%E7%99%82%E6%97%A5%E8%A8%98>


 少し手こずったのですが、シリーズの第4作として情報を見つけました。放送日が2012年3月12日で、「人はひとりじゃない!伊豆・稲取編」がサブタイトルのようです。思ったよりずいぶん前のことでした。夜に見たドラマだったので、あれですが、田舎なので再放送の可能性もありそうです。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2012年03月12日 - Twilog http://twilog.org/hirono_hideki/date-120312/asc>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/03/12 22:21%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/179195392351678465>
> 月曜ゴールデン「おふくろ先生の診療日記4~人はひとりじゃない!伊豆・稲取編~」 2012年3月12日(月)  21時00分~22時54分 http://t.co/jrw58QLc みています。



 放送日に違いはなかったと確認しました。こういう確認がやりやすいのもTwilogの恩恵です。金沢地方検察庁の田中という担当者の会話を録音したものをYouTubeにアップロードしたというツイートもありますが、田中という人のこともよく思い出せなくなっています。

 一番記憶に残っている金沢地方検察庁の担当事務官はミヤさんですが、あの人だけは3年度連続ではなかったかと思います。時期的に田中という人は、ミヤさんの前任という可能性もありそうです。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/03/12 17:37%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/179123984233807872>
> 金沢地方検察庁_20120312.wmv - YouTube http://t.co/EfzaUFQM この度、モトケンこと矢部善朗(京都弁護士会)@motoken_tw にブロックされたことにより、本気で的を絞って弁護士の責任を追及することにしました。刑事責任も視野にいれて。



 そのまますっ飛ばそうかとも考えたのですが、リンクのYouTube動画を視聴。動画と言っても音声のみの静止画です。田中さんのことは声を聞いてすぐに思い出しました。前に同じような音声動画を視聴したときも同じ声の人物であったのですが、的確な対応をしてくれていたように感じていました。

 再スタートに相応しい資料の発見です。弁護士の責任追及を真剣に考え始めた時期だと確認しましたが、2012年3月12日というのは考えていたよりかなり前のことです。前年の3月11日は東日本大震災の当日ですが、金沢地方裁判所に再審請求の話をしていたときに、大津波の発生がありました。

 正確にいうと、金沢地方裁判所から折り返しの電話を待っている時間に、たしか14時26分という大地震の発生と直後の大津波があったと記憶しています。

 時刻は4月26日11時15分です。Twitterでは次のツイートからの再開になりますが、中断中に作成したスクリプトでのブログ記事からの引用になります。

21件目 ツイート: kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中) 日時: 2018-04-20 08:45 URL: <https://twitter.com/kk_hirono/status/987115041877979136>
{% tweet 987115041877979136 %}
正確にいうと、金沢地方裁判所から折り返しの電話を待っている時間に、たしか14時26分という大地震の発生と直後の大津波があったと記憶しています。


奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: #告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中 @kk_hirono#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年04月26日11時13分 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/kkhirono201804261113.html>

 スクリプトによるブログ記事については、いくつかパターンの異なるものもあるので、いずれまとまったご説明の必要はあるかと考えています。

 引用した部分のツイートは、<http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/kkhirono201804261113.html#p21> というページ内リンクのURLになります。HTMLのID属性を使った昔からあるページ内リンクのジャンプですが、pに番号を付けただけの単純なものとしています。

 ブラウザのURL欄で直接URLを編集しページを開くということを理解する人は少ないように思われますが、わかる人にはわかる単純なやり方なので、是非参考に活用していただければと思います。なお、ページタイトルの部分はJavaScriptで取得し表示させているものです。

 書きたいこと書いておきたいことが多すぎたのも中断の大きな理由ですが、とにかくこの小項目のタイトルにある内容を書いておきたいと思います。その残りの部分が「宇出津の天徳寺」になるのですが、中断中に撮影した写真があるので、それをご紹介したいと思います。

奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: #非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年04月26日11時02分 http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono201804261102.html#p199>

2018-04-24 12:26から199件:最新2018-04-26 11:00という範囲(1日22時間34分)の取得

 上記の部分はツイートの取得件数と取得の時間範囲ですが、自作のプログラムで試行錯誤を繰り返したので正確性にやや自信の持てないところもあります。4月24日12時26分から4月26日11時0分までとなっていますが、これはあくまでツイートの投稿日時で、撮影日とは異なります。

 予定はしていなかったのですが、気候が良かったこともあり、その場の気分で酒垂神社の曳き山まで見に行き、その場の思いつきで天徳寺にいってスマホで写真を撮影したものです。バイクは能登町役場前の駐車場にとめていました。

158件目 ツイート: s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時: 2018-04-24 12:38 URL: <https://twitter.com/s_hirono/status/988623256042196992>
{% tweet 988623256042196992 %}
2018-04-21_192001_宇出津・天徳寺・曳き山祭りの夜.jpg https://t.co/DOUxr1yhr4


153件目 ツイート: s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時: 2018-04-24 12:39 URL: <https://twitter.com/s_hirono/status/988623474775113728>
{% tweet 988623474775113728 %}
2018-04-21_192730_宇出津・天徳寺・曳き山祭りの夜.jpg https://t.co/gqcL1Z7Kge


 上記の153件目から158件目までが天徳寺での撮影になりますが、後の時間に撮影したものが初めに並んでいるようです。この画像付きツイートの本文は、そのままファイル名を使ったものですし、そのことを示すためにjpgという拡張子も残しています。

 ファイル名の冒頭の接頭辞の部分は年月日時分ですが、写真ファイルのExif情報から取得した撮影日時を使っています。デジカメではなくスマホでの撮影なので時刻に狂いがある可能性はほぼないものと考えています。

 ファイル名は自作のスクリプトで変換していますが、時刻の部分は次の処理を行っています。


date=`jhead $f |sed -n -e 's/^Date\/Time    : \(....\):\(..\):\(..\) \(..\):\(..\):\(..\)/\1-\2-\3_\4\5\6/p'`

 時刻の書式変換を行っています。ここで押さえておきたいポイントは、jpgファイルに含まれるExif情報から撮影日時を取得し、プログラムで処理をしているので、タイピングでの時刻の打ち間違えの可能性はないということです。

 時刻は5月1日14時23分です。また数日間中断をしていましたが、パソコンでの作業環境を安定させるためUbuntuの新規インストールをやっていました。今回は大きな変更点があったので、数々の修正に追われ難儀をしましたが、ようやく以前とほぼ同じ作業環境を構築することが出来ました。

 さきほども1点、スクリプトの修正を行い実行可能の状態にしましたが、まだ少し取りこぼしが残っているかもしれません。よく使うスクリプトはほぼほぼ修正を済ませ以前と同じように使えていますが、主にデータベース関係で大幅は修正を迫られることになりました。

 いよいよ本格稼働の準備が整ったところですが、この小項目における宇出津の天徳寺のご説明を済ませて次に移りたいと思います。

 時期がはっきり思い出せないのですが、京都市に住む母親の妹、次女のおばさんに5千円を受取り頼みごとをされたのです。その頼みごとというのが宇出津の天徳寺に行くことでした。私の祖父母だと思いますが寺にあずけている何かを京都に移すか移したため天徳寺に行くように言われたのです。

 次女のおばさんから直接5千円札を1枚渡されたということは間違いないと思うのですが、その時の状況というのもはっきり思い出せなくなっています。そもそもなぜ天徳寺なのかという疑問がありました。

 宇出津の魚市場の近くに天徳寺という寺があって、そのあたりが天徳町という町内ということは子供の頃から知っていましたが、小路の入り組んだ場所で、その近くに行くことはほとんどありませんでした。宇出津の中でも最も小さいぐらいの町内だと思います。

 宇出津は40ほどの町内に分かれていますが、小さい町内は戸数が16ぐらいと聞いています。具体的には天徳寺の他に中島町、川原町が範囲が狭く小さい町内です。この町名というのは地図や住所にはないものです。住所としてあるのは宇出津、宇出津新、宇出津山分、崎山、宇出津新港かと思います。

 酒垂も小さい町内ですが、同じ祭礼委員をやっていたその町内の人に聞いた話では、町内に小中学生は一人もいないということでした。

 あばれ祭りも各町内が出すキリコのお祭りですが、2年目の祭礼委員だった昨年のあばれ祭りは36町内のキリコで、町内ごとに並び順の番号が決められます。キリコを出さない町内が天徳町、大竹町、城野町でした。もう一つあったような気もしますが、思い出せなくなっています。

 宇出津の町の全体的な傾向でもありますが、数年前から古い家の取り壊し、更地化が進んでいます。何か法律が変わって維持する負担が大きくなったのが原因と聞きましたが、随分更地が増えて、その分町の中の見通しが良くなったということもあります。天徳寺の周辺もそのような更地が増えていました。

 今は、魚市場の近くの本通りから天徳寺の建物の一部が目に入りますが、それもここ2,3年ぐらいの間に気がついたことのように思います。次女のおばさんに天徳寺の話を聞いたときも、正確な場所と建物が頭に思い浮かびませんでした。

 覚照寺は魚市場の側の本通り沿いで目立つ場所にありますが、そのすぐ近くということと天徳町の大体の場所はわかっていました。具体的に言うと覚照寺と大藏町の間ということです。

 覚照寺の方は、目立つ場所にあるというだけではなく、私の父親のお墓の寺だと子供の頃から聞いていましたし、平成21年8月31日に母親が脳出血で入院するまでは、毎月、21日か23日だったと思いますが、若い長髪の坊さんが言えに来て、仏壇にお経をあげに来ていました。

 決まった日にちはわからないですが、白山神社の神主も月に一度ぐらいの頻度で家に来て、神棚に祝詞をあげていました。どちらも母親が家にいなくなってから訪れることはなくなりました。

 母親が脳出血を起こしたのは、繰り返しますが平成21年(2009年)8月31日のことです。月曜日の早朝でしたが、前の晩の日曜日に自民党から民主党への政権交代となる総選挙がありました。

 同乗した救急車は、特に説明することもなく十八束から珠洲方面に向かい、珠洲総合病院に入院することになりました。

 母親は男2人、女3人の5人兄弟で9月の11日ではなかったかと思いますが、珠洲総合病院に集まりました。今、過去のカレンダーを表示するcalコマンドを実行すると9月12日が土曜日なので、集まったのはこの12日だったのかもしれません。

 親族会議というかたちになるのかと思いますが、今後のことを話し合うため、私もその夜はラブロ恋路に宿泊をしました。夫婦連れは次女のおばさんと三女のおばさんでしたが、この三女のおばさんだけは、その夜、同窓会ということで、九十九湾の百楽荘に宿泊し、翌朝、夫の人の車で迎えて行きました。

 天徳寺の用事を頼まれ5千円を渡されたのも、このとき以外はあり得ないと思います。すでにその時、次女のおばさんは体に無理をして珠洲まで来たと話していたように思います。同じ京都市内の長男のおじさんの方が、特に体調の不安を口にすることもなく元気そうに見えていました。

 はっきりした時期は思い出すことができなくなっているのですが、それから半年から1年ぐらいではなかったかと思います。長男のおじさんが難病を患い入院し、寝たきりの状態の上、食事もとれなくなり、体に管を通して生命が維持されているという話を聞きました。

 その頃は、京都の次女のおばさんからも愛知県の三女のおばさんからも、ちょこちょこと家に電話がありました。三女のおばさんの方は、メールや形態への電話もありましたが、京都のおばさんは家の固定電話だけでした。

 長男のおじさんの病気の具体的な話を聞いたのは京都の次女のおばさんからだったと思います。はじめに話を聞いてから半年から一年ほどのことだったように思いますが、電話で京都の長男のおじさんが亡くなったという話を聞きました。

 それから半年ほどあとだったように思いますが、宇出津の私の家に、京都の次女のおばさんが来ました。その時は、京都の長男のおじさんの奥さんも同行していて、私に遺影を見せてくれました。その人と会ったのも小学生の低学年の頃以来だったように思います。

 声が大きく勢いのある京都弁が特徴で、私の母は苦手としてい感じでしたが、そのおばさんが亡くなったおじさんが私のことを気にかけ強く案じていたという訴えをしていたのが印象的でした。その直後だったと思いますが、私は行かなかったとだけ説明し、天徳寺の5千円を次女のおばさんに返したのです。

 もう一つ、京都の親戚との記憶に残る場面があります。旧柳田村上町の母親の病院で京都の次女夫妻と会ったことです。この次女夫妻には、子供の頃、毎年夏に京都から来て、珠洲や輪島のあちこちに車で連れて行ってもらっていました。

 私の母親が同行したことは一度もなかったのですが、それは母親の車酔いがひどかったからで、タクシーで基本料金の区間の走行でもやっとという感じでした。それが被告発人大網健二らと一緒に福井刑務所に迎えに来たときは、福井市から羽咋市まで平気で車に乗っていたので驚きました。

 愛知県の三女のおばさんも同じ病室に来ていたのだと思いますが、実際は次女のおばさんの姿もはっきりした記憶には残っておらず、おじさんが就職には車も必要だろうという話をして西金沢に知り合いか友人が自動車工場をやっていると話していたことです。

 具体的な会社の名前も言っていましたが、ネットで調べるようなこともせず、すぐに忘れてしまいました。もしかすると天徳寺の頼みごとをされたのは、その時だったのかもしれないのですが、病室で5千円を預かったという記憶はないのです。

 もう5年ぐらい経っているように思うのですが、愛知県の三女のおばさんの電話で、京都の次女のおばさんが入院しかなり重い病状だと聞きました。それからまた半年か1年ほどして、退院して家に戻ったが無理は出来ないという話を同じ三女のおばさんの電話で聞きました。

 退院をして家に戻ったものの会話をするのも困難な状態という話に聞こえたように憶えています。呼吸器系の病気と聞いたようにも思うのですがほとんど思い出せなくなっています。こういうことも記録の必要性を痛感するとともに、現在の私のスタイルに影響を及ぼしました。

 一つ日付を含めはっきりしていることは、2012年8月13日の電話のことです。長い間何故か8月12日と勘違いをしていました。2012年という年のことも確信が持ていなかったので、次のキーワードでTwilogで調べました。

奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「遊覧船」の検索結果 - Twilog https://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E9%81%8A%E8%A6%A7%E8%88%B9&ao=a>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/08/13 15:28%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/234899316370714624>
> およそ22年ぶりぐらいに九十九湾の遊覧船に乗って来ました。1500円でした。... http://t.co/ZvP5PGU1



 朝の早め時間だったと思いますが、珠洲警察署に電話をかけ、電話を切って向かおうと玄関を出る直前のタイミングで電話が掛かり、出ると京都の次女のおばさんだったのですが、夜以外に電話があったのもその時だけだったように思います。

 なんの用事で電話があったのかも憶えていないのですが、ずっと前から気になっていた事実をその時、京都の次女のおばさんに確認したのです。これが大きな転機ともなったのですが、宇出津の天徳寺の話からは外れるので、別の機会に書いておきたいと思います。

 退院したと聞いてからも京都の次女のおばさんから電話があったことはなく、愛知の三女のおばさんからも次女のおばさんの話は聞いていません。三女のおばさんからも半年以上連絡はありません。あるいは、昨年の8月にお盆で帰省したとき、母親の病院に行ったという連絡かもしれません。

 帰省と言っても愛知の三女のおばさんの実家が宇出津にあるというわけではなく、旦那が宇出津の田町の人で家の墓参りにも来ているという話をしていました。田町の家は随分前から残っていないと思いますし、その家族がどこに移り住んだという話も聞いていません。宇出津ではその家だけ知る苗字でした。

 田町というのも正確には宇出津の町内名ではなく、立町と横町のことを田町と呼ぶと聞いてきましたが、宇出津小学校の近くには田町というバス停も存在しています。山の上のほうが上田町(かみたまち)で、そのあたりのトンネルの先が、藤波の辺田の浜になります。

 2年か3年前になると思いますが、夜、愛知の三女のおばさんから電話があったとき、このときもずっと前から気になっていた質問をしました。次女のおばさんのときとは違い事件とは無関係のことですが、私には祖父にあたる母親の兄弟の父母の亡くなった時期のことです。

 年を重ねるほどに疑問が大きくなったのですが、祖父の話やエピーソードというのは全くに近く聞いたことがなかったのです。小島伝次郎という名前は何かに書いた文字としてちょくちょく見かける機会がありました。

 祖父母の記憶というのは私に全く記憶にないのですが、写真まで残されていません。昭和の初め頃の古い写真が二枚残っていますが、一枚は京都の嵐山ではないかと思われる風景の集合写真で、まだ0歳ぐらいの抱かれた子供が、昭和4年1月19日生まれの母親の可能性がありそうだとは考えています。

 もう一枚の古い写真は、二人の着物姿の女性の撮影で、写真館で撮影されたと思われるものです。どちらかが祖母の可能性がありそうに思うのですが、確認したことはないので確かなことはわかりません。いずれも私が物心ついたころから家にある写真です。

 私の父親の写真というのは随分な数残されているのですが、母親の父母は葬式の遺影のようなものも残されていはいません。魂を抜かれるという迷信を信じて写真の撮影を嫌がる人が少なくなかったという話は、私が子供の頃の昭和40年代にも聞いてはいました。

 祖父母は私が生まれる前に死んでいるものとばかり思っていたのですが、愛知の三女のおばさんの話では、私の父親と一緒になって私の誕生をたいへん喜んでいたということでした。先日、家の鴨居にある小島伝次郎の表彰状に昭和42年4月9にという日付があることに初めて気が付きました。

 私の父親が亡くなったのも昭和42年か43年の4月でした。小さい頃は母親が人によく、この子が3歳のときになくなったと話していたことを憶えています。数え年というのもあるので、はっきりしませんが、私は昭和39年11月26日の生まれです。

 福井刑務所に郵送で差し入れのあった裁判の資料には、私の戸籍謄本もあって父親の戸籍の記載もありました。被害者安藤文さんの戸籍謄本も同じようにありましたが、どちらもずっと目にしておらず、見たときも余り関心はありませんでした。

 宇出津の天徳寺は、私にとって縁もゆかりもなかったお寺です。5千円が5万円ならば、京都の次女のおばさんの言いつけに従いすぐに出向いていたと思いますが、唐突な話で理解も出来ず、行動に移して行こうと考えたことは一度もありませんでした。しかし、今となっては気になるところです。

 宇出津新港でばたりと出会った人に、ナマコ漁で引き上げられた遺体が行方不明の能登高校と確認されたというニュースの話を聞いたと書きましたが、それからしばらくして、今度はその人が突然死で亡くなったという話を聞きました。戸が少し開いていたので、発見が早かったとも聞きました。

 宇出津新港の関係で昨年(2017年)3月10日から4人がなくなったことになります。最初の3月10日が能登高校の女子高生の殺人事件でした。直後に被疑者も自殺をしたという被疑者死亡の書類送検ですが、実態は解明されがたい迷宮入りのような事件でした。

 一人は夏にサザエ採りをしていて密漁になるとも聞きましたが遺体は見つからず行方不明のままだと思います。同じ期間になると思いますが、遠島山公園でも2人が亡くなっているようです。一人は最後の足取りの靴が残されていたということですが、行方不明のままのようです。

 偶然にしても、狭く小さい町で立て続けに、気になることが起こると、それなりに考え込まされることがあり、それがたびたびの中断の一因にもなっていました。

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