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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年5月21日月曜日

2018-04-04-100838_高尾城址から振り返る、平成9年から平成11年の被害者安藤文さんの父親安藤健次郎さんとの関係・告発に至る経緯

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title: "高尾城址から振り返る、平成9年から平成11年の被害者安藤文さんの父親安藤健次郎さんとの関係・告発に至る経緯"
date: 2018-04-04 10:08:38 +0900
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# 2018年4月3日放送のテレビで、金沢城公園で満開となった桜と、同じく金沢の桜の名所として紹介されているのを見て、初めて知った高尾城址 #

[link:] 2018年04月04日12時12分の登録: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2018年4月3日撮影のスマホの写真38ファイル 金沢・高尾城址の桜他 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/04/shirono.html>

 当日の写真をTwitterに投稿し、そのツイートをまとめたのが上記の記事です。テレビの画面をスマホで撮影したものもありますが、夕方、銭湯に行ったタイミングでも浴場に入る前に、同様の高尾城址の桜を紹介する番組を見ました。

 夕方の放送では、城址ではなく高尾の石川県教育センターとして紹介されていたかもしれません。ほとんどの場合、夕方の銭湯のテレビのチャンネルはテレビ金沢で、平日は16時頃から19時前まで全国放送のAveryというニュース番組を含む「となりのテレ金ちゃん」が放送されています。

 午前中に見た番組は、石川テレビの放送で、午前10時頃から始まる「リフレッシュ」という石川県内のローカル番組です。こちらも平日だけの放送だと思いますが、途中で、ひるおび!やワイドスクランブルを見るのにチャンネルを変えることが多いのでよくわかりませんが、1時間弱の放送だと思います。

 金沢市内でも高尾という地名というか町名はなじみのあるものでした。高尾南というのもあったはずで、どこからどのあたりまでが高尾になるのか調べたこともなかったのですが、野々市町(現在は野々市市)と隣接し、金沢工業大学に近いというイメージがありました。

 平成9年の7月の中頃から10月の初め頃まで仕事で通った小さな建設会社も住所が高尾になっていたと思いますが、住宅地の真ん中にあるような場所だったので、高尾に山があるというイメージはありませんでした。

 ただ、最近でも金沢市内での場所を説明するのに、「高尾の国際ホテル」という話し方をする人がいましたし、10日ほど前になりますか九十九湾でアジ釣りをしているときに聞いた話だったのですが、そういえばずっと前にも同じような「高尾の国際ホテル」という言い方を聞いたような気がしました。

 その金沢国際ホテルというのは、私の古い記憶の中で広い道路が市街地からの少し高台にあって、その道路の山側に道路に隣接した建物でした。私の中では、金沢市内でも最も古い記憶に近いものとして残っています。誰かが天皇陛下(昭和天皇)の泊まった格式の高いホテルと説明をしていました。

 さきほどGoogleマップの地図で調べたのですが、金沢国際ホテルの前の道路は「県道45号線」となっていました。道は金沢市内から一本道なので「泉ヶ丘通り」もその県道になるようです。金沢市内では他に県道何号線と聞くものもなかったですが、今日初めて知ったことです。

 泉ヶ丘通りは、ラジオ放送の交通情報で、他に野田専光寺線、六枚交差点などとともに決まって名前の出る主要道でした。もう何年もラジオの交通情報は聞いたことがないので現在も同じかどうかわかりませんが、平成10年代に山側環状道路というのが出来ているので、交通事情も違っているはずです。

 県道45線について調べると、金沢鶴来道路とも書いてありました。やはり鶴来に行く主要道路だったのかと思いましたが、鶴来町の入り口か手前の辺りに、大きな村田製作所の建物がありました。ストリートビューで見ると、手前に大きな交差点があったように記憶していたのが見当たりませんでした。

 たしか鶴来町は国道15何号線が通っていたはずで、それが白峰から福井県内の勝山市に繋がっていたはずです。記憶が薄らいでいるものの仕事で通った土地勘が残っているのに関わらず、Googleマップは分かりづらいと感じることも少なくありません。

 Googleマップを拡大すると、国道157号線であることが確認できましたが、一本道で行った記憶のある白山比咩神社の前の道路は県道45号線となっているようです。泉ヶ丘通りが白山比咩神社に繋がっているというのは意外な発見でした。白山信仰の参拝をふくめ歴史の深そうな街道です。








# 平成11年の建設・建築現場への日雇い派遣の仕事、その中でも一番長く通った金沢市山科の河川の災害復旧工事の現場 #

 仕事では山科と聞いていたのですが、さきほどGoogleマップで確認をすると、金沢市山科と別に金沢市山科町があって、この山科町の方が山際になるので、本当は山科町の現場と呼ぶのが正しいようです。

 いや、Googleマップをよく見ると山科町というのは、泉ヶ丘通りから離れすぎていて、あとで宅地造成された新興の住宅地とも考えられます。手前に広い道が見えますが、これが山側環状道路のはずです。平成11年の時点でも工事は始まっていたのかもしれないですが、道路は存在しませんでした。

 県道45線の泉ヶ丘通りに近い山科の地名を見ると、やはり円光寺に隣接していました。円光寺は金沢市内で知名度も高くバスターミナルのようなものもあって商店街のような町並みもあったと記憶します。

 時刻は17時07分です。先程、テレビのとなりのテレ金ちゃんで、穴水町のサバ踊り、という神社の神事をやっていたので、ネットで調べていました。穴水町木原という地名で、どこ辺りなのかとGoogleマップで調べると、能登空港の珠洲道路から反対側にある集落でした。

 どこかで20戸か20人ほどの集落という情報も見かけましたが、400年続いている神事とのことです。神社の名前も白山神社でした。同じ能登町でも近年になって初めて知った集落も少なくはないのですが、サバ踊りというのも山間の集落で、全く聞いたことがなかったので、意外性も高かったです。

 まな板に塩サバと包丁を紐で括り付けていました。被害を与え、娘までさらった白ムジナを退治したのが神事の始まりとのことです。能登町の旧柳田村には猿鬼伝説がありますが、10年ほど前になりますか、今も続いているらしいマラソン大会の同名のポスターで初めて知りました。

 昔話と言えば、一つに竹林が出てくるというイメージがあります。かぐや姫の竹取物語のイメージが強いのだと思いますが、悲しい別れとなる物語だったと思います。数年前、アカデミー賞だったかの候補になっていたアニメをテレビで見ました。

 昔テレビで見た昔話とは違って、仏像のような集団が迎えに来るというラストシーンであったと記憶しています。なぜ仏像なのかと不思議に思ったのですが、それが宗教的なイメージとの融合にもなったと思います。

[link:] 高畑勲監督の「かぐや姫の物語」アカデミー賞候補に 海外で高い評価 <https://www.huffingtonpost.jp/2015/01/15/kaguya-hime-academy-awards-takahata_n_6483632.html>

 調べると、「かぐや姫の物語」というタイトル名だったようです。上記は2015年1月16日の記事となっていました。同じく短編アニメの候補に「ダムキーパー」というブタの少年の物語がありましたが、かなり強く影響を受けています。弁護士脳汚染という世界観につながっていきました。

 2015年と言えば、4月の初めかあるいは3月の終わりに、能登の輪島と横浜を舞台にした連続テレビ小説まれ、の放送が始まりましたが、同じ年のことであったということも記憶から抜け落ちていました。

 「かぐや姫の物語」というタイトル名は記憶になかったのですが、私がTwitterのアカウントのプロフィールの名前に含めた「泥棒神社の物語」にも多少は影響があったのかもしれません。宮沢賢治の銀河鉄道の夜はイメージとしてモチーフに含まれていたのですが、物語ではなかったです。

 平家物語は、モチーフの要素として含まれていたと思いますが、この平家物語も最近になって白山市との関わりを知ることになりました。それも銭湯のテレビがきっかけで、となりのテレ金ちゃんの放送でした。

 さきほど、Googleマップで「金沢市高尾」で検索したところ、地区の輪郭が強調表示されましたが、山の奥の方に伸びる見たこともないような変わった地形となっていました。私が知っていた高尾の場所は、中心部ではあるもののざっと見た感じ、15分の1ぐらいの場所だったようです。

 同じく15分の1ぐらいが住宅地で、その他の広い場所はほとんどが山林のようです。同じ山林で窪町が隣接していますが、その隣に先程の山科町が見えます。

[link:] 高尾町 - Google マップ <http://bit.ly/2GUSPqi>

[link:] 山科 - Google マップ <http://bit.ly/2GAQYnr>

[link:] 山科町 - Google マップ <http://bit.ly/2GzIvAy>

 それぞれ確認すると、山科の方はほとんどが住宅地でした。山科町の方は一部に住宅地があるもののほとんどが山林で、それもかなりの広さです。地図で見ると離れた場所だと思っていた野田山墓地と隣接していることも確認されました。

 山科町と高尾の山林では、季節がわからないものの山の緑の色がずいぶん違っていて、山科町のほとんどの山は深緑で草に近い低木が密生しているように見えます。

 辺りの山にこだわるのは大きな竹林があったからです。昭和59年に金沢市場輸送の仕事を始めた頃から筍の出荷地として知っていました。円光寺の山と聞いていたようにも思います。一度、直接、筍を積みに行ったような記憶もあるのですが、円光寺のバスターミナルの近くで泉ヶ丘通り沿いの場所でした。

 金沢市円光寺で指定すると、全て山間から離れた住宅地で、それも思っていたよりずいぶん狭い範囲でした。わかりやすい目安の地名として円光寺が、筍の産地のようになっていたようです。

 金沢の筍の出荷時期というのは4月の終わりから5月の前半で、詳しくは思い出せないですが、2,3週間の時期だったと思います。昭和59年に初めて筍の仕事をした時は、4月に入ってからだったように思いますが、被告発人大網健二も一緒に金沢市場輸送の長距離の仕事を始めた時期でした。

 筍の仕事の終わりの方と少し重なっていたと思いますが、次に同じように忙しくなるのが金沢港でのスルメイカの仕事でした。昭和59年の時は、7月に入ってからも続いていたように思いますが、5月から6月の間に一ヶ月間ほど続けてスルメイカの仕事があったように思います。

 平成11年の時、山科の現場が終わったすぐ後だったような気もするのですが、別の仕事で泉ヶ丘通りで山科からもう少し奥に行ってから、左手に山の上を方をぐんぐん登っていく現場に行ったことがありました。林道が蛇行していましたが、上の方に行くと見たことのない大きな竹林が広がっていました。

 時刻は18時29分になったところです。3分ほど前、同じテレビ金沢で穴水町のサバ踊りをやっていましたが、さらわれた娘を救い出すためサバを使っておびき寄せた、という説明がありました。前に見たのも同じ内容だったのかもしれませんが、途中になってからサバ踊りという言葉で目を向けました。

 山科の現場での最終日は、早い時間に仕事が終わり、いつも一緒に行っていた小松市から来ていた溶接の職人と二人で、その人が早く会社に戻ると他の現場に行かされるかもしれないので、時間をつぶそうと言い出し、どこか高尾の辺りの商業施設の駐車場にいた場面が記憶に残っています。

 山科の現場は、2月の20日過ぎに日雇い派遣の仕事を始めてから早い段階の仕事だったと思います。ほぼ毎日のように通うことが多かったですが、それは派遣先の現場からの指名によるものでした。堀田建設という会社の仕事でした。直接会社に行くことはなかったですが野々市町と聞いたように思います。

 野々市町と松任市の境の辺りに土場がありました。資材置き場で土砂置き場にもなっていました。周囲はほとんど家がなく田んぼになっていたとも思いますが、あまり良く思い出せない場所です。そこで土嚢を作ることもありました。

 この堀田建設の仕事は、ほとんどが川での災害復旧工事の仕事でした。山科の仕事が終わってからどのくらい間があったか憶えていませんが、6月頃には集中的に山中温泉の山奥の現場に通うようになっていました。安藤健次郎さんと頻繁に連絡するようになった時期のことです。

 今は聞かなくなったので変わっている可能性もありますが、当時の山中温泉は江沼郡となっていたと思います。福井県に近い石川県のはずれでした。片山津、山城と並んだ加賀温泉の一つで全国的にも温泉地としての知名度はある程度あるように思います。

 時刻は18時51分です。「誉のドコ行く?」というコーナーが終わったところでしたが、白山市白峰が出ていました。もう3ヶ月ぐらいずっと白山市の奥の方を回っているようです。初めに見たのも白峰かと思ったのですが、それは「はじめてのおつかい」との勘違いかもしれないと思い直しました。

 最初の頃に印象的だったのは、白山市の奥の方の集落の蕎麦屋で、その店の山岸という主人が元警察官と番組で話していたことでした。白山市に注目するようになった最初のきっかけだったかもしれません。あとで確認します。

 山科の現場の仕事が終わったのは4月中だったと思います。終わる数日前か、数日後の日曜日に、久しぶりに被告発人大網健二から連絡があって、西金沢の展示中の建売住宅で会って話をしました。豊蔵組の東京出張所や群馬県の山に現場があるような話を彼がしていた時のことです。

 ふと、数年ぶり、あるいは10年以上ぶりに思い出したのですが、西金沢には昭和59年の金沢市場輸送の仕事をしていた時、よく荷物を積みに行く工場がありました。羽二重餅という商品名が記憶にあるのですが、これは福井県の名物のようです。敷地内には、西金運輸のトラックもいました。

 冷凍食品の工場であったとも思うのですが、思い出せることは少ないです。西金沢の駅からも近い場所にかなり大きな敷地となっていましたが、平成に入った頃には工場を見かけることもなくなっていたかもしれません。冷凍食品のようなものを運んでいたことは間違いないように思います。

 時刻は4月6日21時46分です。中断をしていたと思います。JekyllとBloggerのどちらでも埋め込みツイートを表示できるようにしたのですが、Bloggerの方ではまって10時間以上の時間を軽く潰してしまいました。解決は思わぬものでしたが基本的な出力に見落としがありました。

 ずっと正規表現の記述を疑っていたのですが、そちらに間違いはなかったので、検証を重ねたことで少し自信を深めるプラスの作用もありました。

 中断前に、西金運輸と羽二重について書いていましたが、西金運輸は現在、金沢市無量寺の住所になっていました。こちらは前にも調べた結果と同じように思いました。西金沢の羽二重は、羽二重豆腐が正式名称でした。会社の場所を勘違いしていたのですが、同じ場所にあることを確認しました。







# 不思議なタイミングでの「かぐや姫の物語」高畑勲監督死去のニュースと、初めに能登町天坂のラーメン店のテレビで知った医王山遭難事故のニュース #

* ツイート%kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)%2018/04/04 19:10%<https://twitter.com/kk_hirono/status/981474049162276865>
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冷凍食品の工場であったとも思うのですが、思い出せることは少ないです。西金沢の駅からも近い場所にかなり大きな敷地となっていましたが、平成に入った頃には工場を見かけることもなくなっていたかもしれません。冷凍食品のようなものを運んでいたことは間違いないように思います。


 上記は中断前の記述部分のツイートですが、4月4日19時10分という意外な結果でした。昨日の4月5日は丸々中断をしていたことになりますが、昨日は色々とありました。翌日である今日の6日金曜日から天気が崩れるという予報も出ていたので、午前中、母親のいる病院に行ってきました。

 木曜日の午後に用事を頼まれていたのですが、その日の用事はなかったことになりました。病院に行った後、正午前に近くの天坂のラーメン店で、久しぶりの外食をしたのですが、店のテレビで医王山で行方不明者というニュースが流れていました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 16:29%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981795939508674560>
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医王山 - Wikipedia https://t.co/ItzN56wLQi


 家に戻ってからネットで調べたのですが、それらしいニュースは見当たりませんでした。医王山についてもずっと前から気になることがあったので、取り上げることを予定したのですがテレビのニュースで医王山を耳にするというのも思いのよらぬことでした。

 医王山について調べていると、高尾城址の見晴らし台と同じく金沢市の夜景の名所として、キゴ山という地名が出てきました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 16:33%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981797060675493889>
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銀河の里キゴ山駐車場の夜景 (石川県金沢市) -こよなく夜景を愛する人へ https://t.co/huTQCbr9CD


 銀河の里、という言葉も初めて目にしたのですが、当日に母親のいる病院に行く時、立ち寄って桜並木の写真を撮影した「やなぎだ植物公園」も、星空の天体観測の名所となっていることを思い出しました。

 キゴ山の夜景の情報には、プラネタリウムのことも書いてありましたが、宇出津小学校の修学旅行で、金沢市泉野にあったプラネタリウムに行ったことを思い出しました。この修学旅行は、他に卯辰山の金沢ヘルスセンターに宿泊したことと、兼六園で記念撮影したことだけ記憶に残っていました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/06 08:22%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/982035660948176896>
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医王山で60歳の男性が行方不明 | NNNニュース https://t.co/cG9APF9Gaf


 医王山については、他に分けて書いておきたいことがあります。

 今日のテレビの石川県内ニュースでは、医王山ではなくキゴ山となっていましたが、視界不良で滑落してしまったと妻に携帯で連絡を入れていたという行方不明者は遺体で発見されたということでした。夕方のニュースでは死因は凍死とのことです。

 一般の人が遺体を発見したというニュースになっていましたが、昨日も捜索隊が出ていて発見できなかったとのことです。キゴ山は標高が500メートル少しで、調べると奥能登で最高峰という輪島市の高洲山と同じぐらいでした。高洲山は、輪島市内から見ていたので、だいたいの大きさがつかめました。

 昨日は、母親のいる病院に行った後、ラーメン店で食事を済ませて宇出津に戻る時、平体の火葬場の跡地に立ち寄り、聖観音像の写真撮影を行ったのですが、その時、お寺のような建物の前に残雪が残っているのを見て、宇出津の町とどれだけの標高差があるのか気になっていました。

 宇出津の町では、もうずいぶん前から残雪は目にしていませんでしたが、母親のいる病院の側の珠洲道路でも道端にかなりの量の残雪を見かけ、不思議に思っていました。ラーメン店に向かう手前のことです。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 15:16%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981777592410750981>
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【かぐや姫の物語】ラストシーンの「なぜ」 ? - YouTube https://t.co/hwDrERBUFU


 母親のいる病院に行く前かと思っていたのですが、上記のツイートで確認したところ、病院から戻った後に、「かぐや姫の物語」のラストシーンについて調べていました。

 母親のいる病院に行く前の発見は、録画一覧で再生したNHK連続テレビ小説「半分、青い。」でした。録画再生で3話分の視聴をしてから病院に出かけました。本日の5話は、そのままの放送で視聴をしましたが、録画済みの4話はまだ視聴していません。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 09:04%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981683922957320192>
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録画再生を開始したNHK連続テレビ小説「半分、青い。」。録画済みリストでタイトル名を見るまで全く情報を見なかった。


 NHK連続テレビ小説は、2015年の輪島市と横浜市を舞台とした「まれ」の時から毎回予約の指定をしているのですが、その予約の解除がうまく出来ないまま、ほとんど視聴することなく録画を消去していました。

 「半分、青い」という今月に入って始まった連続テレビ小説も視聴しないまま削除しかけたのですが、タイトル名を含めた事前の全く得ていなかったことが、不思議な縁のように思い視聴してみることにしたのです。

 3話分が主人公の女の子の出生の物語となっていました。それも珍しいドラマと思ったのですが、その出生の年が1971年となっていたことが気になりました。1970年8月15日が被害者安藤文さんの出生だからです。時代背景はほぼ同じだったので、偶然とは思えない巡り合わせを感じていました。

 本日、高畑勲監督死去のニュースを初めに知ったのは、北陸朝日放送のモーニングショーという番組の番組終了直前の場面でした。高尾城址のことがきっかけで、竹林から「かぐや姫の物語」について調べたばかりだったので、これも偶然とは思えないような不思議な巡り合わせを感じました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/04/05 15:40%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/981783522753970176>
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【ネタバレ】「かぐや姫の物語」が描いた姫の犯した罪と罰とは何か| https://t.co/yjfOIqOH3f


 上記のツイートの記録にあるように、サブタイトルのようにもなっていたらしい「姫の犯した罪と罰」というのも、考えさせられる重いテーマとなっていました。







# 桜の名所としてテレビで紹介されていた金沢の高尾城址と宇出津の遠島山公園に共通する「じょうやま」という呼び名から思い出した月見御殿の姫のお話 #

 金沢市の高尾は高尾台とも呼ばれていたように思いますが、新興住宅地というイメージが強く、歴史的なお城と結びつけて考えることがなかっただけに、テレビで「じょうやま」と呼ばれ親しまれている、という話を聞いた時、知らないことがあるものだと感心しました。

 小さい頃からなじみのある宇出津の遠島山公園も地元では「じょうやま」と呼ぶことが普通でしたが、正式には「棚木城址」ということになるのかと思いますし、そのような案内板も出ていたと思います。

 数年前までは、よく魚釣りに行っていたのですが、昨年(2017年)の1月頃を最後に行っていないように思います。公園の中にバイクを停めて、15分ほど崖の坂道を降りて下にある堤防に行っていました。恵比寿様の祠があることからだと思いますが、地元では恵比寿の堤防などと呼ばれていました。

 当時は「恵比寿の角」と呼んでいましたが、中学生の頃は夏によく泳ぎに行っていました。遠島山公園から坂道を降りることもあれば、宇出津港の赤灯台、白灯台から湾内を泳いで渡ることもありました。宇出津の周辺では一番海のきれいな場所で、今でも海の中の様子がある程度、記憶に残っています。

 その中学生の頃というのは、昭和50年代前半のことですが、遠島山公園の入口には、今も建物は残っていますが売店のような店もあって、そこでかき氷かソフトクリームを食べたような記憶も残っています。観光地のようにもなっていましたが、今は近所の人が犬を連れ散歩をするのを見るぐらいです。

 遠島山公園を散歩することもありました。釣りに降りる場所とは逆方向ですが、先端に離れ島があって、その少し手前に月見御殿の跡地という案内板が出ていました。数年前に行った時は、屋根付きの休憩所のような建物があったように思います。6年ほど前だったように思います。

 時刻は、4月19日16時33分になります。かなり長い間、本書の作成を完全に中断をしていました。

* ツイート%kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)%2018/04/07 10:01%<https://twitter.com/kk_hirono/status/982423175068725248>
{% tweet 982423175068725248 %}
遠島山公園を散歩することもありました。釣りに降りる場所とは逆方向ですが、先端に離れ島があって、その少し手前に月見御殿の跡地という案内板が出ていました。数年前に行った時は、屋根付きの休憩所のような建物があったように思います。6年ほど前だったように思います。


 Twitterでは、上記の4月7日10時01分のツイートからの再開になります。中断の理由はいくつかあるのですが、まず弁護士ツイートの記録スクリプトの修正を行いました。そのあと、スクリーンキャストでの動画記録の再開も行ったのですが、これもスクリプトの大幅は修正を迫られました。

 ようやく準備が整ったという段階で、小木港にアジ釣りに行くこともあったのですが、財務省の事務次官のセクハラ疑惑問題、それと弁護士であり医師でもある米山隆一新潟県知事の女性問題があって、前者は特に弁護士らの反応が大きかったので、しばらく静観するような心持ちにもなったのです。

 初めの中断のきっかけは、数年前の遠島山公園の月見御殿の写真をパソコンやGoogleフォトで探したことにありますが、見つけることが出来なかったもののその他の発見もありました。翌日か翌々日が日曜日で、午前中に遠島山公園へ行き、月見御殿や離れ島をスマホで撮影してきました。

 どうも姫の具体的な名前などは残されていないようでした。案内板にある一つのツイートでおさまるような短いお話だけが残されているようですが、それもまた正確な記録の必要性を考える機会にもなります。

 今は、他に優先させたいこともいくつかあるので、遠島山公園の月見御殿のことはまた別の機会に書いておきたいと考えています。

 遠島山公園の月見御殿の姫のことを思い出したのも、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」がきっかけでしたが、調べた翌日に、高畑勲監督の訃報がテレビニュースになっていたので、それも不思議に感じました。

 遠島山公園に行ったのが日曜日だったと思いますが、その次の金曜日の夜に、高畑勲監督の「火垂るの墓」がテレビで放送されていました。翌朝の4時に小木港にアジ釣りに行く予定が出来ていたので、その支度もあって、集中して視聴できなかったのですが、録画はしてあります。

 かぐや姫のことは、2016年12月31日に初めて海蔵院末薬師堂に行った時、竹林を見つけたときも思い出しました。竹取物語とも言われていたはずです。







# 能登町藤波の海蔵院末薬師堂と輪島市門前町の高尾山、宇出津の天徳寺と祖父母の関係、実行しなかった京都の母親の妹からの頼まれごと #

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「海蔵院末薬師堂」の検索結果 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E6%B5%B7%E8%94%B5%E9%99%A2%E6%9C%AB%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A0%82&ao=a&order=allasc>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2017/01/01 19:30%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/815505579003219968>
{% tweet 815505579003219968 %}
能登町藤波海蔵院末薬師堂御開帳 | 居酒屋『熊さん亭』店主の日記 https://t.co/MUApthUcTZ


* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/01/17 11:41%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/953457279969280000>
{% tweet 953457279969280000 %}
海蔵院末薬師堂御開帳 於能登町藤波 : ブッディツーリズム https://t.co/U1p5okAFFK


 検索結果は2件のみでした。2017年1月1日のツイートのリンクのブログは2012年1月、2018年1月17日のツイートのリンクのブログは2011年5月に更新が止まったままです。このブログの存在がなかったら建物の名称も中の様子も全く知ることは出来なかったと思います。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「海蔵院末観音堂」の検索結果 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E6%B5%B7%E8%94%B5%E9%99%A2%E6%9C%AB%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%A0%82&ao=a>

 検索結果が少なかったので、海蔵院で調べ直すと、「海蔵院末観音堂」がありました。最初に見つけたのもこちらの方だったのかもしれません。近くに薬師寺川という小さな川があるので、薬師堂の方がしっくりくるような気もしますが、詳しいことはわかりません。

 海蔵院については、同じ藤波の柳倉にもお寺には見えない古い建物があって海蔵院と呼ばれていることはネットの情報で確認しています。小さい頃から見覚えのある建物でしたが、40年以上前の当時でも人が出入りをしているような建物には見えませんでした。

 海蔵院のことは、たまに顔を合わせて話をすることのある藤波の辺田の浜の人に話を聞いたのですが、宇出津の天徳寺が管理をしているようなお話でした。

 柳倉の海蔵院の方は、海沿いの国道249号線沿いにあって集落にあるのですが、辺田の浜の海蔵院末観音堂と思われる建物は、小高い山の上にあって民家とは離れています。宇出津のバイパスの道路の入り口になっているので、そのバイパスが出来てから目立つような場所になりました。

 目立つと言っても意識して山の方を見上げないと視界には入らないと思いますし、外見上物置小屋にしか見えないとも思えます。私はその辺田の浜で一歳から小学校5年生に進学する直前まで生活していたので、昔のことを思い出しながら周囲を見渡すこともあったのですが、普通はないことだと思います。

 宇出津新港の信号機のある交差点の小高い山の上にその建物はあったのですが、ずっとそれほど意識しないで生活していました。初めて見に行こうと思ったのが、大晦日の12月31日のことでした。買い物を済ませて帰るときに、信号待ちで止まっていて目に入ったのです。

 最初は建物ことより、赤い花の咲く木のことが気になりました。冬に咲く花というのも珍しと思いましたが、寒椿という花ではないかと思いました。もっと小さかったですが、辺田の浜で住んでいた家のほんの小さな植え込みにも同じような花が咲いていたことを思い出しました。

 大晦日と言えば、平成13年12月31日に金沢刑務所を満期出所した日のことを思い出すことも多いのですが、子どもの頃以来まったく見ることのなかった紅白歌合戦を見るようになったのも刑務所での生活でした。

 その紅白歌合戦で印象に残っていたのが、新潟県出身の小林幸子の曲で、曲名は覚えていませんが、「雪椿」というような歌詞のある曲のことも、その赤い花を見て思い出しました。

[link:] 雪椿 小林幸子 - YouTube <https://www.youtube.com/watch?v=A_7hpv6_g6U>

 調べると、曲名がそのまま「雪椿」だったようです。たぶん花は同じではないかと思うのですが、子供の頃は「寒椿」と聞いていたような気もしますが、宇出津の町では長い間、見かけることもなかったような気もしました。

[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2016-12-31_150523_辺田の浜・海蔵院末観音堂.jpg <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono2016-12-31150523jpg.html>

 何枚か写真をアップロードしました。上記は写真を含むツイートのまとめ記事です。

 前にどこかで書いたことがあると思いますが、だいたいこの辺りの場所に、お堂のような古い建物があることは小さい頃の記憶にあったのです。年に数回ぐらいは決まって思い出すことがあったのですが、同じ場所を探してみようと考えることはありませんでした。

 川の近くにトタンの小屋があって、その奥に細い道があり、一度だけその道を上まで登ったのですが、登った山の上に小さなお堂のような建物があったのです。しかし、改めて思い返しても、現在同じ場所にある建物とは思えず、夢の中の風景と記憶が混同しているのかと考えることもあります。

 以前、神奈川県に移った本山と輪島市門前町の總持寺祖院について調べていると、總持寺祖院の近くに高尾山という山があることを知り、そこに夢の中で見たのと似たお堂のような建物の写真を見つけたことがありました。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2017年12月05日 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/date-171205/allasc>


三三番石仏が終わって広場に出て、正面にお堂らしくないお堂がある。中は良く見えない。高尾山立持寺が寺名らしい。「能登国33番観音霊場の28番立持寺」と書いてある。10.20分。

[source:] /引用元:/ 峨山 <http://www.geocities.jp/suzumenokai1114/152satoyama-gazan.html>


 上記の引用部分にある写真だったと思います。この写真ほど広い場所ではなく、よく見ると建物も白い壁のようになっていますので、夢の中の建物とは違うような気もしましたが、最初に見た時は似ているような気がしました。日本昔ばなしに出てくる古い寺のようなお堂が記憶に残っています。

 高尾山といえば、東京都八王子市が有名ですが、私が初めて知ったのはPC遠隔操作事件の報道でUSBメモリーが埋められた場所として報道を見たことです。しかし、当時は横浜市内に近い神奈川県内か隣接した東京都とばかり思い込んでいました。場所を調べようという気持ちは起こりませんでした。

 高尾山が八王子市だと知ったのは、昨年の10月か11月の座間9遺体遺棄事件がきっかけでした。警視庁高尾警察署というのが出てきて、神奈川県座間市の事件だというので気になり、調べたところ、八王子市内に高尾警察署があることと高尾山があることを知ったのです。

 高尾山のことは、八王子市の地名の由来薬王院のことでも調べていたように思うのですが、八王子市だとはっきり知ったのはその時だったと思います。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)が八王子市の大学院に教授として通っていたことも、調べる動機となりました。

 素戔嗚尊や牛頭天王の共通点として八人の子どもがいて八王子と呼ばれたという情報をネットで見かけたのですが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の法律事務所の住所が、京都市の八坂神社の近くであることも同じ頃に、気がついた発見でした。

 それより前になると思いますが、高尾と聞くと、仙台高尾を思い浮かべることの方が多かったと思います。2016年の4月、ちょうど今頃なので2年前になりますが、一年目の祭礼委員をしている時、強風で曳き山が倒れ怪我人の出る事故があって、その白山神社の曳き山の人形が仙台高尾だったのです。

[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: \非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono\2016-04-17_121934_石川県鳳珠郡能登町宇出津曳き山祭り.jpg <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono2016-04-17121934jpg.html>

 Twitterに写真を投稿しツイートのまとめ記事を作成しました。夜中の2時から朝山があるのですが、まともに見たのはこの時が初めてで、魚市場の近くまで行ってから白山神社の近くまで戻るというルートも、この時初めて知りました。

 深夜にも大音量のスピーカーで木遣り唄を流すというのが朝山の特徴でしたが、次の2017年は暗い時間、マイクの音を消していました。今年はまだわかりませんが、それも時代の移り変わりなのかもしれません。当日は、町から避難する年寄りや病人も少なくないと聞きました。

 私が小中学生の頃は、4基の曳き山が出ていたのですが、現在は2基です。以前は一部の町内として出ていた曳き山も、いったん中止になったあと、酒垂神社と白山神社の氏子のお祭りとして再開したと聞きました。

 普段、町で見かけることの少ない小学生ぐらいの子どもも多く、たぶん他の地区から招かれた子どもが多いのではと思いますが、女の子の数の方が多いような気もしました。曖昧な記憶ですが私が子供の頃は曳き山にのる女の子の姿はなかったように思います。

 子どもに事故がなかったのがなによりと思いましたが、誰一人、強風で曳き山が横転するとは想像にもしていなかったようです。春は南風が強い日が多く、南風は宇出津の港の中に吹き込む風なので、その影響がもろに出たのだと思いますが、ベテランの漁師も経験のないような風が吹いたとのことです。

 翌年になりますが、昨年つまり2017年の3月10日には能登高校の女子高校生の殺害事件があり、2件の行方不明と、遠島山公園での1件の死亡者がありました。行方不明の1件は、遠島山公園を最後の足取りとし、もう一件は宇出津新港でサザエ採りをしているときに流されたようです。

 1月の終わりか2月の初めにも小木港で、釣り人の転落不明の事故があって、失踪を偽装したのではという疑いの声もあったようですが、新潟県の糸魚川市能町の底引き網に遺体が引き上げられたという小さいニュースがありました。2ヶ月ほどあとであったように思います。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2017/04/24 23:22%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/856513591402430464>
{% tweet 856513591402430464 %}
糸魚川市能生沖に身元不明の男性遺体 | 上越妙高タウン情報 https://t.co/LkjjZzncTo


 Twilogで探し出しました。リンクの記事は残っていましたが、能登で行方不明者があったことは記事にありません。地元でも気が付きにくいような小さな報道でした。

 時刻は4月20日6時57分。一時間ほど前、6時前に目が覚めていました。

 今年も1月の中頃に、宇出津新港で能登高校の男子学生が行方不明になるという問題があり、思い出しましたが1月17日のことでした。ナマコ漁の船に遺体が引き上げられたのが2月4日となっていたと思いますが、その報道があったのは3,4日後だったと思います。 

 新聞の小さい記事でしたが、その1,2日前に地元で遺体が見つかったという話は聞いていました。気になったのは、新聞の記事が漁業関係者の話となっていたことです。

 確認すると2月7日の北陸中日新聞朝刊でした。「漁業関係者の取材で分かった」と書いてありました。警察がプライバシーを重視している感じだったので、このまま身元確認の公表もされないのかと考えていました。

 なにか作業で一段落した状況の時、宇出津新港に買い物に行ったのですが、久しぶりに会えば話をする人と公園の前の道路で出会い、宇出津新港の遺体の話を聞いたところ、数日前にテレビでDNAの確認が出来たと報道されていたという話を聞きました。

 家に戻ってからネットで調べると確かに情報が出ていました。宇出津新港で出会った人に聞いた話では実名は出ていなかったということだったのですが、実名が出ていたので、少し不思議に思っていました。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「ナマコ」の検索結果 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%B3&ao=a>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2016/03/18 21:09%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/710800356100349952>
{% tweet 710800356100349952 %}
弁護士 村松 謙さんはTwitterを使っています: “とくダネ!、ナマコ漁やってる。二億円だって。イノシシどころじゃねぇぞ!!弁護士の新しい職域!!” https://t.co/23H1o6Lx7m


* ツイート%kmuramatsu(村松 謙)%2016/03/18 08:40%<https://twitter.com/kmuramatsu/status/710611895917498372>
{% tweet 710611895917498372 %}
とくダネ!、ナマコ漁やってる。二億円だって。イノシシどころじゃねぇぞ!!弁護士の新しい職域!!


 ぜんぜん記憶になかった村松謙弁護士のツイートが見つかりましたが、そういえばひと頃、弁護士の生活の窮状としてイノシシ狩りのことが話題になっていました。発端は岐阜県の弁護士がシンポジウムで発言したことになっていたように思います。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/02/22 21:29%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/966651225717456898>
{% tweet 966651225717456898 %}
この撮影の後、宇出津新港釣り公園でポケモン(スポット3、ジム1)。それからどんたく宇出津店に買い物に向かうときに、知り合いにあって不明の男子高校生の身元が判明したテレビニュースを見たと聞いた。不明の高校生もポケモンに行くと友達と別れた報道。高校生の姿をスポットで見たことはない。


[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2018年02月22日 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/date-180222>

 2月22日のツイートとして発見しました。当日のツイートをみていると、気になるものが幾つかあります。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/02/22 22:13%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/966662277771309057>
{% tweet 966662277771309057 %}
大杉漣さんの自殺疑惑、調べることになったきっかけはローカスこと三浦義隆弁護士のタイムラインでのツイートだった。何故かそのまま出所を刑裁サイ太だと勘違いしていた。早めに気がつく発見があって良かった。


 直前のリツイートが7件全て「公開拒否」と表示されていたので気になっていたのですが、三浦義隆弁護士のツイートのリツイートだとすれば納得です。Twilogで公開拒否を見たのも三浦義隆弁護士のアカウントだけでした。

* ツイート%lawkus(ystk)%2018/02/22 14:29%<https://twitter.com/lawkus/status/966545514706513925>
{% tweet 966545514706513925 %}
大杉漣さんは病死だったようだが、急性心不全と聞いて(察し)みたいな反応してる人が散見された。それでふと思ったのだが、「マスゴミは自死報道に関するWHOのガイドラインを全然尊重しない!」との批判あるけど、尊重したケースがあっても可視… https://t.co/9FzKsWeaIm


 大杉漣さんの病死のこともほぼほぼ忘れていましたが、2月の20日頃のことであったようです。死亡する前日か前々日に死亡することを予告するような投稿があったということで話題になっていましたが、2,3日のことで、その後、続報も見ていないように思います。

[link:] 大杉漣さんの急死を予言していた!? 1週間前に「Yahoo!知恵袋」に投稿された“不吉な質問”の真相究明 <http://tocana.jp/2018/02/post_16084_entry.html>

 内容の確認も必要なので調べたのですが、以前見た内容とは違った印象の記事です。前日や前々日というのも私の思い違いで、一週間前が正しいようです。

 大杉漣さんといえば演技の巧みな俳優として高い評価を受けていましたが、私が初めに意識したのは、そのような評価とは関わりなくたまたま見た2時間ドラマでした。主役は町医者の泉ピン子で、舞台は静岡県の漁港。大杉漣さんの役どころは、孤独で頑固者の漁師でした。


浜田克利
演 - 大杉漣
漁師。不漁、持ち船「栄進丸」の不調、脳溢血による妻の急逝と不幸が重なり、孤独感から気持ちが薄れて愛想が悪くなり仲間や息子の栄太も寄り付かない存在に。妻が倒れた際、救急受け入れを拒否され病院をたらい回しにされて亡くなったことで、病院に不信感を持っている。栄太に苦労させたくないと漁師を自分の代で終えようとしたが、急転して継がそうと決意するも本人の目の前で倒れて、胃がんと判明する。自分の不甲斐無さに罰が当たったと嘆くも、花世に諭される。手術は難航するも成功し、できるだけ長く生きようと決意する。

[source:] /引用元:/ おふくろ先生の診療日記 - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%A8%BA%E7%99%82%E6%97%A5%E8%A8%98>


 少し手こずったのですが、シリーズの第4作として情報を見つけました。放送日が2012年3月12日で、「人はひとりじゃない!伊豆・稲取編」がサブタイトルのようです。思ったよりずいぶん前のことでした。夜に見たドラマだったので、あれですが、田舎なので再放送の可能性もありそうです。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2012年03月12日 - Twilog <http://twilog.org/hirono_hideki/date-120312/asc>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/03/12 22:21%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/179195392351678465>
{% tweet 179195392351678465 %}
月曜ゴールデン「おふくろ先生の診療日記4~人はひとりじゃない!伊豆・稲取編~」 2012年3月12日(月)  21時00分~22時54分 http://t.co/jrw58QLc みています。


 放送日に違いはなかったと確認しました。こういう確認がやりやすいのもTwilogの恩恵です。金沢地方検察庁の田中という担当者の会話を録音したものをYouTubeにアップロードしたというツイートもありますが、田中という人のこともよく思い出せなくなっています。

 一番記憶に残っている金沢地方検察庁の担当事務官はミヤさんですが、あの人だけは3年度連続ではなかったかと思います。時期的に田中という人は、ミヤさんの前任という可能性もありそうです。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/03/12 17:37%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/179123984233807872>
{% tweet 179123984233807872 %}
金沢地方検察庁_20120312.wmv - YouTube http://t.co/EfzaUFQM この度、モトケンこと矢部善朗(京都弁護士会)@motoken_tw にブロックされたことにより、本気で的を絞って弁護士の責任を追及することにしました。刑事責任も視野にいれて。


 そのまますっ飛ばそうかとも考えたのですが、リンクのYouTube動画を視聴。動画と言っても音声のみの静止画です。田中さんのことは声を聞いてすぐに思い出しました。前に同じような音声動画を視聴したときも同じ声の人物であったのですが、的確な対応をしてくれていたように感じていました。

 再スタートに相応しい資料の発見です。弁護士の責任追及を真剣に考え始めた時期だと確認しましたが、2012年3月12日というのは考えていたよりかなり前のことです。前年の3月11日は東日本大震災の当日ですが、金沢地方裁判所に再審請求の話をしていたときに、大津波の発生がありました。

 正確にいうと、金沢地方裁判所から折り返しの電話を待っている時間に、たしか14時26分という大地震の発生と直後の大津波があったと記憶しています。

 時刻は4月26日11時15分です。Twitterでは次のツイートからの再開になりますが、中断中に作成したスクリプトでのブログ記事からの引用になります。

21件目 ツイート: kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中) 日時: 2018-04-20 08:45 URL: <https://twitter.com/kk_hirono/status/987115041877979136>
{% tweet 987115041877979136 %}
正確にいうと、金沢地方裁判所から折り返しの電話を待っている時間に、たしか14時26分という大地震の発生と直後の大津波があったと記憶しています。


[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: #告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中 @kk_hirono#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年04月26日11時13分 <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/kkhirono201804261113.html>

 スクリプトによるブログ記事については、いくつかパターンの異なるものもあるので、いずれまとまったご説明の必要はあるかと考えています。

 引用した部分のツイートは、<http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/kkhirono201804261113.html#p21> というページ内リンクのURLになります。HTMLのID属性を使った昔からあるページ内リンクのジャンプですが、pに番号を付けただけの単純なものとしています。

 ブラウザのURL欄で直接URLを編集しページを開くということを理解する人は少ないように思われますが、わかる人にはわかる単純なやり方なので、是非参考に活用していただければと思います。なお、ページタイトルの部分はJavaScriptで取得し表示させているものです。

 書きたいこと書いておきたいことが多すぎたのも中断の大きな理由ですが、とにかくこの小項目のタイトルにある内容を書いておきたいと思います。その残りの部分が「宇出津の天徳寺」になるのですが、中断中に撮影した写真があるので、それをご紹介したいと思います。

[link:] 奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中: #非常上告-最高検察庁御中_ツイッター @s_hirono#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年04月26日11時02分 <http://hirono2014sk.blogspot.jp/2018/04/shirono201804261102.html#p199>

2018-04-24 12:26から199件:最新2018-04-26 11:00という範囲(1日22時間34分)の取得

 上記の部分はツイートの取得件数と取得の時間範囲ですが、自作のプログラムで試行錯誤を繰り返したので正確性にやや自信の持てないところもあります。4月24日12時26分から4月26日11時0分までとなっていますが、これはあくまでツイートの投稿日時で、撮影日とは異なります。

 予定はしていなかったのですが、気候が良かったこともあり、その場の気分で酒垂神社の曳き山まで見に行き、その場の思いつきで天徳寺にいってスマホで写真を撮影したものです。バイクは能登町役場前の駐車場にとめていました。

158件目 ツイート: s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時: 2018-04-24 12:38 URL: <https://twitter.com/s_hirono/status/988623256042196992>
{% tweet 988623256042196992 %}
2018-04-21_192001_宇出津・天徳寺・曳き山祭りの夜.jpg https://t.co/DOUxr1yhr4


153件目 ツイート: s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時: 2018-04-24 12:39 URL: <https://twitter.com/s_hirono/status/988623474775113728>
{% tweet 988623474775113728 %}
2018-04-21_192730_宇出津・天徳寺・曳き山祭りの夜.jpg https://t.co/gqcL1Z7Kge


 上記の153件目から158件目までが天徳寺での撮影になりますが、後の時間に撮影したものが初めに並んでいるようです。この画像付きツイートの本文は、そのままファイル名を使ったものですし、そのことを示すためにjpgという拡張子も残しています。

 ファイル名の冒頭の接頭辞の部分は年月日時分ですが、写真ファイルのExif情報から取得した撮影日時を使っています。デジカメではなくスマホでの撮影なので時刻に狂いがある可能性はほぼないものと考えています。

 ファイル名は自作のスクリプトで変換していますが、時刻の部分は次の処理を行っています。


date=`jhead $f |sed -n -e 's/^Date\/Time    : \(....\):\(..\):\(..\) \(..\):\(..\):\(..\)/\1-\2-\3_\4\5\6/p'`

 時刻の書式変換を行っています。ここで押さえておきたいポイントは、jpgファイルに含まれるExif情報から撮影日時を取得し、プログラムで処理をしているので、タイピングでの時刻の打ち間違えの可能性はないということです。

 時刻は5月1日14時23分です。また数日間中断をしていましたが、パソコンでの作業環境を安定させるためUbuntuの新規インストールをやっていました。今回は大きな変更点があったので、数々の修正に追われ難儀をしましたが、ようやく以前とほぼ同じ作業環境を構築することが出来ました。

 さきほども1点、スクリプトの修正を行い実行可能の状態にしましたが、まだ少し取りこぼしが残っているかもしれません。よく使うスクリプトはほぼほぼ修正を済ませ以前と同じように使えていますが、主にデータベース関係で大幅は修正を迫られることになりました。

 いよいよ本格稼働の準備が整ったところですが、この小項目における宇出津の天徳寺のご説明を済ませて次に移りたいと思います。

 時期がはっきり思い出せないのですが、京都市に住む母親の妹、次女のおばさんに5千円を受取り頼みごとをされたのです。その頼みごとというのが宇出津の天徳寺に行くことでした。私の祖父母だと思いますが寺にあずけている何かを京都に移すか移したため天徳寺に行くように言われたのです。

 次女のおばさんから直接5千円札を1枚渡されたということは間違いないと思うのですが、その時の状況というのもはっきり思い出せなくなっています。そもそもなぜ天徳寺なのかという疑問がありました。

 宇出津の魚市場の近くに天徳寺という寺があって、そのあたりが天徳町という町内ということは子供の頃から知っていましたが、小路の入り組んだ場所で、その近くに行くことはほとんどありませんでした。宇出津の中でも最も小さいぐらいの町内だと思います。

 宇出津は40ほどの町内に分かれていますが、小さい町内は戸数が16ぐらいと聞いています。具体的には天徳寺の他に中島町、川原町が範囲が狭く小さい町内です。この町名というのは地図や住所にはないものです。住所としてあるのは宇出津、宇出津新、宇出津山分、崎山、宇出津新港かと思います。

 酒垂も小さい町内ですが、同じ祭礼委員をやっていたその町内の人に聞いた話では、町内に小中学生は一人もいないということでした。

 あばれ祭りも各町内が出すキリコのお祭りですが、2年目の祭礼委員だった昨年のあばれ祭りは36町内のキリコで、町内ごとに並び順の番号が決められます。キリコを出さない町内が天徳町、大竹町、城野町でした。もう一つあったような気もしますが、思い出せなくなっています。

 宇出津の町の全体的な傾向でもありますが、数年前から古い家の取り壊し、更地化が進んでいます。何か法律が変わって維持する負担が大きくなったのが原因と聞きましたが、随分更地が増えて、その分町の中の見通しが良くなったということもあります。天徳寺の周辺もそのような更地が増えていました。

 今は、魚市場の近くの本通りから天徳寺の建物の一部が目に入りますが、それもここ2,3年ぐらいの間に気がついたことのように思います。次女のおばさんに天徳寺の話を聞いたときも、正確な場所と建物が頭に思い浮かびませんでした。

 覚照寺は魚市場の側の本通り沿いで目立つ場所にありますが、そのすぐ近くということと天徳町の大体の場所はわかっていました。具体的に言うと覚照寺と大藏町の間ということです。

 覚照寺の方は、目立つ場所にあるというだけではなく、私の父親のお墓の寺だと子供の頃から聞いていましたし、平成21年8月31日に母親が脳出血で入院するまでは、毎月、21日か23日だったと思いますが、若い長髪の坊さんが言えに来て、仏壇にお経をあげに来ていました。

 決まった日にちはわからないですが、白山神社の神主も月に一度ぐらいの頻度で家に来て、神棚に祝詞をあげていました。どちらも母親が家にいなくなってから訪れることはなくなりました。

 母親が脳出血を起こしたのは、繰り返しますが平成21年(2009年)8月31日のことです。月曜日の早朝でしたが、前の晩の日曜日に自民党から民主党への政権交代となる総選挙がありました。

 同乗した救急車は、特に説明することもなく十八束から珠洲方面に向かい、珠洲総合病院に入院することになりました。

 母親は男2人、女3人の5人兄弟で9月の11日ではなかったかと思いますが、珠洲総合病院に集まりました。今、過去のカレンダーを表示するcalコマンドを実行すると9月12日が土曜日なので、集まったのはこの12日だったのかもしれません。

 親族会議というかたちになるのかと思いますが、今後のことを話し合うため、私もその夜はラブロ恋路に宿泊をしました。夫婦連れは次女のおばさんと三女のおばさんでしたが、この三女のおばさんだけは、その夜、同窓会ということで、九十九湾の百楽荘に宿泊し、翌朝、夫の人の車で迎えて行きました。

 天徳寺の用事を頼まれ5千円を渡されたのも、このとき以外はあり得ないと思います。すでにその時、次女のおばさんは体に無理をして珠洲まで来たと話していたように思います。同じ京都市内の長男のおじさんの方が、特に体調の不安を口にすることもなく元気そうに見えていました。

 はっきりした時期は思い出すことができなくなっているのですが、それから半年から1年ぐらいではなかったかと思います。長男のおじさんが難病を患い入院し、寝たきりの状態の上、食事もとれなくなり、体に管を通して生命が維持されているという話を聞きました。

 その頃は、京都の次女のおばさんからも愛知県の三女のおばさんからも、ちょこちょこと家に電話がありました。三女のおばさんの方は、メールや形態への電話もありましたが、京都のおばさんは家の固定電話だけでした。

 長男のおじさんの病気の具体的な話を聞いたのは京都の次女のおばさんからだったと思います。はじめに話を聞いてから半年から一年ほどのことだったように思いますが、電話で京都の長男のおじさんが亡くなったという話を聞きました。

 それから半年ほどあとだったように思いますが、宇出津の私の家に、京都の次女のおばさんが来ました。その時は、京都の長男のおじさんの奥さんも同行していて、私に遺影を見せてくれました。その人と会ったのも小学生の低学年の頃以来だったように思います。

 声が大きく勢いのある京都弁が特徴で、私の母は苦手としてい感じでしたが、そのおばさんが亡くなったおじさんが私のことを気にかけ強く案じていたという訴えをしていたのが印象的でした。その直後だったと思いますが、私は行かなかったとだけ説明し、天徳寺の5千円を次女のおばさんに返したのです。

 もう一つ、京都の親戚との記憶に残る場面があります。旧柳田村上町の母親の病院で京都の次女夫妻と会ったことです。この次女夫妻には、子供の頃、毎年夏に京都から来て、珠洲や輪島のあちこちに車で連れて行ってもらっていました。

 私の母親が同行したことは一度もなかったのですが、それは母親の車酔いがひどかったからで、タクシーで基本料金の区間の走行でもやっとという感じでした。それが被告発人大網健二らと一緒に福井刑務所に迎えに来たときは、福井市から羽咋市まで平気で車に乗っていたので驚きました。

 愛知県の三女のおばさんも同じ病室に来ていたのだと思いますが、実際は次女のおばさんの姿もはっきりした記憶には残っておらず、おじさんが就職には車も必要だろうという話をして西金沢に知り合いか友人が自動車工場をやっていると話していたことです。

 具体的な会社の名前も言っていましたが、ネットで調べるようなこともせず、すぐに忘れてしまいました。もしかすると天徳寺の頼みごとをされたのは、その時だったのかもしれないのですが、病室で5千円を預かったという記憶はないのです。

 もう5年ぐらい経っているように思うのですが、愛知県の三女のおばさんの電話で、京都の次女のおばさんが入院しかなり重い病状だと聞きました。それからまた半年か1年ほどして、退院して家に戻ったが無理は出来ないという話を同じ三女のおばさんの電話で聞きました。

 退院をして家に戻ったものの会話をするのも困難な状態という話に聞こえたように憶えています。呼吸器系の病気と聞いたようにも思うのですがほとんど思い出せなくなっています。こういうことも記録の必要性を痛感するとともに、現在の私のスタイルに影響を及ぼしました。

 一つ日付を含めはっきりしていることは、2012年8月13日の電話のことです。長い間何故か8月12日と勘違いをしていました。2012年という年のことも確信が持ていなかったので、次のキーワードでTwilogで調べました。

[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「遊覧船」の検索結果 - Twilog <https://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E9%81%8A%E8%A6%A7%E8%88%B9&ao=a>

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2012/08/13 15:28%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/234899316370714624>
{% tweet 234899316370714624 %}
およそ22年ぶりぐらいに九十九湾の遊覧船に乗って来ました。1500円でした。... http://t.co/ZvP5PGU1


 朝の早め時間だったと思いますが、珠洲警察署に電話をかけ、電話を切って向かおうと玄関を出る直前のタイミングで電話が掛かり、出ると京都の次女のおばさんだったのですが、夜以外に電話があったのもその時だけだったように思います。

 なんの用事で電話があったのかも憶えていないのですが、ずっと前から気になっていた事実をその時、京都の次女のおばさんに確認したのです。これが大きな転機ともなったのですが、宇出津の天徳寺の話からは外れるので、別の機会に書いておきたいと思います。

 退院したと聞いてからも京都の次女のおばさんから電話があったことはなく、愛知の三女のおばさんからも次女のおばさんの話は聞いていません。三女のおばさんからも半年以上連絡はありません。あるいは、昨年の8月にお盆で帰省したとき、母親の病院に行ったという連絡かもしれません。

 帰省と言っても愛知の三女のおばさんの実家が宇出津にあるというわけではなく、旦那が宇出津の田町の人で家の墓参りにも来ているという話をしていました。田町の家は随分前から残っていないと思いますし、その家族がどこに移り住んだという話も聞いていません。宇出津ではその家だけ知る苗字でした。

 田町というのも正確には宇出津の町内名ではなく、立町と横町のことを田町と呼ぶと聞いてきましたが、宇出津小学校の近くには田町というバス停も存在しています。山の上のほうが上田町(かみたまち)で、そのあたりのトンネルの先が、藤波の辺田の浜になります。

 2年か3年前になると思いますが、夜、愛知の三女のおばさんから電話があったとき、このときもずっと前から気になっていた質問をしました。次女のおばさんのときとは違い事件とは無関係のことですが、私には祖父にあたる母親の兄弟の父母の亡くなった時期のことです。

 年を重ねるほどに疑問が大きくなったのですが、祖父の話やエピーソードというのは全くに近く聞いたことがなかったのです。小島伝次郎という名前は何かに書いた文字としてちょくちょく見かける機会がありました。

 祖父母の記憶というのは私に全く記憶にないのですが、写真まで残されていません。昭和の初め頃の古い写真が二枚残っていますが、一枚は京都の嵐山ではないかと思われる風景の集合写真で、まだ0歳ぐらいの抱かれた子供が、昭和4年1月19日生まれの母親の可能性がありそうだとは考えています。

 もう一枚の古い写真は、二人の着物姿の女性の撮影で、写真館で撮影されたと思われるものです。どちらかが祖母の可能性がありそうに思うのですが、確認したことはないので確かなことはわかりません。いずれも私が物心ついたころから家にある写真です。

 私の父親の写真というのは随分な数残されているのですが、母親の父母は葬式の遺影のようなものも残されていはいません。魂を抜かれるという迷信を信じて写真の撮影を嫌がる人が少なくなかったという話は、私が子供の頃の昭和40年代にも聞いてはいました。

 祖父母は私が生まれる前に死んでいるものとばかり思っていたのですが、愛知の三女のおばさんの話では、私の父親と一緒になって私の誕生をたいへん喜んでいたということでした。先日、家の鴨居にある小島伝次郎の表彰状に昭和42年4月9にという日付があることに初めて気が付きました。

 私の父親が亡くなったのも昭和42年か43年の4月でした。小さい頃は母親が人によく、この子が3歳のときになくなったと話していたことを憶えています。数え年というのもあるので、はっきりしませんが、私は昭和39年11月26日の生まれです。

 福井刑務所に郵送で差し入れのあった裁判の資料には、私の戸籍謄本もあって父親の戸籍の記載もありました。被害者安藤文さんの戸籍謄本も同じようにありましたが、どちらもずっと目にしておらず、見たときも余り関心はありませんでした。

 宇出津の天徳寺は、私にとって縁もゆかりもなかったお寺です。5千円が5万円ならば、京都の次女のおばさんの言いつけに従いすぐに出向いていたと思いますが、唐突な話で理解も出来ず、行動に移して行こうと考えたことは一度もありませんでした。しかし、今となっては気になるところです。

 宇出津新港でばたりと出会った人に、ナマコ漁で引き上げられた遺体が行方不明の能登高校と確認されたというニュースの話を聞いたと書きましたが、それからしばらくして、今度はその人が突然死で亡くなったという話を聞きました。戸が少し開いていたので、発見が早かったとも聞きました。

 宇出津新港の関係で昨年(2017年)3月10日から4人がなくなったことになります。最初の3月10日が能登高校の女子高生の殺人事件でした。直後に被疑者も自殺をしたという被疑者死亡の書類送検ですが、実態は解明されがたい迷宮入りのような事件でした。

 一人は夏にサザエ採りをしていて密漁になるとも聞きましたが遺体は見つからず行方不明のままだと思います。同じ期間になると思いますが、遠島山公園でも2人が亡くなっているようです。一人は最後の足取りの靴が残されていたということですが、行方不明のままのようです。

 偶然にしても、狭く小さい町で立て続けに、気になることが起こると、それなりに考え込まされることがあり、それがたびたびの中断の一因にもなっていました。

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