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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年5月21日月曜日

# 2018年5月18日放送「金曜ロードSHOW 高畑勲監督 かぐや姫の物語」を視聴して感じ、本件告訴事件について考えたこと #

# 2018年5月18日放送「金曜ロードSHOW 高畑勲監督 かぐや姫の物語」を視聴して感じ、本件告訴事件について考えたこと #

* ツイート%kinro_ntv(スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式)%2018/05/16 09:42%<https://twitter.com/kinro_ntv/status/996551457951268864>
> 自分の人生に悩んでいる方…


 上記のツイートは、小項目の見出しを作るのに、正式な番組名を探していてTwitter検索から見つけたものです。別の作品の番宣で近年知ったように思うのですが、以前は「金曜ロードショー」だったものがいつの間にか変わっていました。

 時刻は、9時32分です。一行書いて中断していましたが、また、書いておきたいことが2つ増えました。

 昔、水曜ロードショーという映画の番組があって、洋画が多かったような印象も残っているのですが、いつの間にかなくなっていました。昭和の時代から続いた長寿番組だったと思います。金曜ロードショーもやや後発だったような気もするのですが、似たような番組でした。

 水曜ロードショーの方は、水野という人が司会者で番組の終わりに、映画って本当にいいですね、と締めくくるのがお決まりとなっていました。印象に強く残っているのはレンタルビデオが始まる前の時代です。

 金沢市でレンタルビデオ店が始まったのは、ちょうど私が金沢市場輸送で4トン車の長距離トラックの仕事をはじめた昭和59年のことであったと記憶にあります。当初、金沢でも2店舗ぐらいでしたが、それこそ雨後の筍という言葉のように増えていきました。

 1泊2日ではなかったと思いますが、一本借りるのに1500円でした。当時でも映画館で上映をみるのと大差はなかったと思います。

 昭和61年頃には、ビデオの機器を買い、レンタルビデオにも足を運ぶようになったのですが、機器を買った店が金沢市保古一丁目の「ぼんくら」という喫茶店の隣ぐらいの同じ並びにある家電店で、機器を買った客にビデオの無料の貸出もしていたように思います。

 住んでいた東力2丁目のアパートから、歩いても5分もかからない近い場所でしたが、そんな場所でも歩いていくという発想はなかったです。Googleマップで調べたところ、「珈琲亭ぼんくら」となっていました。割りと大きな喫茶店でしたが、何度も入ったことはなかったです。

 その喫茶店ぼんくら、のすぐ近い通りから少し入ったところにあるアパートに、宇出津の城野町に住んでいたAKさん夫妻が住んでいて、何度か遊びに行くこともあったのですが、いつも車でした。

 最初に、レンタルビデオを1本1500円で借りた時は、それを宇出津に持っていって、城野町のAKさんのお宅で、視聴したことをよく憶えています。この城野町に住んでいたAkさんは、OSNとも被告発人大網健二とも被告訴人安田敏とも共通の友人でした。

 当時、城野町に住んでいたAKさんは、川元急送という金沢市内の運送会社で市内配達の仕事をしていました。川元急送も中央卸売市場に出入りする運送会社でしたが、ニュー三久というスーパーの配達の仕事を中心にやっていました。

 私も昭和62年の8月から11月、金沢市場輸送で市内配達の仕事をしていた頃は、日曜日だけの休日に、広島商店という中央卸売市場の青果の仲買の仕事で、ニュー三久の配達の仕事をしていました。ほとんどがバナナの配達という仕事だったと思います。

 当時、私がいつもの仕事で受け持っていた片町・小立野コースだけでも、ニュー三久の店舗は、本多町、菊川、笠舞、浅野川とあったことを思い出します。小立野の付近にもあったような気がしますが、思い出しません。

 城野町に住んでいたAKさんは、その後、私が福井刑務所に服役していた頃にもなりますが、被告発人大網健二の兄であるOSNの鳶職の会社で、長く働いていたと聞きます。平成9年頃には、やめて型枠大工の仕事をしていると聞いていましたが、どこに住んでいるのかも聞くことがなかったです。

 城野町の家というのは、AKさんの妻の実家でした。私の一つ年上で、OSNとは同級生になります。いつも同じ宇出津の新村浜に家のあるKHさんと二人で行動していました。松波で自殺した蛸島のTSさんの妻だった人です。

 蛸島のTSさんは、被告発人安田敏の水産高校漁業科の同級生で、卒業と同時に、安田敏は金沢中央卸売市場のウロコ水産、TSさんは金沢市場輸送に入社したと聞きました。

 昭和56年の夏ですが、私がOSNと二人でぶらぶらしていたところ、TSさんの車が通りかかり、車に乗せてもらって、当時住んでいた問屋町のガソリンスタンドまで送ってもらったのですが、後になってそのときTSの助手席に乗っていたのが、被告発人安田敏だと知ったように思います。

 私が被告発人安田敏と初めに一緒に遊んだと記憶にあるのは、昭和55年の夏休み、友達の友達になる鵜川の家に数人で遊びに行ったとき、夜中、バイクに乗っていた安田敏らと出会って、しばらく一緒にいたことです。その時は、怖い先輩というイメージもありました。

 鵜川は宇出津と同じ能都町で、宇出津の次に大きな町でした。父親の姉という人の家があって、小学生の低学年の頃は、何度か遊びに行ったのですが、どのあたりに家があったのか、どんな人だったのかも全く思い出せません。ドラマに出てくる顔のない人物のような存在感となっています。

 鵜川の町の中心部に住んでいたことは間違いないと思います。一つだけよく憶えているのは、おばさんの家から少し歩いた文房具店に入ったとき、その時の宇出津小学校の校長先生が出てきたのでとても驚いたのです。自分の学校の生徒だと気づいている様子は感じられませんでした。

 久田という名前の校長先生だったと思いますが、久田という名前は宇出津にもけっこうな数ある名前でした。小学校6年生のときだったと思いますが、鵜川から来ているという女の先生がいて怖い先生という評判もあったのですが、その先生に鵜川の偉人、久田船長の話を聞いたことを印象的に憶えています。

 辺田の浜の家の白黒のテレビで、水曜ロードショーをみていた時代だったと思います。昭和40年代の後半です。西部劇が多かったようにも思いますが、ほとんどが洋画だったように憶えています。もう少しあとの中学生の頃だったかもしれないのですが、印象に残っている日本映画は「羅生門」だけでした。

 羅生門はもともと白黒映画だったように思います。平安時代の京都が舞台であったとも思います。子供なりに評価の高い映画作品であることは見聞きしていたのですが、ストーリーが全く理解できなかった映画として、そのことが最も強く印象に残っています。

 羅生門はいわゆる黒澤作品だったと思います。その後、大きな時代劇の映画が高く評価され、世界の黒澤などと呼ばれるようになりましたが、私は不思議と関心を持たつ作品はレンタルビデオでも一つも見たことがありませんでした。

 どういうわけか、自分でも不思議だったのですが、NHK大河ドラマの「風と雲と虹と」だけは強い関心を持ちました。前にも書いたことがありますが、平将門のドラマです。そういえば、ここ数年は平将門の名前を見ることがないので、今では余り知られていない歴史上の人物なのかもしれません。

 真逆とも思えるのが、真田丸の大河ドラマで有名になった真田幸村です。真田幸村のことは昭和40年代のNHKの人形劇で名前は知っていましたが、それも猿飛佐助や霧隠才蔵といった部下の方が主役であったように思います。人形劇のタイトル名が浮かんできませんが、真田十勇士の物語かと思います。

 猿飛佐助と霧隠才蔵の名前だけはよく憶えているのですが、役柄のことも記憶にありません。同じ頃に「仮面の忍者赤影」という実写の漫画がテレビ放送されていて、そちらは記憶に焼き付いています。仮面ライダーやウルトラマンが出てくる少し前で、月光仮面に近い時期かと思います。

 同じNHKの人形劇でよく憶えているのは「八犬伝」でした。主題歌が特に印象的で、ずっと憶えていて、ときどき思い出してきます。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」が中心的なテーマになっていたと思います。

 YouTubeで人形劇と主題歌の動画もみてきましたが、そこに怪物のような女が出てきます。ネットで調べるといったん助命を許されたがすぎに処刑された女が、恨みで化けて出てきたような話でした。見た感じ、とんでもない化物のようなのですが、不思議なことに子供の頃の記憶にはないのです。

 真田幸村という人物の話は、その後ほとんど見ることがなく、それが不思議にも思っていました。拘置所や刑務所の官本で日本史の人物の本もいろいろと読みましたが、真田幸村が特に注目の人物として描かれるのは見なかったように思います。

 福井刑務所で服役し、まだ3,4級生だった頃に、大河ドラマが竹中直人が演じる豊臣秀吉だったので、年間を通じて視聴したと思いますが、真田幸村が出てきたという記憶はありません。秀吉の死後に真田幸村が活躍したと考えれば当然なのかもしれないですが、個人的に縁のなかった人物です。

 「真田丸」も面白いと評判でしたが、ほとんど見ていませんでした。歴史の人物を脚色し想像力で物語を作るという手法に共感が出来なかったというのが、まず先にあったように思います。

 昨夜見た「かぐや姫の物語」も、歴史上の「かぐや姫」や「竹取物語」を、脚色しアレンジしたものと聞きますが、もともとが実在する人物ではなさそうなので、意味が違ってくるとも思います。

 「かぐや姫の物語」は、2月のアカデミー賞のノミネートで話題になった年、半年ぐらいあとだったように思いますが、テレビの地上波で放送されたものを視聴しました。今回はノーカット版ということでしたが、どこがカットされていた場面なのか、わかるものはありませんでした。

 たさ、終わりの方で捨丸とドローンの映像のように空中遊泳する場面は、前に見た記憶のないものでした。捨丸の夢なのか、どちらともとれるような場面とも思いました。拘置所の官本の中で読んだ「邯鄲一炊の夢」のことも思い出します。

 金沢刑務所では拘置所も同じで、免業日の午後に2時間の昼寝の時間がありました。「午睡」と一般では馴染みのない言葉で呼ばれていました。昼寝をしなければならない時間ではなかったですが、昼寝をする人がほとんどだったので、静かにしなければいけない時間でした。

 布団をしいて、寝転がって本を読むこともありましたが、昼寝をして夢をみることもありました。刑務官が鳴らす鐘の音で午睡の時間が終了し、それを合図に眠りから目覚めることもありましたが、あれも普通の社会の中の生活だとまずない体験だと思います。

 あとで別に書きたいと思いますが、今朝はテレビがきっかけで、久しぶりに「胡蝶の夢」を思い出しました。壮士の本の中にも出てきたと思います。文庫本で4冊買って全て読みましたが、難解なところが多く、珍しくわかりやすいとも思ったのが「胡蝶の夢」のところです。

 「胡蝶の夢」は、金沢刑務所の拘置所にいるとき、官本として4冊のうち2冊を読んだ憶えがあります。とても面白く読みやすかったのですが、2冊しかなかったので2冊しか読めませんでした。金沢刑務所の拘置所では、通路を移動する本棚で、タイトルだけで借りる本を決めなければなりませんでした。

 中国の歴史の異民族のことをイメージしたのですが、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」は、日本の幕末の医師を主人公とした物語でした。今、久しぶりに思い出して、気がついたのですが、もしかすると和歌山の華岡青洲の妻のことも、その本で読んだのかもしれません。

 華岡青洲の妻のことは、官本で2,3回、読んだと思うのですが、普通に社会で生活しているときに、ネットでもテレビでも名前は見たことがないように思います。以前、ネットで調べたことはありました。「私は忘れない」と同じ作者の作品があることを知ったことも、書いたと思います。

 時刻は、5月21日17時20分です。またまる一日以上中断をしていたかと思います。書いておきたいことが次から次に増えすぎて、考えの整理や取捨選択だけでも大変です。

 小項目の見出しを確認すると、テレビでかぐや姫の物語を視聴したことと、関連付けて告訴事件について考えたことを書く予定でした。感覚が鋭いうちに早めに書いた方がよいのは重々承知なのですが、ありがちなパターンとして後手に回ってしまった感があります。

 まだ一月は経っていないように思いますが、何かのきっかけで「かぐや姫の物語」のことを思い出し、それについて書いた翌日ぐらいに、テレビで高畑勲監督の訃報を知ったということもありました。

 私がずっと前から気にかけてきたことで、思い出しては気に掛け考える時間が長くなっているのも、本件告発事件の被害者である安藤文さんのご両親、安藤健次郎さんと安藤紀世さんのことです。生存の確認すらできない状況で、なんとかならなかったのかという悔恨もあります。

2018年05月21日17時40分の登録: 2018-04-04-100838_高尾城址から振り返る、平成9年から平成11年の被害者安藤文さんの父親安藤健次郎さんとの関係・告発に至る経緯 http://hirono2017kk.blogspot.com/2018/05/2018-04-04-100838911.html

 上記のエントリーは、さきほど投稿したものですが、だいぶん前に中断したままになっていました。タイトルと内容が十分に整合していない未完のものですが、内容より経緯を優先することで、強制的に締めくくり投稿をしました。最後の小項目は次になります。

2018年05月01日17時51分の登録: # 能登町藤波の海蔵院末薬師堂と輪島市門前町の高尾山、宇出津の天徳寺と祖父母の関係、実行しなかった京都の母親の妹からの頼まれごと # http://hirono2017kk.blogspot.com/2018/05/blog-post.html

 すでにご説明済みのことですが、タイトルの冒頭と末尾に#がつくものは、小項目としてEmacsから投稿したものです。Markdownのモードを使って、再利用をするかたちでCAPS+」とキー操作をするだけでブログへの投稿が完了するようにしています。

 時刻は17時54分ですが、今しがたテレビで、住宅にクマが立てこもり麻酔銃で捕獲の後、殺処分されたというニュースがありました。山口県の下松市とのことです。確認していませんが私の長距離トラックの経験では、瀬戸内海の海沿いに近い場所だったように思います。光市の近くとも。

 クマについても金沢の卯辰山と白山市の尾口村の関連でずっと前から書いておきたいことがあります。光市の海沿いと思われる映像も昨夜のバラエティ番組で、京都府の丹後半島に似たような場所を映像として見たように考え、取り上げておきたいと考えていました。

 昨日の日曜日の夕方はテレビで、卯辰山の全国高校相撲大会をみました。大会の結果は石川県の県内ニュースとしてこれまで目にしたことがあったと思いますが、大会の中継を見たのは初めてでした。それも16時30分からの放送だったので、録画したダイジェストの放送なのかと思っていました。

 昨日は、テレビで卯辰山の全国高校相撲大会を見た後も、偶然として割り切れないようなことが2つありました。初めの一つは、これまでにも何度かあったことですが、銭湯のテレビで目にした放送内容でした。

 北朝鮮に関する放送内容でしたが、この問題は、佐々木亮弁護士、北周士弁護士、神原元弁護士らの不当懲戒請求問題、最近は見かけなくなっている従軍慰安婦問題とも同根ではないかと考えることのあったことにつながるものです。

 従軍慰安婦問題は、弁護士らが作り上げた種まきの成果物という側面があるように考えてきたのですが、同じ戦時中の日本軍の問題行動として著名なインパール作戦があります。いずれも間接的な情報以外に確認は無理だと考えるのですが、とんでもない扱いをしているも深澤諭史弁護士が顕著です。

 深澤諭史弁護士の語るインパール作戦は、いわゆる成仏理論と同じく、司法制度改革や弁護士としての社会的待遇への不満あるいは怨嗟として、しきりに取り上げています。

 前に「かぐや姫の物語」を視聴したとき、月から神仏の一団が、かぐや姫を迎えに来て強制的に連れ去っていく場面をみたとき、その人の運命を決定づける大きな力に、法曹の力を見る思いがあり、それが深澤諭史弁護士の世界観に重なって見えるものがありました。

 今回は、ノーカット版という放送を視聴した後、Twitterの検索で感想や反応を見ていたのですが、そのなかに人の死をビジュアルに表現している、というものがあって視野が広がり、違った視点を持ったような気持ちになりました。

 数年前のアカデミー賞のノミネートとで大きな話題となり、「かぐや姫の物語」という長編アニメの存在を知ってすぐの頃だったと思いますが、娘の健やかな成長を願った両親から、自分が平成4年4月1日の傷害・準強姦被告事件で健康な体を奪ってしまったという考えがありました。

 しかし、その事件の本当の原因、事実は石川県警察の捜査で解明されず、本来、安藤文さんを窮地に追い込んだ市場急配センター関係者らの作り上げた外形的な事実で塗り替えられた物語となってしまいました。本来、捜査の不備を指摘する立場の弁護士らが、それを悪用するかたちで判決を確定させました。

 私はもともと、神仏の存在も死後の世界も確認のしようがないという考えなのですが、数百年前、千年前に死んだ人も数日前に死んだ人も余り違いはないのではと漠然と考えるのです。今の私にとって、安藤文さんの両親は生存の確認も出来ない存在ですし、安藤文さんも同じです。

 個人差はあると思いますし、21歳という若い時の受傷の方が回復力も旺盛と考えるのですが、なにかで脳に大きなダメージを受けた人は長生きが出来ないと聞いたことがあり、先日の西城秀樹さんの訃報も考えさせられるところがありました。

 私と安藤文さん家族の関係は、平成11年8月の安藤健次郎さんに対する傷害事件と、平成17年10月の金沢中警察署の山出警部補が介入した出来事で完全に途切れています。

 安藤健次郎さんや石川県警察の本意、本心に関わりなく、その関係を大きく阻害しているのは弁護士だと考えるようになりました。それこそ深澤諭史弁護士が飛びつきそうな御馳走になるのも皮肉な話ですが、それが弁護士妖怪大泥棒神社の物語の顛末であります。

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