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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年5月29日火曜日

# 昭和40年代のオカルト漫画「恐怖新聞」を彷彿とさせる、最近のテレビ報道における弁護士の社会的影響 #

# 昭和40年代のオカルト漫画「恐怖新聞」を彷彿とさせる、最近のテレビ報道における弁護士の社会的影響 #

2018年05月28日10時42分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-23_2333〜2018-05-28_1041/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月28日10時42分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-2323332018-05.html>

 前の小項目で、三輪記子弁護士とセットで取り上げる予定だったローカスこと三浦義隆弁護士のことをほとんど書かないまま締めくくってしまったことに気がついたので、そのタイミングでまとめ記事を作成しておきました。このところタイムラインも開いていません。

 あらためて「恐怖新聞」について調べてみました。


つのだじろうによる恐怖漫画作品。『週刊少年チャンピオン』誌(秋田書店)において、1973年から1975年まで連載(全29話)された。1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まる「恐怖新聞」によってもたらされる、不幸な未来の恐怖を描く。主人公・鬼形礼にまつわる長期的なストーリーと、鬼形が狂言回しとして登場する独立した短編作品からなる。

1970年代のオカルトブームの一端を担い、アニメ、ビデオ、ゲームソフト、映画、パチスロ機、電子ブックからタイピング練習ソフトまで様々なメディアでリメイクされ続けている。

同じ作者の『うしろの百太郎』は霊に関するストーリーだが、本作には霊のみでなく、UFOや悪魔なども取り入れられている。霊に関するストーリーでは、根本的な原因が解決しないまま話が終わることもある。

[source:] /引用元:/ 恐怖新聞 - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E6%80%96%E6%96%B0%E8%81%9E>


 このところ日大の悪質タックル問題がテレビで大きく取り上げられていますが、似たスポーツのラクビーの場面を漫画の恐怖新聞で目にしたような記憶がかすかに残っています。たぶんその影響もあるのだろうと、ちょうど今気がついたところです。

 日大の問題が報道されるようになる少し前、歌手の西城秀樹さんの訃報があって、昭和40年代後半の映像も繰り返し紹介されていました。昭和47年のデビューだったというのも初めて知りましたが、古い記憶の整理のような機会にもなりました。

 その一つに「愛と誠」という映画があって、西城秀樹さんが出演していたことはなんとなく記憶にあったのです。もともと漫画のイメージが強かったのですが、この愛と誠の漫画は単行本として書店に並んでいるのを見たという記憶は思い出せません。

 wikipediaでみたところ、週刊少年マガジンの連載となっていましたが、思っていたよりずいぶん長い連載で、ストーリーなどをみても最終回を含め後半の辺りは、登場人物も筋書きもほとんど記憶にないものでした。

 娯楽が少ない時代でもあったので、小中学生の頃はよく漫画をみていました。なかでも週刊少年マガジンは、いつも行っていた仙人町の「いのひら」という理髪店に揃えてあったので、他の週間漫画よりは欠かさず見る機会が多かったようにも思います。

 「愛と誠」で最も印象的だったのはスキー場での怪我の場面でしたが、座王権太という大男も記憶に残る存在感がありました。長距離トラックの仕事で仙台方面に行くようになってからも、国道286号線で蔵王の近くを通るたびに「愛と誠」の漫画を読んだ小学校低学年の頃を思い出すことがありました。

 映画「愛と誠」のYouTube動画を見ていると、作品紹介のようなものでしたが、「悪の花園」というのが出てきて、古い記憶が少し蘇りました。

 もともと昭和40年代の後半というのは、家の近くの水産高校のグラウンドでラクビー部が練習する様子をみていました。京都の花園ラクビー場の話も聞いていて、石川県の代表で花園大会に出場する常連の羽咋工業高校とは、対戦の度に100体0で負けているという話も聞いていました。

 京都の親戚からも京都の花園高校の話を聞いていたような記憶もあります。母親の兄弟の長男のおじさんの長男が、当時、高校生で、友達数人でバイクで遊びに来たこともありました。ちょうどダウンタウンブギウギバンドが流行している頃で、それに影響を受けた感じでした。


1972年末にサディスティック・ミカ・バンドに対抗した長いバンド名「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を思いついた宇崎竜童が、当時のバンド仲間(アマチュア)にレコーディングの話を持ちかけたところ全員怖気づいて解散状態になる。その後メンバー集めに奔走し、1973年4月に改めてバンドを結成、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと命名する。同年12月に東芝/エキスプレスレーベルからシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。

1974年12月に「スモーキン'ブギ」(70万枚の大ヒット[1])、1975年3月に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を発表。

[source:] /引用元:/ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%AE%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89>


 確認のため調べたのですが、自分の記憶との齟齬が感じられました。スモーキングブギが昭和49年12月、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が昭和50年3月となっています。私は昭和50年4月に宇出津の小棚木に引っ越したはずです。京都の従兄弟がバイクで来たのは夏のはずです。

 昭和50年4月に宇出津の小棚木に引っ越してから京都の従兄弟が遊びに来たという記憶はなく、辺田の浜の家にバイクで来たのはよく憶えている記憶です。

 ダウンタウンブギウギバンドも当時は真新しさが際立っていましたが、ボーカルの宇崎竜童は、昭和50年代なるとテレビで表立つことはなくなり、山口百恵の楽曲の作曲家として存在感が大きくなりました。妻が作詞をしていていたので、それも有名になっていました。

 キャンディーズの方がピンクレディーよりデビューも早かったと思いますが、そのキャンディーズも昭和50年4月より前、辺田の浜に住んでいた頃にはテレビで見たという記憶も残っていません。

 「恐怖新聞」は、週刊少年チャンピオンの連載としても見た記憶が残っていますが、それより単行本として読んだ印象の方が若干強く残っています。千間書店の棚にも並んでいたと思いますし、それを立ち読みしたような記憶も残っています。

 辺田の浜に住んでいた頃も千間書店には行っていたと思いますが、宇出津小学校から自宅とは逆方向でもあったので、行くのは少なかったと思います。

 中学生の頃は、よく千間書店に行っていました。立ち読みをする時間も長かったと思います。能都中学校の通学路ということもありましたが、夕方にふらりと出かけることもありました。

 2009年に羽咋市から宇出津に戻り、2,3年後ぐらいだったと思いますが丸1年程かけて梶川橋の架替え工事がありました。梶川橋の横にあった千間書店は、その工事が始まる前に取り壊して移転していたように思います。道路を挟んでその向かいには同じ梶川沿いに被告発人大網健二の家がありました。

 千間書店で被告発人大網健二と顔を合わせ、そのまま彼の家に遊びに行くこともありました。彼の家の横の梶川沿いは、あばれ祭りで神輿を川に落とす場所でもあります。デジカメなどなかった時代から川沿いには多くのカメラマンが集まっていました。

 小さい頃にも梶川に神輿を落とすのをみていたのですが、母親と一緒にいたという記憶は残っておらず、そのあとの八坂神社の松明の方では、母親と一緒にいたような記憶がかすかに残っているだけです。

 「恐怖新聞」ですが、その後、羽咋市に住んでいるときダイナム羽咋店のパチスロ機で目にすることがありました。設置台数は少なめだったと思いますが、正面の出入り口に近い陽当りの良い場所に台がありました。

 昨年の5月に七尾市でスマホをiphoneに変更したのですが、そのとき一ヶ月間の無料体験で漫画の閲覧アプリのサービスがあって、その無料期間中に、「恐怖新聞」の漫画をみたこともありました。画面がきれいすぎたので多少違和感がありましたが、昔見たストーリーと同じだと思いました。

 「恐怖新聞」も連載の初めの方だけ見たという記憶で、どのような結末として連載が終わったのか記憶にはないのですが、「恐怖新聞」が終わったあとのようなタイミングで見るようになったのが「うしろの百太郎」でした。

 「うしろの百太郎」の方がオカルトブームの火付け役となったように思いますが、自分が見たと記憶にあるのも初期の作品だけで、印象に残っているのは「丑の刻参り」だけです。

 その後、ブームは「大霊界」などに繋がっていったような印象として記憶がありますが、その頃には見向きもしなくなっていたので、内容もしらないのですが、少しは何かで見たような記憶も少しは残っています。Gメン75の印象が強い丹波哲郎が中心になっていました。

 時刻は、29日11時15分です。また色々と考える時間が長くなって中断をしていました。今日は日大前監督とコーチの処分が出されるようです。前監督は最も重い処分、コーチは2番目に重い処分が出るような関係者の情報が出ているようです。

 前々から薄々感じていたことですが、日大のアメフトの問題で、弁護士の影響力の大きさをオカルト的に考えるようになってきました。平安時代は陰陽師という占い師が暗躍したような話も聞いたことがありますが、現代社会における時代絵巻を見るような気持ちでテレビを見ています。

 時刻は11時29分です。2,3日更新が止まっていて気になっていた高島章弁護士(新潟県弁護士会)のタイムラインで、大量の更新があったことを確認しました。現時点で15時間前のツイートに集中がみられますが、最新のツイートでも10時間前となっています。

 ちょうど、久保利弁護士について取り上げておこうかと考えているタイミングでした。タイプに違いがあると思いますが、魔法使いのようなオカルト性を感じるところは両者に共通しています。

 ともあれ、高島章弁護士(新潟県弁護士会)のTwitterが更新されたのは朗報です。何かと勉強になるし参考になる弁護士ですし、資料としても一級品だと考えています。

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