ページ

title

告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年7月27日金曜日

# #司法発見伝、という深澤諭史弁護士作成によるハッシュタグの発見から、出雲大社の場所、島根半島という言葉を知るに至った経緯 #

# #司法発見伝、という深澤諭史弁護士作成によるハッシュタグの発見から、出雲大社の場所、島根半島という言葉を知るに至った経緯 #

2018年07月21日19時00分の登録: # 先日、俳優加藤剛さんの訃報で知った「砂の器」という映画と、同じ松本清張の「日本の黒い霧」という短編集 # http://hirono2017kk.blogspot.com/2018/07/blog-post_86.html>

 内容は上記のエントリーの続きとなります。予定では、続けて四国のお遍路さんについて書く予定でいたのですが、ネットで下調べをしていると、それだけでも思わぬ発見がぞろぞろ出てきて、疲れてしまいました。

 最近は特に、奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)のTwitterで、調べた経緯の足跡のようなものを残すように心掛けています。こちらは告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中(@kk_hirono)への投稿です。

* ツイート%kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)%2018/07/21 18:59%<https://twitter.com/kk_hirono/status/1020609305857282049>
> 次は、そのお遍路について書いておきたいと思います。野球の清原元選手の保釈直後の劇的場面につながります。あれも弁護士、弁護士脳の凄まじさをみせつけられた刑事弁護の歴史的場面でした。


 上記のツイートが、実質、前エントリーの締めくくりの部分で、中断直前の投稿となります。時刻が昨夜の18時59分と確認しました。同じ時間でそれ以降のツイートは、次のツイートのまとめ記事として、射程内に入っているはずです。

2018年07月21日22時18分の登録: #奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語 @hirono_hideki#のツイート/2018-07-20_0028〜2018-07-21_2217/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年07月21日22時18分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/hironohideki2018-07-2000282018-07.html>

2018年07月22日10時28分の登録: #奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語 @hirono_hideki#のツイート/2018-07-20_2218〜2018-07-22_1019/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年07月22日10時28分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/hironohideki2018-07-2022182018-07.html>

 これまでに何度かご説明を書いていますが、ツイートのまとめ記事は、作成した時点から最新のツイートを、199件か198件取得したものになります。ごくまれに197件というものもあったかもしれません。ツイートの数が増えると、それにつれ、取得範囲もずれていきます。

 上記の2つ目のツイートのまとめ記事は、昨夜の22時18分の投稿ツイート以降の取得となっているので、19時から21時台のツイートは含まれないことになります。こういうことが予想されたので、2つ作成しておきました。当然、重複部分もあるはずです。

 これは、自分自身の記憶の喚起や、後々調べ物がしやすいように工夫しました。それでも、特に必要と考えた場合以外は、自分のツイートのまとめは作成していないこともあります。一応このように本文として取り上げることを見込んで、まとめ記事を作成しました。

 エラーが出ていなかったので投稿は問題なく出来ていると思います。パソコンや通信の状態もあるのか、たまにエラーが出ることもありますが、その場合は、投稿をやり直すようにしています。

 昨夜は、正午前にAコープ能都店に買い物に出かけたと思います。どこか忘れましたが、外出先で役場からの12時の音楽が聞こえてきました。最近は「能登町音頭」のメロディになっているはずです。

 数年前から月に1回ぐらいのペースだと思うのですが、音楽が変わっています。家にいると聞こえないことの方が多いのですが、朝の7時、昼の12時、夕方の18時に、それぞれ違った音楽が流れます。

 7月に入ってから、まだ3回ぐらいしか耳にしていないと思うのですが、夕方の音楽は「遠き山に日は落ちて」だと思います。この曲の曲名は、数年前に「Woman」がきっかけで知ったのですが、ずっと前から気になるメロディでした。

 また、他のことと一緒に別の機会に書いておきたいと考えていますが、夕方16時ころ、金沢刑務所の拘置所で聞こえてきたメロディでした。夕方の16時というのは、免業日だと夕食が始まる時間でもありました。拘置所も刑務所の受刑者もそれは同じだったはずです。

 なぜか、受刑中は、その音楽を耳にしたという記憶が残っていないのです。原曲は「蛍の光」と同じスコットランド民謡という情報を見かけたような記憶もあるのですが、あらためて確認はしません。

 ものかなしさや、人生のはかなさを感じさせるような曲調で、現代社会における拘置所・刑務所版の「祇園精舎の鐘の声」のようだと考えることがありましたが、当時は、その祇園精舎の守護神ともいわれる、牛頭天王の知識はなかったと思います。

 最近は見かけないので、以前より知らない人が多いのかと思うところもありますが、おそらく学校の授業で教えているはずかと想像する、平家物語の始まりに、その祇園精舎が出てきます。

 新しい項目を始めて、出だしから別の方向にそれてしまいましたが、やはり見出しというかタイトルは、あとでつけた方がいいのかと考えてしまいます。実質、全て下書きと考えているので、自由にタイトル名は、変更していきたいと前々から考えてきましたが、なかなか実践がともないません。

 昨夜の細かいことは沢山あるので、私自身、ツイートのまとめ記事を見ないとわからないのですが、そんなことをしていると、文章も膨大化してしまい、手間も掛かるので、やや不正確なことが出るかもしれないですが、自分の記憶のままに、あらましを書いておきたいと思います。

 中断後、初めに、野球の清原和博元選手のお遍路について調べ、続けて、菅直人元首相のお遍路さんについて調べました。菅直人元首相のお遍路のニュースは、2012年となっていたように思います。

 どちらのお遍路も、たまたまテレビでみかけたものでした。23時ころからのニュースZEROか、それに似た番組だったと思います。歌舞伎の市川海老蔵と結婚することになった女子アナのインタビューも、似たような感じで、たまたま目にしたような状況の放送でした。

 その後、男女の二人の子どもが出来て、妻が闘病生活を続け亡くなったことは、世間の関心も高くよく知られた事実だと思いますが、その二人の出会いからたまたま見ていたので、人の人生について深く考えさせられるものがあります。

 その後だったと思いますが、深澤諭史弁護士のタイムラインで、タイトルに含めた、#司法発見伝、というハッシュタグが目に付きました。連投となっていましたが、奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)のアカウントだと、該当がないと出ました。

 ブロックされているので「該当なし」となったのだと思いますが、別の状況でハッシュタグのタイムラインを開いても、別のものが見当たらなかったので、深澤諭史弁護士のオリジナル作品だったようです。似たようなものは、これまでにも見かけてきましたが、久しぶりでした。

 まとめ記事を、これから作成しておきたいと思います。「2018年 7月 22日 日曜日 10:55:20 JST」という時間に、リストのテキストデータの最終更新が終わっており、ここからまずデータベースに登録する作業を行い、そのあとに投稿のコマンド実行になります。

2018年07月22日12時18分の登録: REGEXP:”#司法発見伝”/深澤諭史(@fukazawas)の検索(2018-07-21〜2018-07-22/2018年07月22日12時18分の記録9件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexpfukazawas2018-07-212018-07.html>

2018年07月22日12時20分の登録: REGEXP:”#司法発見伝”/データベース登録済みツイート:2018年07月22日12時19分の記録:ユーザ・投稿:3/18件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexp201807221219318.html>

 全体からのまとめ記事は、深澤諭史弁護士本人の元のツイートと、私の引用ツイートで、それ以外のリツイートは1件のみという結果でした。これほど少ないとも予想外でしたが、やはり処理は実行してみないとわかりません。

 #司法発見伝、の「発見伝」という文字の組み合わせは、全く見たことがないものでした。伝は伝説、伝記、伝承にもありますが、駅伝というのもあります。余り関心はないのですが毎年正月に行われる「箱根駅伝」が頭に浮かびます。

 実際、その箱根の山の方の方角にも飛びました。文字を見てまず頭に浮かんだのは「八犬伝」でした。NHKの人形劇は「新八犬伝」となっていたようです。「南総里見八犬伝」という本があって、拘置所で官本を読んだこともあったのですが、正直、理解が出来ませんでした。

 小中学生の時、社会科の歴史は、それだけの得意科目で通知簿も最高点が多かったと思います。小学校の時は5段階の評価でしたが、能都中学校では10段階となっていたように思います。研究者向けのような本ではなかったと思いますが、それでも難しい内容の本でした。

 南総里見八犬伝は、登場人物の多さも物語を難しくしていたのだと思いますが、じっくり丁寧に読み込めば、それだけ面白い作品だったのだとも思います。以前、ネットで調べて、だいたいのあらすじはなぞったように思いますが、それも今はよく覚えていません。

 中学生の頃は、南総里見八犬伝のことを水滸伝に似ていると感じたことも記憶に残っています。当時、横山光輝の三国志の方が人気だったのですが、たぶん同じ作者で、水滸伝の漫画の単行本もあったのですが、千間書店では品揃えが少なく、最初の方しか読めなかったように思います。

水滸伝 (漫画) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E4%BC%9D_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)>

 確認もあるので調べたところ、水滸伝の方は全6巻だったようです。これはずいぶん少ない数と感じました。三国志の方はまだ調べていませんが、千間書店でもかなりの数、棚に揃えて並べられていたような記憶があります。

 よく見ると単行本全8巻、文庫本全6巻とありました。文庫本というのは小説のことではないかと思うのですが、この違いがよくわかりません。日中友好化前の作品とも書いてあります。1967年から1971年の連載ともありますが、私の記憶にあるのは中学生の、昭和50年代前半です。


『三国志』(さんごくし)は、横山光輝による日本の漫画。1971年から1987年まで、潮出版社『希望の友』『少年ワールド』『コミックトム』に連載された。単行本は全60巻(文庫版は全30巻)が潮出版社から発売されている。

[source:] /引用元:/ 三国志 (横山光輝の漫画) - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_(%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%85%89%E8%BC%9D%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BB)>


 三国志の方は、思っていた以上に数が多く、昭和62年まで続いたようです。自分が能都中学校の中学生の頃、千間書店で立ち読みをしていた頃は、まだまだ連載の途中だったということになりますが、単行本以外の連載があったとは全く知りませんでした。

 三国志は、官本でも諸葛孔明を含め、何冊か本を読んだと思いますが、諸葛孔明の最後以外は、結末のわかりづらい物語だったという印象が残っています。諸葛孔明の場合は、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉にもなっていましたが、今ずいぶん久しぶりに思い出しました。

 「新八犬伝」ですが、人形劇よりも主題歌が強く記憶に残るもので、これまでにも何度か、YouTubeで動画の視聴をしてきました。人形劇で物語の筋書きというのは、まったくさっぱり理解が出来なかったと記憶に残っています。

 YouTubeの動画では、大きな髪型の化物か妖怪のような女が出てくるのですが、不思議とそれも全く記憶にないものでした。昨夜あらたに調べたところ、新八犬伝は、昭和50年3月まで続いたということでした。

 これまでに何度か書いてきたことですが、私は昭和50年の4月に入ってすぐ、辺田の浜から宇出津の小棚木に引っ越して来ました。春の曳山祭を見たのも、そのあとの記憶だけが残っています。小棚木は、曳山祭の中心の1つとなっていました。当時は4基出ていたと思います。

 今も同じですが、曳山祭の前夜は「人形見」があり、現在は大棚木の白山神社の近くの海沿いとなっているようですが、以前は、小棚木の通りに人形見も行われていました。その人形は、NHKの人形劇「新八犬伝」に出てくるのと、似ていると子供の頃から思っていました。

 前にも書いていると思いますが、宇出津の曳山祭は、一度中止となり、その後、酒垂神社と白山神社の氏子のお祭りとして復活したという話です。中止されたのは1年だけだったというような情報もネットで見かけたことがありました。

 その前は、宇出津の一部の町内のお祭りで、曳山を出す町内が限られていました。棚木、新村、マチ、でもう一つが新町だとずっと思ってきたのですが、昨年か一昨年、祭礼委員の集まりで新町ではなかったというような話も耳にしました。本町と中組にあったという話もありました。

 宇出津の曳山祭は、国の無形文化財にもなっているという七尾市の青柏祭のミニチュア版のようにもなっています。子どもの頃から年配者が大きな声で、言葉がわかりづらい変わった歌をうたっていると思っていたのですが、まだ羽咋市に住んでいるころネットで「木遣り唄」だと知りました。

 それでもネットで調べると東京や長野県の方の「木遣り唄」とはまったく違ったものでした。近年ネットで調べてわかったのですが、北前船の歴史という「帆柱起こし祝い唄」「帆柱起こし音頭」の方が、近い感じです。 

 「帆柱起こし音頭」は、富山県の伏木港辺りが中心のようですが、石川県の小松市の方でも同じような唄でお祭りをしているのをテレビで見たことがありました。やはり北前船の寄港地に歴史として根付いているようです。

 同じ日本海でも、宇出津では不思議と北前船の歴史を聞くことがなかったのですが、祭礼委員のときに見かけた資料に、江戸時代の北前船で関係者の寄付金の目録のようなものがありました。

 富山県の伏木港は、高岡市の一部となっているのではと思います。仕事で行くこともあり、伏木という地名は知っていました。七尾市から高岡市に出る国道は、平成4年4月1日の事件前、特によく走行していた道でもありました。能登木材と林ベニアの仕事です。

 七尾市の青柏祭も人形見があるとネットで知りましたが、デカ山と呼ばれる曳山が大きすぎて、人形が目立たない感じです。日本最大の大きさの曳山という話です。2,3年前と昨年にバイクで見に行ったのですが、小さい頃にも夜に見た記憶がかすかに残っていました。父の姉が住んでいました。

 鵜川にも父の姉という人が住んでいて、そちらでも「にわか祭り」を見た記憶がかすかに残っているのですが、父親の姉という人のことは、どちらもどんな人だったのか全く記憶に残っていません。鵜川の方は、「長崎ぶらぶら節」という映画のことで、書いておきたいことがあります。

 昨夜は、新八犬伝の人形劇を調べたことで、辻村寿三郎という人の名前が出てきました。昭和8年生まれの84歳でご存命中とのことでしたが、その人が新八犬伝の人形を手がけていたと初めて知りました。さらに、広島市と、広島県三次市にゆかりのある人でした。

 深澤諭史弁護士による、#司法発見伝、というハッシュタグを見つけたことがきっかけでしたが、かねてより深澤諭史弁護士は、「はだしのゲン」という漫画の町内会長に、強いこだわりを見せてきました。他に「インパール作戦」というのもあったのですが、ここ最近は見かけていません。

 これも新たにまとめ記事を作成しておこうと思います。

2018年07月22日14時23分の登録: REGEXP:”町内会長”/深澤諭史(@fukazawas)の検索(2015-07-01〜2018-07-07/2018年07月22日14時23分の記録36件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexpfukazawas2015-07-012018-07.html>

2018年07月22日14時24分の登録: REGEXP:”インパール”/深澤諭史(@fukazawas)の検索(2013-06-27〜2018-04-23/2018年07月22日14時24分の記録51件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexpfukazawas2013-06-272018-04.html>

 時刻は16時19分です。上記まとめ記事の投稿は、14時23,4分ころとなっていますが、それから中断していました。暑さもあります。スマホのアプリで室内温度が32度でしたが、体感温度が36度となっていました。これは外で日陰にいた方が涼しいかもしれません。

 やや集中力を欠いてしまいます。クーラーがないのは当たり前となっていますし、あるのは扇風機だけです。それでも奥能登の方が金沢と比較しても2,3度気温が低いのが普通なので、全国的に見てもずっとましなのだろうと思います。

 さきほど、気になっていた村松謙弁護士のツイートを見つけました。次のツイートですが、もう一つ離れた時期に似たような別のツイートもあったはずです。

* ツイート%kmuramatsu(村松 謙)%2018/05/15 18:50%<https://twitter.com/kmuramatsu/status/996327031443939329>
> 犯罪被害者のプライバシーについてお怒りのみなさまに、神奈川県弁護士会の取り組みを紹介するよ。>「被害者報道を考える」(2) 武内大徳弁護士 | 日本記者クラブ https://t.co/z4fuICKGtb


 昨夜から今朝に掛けては、妖怪とも縁のある発見が続きました。上記のような内容の村松謙弁護士のツイートをみたとき、いろいろと頭で考えていて、御殿場から書いておきたい事実が浮かんできました。

 先ほどの辻村寿三郎に縁のあるところとして広島県三次市が出てきたことを書きましたが、中国自動車道から日本海側や瀬戸内海側に出ることも一時期、何度かありました。三次インターも昭和60年の一時期、何度か降りることがありました。1つはトラックステーションの利用だったかもしれません。

 昼に三次インターから国道54号線で、島根県の松江市に向かって走行することもありました。特にかわりばえのない田んぼの道を走ったような記憶が、一枚の写真のように記憶に残っています。

 同じ中国自動車道の岡山県内からも鳥取県の鳥取市や米子市の方に向かって国道を走ることが何度かありました。何を運んでどこに向かっていたのか記憶にないのですが、山道の国道を走っている時に、「人形峠」という地名が出てきたのが印象的でした。

 当時は少なからず、横溝正史のミステリー映画の影響があったと思います。映画館まで行って見た記憶はないのですが、テレビかレンタルビデオで、いくつか映画を見ました。代表作が「八つ墓村」でした。

 その八つ墓村のモデルが岡山県津山市で、歴史的な大量殺人事件があったことは、当時はしらなかったかもしれません。ネットの情報で初めて知ったような気もしますが、それもはっきりしないことです。

 ともあれ、そんなミステリー映画に出てくるような雰囲気を現地で肌で感じるようなことがあり、人形峠というのは、なにかいわれのありそうな地名だと漠然と考えていました。その時は、倉吉市の方に向かい、ミステリーっぽいドラマか映画に出てくる温泉街を通ったようなこともありました。

 今朝になってからだったように思いますが、Googleマップで人形峠の場所を確認しました。Googleマップは細かい場所を探すだのは得意と思うのですが、全体的な経路を探すとなると昔の地図よりわかりにくい気がします。それだけ昭和の終わり頃より道路の数が増えたのも理由かもしれません。

 他に、今日はテレビの「ゲゲゲの鬼太郎」で、境港が舞台として出てきました。原作者の水木しげる、の出身地として有名になっていますが、それもNHKの連続テレビ小説で放送があってからだと思います。話題になっていていましたが、一度もドラマをみることはなかったかもしれません。

 それに近い時期としては、「純と愛」と「梅ちゃん先生」は、何度か放送をみることがありました。だいぶん前に書いていると思いますが、櫻井光政弁護士のツイートがきっかけで、途中から「あまちゃん」を見るようになりました。ずいぶん話題となり、社会現象のようにもなっていました。

 そのあとになりますか、「ごちそうさん」も、1回見逃しただけで、ほぼ視聴したと思います。当時はまだ録画機器をもっていなかったかもしれません。

 録画一覧の最も古い部分を確認すると「2/20(金) ダム/キーパー めざましテレビ」となっていました。3つ目が「3/28(土) 連続テレビ小説 マッサン(150)終」でした。これは、「かぐや姫の物語」のアカデミー賞ノミネート時期だと思います。

 この2月に録画機器を買ったのだと思います。ネットの通販で3万円ちょっとではなかったかと思います。その前の年の11月ぐらいに、宇出津の家電店で薄型の19インチのテレビを買いました。地デジに対応させたものでしたが、期限が迫っていたようにも思います。

【第87回アカデミー賞】ジブリ『かぐや姫の物語』散る…2年連続ディズニーに軍配 | cinemacafe.net https://www.cinemacafe.net/article/2015/02/23/29575.html>

 調べると意外なことに「かぐや姫の物語」のアカデミー賞ノミネートは2015年でした。この2015年というのは、3月の終わりか4月の初めから能登の輪島と横浜を舞台にした連続テレビ小説まれ、の放送があったので当時のことを比較的よく憶えています。

 録画機器を買ってから、ドラマの視聴がとても楽になりました。それまでは、テレビの放送に時間を合わせたり、食事や片付けの時間をずらすなど、面倒が多かったので、時間の拘束が多くなる連続物のドラマは視聴を避けるようなこともありました。

 「あまちゃん」の放送は「まれ」の2年ほど前だったように思います。架空の現代劇で似ているということも酷評になっていました。「純と愛」というドラマは、もっとひどかったいう評判でしたが、それに次ぐぐらいだというのをよく見かけていました。

 逆に評価の高いものとして「カーネーション」を見ていましたが、存在さえしらないものでした。3,4か月ほど前、たまたまその時間、チャンネルをNHKにしていると、再放送がいきなり始まって驚いたのですが、視聴したのはその1回(2放送分)だけだったと思います。

 尾野真知子という女優が主演で、明るく陽気な役柄でしたが、その尾野真知子という女優のことを私が初めて知ったのも、高畑敦子と同じ「Mother」という水曜夜10時のドラマでした。娘をゴミ袋に入れて外に出す、虐待の母親役だったのですが、他のドラマのことはしりませんでした。

 高畑敦子は、虐待を受けた女児を連れ去り誘拐犯となる小学校の女の先生の育ての母親役でしたが、同じ時期の放送で、NHKに「八日目の蝉」というドラマがあり、我が子を死なせたためにおかしくなった宗教団体の女教祖役でした。ドラマは四国の小豆島も舞台となっていました。

 女優、高畑敦子は四国の出身で香川県かあるいは徳島県と記憶していましたが、今、次のページで確認すると香川県善通寺市となっていました。

高畑淳子 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%95%91%E6%B7%B3%E5%AD%90>

 以前わたしは、中西運輸商の4t車で、初めて四国に行ったころ、その場所が観音寺市と書いたように思いますが、善通寺市ではなかったかと考えるようになりました。どちらもお寺のような市の名前だったので、他には大阪の藤井寺市ぐらいで、珍しく感じていました。

 そういえば、お遍路さんの項目のところで、すっかり書き忘れていたことがありました。私自身、四国へは長距離トラックの仕事で、けっこうな回数行っていたのですが、お遍路さんのことは知らず、姿を見たという記憶もありませんでした。

 たぶん、昔から恐山のイタコに似たような程度の知識はあったのだと思いますが、意識し記憶に残ったのが別冊ジュリストの判例で、お遍路さんのことが出ていました。四国だったと思いますが、間接正犯の代表的な判例となっていました。

 その間接正犯もネットやTwitterでは見かけることが少ない情報でしたが、最近になって、日大のアメフト部の危険タックル問題が報道されてすぐの頃、刑事訴訟愛好会の高島章弁護士(新潟県弁護士会)が、間接正犯の理論による免責のようなツイートをしていました。

 ゲゲゲの鬼太郎の放送中のCMに、鳥取県のPRのようなCMがあって、そのなかに大神山神社が出てきました。別の場面で見たのかもしれないですが、緑豊な山のような場所が出てきて、米子市から半島状になっている境港市のあたりは、干潟のような土地で、山が見当たらなかったように考えたのです。

 時刻は7月23日10時04分です。昨夜も中断していたかと思います。夕方には宇出津新港に買い物に行っていました。惣菜コーナーがほとんど全滅状態になっていたので、半額になっていたカレイの切り身を買ってきて、あとでパックの麦ごはんと一緒に食べました。

 みりん漬けの脂ののったカレイです。今は、Aコープ能都店でも普通に売っていますが、昔は余り見なかったように思います。確か国道27号線の福井県小浜市の食堂に同じようなカレイの干物を焼き魚定食として出す、店があって、時間が合えば食べていました。夜は入った記憶がないです。

 同じく、国道9号線の島根県浜田市に、焼き魚で鯖を出す食堂があったのですが、そこの店の鯖は他で食べたことのない美味しい鯖でした。海沿いの山の上で広い駐車場の食堂でした。山というか崖の下の方に漁港が見えていたような記憶も残っています。そこも明るい時間しか、入りませんでした。

 福井県敦賀市から国道27号線、京都府舞鶴市から国道175号線、京都府福知山市の市内を過ぎた辺りから国道9号線というのが、下道で九州方面へのお決まりの運行ルートでした。前にも書いているはずですが、山口県の山口インターか小郡インターから中国自動車道に乗りました。

 九州方面への積荷もほとんどが富山県内からのもので、夜、アパートに立ち寄り食事を済ませてから、21時から23時ぐらいに出発することがほとんどだったと思います。金沢市場輸送でよくあった仕事のパターンの1つです。

 昼過ぎに舞鶴市辺りにいると少々焦りを感じました。日中の走行は深夜より倍近く時間が掛かるので時間的にきつくなります。逆に、午後のまだ明るい時間に島根県の出雲市辺りにいると気持ちの上でも余裕が感じられました。

 中一日という運行になりますが、同じ道を使っても、帰路では午後に長崎の長与農協を出発して、朝の6時頃には金沢に戻るという運転手もいました。自分の場合は夕方に金沢に戻ることが多く、それから妻子を同乗させ、富山の方に荷降ろしに行くこともよくあるパターンでした。

 富山の市場は、高岡と富山市のことで、二箇所卸ということもあったし、そちらの方があるいは多かったかもしれません。アパートに戻ると23時とか、九州方面への出発の時刻と似た時間が多かったように記憶にありますが、気分は全く違っていました。

 金沢市場輸送の場合、いずれのパターンでも休日扱いにはならなかったと思いますが、中西運輸商だと深夜の2時とかに福岡の東福岡の佐川急便を出発して、その日の夕方に金沢の佐川急便で荷降ろしを終えても、そのまま帰ると半日出勤の扱いにされました。

 深夜の0時頃まで佐川急便でホーム作業を手伝えば一日仕事をしたことになりましたが、これは単なる荷積みの作業の手伝いではなく、福岡か広島への運行の予備を意味しました。それだけ考えても金沢市場輸送の方がずっと気楽でした。

 佐川の仕事は、加賀店と福井店の立ち寄りが多く、前にも書いていますが、荷物は1個でも満載でも運賃は一車として同じで、積み残しは絶対許されないことになっていました。福井を出発するのが午前3時より遅いこともあったかもしれません。明け方に名神高速の滋賀県内を走っていました。

 明け方は、中国自動車道の津山市、勝央サービスエリアの辺りにいることが多かったとも記憶にあります。山崎のバリアの料金所からその勝央サービスエリアまでのあたりが、最も眠くきつい時間帯で、修行僧が苦行をしていたような感覚が残っています。普通に体験する精神状態でもなかったです。

 記憶のままに書きますが、岡山県の手前の兵庫県には佐用インターがあり、そこでも給油をすることがありました。中西運輸商では給油のカードが別に2枚あり、軽油グループではない方のカードが使えました。給油のためだけに高速道路を降りていました。

 岡山県の北房インターの近くには軽油グループのガソリスタンドがありました。そちらの方をよく使っていたと思います。昭和62年ころになると、北房インターの側には中西運輸商の監視塔のような火の見櫓のような建物が出来ていたと思います。噂がたちこめ出していた時期でもありました。

 結局、その噂通りに中西運輸商は佐川急便の仕事を切られることになるのですが、その前に親会社であった東広島市の西日本運輸興業が倒産したという話も聞いていました。以前の資料には細かいことを記録しているはずですが、金沢市場輸送に佐川の仕事を引っ張ろうとした経緯もあります。

 実際、九州から運転手を集めていました。残ったのは一人だけでしたが、その九州の運転手が被告発人東渡好信と二人で、長崎県の松浦市の魚市場に行き、ひと悶着を起こしてきたという噂も、これまでの記録には書いて来ました。他にも似た噂はあったような気もしますが、忘れているかもしれません。

 その九州から来た運転手は、北九州市のあたりで当たり屋とトラブルになったという話があり、被告発人松平日出男に相談に来ていました。これも書いているはずですが、時期と場所は細かくは思い出せませんが、その場に私がいたはずです。

 ついでに書くと、平成3年11月26日、被告発人多田敏明に会いに来ていた旧能都町瑞穂出身の西口君も、山口県の下関で当たり屋のグループとトラブルになったとか、グループの情報が流れているとか、そんな話をしていました。この西口君は、不自然なタイミングで出現を3回しています。

 今、久しぶりに思い出しただけで3件ですが、まず11月26日。これは前の夜に安藤文さんの自宅に電話かけ、初めて自宅に電話を掛けることの了承を得たということがありました。しかし、その言葉とは裏腹に彼女は自宅の電話に出なくなり、裏駐車場の行動へと進んでいきます。

 こういう事実関係もコンパクトにまとめて行きたいところですが、まだまだやり残しがあるので、切り替えが出来ないでいます。

 次が、平成3年12月の27,8日のこと。この時も被告発人多田敏明が一緒で、金沢市場輸送の給油所の前にいるところで、被告発人HTNのアパートに遊びに行こうと誘ってきました。年末にアパートにいるかどうかもわからないのに、不自然だと感じました。もちろん携帯電話のなかった時代です。

 次が平成4年3月の中頃だったと思います。土曜日ではなかったかとも思いますが、これはしっかり日付の特定が出来ていたとも思います。この時も夕方に西口君が被告発人多田敏明を訪ねてきたパターンでしたが、3人で北安江の焼肉店に行くことになりました。

 記録にあるはずですが、昭和61年の12月頃、被告訴人、被告発人としていた本恒夫と自殺した蛸島のTSさんの3人で行った時と同じ焼肉店でした。その少し前にも高田という市内配達のまとめ役の主催で、運転手が集まり焼肉を食べに行ったことがあった店です。

 その北安江の焼肉店は、少し小路に入ったわかりづらい場所にあったのですが、平成4年の時はすでに店の前が工事中だったかもしれません。その後、焼肉店の前には広い道路が出来たのですが、すぐそこの小路に入り100メートルも行かない右手の借家に、私は平成9年7月から住むことになりました。

 本格的な韓国風の焼肉店という印象もありますが、一度、遊びに来たKYNの家族とその焼肉店で食事をしたこともありました。他にも外の仕事での体力の保持を考え、一人で焼肉を食べに行くことはありました。

 先日、Googleマップでその北安江の焼肉店を見たのですが、建物はそのままと思われるものの、店の看板はすっかり外されていました。双葉湯を探した時だったかもしれません。テレビの武蔵ヶ辻の神社がきっかけでしたが、書いておきたかったことの1つです。

 金沢市の北安江は、金沢市内でも知名度が高いと思いますが、けっこう範囲が広いはずなので、焼肉店の場所は普通にイメージする場所と、少し違っているかもしれません。その辺りは北都運輸の市内配達のコースでもあったのですが、いつのまにかずいぶんと変わっていました。

 ブラウザで右クリックが有効にならないGoogleマップでは、ページタイトルの取得もやりづらかったので、ツイートにしました。

* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/07/23 11:39%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/1021223219301310464>
> (株)北栄 - Google マップ https://t.co/cTQ6xvubgO


 酒販店のような会社だったと思います。建物の写真らしいものもGoogleマップのページには表示されていますが、新しい建物に見えます。私の記憶にあるのは年代物の建物でした。場所はだいたい頃辺りだったと思いますが、全く同じ場所に建て替えがあったのかは不明です。

 このGoogleマップをみると双葉湯の近くに西念町という交差点があって広い道になっています。広い道を右の方に行くと北安江北という交差点があって、もう少し広くはない道路にぶつかっていますが、その一番手前の右側の小路の少し手前に焼肉店がありました。

 北安江北の交差点の1つ手前の小路、そこから60メートルぐらいの右手に私の住んだ北安江の借家がありました。距離のことは記憶からの目測ですが、100メートルはなかったと思います。借家の奥側の隣には木工所があったはずですが、この前は、ストリートビューで見当たりませんでした。

 近くに「アル・プラザ金沢」がありますが、こうやってGoogleマップで見ると実際より小さいというか狭く見えると思いました。私が福井刑務所に服役している間に出来てオープンしていましたが、周辺の工事を含め、私には記憶にないもので、いつの間にか周辺が一変していました。

 Googleマップを拡大すると、アル・プラザ金沢の少し上の方に「オークラ諸江店」があります。これは「プラザ」というパチンコ店だったと思います。もともとオークラとは同じ系列だったのかもしれません。

 この前の道路と、手前の三叉路から8号線バイパスへの道路、逆方向の金沢駅への道路は、昭和58年当時と同じまま変わっていないと思います。

 金沢でオークラといえば、金石街道沿いで中央卸売市場への入り口付近にあるパチンコ店をイメージする人が多かったと思います。それほど大きな店舗ではなかったですが、目立つわかりやすい場所の立地でした。出玉もそこそこ評判はいい方だったと思います。

 その金石街道沿いのパチンコオークラは、奥の駐車場が金沢市場輸送の会社や駐車場と隣接していました。パチンコ店は金沢市場輸送の運転手の待機場所のようにもなっていました。

 金沢市場輸送の運転手、寺川さんは入社してから数年間4t車に乗務していました。大柄で怒れば迫力もありそうでしたが、普段はおとなしく気さくに話していました。今考えると、入社時期は被告発人梅野博之や被告発人池田宏美と同じ頃かもしれません。この二人は昭和61年12月頃です。

 私は、その昭和61年の8月の20日すぎから金沢市場輸送に2回目の入社をして、市内配達の仕事をしながら一発試験で大型免許の試験に、数年前に移転したばかりの東蚊爪の免許センターに通っていました。昭和58年の秋の時点では、まだ、金沢市観音堂に免許センターがありました。

 13回目で合格したような記憶となっていますが、当日の合格で大型免許の交付があったのは11月27日だったと思います。これも誕生日の翌日だったので日付を憶えています。先ほどの平成3年11月26日、25日のことも前日と当日だったので、よく憶えていました。

 大型免許の合格で、市内配達のそれまでの受け持ちの仕事はすぐにやめたと思います。保冷車の大型車の空きがなかったこと、まだ点数が満点に戻っていなかったことから、しばらくは、6トン保冷車で仕事をしたり、12月以降は、大型の平ボディ車での、ミール移動や、名古屋方面の運行が中心でした。

 ミールの仕事は名古屋方面が多く、名古屋市内というのは少ないかほとんどなかったとも思いますが、知多半島が多かったと思います。ミールの倉庫移動は、パレット積みのまま行うものでした。1,2日前に書いた。松任市のはずれの国道8号線沿いが、当初はほとんどだったと思います。

 寺川さんですが、トラックの運転手をするのは金沢市場輸送が初めてで、その前は橋場のパチンコ店で働いていたと話していました。オークラと同じ系列と話していたように記憶にあるのですが、自分から尋ね返すようなこともなかったので、詳しいことは聞いていなかったとも思います。

 金沢市の橋場というのは、歴史を感じさせるような場所でした。武蔵ヶ辻か鳴和方面に向かった突き当りで、その手前は尾張町になっていました。岡田進弁護士の法律事務所も住所が尾張町となっていましたが、金沢地方検察庁や裁判所の近くです。

 橋場の交差点は武蔵ヶ辻から来て、突き当りを右に行くと金沢地方裁判所で、大きなカーブの少し手前に信号機の交差点があり、左折すると卯辰山、右折すると少し先の左手が金沢地方検察庁でしたが、その方向からだ右折禁止だったかもしれません。

 暇つぶしのドライブで、卯辰山に行った時は、その橋場の方からあがるのが普通だったと思いますが、金沢市内に住んでいても卯辰山に行くことは少なかったと思います。1,2日前に書きましたが、市内配達でサニーランドに行くときは、田井町の方から上がるのが多かったと思います。

 配達先は、毎回欠かさず行くスーパーもありましたが、たまに出るややこしい場所の八百屋や果物店のようなものもあって、その都度、配達の道や順番を自分で考えて仕事をしていました。

 突き当りの橋場の交差点を左に行くと、少し先に浅野川の橋があったと思います。橋を渡って少し行くと左手に金沢東署の方に行く道がありましたが、直進すると鳴和で、その手前の右側に、最近はテレビで見ることも多くなった「ひがし茶屋街」があり、住所も東山だったと思います。

 その東山の辺りにも、たまにしか行かない配達先があって、東山の方から卯辰山に坂をのぼったような記憶も残っています。

 金沢東署は、金沢駅前からくる東大通との大きな交差点の右手にありました。その交差点を越えた辺りが浅野本町で、乙丸陸橋を越えた辺りが高柳だったと思います。そのまま直進していくと国道8号線のバイパスにぶつかり、田中の交差点と呼ばれていたと思います。

 乙丸陸橋の方から来るとそのまま直進で田中の交差点を横切るかたちですが、信号機のない道を3分ぐらいだったでしょうか、交差点の手前の右手に佐川急便がありました。その辺りも木越という地名でしたが、交差点を右に行くと、住宅地や道沿いに店がありました。

 佐川急便の周辺はほとんどが田んぼで、近くには古い集落があって、金沢港の方から裏道で集落を通り抜けることもありました。そのあたりは普段、通りかかることもないので、私の記憶も昭和60年当時のものが、そのまま残っているように思います。

 佐川急便の交差点を右折すると、店のある通りを走りますが、その先の集落を抜けたような場所に交差点があって、交差する道路が農免道路と呼ばれた主要な道路でした。東インターのトラックステーションの横から能登方面の宇ノ気に出る道路でした。

 宇ノ気で国道159号線に出ました。広い道路で少し先に8番らーめんがありましたが、少し行くと道路は右側に大きくカーブしました。このカーブをそのまま直進すると現在はのと里山海道となっている能登有料道路の白尾インターがありました。

 能登有料道路の時は、内灘から終点の穴水まで、本線上に料金所が4つあったように思います。金沢市内に近い内灘料金所を避けるため、白尾インターからの利用は能登への行き来によくあることでした。内灘まで行くと、走行は楽ですが、かえって遠回りになるような感覚もありました。

 内灘町も宇ノ気も以前は同じ河北郡だったのですが、内灘町と津幡町はそのまま河北郡として残り、宇ノ気町、七塚町、高松町がかほく市となりました。七塚町は白尾に近く、海沿いの集落と聞いていましたが、被告発人松平日出男は、その七塚町の出身だと聞いていました。

 七塚町がどのあたりなのか、はっきりとは知らなかったのですが、白尾インターの近くとだけ聞いていました。用事もなかったので七塚町へは行ったこともなかったのですが、七塚町のことは昭和59年頃からちょくちょくと耳にしていました。

 金沢港の鮮魚の仲買の1つだった新田商店の会社がある場所として、七塚町のことを聞いていたのです。新田商店の社長のことは現在でもなんとなく姿が記憶に残っています。今まで同じ七塚町の出身という被告発人松平日出男と結びつけて考えたことはなかったのですが、他にも接点はあります。

 時刻は16時02分です。日本の最高気温を更新したとのことですが、さきほどテレビは消しました。書いていると、次々と書いておきたいことも増えてくるのですが、深澤諭史弁護士のタイムラインを見ているだけでも同じです。

 土曜日だったと思いますが、珍しく午後はほとんどテレビを付けていませんでした。夕方からは全く付けていませんでした。23時50分という時間をパソコンで見て、もう少しでテレビを付けないまま日付が変わると考えたのですが、そのあと急に眠くなって眠りました。

 目が覚めたのが4時少し前の3時50分台だったと思います。割合すっきりと目が覚めて、そのまま朝まで起きていました。5時28分ころに気がついてテレビをつけ、妖怪ウォッチを視聴しました。狛犬と仏像が合体をしたような初めて見る妖怪が出ていました。

 テレビで妖怪ウォッチを初めて見たのは2015年でしたが、それから半年に1回あるかないかというペースで、これまでに何回か見てきました。同じ、日曜日の早朝5時30分からの放送です。前に調べたところ、都会の方では夕方の時間帯にも放送が行われているようでした。

 これも詳しく書いておきたいことがあるのですが、続きは別の機会にしたいと思います。狛犬と「ほうたろう」という弁護士のことですが、この朝初めて、狛犬は犬なのかと思い、調べることもありました。よく見ると漢字に犬とあるのですが、犬と考えたことはなかったと思います。

 7時からニュース番組をみたいとチャンネルをNHKに変えると、ニュースの後に奥尻島でのテーマ性の高い番組が出てきました。その時も、自分はこれまで、奥尻島を地図上稚内に近い利尻島を勘違いしていたことに気が付きました。

 奥尻島の番組が終わったあと、眠くなって、そのまま眠っていたと思います。テレビの声で目が覚めたのですが、ゲゲゲの鬼太郎が始まってすぐの場面だったと思います。オープニングのテーマ曲が始まる前だったかもしれません。なお、番組は未明に、録画予約を入れていました。

 妖怪の名前は忘れましたが、蟹が頭についていました。起き上がってテレビに目を向けると、すぐに沢山のカニが料理として出てきて、不思議に思ったのですが、すぐに境港だという声がテレビから聞こえてきたので納得しました。

 妖怪ウォッチの場合、やたらと時事問題や流行語にからませることが多いと感じていました。同じ日の放送でも、9年ぶりかに目覚めたという設定で、イナバウアーのもじりのような演出を連発していました。これは、現在の子どもたちへの影響としても興味深い点であります。

 情報化社会であることを実感しますが、ゲゲゲの鬼太郎で、原作者の水木しげるの出身地として全国的に有名になった鳥取県境港市が出てくるとは思いませんでした。確か鳥取の方では松葉ガニと呼ばれていたように思います。福井ではズワイガニで、どちらも特に有名だと思います。

 石川県では福井県に近い加賀市の橋立港がズワイガニの漁港として有名です。能登の輪島市もカニ漁がありますが、ズワイガニは小さいものしかとれないのか、スーパーで見かける輪島のものは、1500円から780円という値段で、テレビで見る数万円のズワイガニは、聞いたこともありません。

 石川県産のズワイガニは加能カニ、と命名されているようですが、福井のズワイガニや鳥取の松葉ガニに比較すると、問題外に知名度は低いように思います。近江町市場でもいけば、加能カニでも数万円のものがあるのかもしれないですが、余り大きなものはみかけません。

 ズワイガニについて書いていて気がついたのですが、鮮魚の仕事でもズワイガニというのは運ぶことが少なかったように思います。宮城県の石巻港からもズワイガニのメスである香箱ガニに似たカニは、運んでくることがありました。ズワイガニといえば日本海ですが。

 先ほど、七塚町の新田商店についても、他に書いておきたいことがあったのですが、それも少しだけ橋立港と関係がありました。橋立港は、その昭和59年の夏に1,3回行っただけでしたが、どんな漁港だったのかも記憶にありません。ただ、富来の漁港と似ているとは思ってきました。

 富来に西海という漁港があることも、昭和59年の6月頃には知っていました。金沢港に出入りする白ナンバーの保冷車に西海港と書いてあったからです。それも絵を書いて仮装をしてあるトラックでした。その2,3年あとにはアートトラックとも呼ばれるようになり、ブームになっていました。

 その日のゲゲゲの鬼太郎や合間の鳥取県のCMを見ていると、境港に森があるように見えて気になりました。イメージとして、輪島の漁港に近いものを感じました。鳳来山のことです。

 ちょうど輪島が舞台のNHK連続テレビ小説まれ、の放送中だったと思いますが、夕方の石川県内のテレビで、女子中学生か女子高校生が、夜に鳳来山にある公園で太鼓の練習をしている密着取材がありました。

 輪島にキリコ祭りがあることはずっと前から知っていましたが、見に行こうと考えたことは一度もありませんでした。宇出津のキリコ祭りとは似ていて違うことから関心を持ち、2015年に初めて見に行ったのですが、キリコより太鼓が主役の祭りのように感じました。

 輪島は宇出津より町の規模もかなり大きいですが、お祭りでは小中学生の子供の数もずいぶん多いと感じ、自分が小中学生だった昭和50年代前半も、似たような雰囲気があったと思い出しました。

 そのあとだったと思いますが、なにかで輪島大祭の太鼓は、町の邪気をはらう目的や意味があるという情報をみかけました。それまでになかった発想ですが、妙に納得がゆきました。

 さらにあとだったと思いますが、宇出津のあばれ祭りで、松明を燃やし神輿で暴れるのも、厄払いが本来の目的だという話を初めてみかけました。暴れるほどに神様がよろこぶお祭りであることは、広く知られて来ましたが、少なくとも私は、厄払いという発想はなく、厄年のお祓いも受けていません。

 時刻は7月24日7時16分です。思っていたより長く中断をしていたようです。どこまで書いたのか忘れていました。5時過ぎに目が覚めました。1時過ぎまでは起きていたことを覚えているのですが、睡眠時間の割りには、よく寝た感があります。

 例年だと、深夜から朝方は、暑いと思って扇風機をつけても、すぐに寒く感じで切ったりつけたりを繰り返すことが多いのですが、最近は昼夜を問わず、つけっぱなしが多いです。しかもそれが連日連夜続くのですから、これは経験のないことです。

 そういえば先日、テレビで避暑地の軽井沢でも気温が高く、飲食店が開店以来一度もつかったことのなかったクーラーを動かしたと紹介していました。他に意外に思ったのは、軽井沢が標高2000メートルということでした。

 自分の長距離トラック運転手の経験では、碓氷バイパスを上りきったところに料金所があり、下り坂になっていくあたりが軽井沢ではなかったかという記憶です。

 軽井沢といえば、昨日の北陸中日新聞の朝刊だったと思いますが、気になる記事がありました。ネットでもまるで見ていなかったニュースですが、軽井沢のスキーバス事故で遺族が損害賠償の訴訟の準備している、というような内容でした。検察の判断はまだ出ていないようなことも書いてありました。

 御殿場からとりあげる予定にしていたのですが、内容は軽井沢のスキーバス事故とつながる問題です。本件告発事件の核心部分ともいえます。

 昨夜も、遅い時間になってテレビをつけたタイミングで、気になったことがあり、それがきっかけとなっていろいろと発見がありました。その前になりますが、宇出津新港に買い物に行き、帰りに崎山の下のトンネルをくぐるタイミングで、すぐに取り掛かりたいと思うことがありました。

 くすぶるように気になっていたのは、深澤諭史弁護士がリツイートをしていた次のジャーナリストの江川紹子氏のツイートです。先に見かけていたツイートでしたが、深澤諭史弁護士がリツイートしたものとして見ると、格別の思いがわいてきました。よくあることです。

* ツイート%amneris84(Shoko Egawa)%2018/07/23 07:26%<https://twitter.com/amneris84/status/1021159567806218240>
> 開戦前夜の東条の言動を記録したメモ。識者は、「天皇の複雑な心情を単純化して理解する東条の認識度がわかる記述」と。天皇に細かく報告して信任を得たが「国運を背負う大局観がない」との指摘も。この日、東条はほろ酔いだったとの記述も。やはり… https://t.co/FdDtXJYWBS


 今、ジャーナリストの江川紹子氏のタイムラインで、上記のツイートを捜していると、1つ気になるリツイートを発見しました。見落としとなっていたようです。リツイートを元のツイートとして掲載するので、ジャーナリストの江川紹子氏のリツイートの情報はありません。

* ツイート%seijipremier(毎日新聞 政治プレミア)%2018/07/23 11:55%<https://twitter.com/seijipremier/status/1021227192729026560>
> 馳浩議員の寄稿をめぐる江川紹子さんの呼びかけに、#児童虐待 当事者の方からもコメントが寄せられています。経験を踏まえた意見を共有してくださり、ありがとうございます。 @amneris84 #政治プレミア


 まだ、リンクの記事を開いていませんが、馳浩氏は、金沢からの国会議員で、もとはスポーツ選手でした。プロレスとは違っていたような気もしますが、レスラーであったように記憶しています。誤りがあるかもしれないですが、とりあえず自分の記憶のままに書いておきます。

 それと、起きてから「日野町事件」でまとめ記事を作成したのですが、データベースへの登録作業をみていると、検察が即時抗告をしたようです。テレビでもネットでもまったく見かけていなかった情報です。まだ、まとめ記事は開いておらず、内容を見ていません。

 テレビで、大相撲で優勝した御嶽海が大きくはない赤い鳥居の前でガッツポーズをしていました。平成生まれの日本人力士として初と昨日もテレビに取り上げられていましたが、長野県出身という情報もありました。Googleの検索結果を見ていると、出身地、木曽郡上松町とあります。

 長野県の木曽といえば、これも長距離トラック運転手の経験で、岐阜県や愛知県に近いというイメージがあります。なぜか、木曽と聞くと昔からテレビドラマの時代劇「木枯し紋次郎」を思い出します。主人公も国会議員だったと思います。まれ、で塗師屋の親方役をやっていました。

 毎回、「あっしにはかかわりのないことで」が口癖となっていましたが、それではドラマが成立しないので、関わりを持っていたのだと思います。理解の出来た放送は1つもなかったと記憶にあり、ときどき思い出して気になっていましたが、まだ調べたことはありません。

 同じ頃には他に、「座頭市」、「子連れ狼」がありました。子連れ狼が歴史上の実在の実物をモデルにしていると知ったのは、福井刑務所でみた「その小さき手に」というようなタイトルの時代劇の映画でした。時代劇とは思えないタイトル名だったことも記憶に残っています。

 映画の主人公で、大五郎の父親役が田村正和でしたが、平成4年の正月、2日の夜ではなかったかと記憶しているのですが、田村正和が勝海舟役をする特別ドラマを見たことも強く印象に残っていました。妻子を連れず一人で正月に帰ったのも子どもが生まれてから初めてのことでした。

 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインに4つほど更新が出ていました。元のツイートととしては多様性の1つとしてありがちとも思いましたが、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のリツイートとして見ることで、違ったものに映りました。

* リツイート→motoken_tw(モトケン)>suryagudang(Monad)|2018/07/24 07:45/2018/07/21 19:19|<https://twitter.com/motoken_tw/status/1021526762696597504>/<https://twitter.com/suryagudang/status/1020614323972931584>
> 杉田水脈の「子供を作らないLGBTには生産性がない」に対して、「いや、出来る」という反論はわかるけど、そこじゃない。


 そのあと2件の更新があり、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)自身の意見表明のようなツイートがありました。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)らしさがよく現れていると感じました。

* ツイート%motoken_tw(モトケン)%2018/07/24 08:07%<https://twitter.com/motoken_tw/status/1021532357831012352>
> 杉田水脈はLGBTの人たちを嫌悪しているのだろう。その嫌悪感に政策の衣を被せてあたかも論理的であるかのように言っているが、もともとが反人権的な(反憲法的な)嫌悪感を糊塗しているだけなので、主張を重ねれば重ねるほど論理的に破綻していく。


 昨日、よく見かけていた問題です。「杉田水脈」はTwitterのトレンドにもなっていたと思います。一月ほど前でしょうか、「杉田水脈」と「伊藤詩織」がセットで見かけることがあったので、昨夜は確認のためにしらべたところ、百田直樹という名前も一緒に出てきました。

 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)が、私のツイートやタイムラインを見ているとは、とても思えないのですが、次のツイートも昨夜のことと関連がありそうな気もにして気になりました。私が気になったのはテレビで見た「山岳看護師」という初めて見る言葉でした。

* ツイート%motoken_tw(モトケン)%2018/07/24 07:48%<https://twitter.com/motoken_tw/status/1021527573166088192>
> 富士山でも続出 高山病になる「4つの共通点」を医師が解説 https://t.co/npjXHMZahJ #日刊ゲンダイヘルスケア


 時刻は8時28分です。テレビではさきほどから次の事件のことを取り上げています。隣人トラブルでの殺人事件ですが、こういうのをみると事件の背景が気になり、弁護士がからんだことで余計にこじれた可能性を考えてしまいます。警察には相談を繰り返していたとのことです。

住人同士トラブル…路上で顔殴り死なす 北海道・美唄、殺人未遂疑いで男逮捕 - 産経ニュース https://www.sankei.com/affairs/news/180721/afr1807210016-n1.html>

 直接かかわりがなくても、警察官の業務そのものを実質妨害し、余計な負担を掛けているのが弁護士と考えることも多いです。なんか妖怪ウォッチの「〜せいなんです」というお決まりに似たものを感じ続けてきたのですが、日曜日の放送では見かけなかったような気もします。

 下川美奈という人が弁護士のように出てきてコメントを初めたのですが、名前が出たことで以前、ミヤネ屋で全国ニュースをやっていた女子アナだと気が付きました。色付きのメガネを掛けていたので、見た目では余計にわからなかったのですが、声だけでも思い出していたかもしれません。

 テレビのスッキリですが、下川美奈さんは、5人ほど一緒に机に並んでいました。コメンテーターとしての出演なのだと思いますが、報道の女子アナの経験者としては、初めて目にしたように思いました。

 特にこの時間帯のテレビの番組選択は気分次第です。今日は珍しく一度もチャンネルを変えていません。記述中でパソコンに集中していたというのもあると思います。最近は、モーニングショーをみることが多いという傾向があります。

 見逃して、ネットの動画で見たのですが、モーニングショーが弁護士の大量懲戒請求の問題を取り上げていたのは、とりわけ印象的でした。玉川というコメンテーターが、ほとんど一人で喋っているような印象が残っていますが、弁護士は常時100件ほど案件を抱えているようなことを話していました。

 10年から20年近く前だったように思うのですが、何かの本か雑誌で、一人の弁護士の抱える案件は特に多くて100件という書き方をしたものがありました。単純な事務作業として考えても100件というのはすごい数です。私は自分の1つだけの案件ですら時間がいくらあっても足りないぐらいと。

 土日は休みなのかと考えることもありますが、今日の火曜日も、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)は朝っぱらから本来の業務とは関係のなさそうな問題でツイートを繰り返しています。まともに抱える案件に取り組んでいるのかと、不思議な世界を見る気分にもなります。

 8時53分です。テレビはCMに入ったところですが、昨日、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートとして知った事件のことを取り上げ、ネットの情報と同じ「はい、終わり」でCMに入りました。

 今回は、殺人罪での起訴のニュースです。このあおり運転の死亡事故のニュースは以前もテレビで見てしっていたものだと思います。被疑者の映像が出ていましたが、微笑みを浮かべているようにも見えました。大阪府の堺南警察署とのことです。

 堺市も大阪府の南部になるのではと個人的に考えるのですが、この堺市やもっと和歌山県寄りの泉がつく地名では、これまで特に弁護士が警察ともめるような事例を目にしてきた、弁護士商売の激戦区という印象があります。以前は、元校長という人物の問題もあったと記憶します。

 ここ最近は見かけていませんが、大阪府警をキーワードに、あらためて落合洋司弁護士(東京弁護士会)とジャーナリストの江川紹子氏のツイートのまとめ記事を作成しておきたいと思います。佐田元弁護士のことも出てくるかもしれません。

 佐田元という名前の弁護士です。前に見た時は懲戒処分のニュースだったので、あるいは本当に元弁護士になっているのかもしれません。検察庁から懲戒請求を受けた弁護士だったと思いますが、懲戒処分を受けたのは数年後のことで、まったく違う問題でした。ネットでも小さいニュースでした。

 時刻は9時17分です。まとめ記事は作成中ですが、昨夜か今朝、ジャーナリストの江川紹子氏が落合洋司弁護士(東京弁護士会)のツイートのリツイートではなく、落合洋司弁護士(東京弁護士会)のブログ記事をタイトルの引用で紹介していました。これは初めて見たスタイルとも思いました。

 時刻は9時24分です。データベースへの登録作業が終わりました。ジャーナリストの江川紹子氏の方は席を離れていたので見ていなかったですが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)の方は8件ほどデータベースに追加があったようです。

 時刻は9時56分です。台所にいました。ヨーグルトとトマトを1つずつ、それと日清のの袋入りの焼きそばを作って食べていました。日清の焼きそばは、昭和50年代前半と袋のデザインがほとんど変わっていないのですが、2,3年前まではずいぶん味が落ちたように思っていました。

 ここ最近は、昔のかすかに記憶にあるものとは違っていますが、味が良くなったように感じている日清の焼きそばです。作るフライパンの素材でも味がだいぶん違っているように思うこともあります。たまに298円で売っているのを見ると買ってきますが、半年以上持ちます。5食入りです。

2018年07月24日01時08分の登録: ツイートの記録資料:\法務検察・石川県警察宛\/モトケン(@motoken_tw)/”2018年07月23日”:22件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/motokentw2018072322.html>

2018年07月24日01時08分の登録: ツイートの記録資料:\法務検察・石川県警察宛\/小倉秀夫(@Hideo_Ogura)/”2018年07月23日”:9件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/hideoogura201807239.html>

2018年07月24日01時08分の登録: ツイートの記録資料:\法務検察・石川県警察宛\/深澤諭史(@fukazawas)/”2018年07月23日”:54件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/fukazawas2018072354.html>

2018年07月24日01時10分の登録: 2018-07-23の投稿一覧\検察・石川県警察宛記録資料\奉納\危険生物・弁護士脳汚染除去装置\金沢地方検察庁御中:27件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/2018-07-2327.html>

2018年07月24日05時34分の登録: \泥濘大魔王サイカク @k_sawmen\いろいろな言説が流れているが、俺の考えとしては ①人間の価値を生産性で見積もること自体が邪悪 ②生殖のみで人間の生産性を見積もる http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/ksawmen_24.html>

2018年07月24日05時34分の登録: #泥濘大魔王サイカク @k_sawmen#のツイート/2018-07-18_0020〜2018-07-24_0222/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年07月24日05時34分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/ksawmen2018-07-1800202018-07.html>

2018年07月24日06時33分の登録: REGEXP:”日野町事件”/データベース登録済みツイート:2018年07月24日06時30分の記録:ユーザ・投稿:70/166件 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexp20180724063070166.html>

2018年07月24日09時26分の登録: REGEXP:”大阪府警”/Shoko Egawa(@amneris84)の検索(2010-06-21〜2017-03-24/2018年07月24日09時26分の記録135件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexpshoko-egawaamneris842010-06.html>

2018年07月24日09時26分の登録: REGEXP:”佐田元”/Shoko Egawa(@amneris84)の検索(2013-06-16〜2014-03-18/2018年07月24日09時26分の記録4件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexpshoko-egawaamneris842013-06.html>

2018年07月24日09時26分の登録: REGEXP:”大阪府警”/落合洋司 Yoji Ochiai(@yjochi)の検索(2010-06-22〜2018-06-26/2018年07月24日09時26分の記録94件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/07/regexp-yoji-ochiaiyjochi2010-06-222018.html>

 時刻は7月25日11時55分です。テレビでバイキングがはじまったところですが、今日のニュースといういつもの3つの見出しに、今日も日大の問題が含まれていました。3つ目が気になるもので、自称俳優のストーカーが放火とありました。

 他との関連があるのですが、自分が放火として思い浮かべたのっは、被告発人大網健二のO兄弟の父親の美川2少年殺人事件です。平成9年の秋だったと思いますが、被告発人大網健二が北安江の借家の2階の部屋で、父親の事件のことでNHKから取材を受け、特番を持ちかけられたとか。

 バイキングは始まる少し前、録画の「NHKドキュメンタリー - 死刑囚の母に問う~和歌山毒物カレー事件20年~ 」を視聴していました。はじめから3分の2ぐらいは、選択などをしていてしっかり視聴していなかったのですが、あとでもう一度、視聴し直す予定です。

 昨夜も、Googleマップを見ていて発見があり、あれこれと思い出すこともありました。金沢市の大野と金石が中心になります。平成4年の傷害・準強姦被告事件で、大野が傷害の現場、金石が準強姦の現場となります。昨夜調べて確認したところ、金沢西警察署の住所も金石でした。

 昨日は、ぎりぎりまで迷いもあったのですが、午後の3時過ぎに出て母親のいる病院に行ってきました。迷ったのは午前中に行くのに日を改めようと考えていたことです。帰りに、藤ノ瀬から能登三郷の火葬場に立ち寄り、平体の前の火葬場にも行って、写真の撮影を行ってきました。

 傷害・準強姦被告事件もこともありますが、母親の人生というものもあらためて振り返り、見つめ直す気分となっています。三郷の新しい火葬場は、まだ中に入ったこともないのですが、数年のうちには母親の弔いで入ることになるかもしれないと考えている場所です。

 三郷の火葬場の裏手に墓地が広がっていることも初めての発見でした。かなり奥の方まで墓地があり、ゴミ処理場の建物とも隣接していました。このゴミ処理場も私が、福井刑務所に服役しているぐらいの間に、いつの間にか出来ていたものでした。

 前のゴミ処理場というのは辺田の浜の近くにあり、書いておきたいことがあって、写真も用意してあります。現在は衛生センターのような施設となっていますが、すぐ近くには能登鉄道の線路もありました。1つか2,3であったか記憶にないですが、トンネルを出ると宇出津駅が見えてきました。

 昨日中に済ませたいとも考えていましたが、今日こそ本項のタイトルに沿ったかたちで、鳥取県境港市と出雲大社について、一区切りをつけておきたいと思います。

 前にも書いたと思いますが、私は金沢市場輸送で長距離トラック運転手の仕事をしていて、出先で写真を撮ったのは2回だけでした。1つが7599号での初めての運行で、愛媛県の松山市から徳島県、東京、銚子市という運行で、もう一つが鳥取県の境港でした。

 他に少し空が明るくなり始めたような未明の時間に、関門海峡の壇ノ浦サービスエリアで長男と二人で撮影した写真がありました。やはりその一枚は、またまた一緒にいた運転手仲間に撮影してもらった写真だったと思いますが、それ以上のことは思い出せないままです。

 前にも書いていると思いますが、私はカメラを持っていませんでした。白黒写真のカメラは持っていたはずですが、子どもが生まれてからも使うことはなかったと思います。小学校の6年生ぐらいの頃に、母親が買ってやると言ったので買ってもらったカメラでした。1万5千円と記憶にあります。

 平成になってからも同じでしたが、当時のカメラというのはフィルムが24枚か36枚撮りでした。撮影の失敗率も5枚に1枚ぐらいだったような気がします。フィルムの着脱もうまく出来なかったので、現像するときカメラをそのまま持ち込んでいました。

 カメラの扱いはとても面倒に感じていたので買おうと考えたこともなく、当時のカメラの値段の相場もわかりません。デジカメが出てからも関心はなかったのですが、裁判の資料を記録するのに便利だと考えるようになりました。

 前に書いていると思いますが、初めてデジカメを手にしたのは、ワープロソフト一太郎で有名はジャストシステム社から突然、懸賞品として郵送のあったものです。懸賞品と言っていいのかわからないですが、応募をしたようなものではく、キャンペーンとしてプレゼントされたようなものでした。

 午後の夕方に近い時間だったとも記憶にありますが、羽咋市での仕事から宇出津の家に戻ってきている時のことでした。「最強のレッド」というキャンペーン名があったようなことも記憶にあります。

 「最強のレッド ジャストシステム」とGoogleで検索してみましたが、それらしい情報は見当たりませんでした。

 12時42分です。テレビのバイキングで、ずいぶん久しぶりにみる顔が出ていますが、名前が思い出せず、雰囲気も以前とは少し違っていました。「日大、前監督の責任を認める」という見出しの記事のことを取り上げていますが、「尊重する」という文言に、坂上忍さんが不満をあらわにしていました。

 番組は12時45分ぐらいのタイミングで、阿波おどりの総おどり中止、の問題に変わっていますが、ふと「ラサール石井」という名前が浮かんできました。ネットで調べると本人に間違いなさそうでしたが、それにしても姿を見たのは思い出せないぐらい以来のことです。

 ラサールというのは灘高などとともに有名な進学校だったと思いますが、なぜ「ラサール石井」なのか、気になりながら調べたこともありませんでした。一時期は、頻繁にテレビで姿を見る顔の1つでした。タレントになるのかと思いますが、他に情報をしらない謎めいた人物でした。

 テレビの方では、さきほど姿をみたあと、みていないと書くタイミングで、少しだけ大写しになりました。まだ、テレビの画面に名前の字幕は見ていません。それにしても、過去記憶にないほど期間をあけて姿をみた人物です。これまでにも出演はあったのかもしれないですが、全く見ていませんでした。

 このゲスト席のようなものは6つほどあって、下の段の向かって左端の席なのですが、この席には、橋幸夫、甲斐よしひろ、中条きよし、の姿を不定期で見かけてきました。東国原英夫元宮崎県知事の姿が一番多いという気もします。

 同じ左端の席ではなかったとも思いますが、薬丸という人もちょくちょく見かけています。以前は、朝の8時から9時台に、情報番組ではないという売りの番組の司会者をしていいました。事件事故は極力扱わないといったような趣旨だったと思います。


『はなまるマーケット』は、TBS系列で1996年9月30日から2014年3月28日まで、平日(月曜日から金曜日)の朝に放送されていた生活情報番組。略称は「はなまる」。

[source:] /引用元:/ はなまるマーケット - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88>


 同じページには「1996年春、TBSはオウムビデオ事件での責任を取る形で、ワイドショーの廃止を発表した[1]。」とも書いてあります。これは忘れていましたが、そういえば少し見かけていたような情報だと思いました。ただ、そこまで大問題になっていたとは知らないでいました。

 TBSかよく覚えていなかったですが、テレビ局がビデオを事前にオウム真理教に見せたことで、危機感をつのらせた教団が坂本弁護士一家を殺害したという情報は、これまでネットでちょくちょくと見かけてきました。

 時刻は13時11分です。昼食がまだですが、冷蔵庫を見て「ヤスダヨーグルト」を持ってきて飲み始めました。昨日、Aコープ能都店で買ってきたものです。Aコープ能都店は久しぶりに商品を見たように思いました。

 今回、商品を買ってよくみると「新潟県阿賀野市保田」となっていました。阿賀野市は春に親子の山岳遭難があった地名として、テレビで何度も見かけるようになりました。まだ、Googleマップでしっかり確認していないので、新潟県内のどの辺りなのかよくわかっていません。

 Googleマップで確認すると、新潟市内から国道49号線で左側という位置でした。新潟市内に近いことはテレビニュースでみていたのですが、三条市から五泉市を通り国道49号線に出る辺りには、周囲に大きな山が見えたという記憶はなかったので気になっていましたが、これで疑問が解消しました。

 阿賀野市という名前で、阿賀野川という大きな河川名を中学校の地理で習っていたように思っていたのですが、想像していたのとは違った場所で、それも新潟市の中心部にそそぐ信濃川の倍ほどありそうな川幅です。そんな大きな川や橋を見た記憶は残っていません。

 金沢市場輸送で一番多かった仕事が、塩釜、石巻からの鮮魚の定期便でしたが、早い時は夕方の6時ぐらいに新潟市内を抜け、黒崎の料金所を過ぎていたと思います。日の短い冬場以外は、明るい時間のことも多かったはずです。

 河川が大きすぎて、橋も巨大化し高架と見分けがつかなかったことが考えられますが、テレビの新潟市内で大きな湖のように見えていた信濃川より、だいぶん広く見えるので相当大きそうな川です。

川幅日本一は、埼玉県鴻巣市に! | ニッポン旅マガジン https://tabi-mag.jp/kounosu/>

 気になったので調べたのですが、鴻巣市が出てきました。この鴻巣市についても書いておきたいことが残っています。川を見たという記憶自体なかったのですが、記事に目を通すと河川敷の広さのようなことが書いてありました。

 書き忘れたままになるかもしれないので、少しだけ書いておくと、鴻巣市からは昭和59年に2度ほど、荷物を運びました。当時の駅弁とセットのお茶の容器のようなプラスチック容器を、透明の大きな袋に沢山つめたものを、当時の石川県河北郡高松の会社まで運びました。

 海に近い場所で、防風林のはずれのような場所でしたが、その鴻巣市から運んだ荷物の卸先と記憶にある倉庫のような場所があって、その敷地の奥に米の備蓄倉庫のようなものがあったのですが、そこで60キロの米俵のようなものを積み込みました。平成3年10月5日のことです。

 自分の仕事ではなく、積み込みの手伝いに駆り出され、被告発人安田敏と一緒に、被告発人東渡好信の大型トラックで3人で行きました。その後、金沢市の田中の交差点に近い大きな軽油グループのガソリンスタンドで給油したことも記憶にあるのですが、トラックではなかったと思います。

 その金沢東インターに近い軽油グループのガソリンスタンドは、私が中西運輸商の仕事をしている頃はなかったものだと思います。金沢市内で給油をしたという記憶もなく、北陸自動車道の片山津インターの側の軽油グループのガソリンスタンドで給油することが多かったです。

 この平成3年10月5日は、安藤文さんとの関係において特別な日でした。土曜日でしたが、当日の5日は本来の給料日でありながら銀行が休みなので月曜日だと言われたと、安藤文さんが話していたのでよく憶えています。1万円の前借りをしたとも話していました。

 時刻は7月26日11時03分です。昨日、テレビでグッディが始まり、猛暑の中の天神祭の現地リポートをみていたのですが、子どもにうちわであおがれる大きな牛が出てきて驚きました。調べたところ、祭神の菅原道真と牛の関わりが深いということでしたが、全く知らなかったと思います。

 昨日の夕方は、これまでずっと謎に思っていたことが1つ解消しました。宇出津新港のアルプという商業主義で食品はどんたく宇出津店が入っているのですが、その前に入っていた業者のことを知らなかったのです。答えは「マルシェ」とのことでした。

 宇出津にマルシェというスーパーがあったことは全然知らなかったのですが、マルシェは当時の河北郡(現在のかほく市)の高松の辺りから志賀町に掛けて、よく目にする店舗で、羽咋店と志賀町の店舗は、昭和61年の秋に、妻子を同行させ配達に行ったこともありました。

 私が羽咋市で生活を初めた平成14年の終わり頃には、すでにマルシェは影も形もなくなっていて、バックスバリュが出来たので、あおりで倒産したような話を小耳にしたようなことはあったと記憶にあります。

 内灘町の方も配達に行くことはありましたが、内灘でマルシェの店舗をみたのかはっきりしません。金沢市内にはなかったとも思います。津幡町の方にはあったような気もしますが、同じくはっきりしません。

 マルシェの各店舗は、マルエーと似ていると思っていました。マルエーの方は、昭和61年の秋から平成3年の夏ころになると店舗数を大幅に伸ばしていました。加賀市に片山津店も出来ていました。

 先日、テレビの「はじめてのおつかい」という番組で、加賀市内の4つ子の家族が出てきたのですが、買い物先がマルエーの店舗でした。調べたところ動橋店可能性が高そうでした。動橋は、小松市に近い場所です。仕事で行ったり、通ることも何度かありました。

 このマルエーについては、松任駅の近くの神社のことで書いておきたいことがありました。松任駅の線路を挟んだ向かい側には「橋本商事」という肥料のようなものを扱う会社があって、その橋本商事についても、七尾市田鶴浜、栃木県葛生町、岐阜県大垣市と一緒に書いておきたいことがあります。

 数日前から金沢少年鑑別所についても書いておきたかったのですが、さきほど小田原少年院を知りました。きっかけはテレビのひるおび!のサギ被害でした。鳥の詐欺です。現地が栃木県太田原市ということで、調べるとやはり、黒羽刑務所があるところでした。

 黒羽刑務所も廃止が決定されているということで、刑務所の受刑者の数が減少していたということも、今回始めて知りました。過剰収容のピークが2006年とも記事に出ていました。2006年といえば、秋葉原の無差別殺傷事件があった年だと思います。

 この秋葉原の無差別殺傷事件についても、市川寛弁護士のTwitterのことで書いておきたいことがあります。2度とも偶然とは思えないタイミングでの発見につながったのですが、もう一つが奈良市の病院での事件でした。初めに知ったのは「蟹工船」の作者の虐待死の写真とよく似たものでした。

 2ヶ月ほど前になるでしょうか。小木港で魚釣りをしていて、都会から来た人に、小木港は蟹工船の歴史がある、というような話を聴いたのです。全く聴いたことのない話だったのですが、数日後に思い出してネットで調べたところ、具体的な情報が見つかりました。

 蟹工船の漁法を確立させたような人物で、横浜での祝賀会で亡くなったというドラマのような最後のことも書いてありました。蟹工船が労働者と資本家の対立として描かれるようになったのは、その小木出身の人物の死後のことで、一般的な蟹工船のイメージとは、無関係と思われました。

 蟹工船とは別に、その官憲に虐殺されたという人物のことも以前なにかで見てしっていましたが、蟹工船と一緒に考えることは余りなかったようにも思います。その時、調べたことで、蟹工船という本は、共産主義と関わりの深い問題であったと知りました。

 今は、そのような話をする相手もいないので聞いたこともないですが、福井刑務所で服役していた時は、同じ受刑者から、共産党の弁護士は頼りになる、よくやってくれる、というような話を聞いていました。昭和の時代というのも、何かと共産党や共産主義について、情報が耳目に入る時代でした。

 時刻は12時32分です。余り見ていないのですが、テレビでバイキングをつけています。下の段向かって左端の席は、山本譲二さんが出ています。これまでにも何度か出ているのを見ていますが、昨日は思い出すことがなかったようです。

 最近は、歌番組自体が少なくなっていますが、山本譲二といえば「みちのくひとり旅」で一躍有名になりました。昭和56年の夏のことでした。「ザ・ベストテン」で見かけることが多かったですが、この番組は、当時とても珍しかった録画で、日中に鑑別所の中で視聴していました。

 三重県鈴鹿市の殺人事件は、昨日も情報番組で取り上げられていたと思いますが、今日のバイキングではその件で、ジャーナリストという肩書で今西憲之氏が出ています。名前を見たのも、ずいぶん久しぶりだと思うのですが、テレビで見たのも初めてではないかと思いました。

 数年前は、ネットでホームページのようなものを見かけることが度々あり、東日本大震災で被災したと思われる建造物を背景に、大きな文字で「商売繁盛笹持ってこい」などと、大きな文字で書いてあったのが印象的でした。

いまにしのりゆき 商売繁盛でささもって来い! http://www.imanishinoriyuki.jp/>

 時刻は14時55分です。昼食の後、暑さで少し気分が悪くなったりしていたのですが、水で濡らしたタオルで体を拭くと、少し楽になりました。刑務所では「拭身」と呼ばれていたものですが、相変わらず変換候補も出てきません。外でシャワーを浴びていたことなども思い出していました。

 今西憲之氏のホームページですが、数年前と変わりがないようでした。大津波で被災したものと思われる建造物ですが、これを見る度に、宮古警察署のことを思い出していました。冤罪事件として追跡取材をされていた元警察官の人が、先祖の墓地で自殺をしたということもありました。

 テレビのミヤネ屋では、速報で東京都多摩市の建築工事で火災、逃げ遅れが多数とのことです。火災原因も変わっていないということですが、別冊ジュリストでの過失の共犯の理論のことを思い出しました。溶接作業などが絡んでいたと思います。

 ミヤネ屋では、さきほどより「三浦翔平❤桐谷美玲 結婚」とやっていますが、それらしい交際の話題は見ていたように思います。ちょっと気になったのは、三浦翔平という俳優のことで、何かのどらまで見た顔だと思ったのですが、それが思い出せません。ほとんど知らなかった名前です。

三浦翔平 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%BF%94%E5%B9%B3>

 気になったのは「正義のセ」だったのだと思いますが、まともに放送を見たのも1,2回ほどだったので、役柄もよくわかっていなかったですが、気になる検事役だったのかと思います。そういえば、平成11年の事件で勾留の手続きを受けた感じの名前が・・・大野検事だった気がしていました。

 そういえば、深澤諭史弁護士のタイムラインで、名古屋刑務所で受刑者が熱中症で死亡したというニュースを見ましたが、テレビでは全く見かけていません。受刑者の死亡で思い出すのは、神戸刑務所での凍死です。そちらもたまたまネットで見かけた小さいニュースでした。

 日本の刑務所では、平成13年頃のことですが、秋田刑務所まで暖房設備がなく、青森刑務所や北海道の刑務所は完備されているとのことでした。特に寒さが厳しい刑務所として、長野刑務所や松本少年刑務所のことを聞いていました。

 ホリエモンこと堀江貴文氏が服役したというのが長野刑務所でしたが、確かこの前の日曜日のサンジャボで、久しぶりに姿をみました。ロケットの発射実験が爆発にしたというニュースも、ネットだけでテレビでは見ていなかったように思います。

 堀江貴文氏が検察に敵意をむき出しにしていた時期もあったかと記憶にありますが、最近、検察批判というのは見かけなくなっています。それでも大阪地検特捜部の女性特捜部長のときは、ちょっとした批判を受けていました。函館に飛ばされたのも左遷や、昇進とも異なる見方がありました。

 鳥取県の境港ですが、長距離トラックの仕事で行ったのは、2,3回だったと思います。鳥取県自体、下道での九州方面の運行の通過がほとんどで、鳥取県で荷降ろしをしたという記憶もほとんど残っていません。

 島根県の方も似ているのですが、2つの運行ははっきり記憶に残っています。1つは金沢からのタケノコで、加工場に持っていく仕事でした。島根県平田市だったように記憶にあったのですが、Googleマップでは情報がないと出て、調べると消滅した市であったことがわかりました。

平田市 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E5%B8%82>

 島根半島の日本海沿いと記憶にありますが、荷降ろしのあと、美保関から急坂で大きな橋を渡り、鳥取県境港市に入ったように思います。タケノコの加工場を漁村のような場所で捜している時も、妻子がいたように思います。

 7599号の初運行で、愛媛県松山市に妻子を同乗させて行った時も、罪にはタケノコで、行き先は加工場でした。タケノコは市場でおろすことがほとんどでしたが、他に徳島県も加工場に運ぶ仕事がありました。

 今年は、特に石川県でタケノコのことがテレビで話題になっていましたが、やはりタケノコの出荷の時期というのは短いものでした。4月から5月だったとは思います。

 金沢のタケノコの行き先は、新潟県内、東京都内が多く、山形県の庄内、山形市、仙台市の市場も行き先となっていました。庄内の市場は、国道7号線沿いでちょうど鶴岡市と酒田市の境のあたりにありました。

 同じ頃は、金沢港からスルメイカを運ぶ仕事で、山形県酒田市の魚市場もよく行く行き先でした。時代劇に出てくる江戸時代の船着き場のような雰囲気が残っているように感じることもありました。北前船の寄港地としての歴史のことは、当時知らなかったと思います。

 もう一つは、鳥取方面から来ると出雲市の入り口辺りだったと思いますが、緩いカーブのところに三協アルミか立山アルミの看板を掲げた建材店のような会社がありました。以前から目立つ目印のようになっていましたが、実際にその会社に、アルミサッシのような荷物を運んだことがありました。

 そういえば、昨夜のNEWS9で、警察行政の弁護士という人物が出てきて、気になることがあったので調べたのですが、その人物の出身地として、鳥取県米子市の情報が出てきました。人口が10万人となっていたように思いますが、思ったより少ないように感じました。

 富山の交番襲撃事件から一月としてNEWS9で取り上げていましたが、民放や他の番組では、まったくニュースを見かけていませんでした。相模原市の障害者施設での事件は、複数で見たように思います。2年目となっていたように思いますが、もっと前の事件だったような感覚です。

19人の命、絶対無駄にしない やまゆり園事件から2年:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL7T5K4DL7TUTIL038.html>

 やはり26日で2年とのことです。今日の昼前だったと思いますが、テレビのニュースで、少しだけ神奈川県知事の姿も映し出されていました。どこか現場にいるような映像だったと思います。

 時刻は23時05分です。夕方、能登町役場で用事を済ませたのですが、そのまま周辺を散歩したり、時間を潰していました。外にいた方が家の中にいるよりずいぶん涼しく感じたからです。心地よい風も吹いていました。宇出津小学校の方までも歩きました。

 今日は、遅めの時間まで寝ていました。起きたのは9時30分ぐらいではなかったかと思います。すぐに深澤諭史弁護士のタイムラインで、6人のオウム真理教の死刑囚の執行があったことを知りました。今日は他にも多摩市の建築現場での火災事故がありましたが、死刑執行の報道も少ない印象です。

 22時から22時25分でしたか、オウム真理教の死刑執行の番組がNHKであり、ジャーナリストの江川紹子氏が出演していました。他のニュース番組にも出てコメントを行っていましたが、簡潔で良く出来たコメントのような気がしました。割り切れぬ疑問はさらに大きくなった気もします。

 今日は、相模原市の障害者施設での殺傷事件から2年目ということで、報道をいくつか見ましたが、夕方のものには立川拘置所の建物が出ていました。立川拘置所という名称自体、初めて見聞きしたように思い、少し調べましたが、まとまった情報は見当たりませんでした。

 八王子にも拘置所があるような情報を見かけたのですが、それも特定できる情報はなく、地図で見ると、相模原市からは立川市より八王子市の方が近くに見えました。そもそもが相模原市は神奈川県のはずなので、なぜ東京都の拘置所なのか不思議です。

 昨年の座間市の9人遺体遺棄事件も、座間市が神奈川県でしたが、初めに被害届か捜索願が出ていたのが八王子市ということで、高尾警察署が管轄になったことは、テレビで納得のできる説明を見ていました。たまたまなのか、相模原市の事件では、情報は見ていませんし、発覚の現場が神奈川県のはずです。

相模原障害者施設殺傷事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%96%BD%E8%A8%AD%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6>

 情報量が多すぎるので少ししか読んでいないですが、「横浜拘置支所での勾留生活についても言及し」という記載があります。そういえば、横浜拘置所というのも、余り聞いた憶えがありません。刑務所や拘置所は法務省の国の施設なので、他県にまたがるのも・・・。

 しかし、拘置施設は係属した裁判所に対応するはずなので、他の都道府県にまたがるというのは、自分の理解を越えています。立川拘置所の建物は、ちょっと不気味な火葬場や宗教施設にも見えたので、ちょっと気になっています。

 国道20号線で、相模湖インターの近くだったように思うのですが、山梨に向かうのに、しばらく道路の標識が神奈川県になる区間があったと記憶にあります。不景気で、高速代がまともに会社から出ない時代、何度か走ることのあった下道です。

 この相模原市には、やまゆり園の事件より前に、注目したことがありました。行方不明になった女性と幼児の事件があり、別々に遺体が発見され、幼児の遺体が相模原市の墓地で発見されたというニュースをテレビで、見かけました。執念の捜査での遺体の発見とのことでした。

 共犯の女性が静岡県の出身で、男が逮捕から釈放され、だいぶんあとにまた逮捕されたという複雑な事件でしたが、そういえば、判決が確定しているのか、思い出せる情報はなく、まったく報道を見かけなくなった事件、刑事裁判の1つです。

相模原市の墓地に遺体遺棄事件 佐藤一麿容疑者と秋山智咲容疑者 長男の行方について - NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2143526480407602801>

 少し調べたところ、上記のページにある情報では、発見されたのは母親の方で、相模湖の近くの墓地とありました。テレビで長男が墓地で、という報道をみたように記憶にあったのですが、そういえば、幼児のものと思われる遺留物が発見されたというような説明もあったように思います。

 自分の記憶と理解が不安になっていたのですが、ようやくそれらしい情報を見つけることが出来ました。1つ大きな勘違いをしていたのは、子どもの歯と遺留物が発見されたのは、川崎市内の畑、でした。相模原市の墓地とは完全に取り違えて記憶していたことになりそうです。

 川崎市も神奈川県ですが、この川崎市も事件現場として特別に考えてきた経緯があります。とりわけジャーナリストの江川紹子氏のツイートとからめて、しっかり記録しておきたいことの1つです。ツイートを捜してみます。

"川崎市" from:amneris84 - Twitter検索 https://twitter.com/search?l=&q=%22%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%B8%82%22%20from%3Aamneris84&src=typd&lang=ja>

 川崎市のキーワードでは見つかりませんでしたが、1つ意外な発見がありました。以前にも見ていたものかもしれないですが、記憶にはなかったものだと思います。6階というのが、特に意外に感じましたが、そういえばという気も、当時の報道を思い出して感じました。

* ツイート%amneris84(Shoko Egawa)%2014/01/09 22:35%<https://twitter.com/amneris84/status/421274122845306881>
> 今回の事件とは別に、接見室の設置を増やしていこうというのは同意。弁護士さんもその方が便利でせう。川崎市中心部に事務所を持つ弁護士は、麻生警察署に接見に行くより地検支部に行った方が近いわけだし。しかしだからといって、今回の件の原因を接見室がなかったことにするのは違うと思ふ。


* ツイート%amneris84(Shoko Egawa)%2014/01/07 22:26%<https://twitter.com/amneris84/status/420547101047529472>
> 川崎市って人口約145万人の都市なんだけど、裁判所(横浜地裁川崎支部)って行ってみると、かなりしょぼい。検察庁(横浜地検川崎支部)は行ったことないけど、接見室もなく、6階から逃げられたって、検察・警察の人的ミスもあるでしょうけど、そもそも構造的しょぼさを感じるのだにゃ。


 本来、2件目のツイートだけを掲載するつもりだったのですが、TwitterAPIで読み込んだものを見て、違っていたことに気が付きました。見落としをしていたようですが、1件目のツイートも掲載できて良かったです。

 この川崎市の逃走事件の時、私は、このジャーナリストの江川紹子氏や佐藤博史弁護士がPC遠隔操作事件でかけた警察、検察への負担が遠因にあるようにも考えていました。

 ジャーナリストの江川紹子氏のツイートの投稿日時をみると、2014年1月の7日と9日です。テレビの映像の川崎市内と思われる映像は、温暖な季節のものとして記憶にありましたが、北陸とは違い関東では1月も気温以外に、天候に大きな違いはなかったのかもしれません。

 たしか集団強姦のような事件だったと思いますが、当時は集団強姦罪も出来てはいなかったと思います。複数人による強姦は致傷と同じく非親告罪とはなっていました。実際に強姦の実行行為が不可能な女性でも共犯として強姦罪が成立するはずですが、そんな情報も見かけず弁護士の罠かと思っていました。

 あの強姦事件も神奈川県で海の近くでしたが、弁護士が口利きをしたようなかたちで情報番組で取り上げられていました。その後、だいぶんあとになって不起訴処分になったようにも思いますが、弁護士が都合よく警察を利用したように思える事件でした。大学のサークル活動だったとも思います。

【広告学研究会】慶應大学「集団強姦」事件の闇→横浜地検は不起訴処分 - NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2147644010967282501>

 上記の事件だったと思います。葉山町だと確認できました。1つ前にみた記事で、素行のよくなさそうな集団の写真を見て、ずいぶん悪辣な犯罪であったような言葉をちらほら見かけましたが、当時のテレビの報道では見たことがなく、少し事件の印象が変わりましたが不起訴が相当な可能性もありそうです。

 記事の内容はほとんど読んでいないですが、その後、しばらくして大学の医学部の学生などによる事件もありました。共犯者の中で有罪と無罪が出たような記憶もあります。


昨年9月、慶應義塾大学の公認サークル「広告学研究会」のメンバーが当時18歳の女子大学生を酒に酔わせたうえ、集団で乱暴したとして集団準強姦容疑で書類送検されていた事件で、横浜地方検察庁は11月28日、不起訴処分にしたと発表した。

 世間では事件の悪質性から厳しい処罰を望む声が多かったが、不起訴処分となったことで、司法に対する不満が高まっている。また、横浜地検が不起訴処分とした理由を明らかにしていないことから、「加害者の親などから圧力がかかったのではないか」といった憶測も多く飛び交っている。

 世間の注目度が高く、厳罰を望む声が多いなかで、なぜ検察は不起訴処分との判断を下したのだろうか。弁護士法人ALG&Associates執行役員・弁護士の山岸純氏に解説してもらった。

[source:] /引用元:/ 慶應大・集団強姦、不起訴の裏側…検察の判断はおかしくはない | ビジネスジャーナル <http://biz-journal.jp/mt/mt-search.cgi?IncludeBlogs=2&tag=%E6%85%B6%E6%87%89%E7%BE%A9%E5%A1%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6&limit=20>


 上記の記事もほとんど読んでいませんが、2017年11月30日という記事で、昨年9月とありました。2016年9月と考えられます。この時期が気になったのは、高畑裕太氏の強姦致傷事件のことがあるからです。強姦事件に弁護士らが活気づき、しきりにアピールをした時期でした。


「いままさに売り出し中!」と言える状況にあった俳優の高畑裕太(24)が、強姦致傷容疑で逮捕されたのは2016年8月23日のことだった。事件はあらゆるメディアで連日大きく報道され、高畑裕太の母で女優の高畑淳子(63)は謝罪会見を開き、その場で「大変なことをした」と滂沱の涙を流した姿はまだ記憶に新しい。被害女性との間で示談が成立し、高畑が不起訴処分となったことで事件は一応の収束を迎えた。

[source:] /引用元:/ 高畑淳子「世の中全部を恨んでいる」発言、息子・高畑裕太は母から逃げる体勢に - wezzy|ウェジー <http://wezz-y.com/archives/55607>


 一部引用した上記の記事で確認しましたが、やはり2016年の事件でした。日付の8月23日は、輪島大祭の2日目で、朝市もある河井町の重蔵神社大祭だったのでよく憶えています。当初は、連続テレビ小説まれ、の撮影で輪島に来ていた時、悪さをしたので輪島の神様が罰を与えたのかとも思いました。

 輪島大祭は、舳倉島の女神と輪島の男神が会うということを聞いていましたが、舳倉島の女神は宗像三女神の田心姫命で、嫉妬深いという情報も見かけていました。輪島の海女のルーツは北九州の鐘崎にあるとのことです。

 高畑裕太氏の母親は大女優の高畑敦子でしたので、報道も加熱し、まるで現代劇の舞台をそのまま演じているように思えることもありました。バイキングで、郷原信郎弁護士とジャーナリストの江川紹子氏の姿を見たことも書いたことがあると思います。ひややかに被害者の女性の立場を最優先でした。

"精神鑑定" from:amneris84 - Twitter検索 https://twitter.com/search?l=&q=%22%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E9%91%91%E5%AE%9A%22%20from%3Aamneris84&src=typd&lang=ja>

 川崎の事件のことですが、ツイートに含まれていると思っていた「精神鑑定」の検索でも、目的のツイートは見つかりませんでした。ちょっとした言葉の違いで検索がうまくいかないということもたまにはあるのですが、それも見つけてからでないと確認できません。

 これほど手こずるとは思わなかったですが、ようやく次のまとめ記事から目的のジャーナリストの江川紹子氏のツイートを見つけ出すことが出来ました。「川崎」が含まれていましたが、Twitterの検索では出てきませんでした。

▶(47/48) TW amneris84(Shoko Egawa) 日時:2017-10-11 09:38:00 +0900 URL: <https://twitter.com/amneris84/status/917912331857813504>
{% tweet 917912331857813504 %}
来年1月に満期出所予定で、自ら「話したいことがある」と警察に葉書を送った、と。捜査と刑罰だけじゃなく、精神科の治療も必要なのでは… →男自白「出所したらまたやるかも」…川崎通り魔 : 読売新聞 \n https://t.co/FKz7BNU0nk


* ツイート%amneris84(Shoko Egawa)%2017/10/11 09:38%<https://twitter.com/amneris84/status/917912331857813504>
> 来年1月に満期出所予定で、自ら「話したいことがある」と警察に葉書を送った、と。捜査と刑罰だけじゃなく、精神科の治療も必要なのでは… →男自白「出所したらまたやるかも」…川崎通り魔 : 読売新聞


 ジャーナリストの江川紹子氏の本来の姿がよく現れているように感じるツイートでした。現されたという方が正確な表現かもしれません。本地仏の力のようなものを感じました。宗教の根源も本来は救済にあると聞くことがありますが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)と同様、救いのないものです。

 この川崎のトンネルの事件は、死刑執行となった岡山の事件と一緒に記録に残すことをかねてより予定しています。

 時刻は7月27日10時49分です。眠った時間はよく憶えていないですが、7時20分ぐらいに目が覚めました。

 鳥取県に荷物を運ぶ運行は中西運輸商でもありました。1つは米子市だったと思います。その運行も結婚する前の前妻を同乗させていたのですが、居眠り運転をしたのでよく憶えています。中国自動車道の岡山県内のインターで降り、米子市に向かっていました。

 大きな急カーブが連続して続く、下り坂だったと思いますが、そんなところで居眠り運転をしてガードレールにトラックをぶつけたのは、とても珍しかったと思います。とても疲れがたまった状態でした。急ぎの仕事ではなかったと思いますが、休むことなく走行を続けていました。

 それも比較的早い時間帯だったと思います。同じ運行の時だったと思いますが、名神高速でも滋賀県内の竜王インター付近で居眠り運転をし、横を走行していた4トントラックの箱のアルミに穴を開けたか、破ってしまいました。

 相手の運転手が、私の姿を見てずいぶん驚いた様子で、その場で5千円を現金で渡し、勘弁してもらったような記憶があります。立っているのもやっとという状態で、ふらふらだったと思います。

 米子市を目指していたのは間違いないと思うのですが、目的地や到着地が記憶にありません。臨時の仕事で佐川急便の支店に行ったように思うのですが、夜でも早い時間だったのは佐川の臨時の仕事と整合しないように思います。

 ガードレールにトラックをぶつけたといっても、バンパーが少しへこんだ程度だったと思います。当時、高速道路の本線で居眠りをすることはいつものことでしたが、集中力が高まるはずの、連続した急カーブの走行中に居眠りをしたのは、本当に珍しかったと思います。

 カーブで下り坂を下った状況は、初めて能登有料道路から富来に向かった時と地理的状況や雰囲気が似ていました。富来の時は、路面の凍結を気にかけていましたが、比較的早い時間帯だったというのも共通していたように思います。

 富来のときは、途中で食事をするか買い物をするつもりだったのが店が見つからないまま、現地に近づき、そこで赤提灯のような灯りの居酒屋か焼肉店の店を見つけた時は、峠で宿をみつけた、日本昔ばなしの物語を見ているような気分になりました。

 中西運輸商では他に、鳥取県内で荷物を降ろし、会社に電話を掛けると、今から九州に荷物を積みに行くように指示され、驚いたことがありました。午後に国道54号線を走行したのは、その時だったとも思うのですが、記憶にある景色は、逆方向に三次から松江に向かっていたように思うのです。

 中西運輸商では、当時の運送業界としては珍しく、全線、高速道路や有料道路の使用が許可され、高速道路のカードも渡されたままでした。金沢市場輸送では、必要なときだけカードを渡され、持ち回りになっていた時期もあったような覚えがあります。

 山陰の国道9号線は特に、日中と夜間の走行の時間差が大きく感じる道路でした。新潟、青森間の国道7号線や青森、仙台、宇都宮間の国道4号線も同じだったとは思いますが、国道9号線の場合は、時間の余裕のある中、出発時間を含め、自己管理の影響が特に大きな運行でした。

 休日をはさみ、土曜日に積んだ荷物を月曜日の朝に降ろすというパターンの仕事も多かったですが、前々日の夜のうちに出発するのは、九州便だけだったと思います。名古屋辺りへの運行だと当日の朝方の早朝に出発するという運転手もいました。

 米子市内から岡山県の中国自動車道のインターに向かう、ということも2,3度あったように思います。当時すでに、米子市の近くは高速道路のような道路が整備されていたような記憶も残っています。

 中国自動車道のどのインターから米子市に向かったのか、Googleマップをみてもよくわかりませんでした。北房インターで降り、給油をしてから向かったような記憶もあるのですが、Googleマップだとそれらしい国道が見当たりません。

 岡山自動車道とつながる北房JTというのは、今回、初めて知ったように思います。米子自動車道も美作追分でつながり、近くに美作追分というPAがありますが、ちょっと記憶にありません。美作は剣豪の宮本武蔵の出身地として、当時も知っていたように思います。

 私の世代は、本宮ひろ志の漫画として宮本武蔵のイメージが出来上がっていました。単行本しか思い出せないですが、週刊少年ジャンプの連載となっていたような気もします。ちょうど同じ頃の漫画として「はだしのゲン」がありました。

 当時、広島といえば、原爆や「はだしのゲン」、それと仁義なき戦い、というヤクザ映画のイメージが強くありました。西城秀樹、吉田拓郎、世良正則、矢沢永吉という音楽界の著名人も広島の出身として知られていました。

 私が広島市に初めて行ったのも昭和59年の金沢市場輸送の4トン保冷車でのことで、福岡に向かうのに夜中に小口の冷凍食品を降ろしていくという仕事でした。宇品でした。宇品でも町に近かったように思います。映画に出てくるような夜の風景がありました。

 昭和59年12月からの中西運輸商の仕事では、広島に行くことが多くなりました。メインの仕事が佐川急便の広島・福岡便でした。初めの頃は、東広島インターに降り、可部という地域を走って広島市内に出ていたので時間も掛かりましたが、まもなく廿日市インターまで伸長しました。

 今、廿日市インターをGoogleマップで確認したのですが、宮島の大きさに少し驚きました。安芸の宮島や厳島神社のことは、その辺りで道路標識や観光案内をよく目にしていた記憶があったのですが、宮島が本当の島であることは、1,2年前にテレビで初めて知ったことでした。

 金沢市場輸送で大型車に乗務してからは、広島市内の仕事というのはほとんどなかったと思います。一つだけ記憶にあるのが、トナミ航空の展示会の仕事で、広島市内中心部の三越デパートに行ったことですが、夜の21時か22時という時間指定での仕事でした。

 中西運輸商では、広島市内から岡山市内という仕事も多かったです。金沢から岡山の佐川急便という定期便の仕事も別にありましたが、あれは明け方に荷物を降ろし、すぐに戻るというとんぼ返りの仕事であったように思います。

 広島市宇品の佐川急便で荷物を降ろし、国道2号線で福山市に行き、福山市で荷物を運ぶというのもよくある仕事のパターンでした。その1つに福山パールがあって、弁当のプラスチック容器の荷物でしたが、その卸先が、金沢市の金石だったこともよく憶えています。

 弁当屋が金沢市内で急激に増えたのも昭和58年ぐらいだったと思います。初めは「ほっかほっか亭」だったと思うのですが、すぐに「かまどや」が多くなりました。あれも社会の大きな変化だったと思います。レンタルビデオ店に近い時期でした。

 そういえば、国道9号線でも米子市内で路上駐車し、弁当を買っていたような記憶があります。国道9号線沿いでしたが、広い道路で、金沢市の繁華街の片町とも雰囲気が似ていたように思います。鳥取市内より米子市の方が、遥かに大きな町のように感じていました。

 鳥取県境港での写真ですが、魚市場の前で撮影したものと、反対側の海の近くで撮影したものがありました。広い空き地か駐車場だったと思います。長男が半袖と赤い色の半ズボンという姿で、海に向かって原始的とも思える雄叫びのような大声をあげていました。

 その背景の海の向こうに見えていた山が大山だったのだと思います。私はずっと大山が、米子市から島根県にまたがっているものと思い込んでいたのですが、日曜日に境港市の地形をGoogleマップの航空写真で確認している時、米子市から鳥取市側に大山があると初めて気がついたように思いました。

 大山は、深夜に寝て起きたタイミングで、元チェッカーズの藤井フミヤが出演する番組を見たということがありました。初めに見たのが海の堤防で、その堤防は以前、殺人物の2時間ドラマで見たことのある場所でした。堤防の付け根のような場所で暴漢に襲われていましたが、すごく不自然に見えました。

 藤井フミヤが出演していた深夜の番組は、後半が大山の登山となっていました。登山の様子を番組で見たというのも、それが初めてだったような気がします。その時も、米子市から島根県にまたがっているような先入観でテレビを見ていたと思います。

 大山は、国道9号線の通行でもよく標識や案内板を目にしていたという記憶があります。当初は大山ということで、極真空手の大山倍達を思い出すことが多かったとも思います。それも「はだしのゲン」と同じ頃に「空手バカ一代」という漫画があり、テレビアニメも見ていました。

 当時、国道9号線を走行していて目立ったのは、因幡の白兎の海岸と、羽合温泉でした。羽合温泉は海沿いとばかり思っていたのですが、Googleマップで場所を探すと、海から離れた東郷池の湖畔にあるようです。当時は「羽合」と見ていたように思うのですが、「はわい温泉」ともなっています。

 いずれも観光地としてアピールの印象が強く、当時は全国的にも珍しく感じていました。鳥取市内から米子市まで国道9号線沿いで海が見えたのは、ごく僅かな区間だと記憶にあり、それがGoogleマップで見た白兎海岸と思うのですが、海沿いのカーブのような道路や地形は見当たりません。

 島根県の出雲市も因幡の白兎と同じく、小さい頃から日本神話として知っていましたが、出雲大社というのは国道9号線沿いに道路標識や案内板を見たという記憶がありませんでした。それでも何故か国道9号線から山側にあるものと長い間、疑いもなく思い込んできました。

 島根県内の国道9号線では、玉造温泉が目立っていました。それほど大きな温泉地には思えなかったですが、国道沿いの看板が他の温泉地では見たことのないほど大きなものとなっていたような印象が残っています。

 先日の日曜日だったと思いますが、境港市の地形の確認から、航空写真で出雲大社の場所を初めて知りました。島根半島という名称は、そのあと調べてわかったのですが、その島根半島の山口県側の端のような場所で、海に近く、島根半島全体も海の方に山が多く、その麓に出雲大社が見えました。

0 件のコメント:

コメントを投稿