** 平成4年の事件について
18年経った今も決して癒されることのない大きな結果だと受け止めております。結果を発生させた張本人である自分が、とやかく言い訳がましいことを書くには抵抗感もあります。確かに言い訳になると思いますが、それだけの事情があったということは是非ご理解して頂きたいのです。本来、このような事情は取り調べを受けた警察や、刑事裁判の過程で述べるべき事柄と思われるかもしれません。そして自分自身で判決というかたちで事実認定を受けたと言うことは、自身が招いた結果であり、潔く受け入れるのが当然と思われるかもしれません。
私自身、満足と納得のゆく捜査と裁判を受けたかったと痛烈に思っておりますが、当時の状況として諦めるしかないような困難があった、とも考えております。自分が招いたこととはいえ、余りに不利な立場でもありました。行為と結果は歴然とはっきりしているので、これは受け入れるしかないと思いました。あとは、意識不明の状態にあったAAさんの容体ばかりが気掛かりで、冷静に深く物事を考える余裕がありませんでした。空気が薄く感じられるほどに、息苦しくてたまらず、思考もまとまらず、ただひたすらAAさんの安否、回復を祈念するという状態でした。
それでも事実に関する記憶ははっきりしており、取り調べには積極的に応じ、ありのままに体験した事実を話しました。取り調べを担当した谷内孝志警部補は、私が話す内容をノートに書き留めていましたが、主観的な判断で供述調書を作成していたと思います。限られた時間でまとまりのある内容の書類を作成しなければならないという、必要性にも迫られていたのだと思いますが、被疑者というのはあくまで受け身な立場であり、取り調べの主導権はすべて捜査機関の側に握られています。
いまさらとやかく不服を言っても仕方のない問題なのですが、重要な問題点がすっかり抜け落ちた重大な欠陥捜査であったと思えてなりません。刑事裁判とは、起訴状一本主義とも言われるぐらいで、捜査機関が裁判所に作成提出した資料を前提に進められます。個々の部分に対して、どこがおかしいとか指摘しても埒があきそうにもないので、行いませんが、当事者の立場から総括すれば、本来のAAさんというのは、取り調べ、裁判の過程において存在しないに等しく、また、意図的に作り上げられた虚像が、現実のものとして認定され、処理されてしまっているのです。
私自身AAさんの立場や真意を理解するのに、10年以上の歳月を費やしてしまったと思っています。それだけいたずらに、無意味に苦しみ続け時間も無駄にさせてしまいました。気が遠くなるほど長い時間考え続けてきましたが、出した結論は、AAさんをよく知るご家族の理解するAAさんの実像とも重なるはずです。この度、謝罪というのも私の大切な目的ですが、AAさんが当時置かれていた状況について、ご説明する責任があると考えております。被害者と加害者というお互いの立場ではありますが、私しか知り得ないAAさんの姿というのもあると思うのです。
その上で、どのようなご判断をされるのかわかりませんが、裏付けのある客観的事実として、真相を解明するには、警察や検察の捜査機関に動いてもらうしかありません。根本に遡った是正措置として、私は18年前の事件の再捜査を求めているのです。
言い訳と受け取られる部分もあるかと思いますが、確かに当時の自分は未熟でいたらず、暴力で物事を解決しようと考えたことが、そもそもの大間違いであったと反省しております。不快に思われる点もあるかもしれませんが、それも当時の、そして今の私の現実の姿として、受け止めて下さい。
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