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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年9月2日日曜日

# [199205]被告発人安田敏が金沢西警察署の面会に来て言い放った、被害者安藤文さんの首の神経の切断 #

# [199205]被告発人安田敏が金沢西警察署の面会に来て言い放った、被害者安藤文さんの首の神経の切断 #

 被告発人安田敏が金沢西警察署に面会に来たのは、5月に入ってからだったと思います。本人は余り乗り気ではなく、周りに世話になったので面会ぐらい行ってこい、と言われ、重い腰を上げたというような話も聞きました。

 他に市場急配センターから面会に来たのは、被告発人松平日出男と被告発人HTNだけだったと思います。松平は全部で3回来たかもしれません。まず事件の2、3日後に面会に来ました。悲しそうな顔をしていたと思います。大変なことになってしまったという意味です。

 被告発人松平日出男社長が被告発人HTNと二人で面会に来たのも5月に入ってからです。それも半ば頃のことで起訴状が届いていました。「山にあがるのか?」と言われたことが印象的でした。初めて聞く言葉でしたが、それが金沢刑務所のある田上を意味することは察しがついたからです。

 被告発人安田敏が面会に来たのは、その数日後だったかもしれません。夕方であったとも記憶にあります。またその後にも被告発人松平日出男の面会があったと思いますが、以前とは態度も違っていました。被害者安藤文さんの意識が戻らないことにようやく安堵したような様子でした。これも後に一変します。

 過去の資料を調べることもなく現在の自分の記憶だけで書いていますが、やはり具体的な記憶の衰えは感じています。

 初めの方で、回りくどい言い回しでしたが、YTに、付き合っていたのか、とたずねられたので、「付き合っていたみたいやな、といいとってやったわい」と恩を着せるような言い方をしていました。回りくどかったのはYTの特定です。

 被告発人安田敏がYTの名前を知らなかったとしても不思議はなかったのですが、「都商事におるあんちゃん」というような言い方であったかもしれません。わざと関係をぼかしているようにも思えなくはなかったのですが、私の考えすぎだったという可能性もあります。

 ただ、被告発人安田敏とYTとの間には、珠洲の三崎のHMという人物の存在もあるので、私の知らないところで会っていたという可能性も一応はあろうかとおもいます。

 それというのも被告発人安田敏が、数年の間、金沢市の繁華街、片町で飲み屋のバーテンの仕事をしていたからです。私もいきなり電話がかかって来て店に遊びに来るように誘われたことがありましたが、行くことはありませんでした。

 平成2年中だったと思いますが、一度だけ誘いに応じて出かけたことがありますが、そのとき被告発人安田敏は2件目の店を辞めて、仕事もしていないと話していたように思います。あるいは1件目の店を辞めたタイミングだったのかもしれませんが、記憶がはっきりしません。

 会ったのは秋頃だったと思うのですが、たまたま暖かかったのか、上着もなしに薄着で出かけた記憶です。神田の陸橋の手前の家電店のような店の前のバス停からバスに乗りました。夜、別れたのは小立野でした。

 次に電話で連絡があって出会ったのが、それから半年ぐらい後の平成3年4月の終わり頃のこと、そこで相談を受けて被告発人安田敏は金沢市場輸送に就職したのですが、一度も金沢市場輸送の仕事をすることもなく急配の社員となったのです。

 相談があったとき、被告発人安田敏は、まだ輪島屋鮮冷の社員で、輪島屋鮮冷の4トン車で金沢市場輸送に来たこともありました。その2ヶ月ほど前だったと思いますが、仕事の関係がはじまっていたのです。

 といっても、今考えると金沢市場輸送で輪島屋鮮冷の仕事をしたという話は聞いたこともなかったです。

 金沢市場輸送と輪島屋鮮冷との関係で記憶にあるのは、北陸ハイミールに輪島屋鮮冷の大型保冷車がミールを積み込みに来ていたことです。輪島屋鮮冷の運転手から直接聞いた話ではなかったですが、福岡行きの仕事だと聞きました。

 ちょうどその頃には、YTの実の父親もミールかあるいはイワシの運搬の仕事をしているという話でした。あれが父親だと誰かに聞かされたのですが、すこし離れた場所で顔までは確認出来なかったように思います。背格好だけはなんとなく記憶に残っています。

 北陸ハイミールの工場は、少なくとも平成11年の頃には跡形もなく消え去り、別の廃棄物処理場となっていました。建物が出来たのが平成1年。稼働を初めたのもその12月か、あるいはイワシの本格シーズンとなる翌年平成2年の1月に入ってからだったと思います。

 一日に1600トンのイワシをミールに処理すると聞き、日本海側のミール工場では最大規模とも聞いていました。本社は北海道の釧路とも聞いており、愛国運輸のトラックが7,8台ぐらいだったと思いますが、運搬の仕事に来ていました。

 私は昭和59年の7月に、根室の花咲港まで行ったとき、釧路市内を抜けて根室に向かい、しばらく走ると愛国という町があったので、すぐに愛国というのは地名のことだと思いました。紫色のボディにオレンジのラインが入っていたようにも思いますが、古い記憶です。

 被告発人は工場と道路を挟んで事務所があり、事務所の前には台貫がありました。ミールでも台貫にはのったような気がしますが、イワシの運搬のときは荷降ろしの前後に必ず台貫にのっていました。

 その事務所の隣に倉庫があって、その倉庫でミールの積み込みをしていましたが、ミールの仕事は倉庫移動の方が多かったと思います。倉庫の前にいるときに、輪島屋鮮冷のトラックや、YTの父親という運転手の姿を見たのです。

 同じ頃には、被告発人安田繁克もイワシの運搬をしていました。トラックは見かけたように思いますが、姿を見たことはなかったように思います。正確にいえば、トラックではなくダンプです。ダンプと言っても土砂積み禁止車両だったと思います。

 目立つ感じのダンプでした。土砂積み禁止車両のダンプというのは通常、チップと呼ばれるオガクズを積むものが多く、それはすごく荷台の高さも高いのですが、被告発人安田繁克のものは荷台が低く、ダンプにしては車体が長かったので、珍しいかたちをしていたのです。

 日通つまり日本通運の払下げのダンプというようなことも聞いたように思います。ボディの方も黄色の日通カラーになっていたような気もするのですが、その後、平成3年の6月頃には色を塗り替えていたかもしれません。

 この続きは、被告発人安田敏と被告発人安田繁克の二人の安田として別に書いておきたいと思います。被告発人安田敏の入社と被告発人安田繁克の退社が仕組まれたものであった可能性が高く、その指揮をした可能性のあるのが被告発人東渡好信です。

 被告発人安田敏が金沢西警察署に面会に来た時のことに戻します。夕方に近かったと思うのは、仕事が終わってから来たのだと思ったことと、夕食の時間にも前後していたような記憶があるからです。留置場の夕食の時間は憶えていないですが、18時の可能性が高そうです。

 「あのこ、きっかんが、あんちゃんもよおしっとるやろ。いくらきっかんでも死ぬまで殴ることないやろ」などと被告発人安田敏は、不満をぶつけるように私に言いました。

 きっかん、というのは金沢弁で能登では余り聞かないようにも思いますが、か、の部分に強くアクセントをおきます。気が強いや強情、男の場合は喧嘩好きや暴れ者のような意味でも使われると思います。手に負えないが、最も意味が近いかもしれません。

 被告発人梅野博之や河野秀美さんが、私に対してすごく起こっているとも話していました。事件後、私のことをどうするかという話し合いがあり、被告発人東渡好信だけが、会社に貢献もあるのでクビにまでするのはどうかという発言をしたと被告発人安田敏は話していました。

 その上で、首の大事な神経が切れた、良くなっても起き上がることもできないらしい、などともっともらしく語りだしたのです。起き上がることが出来ない、というような部分は、はっきりと思い出せず、他の言葉を使っていたとも思いますが、古い記録にはしっかり記してあるはず。

 受傷の態様や取り調べでの話、逮捕状などの書面の記載でも首の神経にダメージを受けたとは考えにくかったのですが、その場ではもっともらしく聞こえ、私は動揺し、それで担当の谷内孝志警部補が留置場に駆けつけるようなことにもなったのです。

 被告発人安田敏には容赦のない残酷さのようなものを感じることもありましたが、自分自身がしでかしたことであり、意識不明で植物人間の可能性もあるという怪我の状態からは、感情的に責められるのも致し方ないという思いもありました。

 時刻は19時37分です。宇出津新港に買い物を行き5分ほど前に戻りました。早めに出掛けたのですが、宇出津新港の釣り公園でアオリイカ釣りをしている人がいたので、話をしながらそれを見ていました。意外に釣り人の数が少なかったです。

 日曜日で天気もよく風も強くはなかったので人がいそうに思いましたが、わずかで、昨日の土曜日は人が多かったという話も聞きました。宇出津では8月の25日あたりからアオリイカ釣りをする人がいます。小木港は9月15日が解禁日です。

 アオリイカは8月の下旬から釣れ始め、成長がとても早いのですが、今の時期は小さいので小木港では9月15日まで禁止としています。小木以外ではそういう決まりもないのですが、乱獲のマナー違反と考える人もいるので、気兼ねなしで釣りが出来るのはもう少し後です。

 このアオリイカというのも不思議なもので、能登でも釣りが始まったのは比較的最近のようです。私も初めてエギングをみたのは平成17年ぐらいだったと思います。気まぐれで宇出津新港の堤防を歩いている時に、イカを釣り上げるところを目にしました。

 年配の人は決まって、クチイカと言います。「クチイカ釣れとるか?」などと声を掛けられることがあります。子どもの頃は、見たことも聞いたこともないアオリイカでした。アオリイカの存在を知ったのも、平成10年代なかばになってからのことです。

 アオリイカはある程度の大きさになると、他のイカに比べて、身が厚く足も太くなります。2本の触手が長いのも特徴です。初めてそのようなイカの足を見たのは、金沢刑務所の拘置所での食事でした。見たことがなかったので、これは外国産のイカだと思いました。

 次にやたらと2本の足の長いイカを見たのは、羽咋市内のバローというスーパーの鮮魚コーナーでした。ゲソとも言いますがイカの足だけパック入りで安かったので買ってきたのですが、その時に初めてアオリイカの足が他のイカとは違うと知ったのです。

 初めてアオリイカ釣りをしたのは、羽咋市から戻った翌年で、2010年だったと思います。9月に入ってすぐのころでした。夕方と今日と同じ宇出津新港の釣り公園でエギングをやっていたのですが、19時ころだったのか暗くなった時間に、初めての一杯が釣れました。

 生きているイカを見たのもその時が初めてだったと思いますが、アオリイカは透明に近く、目のまわりがエメラルドグリーンで、まるで見たことのない地球外生物のように見えました。

 地球外生物としてよく思い出すのは、「猿の惑星」という洋画です。昭和40年代の子どもの頃にテレビで見たという記憶はあったのですが、ほとんど記憶になかったのが、金沢刑務所の受刑中にテレビで試聴したのです。

 CMはなかったと思うので、テレビ番組の洋画劇場などの録画ではなく、ビデオだったのだと思います。いきなりだったので驚きましたが、テレビを見る独居房の中もどこか記憶の時空を超えた不思議な世界のような気分になりました。

RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)|nhk_n_sp(NHKスペシャル公式) 日時:2018-09-02 21:10/2018-09-02 12:30 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1036224734181056512 https://twitter.com/nhk_n_sp/status/1036094035960553473
> お待たせしました!待望の第7弾は、警察史上“最大の”未解決事件! \n “容疑者”がNHKだけに明かした“新事実”とは?真犯人なのか!? \n 謎の老スナイパーを徹底追跡! \n NHKは、獄中の“容疑者”から4千点の証拠品を入手。 \n こんや9時はド… https://t.co/D0SyqM0SDt



 数日前、落合洋司弁護士(東京弁護士会)のTwitterのタイムラインでツイートとして見かけていたのですが、すっかり忘れていた番組です。少し前にテレビをつけた20時45分からのNHKのニュース番組を見ていた流れで始まったものです。

 番組の初めの方で岐阜刑務所の建物がでてきました。周辺の景色が映っていなかったように思いますが、岐阜刑務所の建物を映像で見たのは初めてに近いかもしれません。以前は、無期懲役を含む長期受刑者の刑務所として、ちょくちょく名前を見かけていました。

 最近になって、すっかり見かけなくなったと思い出したのも同じ岐阜県の笠松刑務所でした。栃木刑務所と同じ女子刑務所です。以前調べたところ、他に女子刑務所があるのは、沖縄と札幌の女子区を別に、和歌山刑務所と佐賀県にあるという麓刑務所でした。

 麓刑務所は名前も変わっていますが、いまだにテレビでその名前を見かけたことはありません。笠松刑務所は岐阜羽島だと聞いており、建物は一度、テレビの放送で少しだけ見たような気もします。名神高速に岐阜羽島というインターがありました。

 平成3年10月5日、被害者安藤文さんに電話で初めて告白する前日か前々日、私は夜に荷降ろしを終えてから、岐阜羽島のインターの近くの公衆電話から被告発人安田敏に電話を掛け、告白することを話しました。おみくじソーダーのことと合わせ、記録には記してきたはずです。

 夜の22時から遅くて23時ぐらいの時間帯だったと思います。23時でも遅すぎて電話を掛けるのはためらっていたはずですが、そのときはためらったという記憶がないので、もう少し早い時間だったのかと考えられます。

 金沢に戻るために岐阜羽島インターの近くにいました。考えられるのは岐阜の市場で青果物を荷降ろししたことですが、岐阜の市場というのはほんの数回しか行ったことがなく、平成4年の1月4日か5日の夜にも行っているのですが、それが久しぶりだったような記憶もあります。

 時刻は21時32分です。もう一度、少しだけ岐阜刑務所の建物がテレビに出ていました。まわりの風景も少しだけ見えましたが、ずいぶん田舎のようにみえました。岐阜市は政令指定都市でもなかったはずなので、拘置所も一緒にありそうなのですが、ずいぶん郊外のように見えました。

岐阜刑務所 - Google マップ https://t.co/9QzM8DfV10

 気になったので岐阜刑務所の場所をGoogleマップで調べてみましたが、初めてみた場所のように思いました。福井県大野市につながる国道157号線沿いに近いようです。

 国道157号線というのは意外でしたが、昭和61年の6月、岐阜県海津町の被告発人安田敏のところに向かう時に、通った国道だと思います。途中で川を横断し、もう少し先に進むと重機が道を塞いでいたので、通り抜けを断念して引き返しました。

 どの辺りまで進んでいたのか不明ですが、大野市から1時間ぐらい山道を走行したような記憶もあります。途中にダムの工事現場のような飯場もありました。引き返してくる時に日が暮れて暗くなったような記憶もあります。

 Googleマップの地図をみると福井県大野市から国道158号線で、岐阜県の美濃白鳥で国道156号線に出る道がありますが、こちらは中西運輸商のときも含め、何度か通行したことがありました。名古屋方面にはありきたりの国道8号線から国道365号線だったので、たまの気分転換でした。

 その国道365号線も福井県の武生市から今庄の方に向かい、滋賀県の木ノ本に出ることがありました。Googleマップで確認すると木ノ本は長浜市のようです。武生市も越前市になっていると1,2年前に知りました。行方不明の後大分経って、遺体で発見された子どものニュースがきっかけでした。

 NHKで特集されていた国松警察庁長官狙撃事件は2010年に公訴時効を迎えたとのことでした。さきほど始まったところのテレビのMr.サンデーも番組の冒頭で2010年から8年目と話していました。2010年は東日本大震災の前年でもありますが、月日の流れを感じます。

 平成6年の秋の事件ではなかったかと思いますが、被告発人大網健二兄弟の父親が美川2少年殺人事件で無期懲役の判決となり、服役したと聞いたのも岐阜刑務所で、刑務所で亡くなったと聞いたのも2010年から2013年ぐらいの間であったように思います。

 被告発人安田敏の父親が亡くなったという話も聞きましたが、それはもっと前の平成15,6年あたりのことであったかもしれません。被告発人安田敏本人から聞いたような気もしますが、被告発人安田敏と最後に会ったのも同じ頃であったように思います。

 最近も近所で不幸があり、よく知る同級生の父親だったのですが、翌日の北陸中日新聞に訃報が出てきたと聞き、初めて訃報欄をみたのですが、同じ能登町で死亡欄に出ていた人も、見覚えのある名前で、小さい頃に少し遊んだこともある人のように思います。58歳となっていたように思います。

 5月の初め頃だったかにも近所で訃報があったのですが、それも被告発人大網健二との共通で年下ですが昔、遊んでいた時期のある人物の父親で、脳出血か脳梗塞で倒れた後、7年間病院にいたという話でした。

 プライバシーもあるので、ここでは書けないこともいろいろとありますが、昔の接点は他にもいろいろとあります。







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