ア. 被害者安藤文さんのことで,「可哀想な子や,可哀想な子やと思っときなさい」と言った被告発人池田宏美
七尾市で荷物を積んで出発した後,小杉インターから北陸自動車道に乗り,すぐ先にある呉羽パーキングエリアからの電話です。時刻はだいたい17時30分頃と思いますが,外はすっかりと暗くなって夜と同じでした。
余りはっきりとは思い出せないですが,被告発人池田宏美の場合,17時30分頃はだいたい会社にいたように思います。18時頃までいることもさほど珍しくはなかったと思いますが,19時以降というのはほとんど見たことがなかったと思います。
これは昼に掛けた津幡町能瀬からの電話の続きのような内容です。これも記憶がはっきりしませんが,現在の中能登町鹿島の辺りからも会社に電話を掛け,被告発人池田宏美と話をしていたかもしれません。
「広野さん,あの子にかまわんときなさい。今あの子に会社やめられたらほんと困るげんてぇ。」というようなことを言われたのですが,津幡町能瀬からの電話だとすると,被害者安藤文さんが電話に出ているので,側で被告発人池田宏美の悲痛な声を聞いていたことになります。
そういう被告発人池田宏美の声を聞いていたような被害者安藤文さんの態度ではなかったので,やはり別に機会の電話になると思います。本当は全く別の日とも考えたのですが,呉羽パーキングエリアからの電話での,被告発人池田宏美の発言と整合があるのはこの日のことです。
先月,8月の初めになると思いますが,車で金沢への買い物に連れて行ってもらい,富山県小矢部市のアウトレットに買い物に行ったのですが,そこから雨晴海岸で写真撮影などしたあと,氷見市を通って七尾市に向かいました。
氷見市からは氷見警察署の前を通った後,いくらか引き返すかたちでインターの乗り口を探し,のと里山街道につながる自動車専用道路に乗りました。インターは途中で降りて,七尾城趾の見晴台まで行ったのですが,高岡市から七尾市までずいぶんと距離があると感じました。
途中までが高岡市から七尾市まで通じる国道160号線ですが,昼に通ったのは平成4年3月以来のことになります。一度,平成10年辺りに,宇出津の実家に何かを取りに行く用事の帰り,夜中に国道160号線で高岡市から金沢市に戻ったことがありました。
国道160号線はのんびり走れる道路で,七尾市内から北陸自動車道の小杉インターまでも割合早かったという印象がありました。能登木材と林ベニアのいずれかの荷物でしたが,市場急配センターでは11月辺りから一番多い仕事のパターンだったと思います。
呉羽パーキングエリアから電話を掛けると,被告発人池田宏美は機嫌の良い声で,被害者安藤文さんが納得をして帰ったという趣旨のことを言っていました。納得と言うよりは安心あるいは安堵がそれに近かったと思います。
被告発人池田宏美は口も達者でしたが,抑揚の表現力もあり,まるで劇団の役者のようでした。今が4回目の結婚とかで,初めの頃は四国の徳島などに住んでいたと話すことがありました。まだ私が金沢市場輸送にいた頃に聞いた話だったかもしれません。
基本は金沢弁でしたが,ときおり他の地方の言葉が混じっていると感じることがありました。長距離トラック運転手の仕事をしていたので,いろいろな地方の言葉は聞いていましたが,地域を特定できるように感じることはなく,個人的な話し言葉の癖なのかとも考えることはありました。
「あの子,わかったって帰った。」というような言い方だったと思います。優しく安心感を与える話しぶりでした。しかし,そのあとに続けた被告発人池田宏美の話が,どうなっているのかと混乱を招かせるものでした。
「可哀想な子や,可哀想な子やと思っときなさい広野さん。あの子,会社でしおらしいしとるやろ,でも友達との電話の話とか聞いとったら,がんこなこといっとるわ。」ってな話でした。
「しおらしい」という言葉は,その場で余りはっきりと聞き取れなかったのですが,他に,「なんもわかっとらんげんて,あの子」ということも言っていたと思います。被告発人池田宏美の声と話しぶりは,これも熟練の役者のような聞き取りやすさがありました。
金沢市場輸送にいる頃から,被告発人池田宏美のことは,話し上手だけど余り信用のおけない要注意の人物と思っていました。女の直感という言葉を聞くことがあった時代ですが,私の妻が,「あの人,怖い感じする。」と言ったのも印象的でした。
被告発人池田宏美については,要領が良く利発という印象もありましたが,時に私の方で,警戒しすぎて偏見があるのかもしれないと考えさせられることもありました。言うときはズバッと言うタイプだったので,迫力や威圧感のあっただろうと思います。
そういえば書いているうちに思い出すことがありました。
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