ア. 平成3年10月12日,無言電話がきっかけで,夜遅く,初めて被害者安藤文さんの自宅に掛けた電話
(ア). 新車の大型ウィング車3068号の納車
午後に納車があったと思いますが早めの時間でした。会社からは,当時の石川県石川郡鶴来町(白山市)にある白山比咩神社にお祓いに行くように言われたのですが,近くで済まそうと考えた私は,地図で場所を確認するなどし,石川護国神社に行きました。
昭和62年4月,金沢市場輸送で新車の大型保冷車7599号に乗務したときは,竹沢俊寿社長夫人に言われ,白山比咩神社にお祓いに行きました。保冷車の後ろの扉の下の方には,白山比咩神社のステッカーを貼っていたと思います。
(イ). 夕方の暗い時間,2階の事務所から降りてきて,「広野さん,今日どっか走るが?」とたずねた被害者安藤文さん
10月12日というのは,まだ日の長い時期と思いますが,外はすっかり暗くなっていました。そんな時間まで被害者安藤文さんが会社にいたのも珍しいことです。
18時半頃かもしれません。会社前の道路に新車の大型ウィング車3068号を横付けした状況で,会社前で私は被告発人安田敏と話をしていました。そこに被害者安藤文さんが2階事務所から降りてきて,私に声をかけたのです。
明るく弾むような声にも感じたのですが,彼女は私に,「広野さん,今日,どっか走るが?」と尋ねてきました。
2階事務所は電気がついていましたが,その時間としては珍しいことです。何人か人が残っている様子でした。以前は,そのとき誰がいたのか憶えていたかもしれません。
(ウ). 東力の自宅アパートへの無言電話
無言電話があったのは,22時頃ではなかったかと思います。間違い電話というのも記憶にないのですが,ほかに無言電話というのはなかったと思います。
最初に疑ったのは前妻でしたが,その前妻から会社に電話があって,被害者安藤文さんが応対したことも考えられました。
「広野さん,今日,どっか走るが?」と被害者安藤文さんが私に尋ねてきた真意,目的も気になってきました。被害者安藤文さんの性格から無言電話をすることはないと考えましたが,それもあり得ないことではないのかもしれないという考えももたげてきました。
(エ). 遅い時間,たぶん22時半頃に掛けた,初めての被害者安藤文さんの自宅への電話
まず,被害者安藤文さんの家の電話番号を調べたのですが,電話の番号案内で尋ねると,彼女の家の住所に安藤という名前の家は1軒だけだったので,すぐにわかりました。電話番号がわかると,すぐだったと思いますが,思い切って電話を掛けました。
ちょうど一週間前になる10月5日は,プライベートで初めての被害者安藤文さんとの電話でしたが,私の自宅アパートに掛けてもらった電話でした。自分から彼女の自宅に電話をしたのは,この10月12日が初めてになります。
22時半より早い時間だったかもしれないですが,22時頃にはなっていたと思います。こんな時間に電話をするのは非常識という思いはありましたが,無言電話のことと,夕方の彼女からの質問のことが頭から離れなかったので,電話をすることに決めました。
電話口に出たのは被害者安藤文さんの母親でした。明るい感じの応対で,男から娘に電話があったのをとても珍しく感じているような反応が感じられました。驚いた様子だったのは,電話に出た被害者安藤文さんでした。何か手短に一言言うと,階段を駆け上がるような物音が聞こえました。
けっこう大げさな演技のようにも感じたのですが,物音がやんだ後,ひと呼吸を置く様子で,おもむろに,「はい」などと,私の電話の用件を聞く準備ができたと伝える感じでした。それで夕方の質問のことを尋ねたのですが,会社の誰かに聞いてくるようにいわれた,などと言っていたように思います。
それが誰なのかも以前は憶えていたと思いますが,運転手の配車をするのは事務所の配車係で,運転手である私本人に確認するのは,もともとおかしな話だったのです。それも普通は,出発しているか,馬鈴薯ならば,そろそろ出発するかという時間帯でのことでした。
余り憶えてはいないのですが,馬鈴薯のときも,大阪・名古屋方面に向かうのに,遠回りになる金沢東インターから北陸自動車道に乗っていたように思います。福井方面に向かう金沢西インターには台貫場があって,重量オーバーで摘発されるリスクがあったからです。
用件はすぐに終わったのですが,なにか被害者安藤文さんの方から話しかけがあって,しばらく会話が続いたように思います。23時を過ぎるまで電話の会話が続いたような記憶もあるのですが,これも記憶が鮮明だった時期の記述が正確です。
無言電話のことも話し,会社に私のことで電話がなかったのか,そのことも尋ねて確認をしたように思います。そういうことは全くないという返事があったと思います。
(オ). 被害者安藤文さんへの自宅への電話を終えて,すぐに掛かってきた前妻からの電話
平成3年8月の初めで,1日か2日とずっと思ってきたのですが,今calコマンドで確認すると,その8月の最初の月曜日は8月5日となっていました。
月曜日の朝には東力のアパートには前妻と子供二人がいて,夕方仕事から戻るといなくなっていたという場面が記憶に残っています。今まで調べて確認しなかったのも不思議ではあるのですが,パソコンでUNIXのcalコマンドが使えなければ,容易に調べることはできなかったと思います。
前妻からはその後,11月になって2,3度電話があったと記憶にあるのですが,10月中,それも比較的早い段階の10月12日の夜に電話があったことは,無言電話のことで連鎖的に思い出すまで,すっかり忘れていたような気もします。
まだ23時台だったと思いますが,仕事が終わった後と前妻は言いながら,それまでにも普通に連絡を取り合っていたような感じで話をしていました。日付が変わる0時過ぎまで話をしていたような気もしますが,会話の内容というのも今は思い出せなくなっています。
記憶に残っているのは,いずれも11月中の電話になると思います。神戸市の湊川神社の話などです。また,11月中にも被害者安藤文さんとの電話と前妻からの電話が,同じ夜にあったような記憶が,今もかすかに残っています。
偶然の重なりではなかった可能性があるのですが,だとすると手回しをした可能性が高いのが,前妻が電話で相談をしていた可能性も考えられる被告発人大網健二になります。
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