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title: "「かぐや姫の物語」と「弁護士妖怪大泥棒神社の物語」"
date: 2018-05-19 07:52:12 +0900
categories: 1997 1999
tags: 深澤諭史弁護士 中村元弥弁護士 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会) 小倉秀夫弁護士
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# 2018年5月18日放送「金曜ロードSHOW 高畑勲監督 かぐや姫の物語」を視聴して感じ、本件告訴事件について考えたこと #
* ツイート%kinro_ntv(スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式)%2018/05/16 09:42%<https://twitter.com/kinro_ntv/status/996551457951268864>
{% tweet 996551457951268864 %}
自分の人生に悩んでいる方…
幸せになれる方法が見出せない方…
人生はそれでも素晴らしいと信じたい方…
人生に悔いなく生きたい方……
そんなあなたの気づきにも。
巨匠・高畑勲監督の集大成にして遺作
「かぐや姫の物語」
明後日夜9… https://t.co/ixIyLJ8G6T
上記のツイートは、小項目の見出しを作るのに、正式な番組名を探していてTwitter検索から見つけたものです。別の作品の番宣で近年知ったように思うのですが、以前は「金曜ロードショー」だったものがいつの間にか変わっていました。
時刻は、9時32分です。一行書いて中断していましたが、また、書いておきたいことが2つ増えました。
昔、水曜ロードショーという映画の番組があって、洋画が多かったような印象も残っているのですが、いつの間にかなくなっていました。昭和の時代から続いた長寿番組だったと思います。金曜ロードショーもやや後発だったような気もするのですが、似たような番組でした。
水曜ロードショーの方は、水野という人が司会者で番組の終わりに、映画って本当にいいですね、と締めくくるのがお決まりとなっていました。印象に強く残っているのはレンタルビデオが始まる前の時代です。
金沢市でレンタルビデオ店が始まったのは、ちょうど私が金沢市場輸送で4トン車の長距離トラックの仕事をはじめた昭和59年のことであったと記憶にあります。当初、金沢でも2店舗ぐらいでしたが、それこそ雨後の筍という言葉のように増えていきました。
1泊2日ではなかったと思いますが、一本借りるのに1500円でした。当時でも映画館で上映をみるのと大差はなかったと思います。
昭和61年頃には、ビデオの機器を買い、レンタルビデオにも足を運ぶようになったのですが、機器を買った店が金沢市保古一丁目の「ぼんくら」という喫茶店の隣ぐらいの同じ並びにある家電店で、機器を買った客にビデオの無料の貸出もしていたように思います。
住んでいた東力2丁目のアパートから、歩いても5分もかからない近い場所でしたが、そんな場所でも歩いていくという発想はなかったです。Googleマップで調べたところ、「珈琲亭ぼんくら」となっていました。割りと大きな喫茶店でしたが、何度も入ったことはなかったです。
その喫茶店ぼんくら、のすぐ近い通りから少し入ったところにあるアパートに、宇出津の城野町に住んでいたAKさん夫妻が住んでいて、何度か遊びに行くこともあったのですが、いつも車でした。
最初に、レンタルビデオを1本1500円で借りた時は、それを宇出津に持っていって、城野町のAKさんのお宅で、視聴したことをよく憶えています。この城野町に住んでいたAkさんは、OSNとも被告発人大網健二とも被告訴人安田敏とも共通の友人でした。
当時、城野町に住んでいたAKさんは、川元急送という金沢市内の運送会社で市内配達の仕事をしていました。川元急送も中央卸売市場に出入りする運送会社でしたが、ニュー三久というスーパーの配達の仕事を中心にやっていました。
私も昭和62年の8月から11月、金沢市場輸送で市内配達の仕事をしていた頃は、日曜日だけの休日に、広島商店という中央卸売市場の青果の仲買の仕事で、ニュー三久の配達の仕事をしていました。ほとんどがバナナの配達という仕事だったと思います。
当時、私がいつもの仕事で受け持っていた片町・小立野コースだけでも、ニュー三久の店舗は、本多町、菊川、笠舞、浅野川とあったことを思い出します。小立野の付近にもあったような気がしますが、思い出しません。
城野町に住んでいたAKさんは、その後、私が福井刑務所に服役していた頃にもなりますが、被告発人大網健二の兄であるOSNの鳶職の会社で、長く働いていたと聞きます。平成9年頃には、やめて型枠大工の仕事をしていると聞いていましたが、どこに住んでいるのかも聞くことがなかったです。
城野町の家というのは、AKさんの妻の実家でした。私の一つ年上で、OSNとは同級生になります。いつも同じ宇出津の新村浜に家のあるKHさんと二人で行動していました。松波で自殺した蛸島のTSさんの妻だった人です。
蛸島のTSさんは、被告発人安田敏の水産高校漁業科の同級生で、卒業と同時に、安田敏は金沢中央卸売市場のウロコ水産、TSさんは金沢市場輸送に入社したと聞きました。
昭和56年の夏ですが、私がOSNと二人でぶらぶらしていたところ、TSさんの車が通りかかり、車に乗せてもらって、当時住んでいた問屋町のガソリンスタンドまで送ってもらったのですが、後になってそのときTSの助手席に乗っていたのが、被告発人安田敏だと知ったように思います。
私が被告発人安田敏と初めに一緒に遊んだと記憶にあるのは、昭和55年の夏休み、友達の友達になる鵜川の家に数人で遊びに行ったとき、夜中、バイクに乗っていた安田敏らと出会って、しばらく一緒にいたことです。その時は、怖い先輩というイメージもありました。
鵜川は宇出津と同じ能都町で、宇出津の次に大きな町でした。父親の姉という人の家があって、小学生の低学年の頃は、何度か遊びに行ったのですが、どのあたりに家があったのか、どんな人だったのかも全く思い出せません。ドラマに出てくる顔のない人物のような存在感となっています。
鵜川の町の中心部に住んでいたことは間違いないと思います。一つだけよく憶えているのは、おばさんの家から少し歩いた文房具店に入ったとき、その時の宇出津小学校の校長先生が出てきたのでとても驚いたのです。自分の学校の生徒だと気づいている様子は感じられませんでした。
久田という名前の校長先生だったと思いますが、久田という名前は宇出津にもけっこうな数ある名前でした。小学校6年生のときだったと思いますが、鵜川から来ているという女の先生がいて怖い先生という評判もあったのですが、その先生に鵜川の偉人、久田船長の話を聞いたことを印象的に憶えています。
辺田の浜の家の白黒のテレビで、水曜ロードショーをみていた時代だったと思います。昭和40年代の後半です。西部劇が多かったようにも思いますが、ほとんどが洋画だったように憶えています。もう少しあとの中学生の頃だったかもしれないのですが、印象に残っている日本映画は「羅生門」だけでした。
羅生門はもともと白黒映画だったように思います。平安時代の京都が舞台であったとも思います。子供なりに評価の高い映画作品であることは見聞きしていたのですが、ストーリーが全く理解できなかった映画として、そのことが最も強く印象に残っています。
羅生門はいわゆる黒澤作品だったと思います。その後、大きな時代劇の映画が高く評価され、世界の黒澤などと呼ばれるようになりましたが、私は不思議と関心を持たつ作品はレンタルビデオでも一つも見たことがありませんでした。
どういうわけか、自分でも不思議だったのですが、NHK大河ドラマの「風と雲と虹と」だけは強い関心を持ちました。前にも書いたことがありますが、平将門のドラマです。そういえば、ここ数年は平将門の名前を見ることがないので、今では余り知られていない歴史上の人物なのかもしれません。
真逆とも思えるのが、真田丸の大河ドラマで有名になった真田幸村です。真田幸村のことは昭和40年代のNHKの人形劇で名前は知っていましたが、それも猿飛佐助や霧隠才蔵といった部下の方が主役であったように思います。人形劇のタイトル名が浮かんできませんが、真田十勇士の物語かと思います。
猿飛佐助と霧隠才蔵の名前だけはよく憶えているのですが、役柄のことも記憶にありません。同じ頃に「仮面の忍者赤影」という実写の漫画がテレビ放送されていて、そちらは記憶に焼き付いています。仮面ライダーやウルトラマンが出てくる少し前で、月光仮面に近い時期かと思います。
同じNHKの人形劇でよく憶えているのは「八犬伝」でした。主題歌が特に印象的で、ずっと憶えていて、ときどき思い出してきます。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」が中心的なテーマになっていたと思います。
YouTubeで人形劇と主題歌の動画もみてきましたが、そこに怪物のような女が出てきます。ネットで調べるといったん助命を許されたがすぎに処刑された女が、恨みで化けて出てきたような話でした。見た感じ、とんでもない化物のようなのですが、不思議なことに子供の頃の記憶にはないのです。
真田幸村という人物の話は、その後ほとんど見ることがなく、それが不思議にも思っていました。拘置所や刑務所の官本で日本史の人物の本もいろいろと読みましたが、真田幸村が特に注目の人物として描かれるのは見なかったように思います。
福井刑務所で服役し、まだ3,4級生だった頃に、大河ドラマが竹中直人が演じる豊臣秀吉だったので、年間を通じて視聴したと思いますが、真田幸村が出てきたという記憶はありません。秀吉の死後に真田幸村が活躍したと考えれば当然なのかもしれないですが、個人的に縁のなかった人物です。
「真田丸」も面白いと評判でしたが、ほとんど見ていませんでした。歴史の人物を脚色し想像力で物語を作るという手法に共感が出来なかったというのが、まず先にあったように思います。
昨夜見た「かぐや姫の物語」も、歴史上の「かぐや姫」や「竹取物語」を、脚色しアレンジしたものと聞きますが、もともとが実在する人物ではなさそうなので、意味が違ってくるとも思います。
「かぐや姫の物語」は、2月のアカデミー賞のノミネートで話題になった年、半年ぐらいあとだったように思いますが、テレビの地上波で放送されたものを視聴しました。今回はノーカット版ということでしたが、どこがカットされていた場面なのか、わかるものはありませんでした。
たさ、終わりの方で捨丸とドローンの映像のように空中遊泳する場面は、前に見た記憶のないものでした。捨丸の夢なのか、どちらともとれるような場面とも思いました。拘置所の官本の中で読んだ「邯鄲一炊の夢」のことも思い出します。
金沢刑務所では拘置所も同じで、免業日の午後に2時間の昼寝の時間がありました。「午睡」と一般では馴染みのない言葉で呼ばれていました。昼寝をしなければならない時間ではなかったですが、昼寝をする人がほとんどだったので、静かにしなければいけない時間でした。
布団をしいて、寝転がって本を読むこともありましたが、昼寝をして夢をみることもありました。刑務官が鳴らす鐘の音で午睡の時間が終了し、それを合図に眠りから目覚めることもありましたが、あれも普通の社会の中の生活だとまずない体験だと思います。
あとで別に書きたいと思いますが、今朝はテレビがきっかけで、久しぶりに「胡蝶の夢」を思い出しました。壮士の本の中にも出てきたと思います。文庫本で4冊買って全て読みましたが、難解なところが多く、珍しくわかりやすいとも思ったのが「胡蝶の夢」のところです。
「胡蝶の夢」は、金沢刑務所の拘置所にいるとき、官本として4冊のうち2冊を読んだ憶えがあります。とても面白く読みやすかったのですが、2冊しかなかったので2冊しか読めませんでした。金沢刑務所の拘置所では、通路を移動する本棚で、タイトルだけで借りる本を決めなければなりませんでした。
中国の歴史の異民族のことをイメージしたのですが、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」は、日本の幕末の医師を主人公とした物語でした。今、久しぶりに思い出して、気がついたのですが、もしかすると和歌山の華岡青洲の妻のことも、その本で読んだのかもしれません。
華岡青洲の妻のことは、官本で2,3回、読んだと思うのですが、普通に社会で生活しているときに、ネットでもテレビでも名前は見たことがないように思います。以前、ネットで調べたことはありました。「私は忘れない」と同じ作者の作品があることを知ったことも、書いたと思います。
時刻は、5月21日17時20分です。またまる一日以上中断をしていたかと思います。書いておきたいことが次から次に増えすぎて、考えの整理や取捨選択だけでも大変です。
小項目の見出しを確認すると、テレビでかぐや姫の物語を視聴したことと、関連付けて告訴事件について考えたことを書く予定でした。感覚が鋭いうちに早めに書いた方がよいのは重々承知なのですが、ありがちなパターンとして後手に回ってしまった感があります。
まだ一月は経っていないように思いますが、何かのきっかけで「かぐや姫の物語」のことを思い出し、それについて書いた翌日ぐらいに、テレビで高畑勲監督の訃報を知ったということもありました。
私がずっと前から気にかけてきたことで、思い出しては気に掛け考える時間が長くなっているのも、本件告発事件の被害者である安藤文さんのご両親、安藤健次郎さんと安藤紀世さんのことです。生存の確認すらできない状況で、なんとかならなかったのかという悔恨もあります。
2018年05月21日17時40分の登録: 2018-04-04-100838_高尾城址から振り返る、平成9年から平成11年の被害者安藤文さんの父親安藤健次郎さんとの関係・告発に至る経緯 http://hirono2017kk.blogspot.com/2018/05/2018-04-04-100838911.html
上記のエントリーは、さきほど投稿したものですが、だいぶん前に中断したままになっていました。タイトルと内容が十分に整合していない未完のものですが、内容より経緯を優先することで、強制的に締めくくり投稿をしました。最後の小項目は次になります。
2018年05月01日17時51分の登録: # 能登町藤波の海蔵院末薬師堂と輪島市門前町の高尾山、宇出津の天徳寺と祖父母の関係、実行しなかった京都の母親の妹からの頼まれごと # http://hirono2017kk.blogspot.com/2018/05/blog-post.html
すでにご説明済みのことですが、タイトルの冒頭と末尾に#がつくものは、小項目としてEmacsから投稿したものです。Markdownのモードを使って、再利用をするかたちでCAPS+」とキー操作をするだけでブログへの投稿が完了するようにしています。
時刻は17時54分ですが、今しがたテレビで、住宅にクマが立てこもり麻酔銃で捕獲の後、殺処分されたというニュースがありました。山口県の下松市とのことです。確認していませんが私の長距離トラックの経験では、瀬戸内海の海沿いに近い場所だったように思います。光市の近くとも。
クマについても金沢の卯辰山と白山市の尾口村の関連でずっと前から書いておきたいことがあります。光市の海沿いと思われる映像も昨夜のバラエティ番組で、京都府の丹後半島に似たような場所を映像として見たように考え、取り上げておきたいと考えていました。
昨日の日曜日の夕方はテレビで、卯辰山の全国高校相撲大会をみました。大会の結果は石川県の県内ニュースとしてこれまで目にしたことがあったと思いますが、大会の中継を見たのは初めてでした。それも16時30分からの放送だったので、録画したダイジェストの放送なのかと思っていました。
昨日は、テレビで卯辰山の全国高校相撲大会を見た後も、偶然として割り切れないようなことが2つありました。初めの一つは、これまでにも何度かあったことですが、銭湯のテレビで目にした放送内容でした。
北朝鮮に関する放送内容でしたが、この問題は、佐々木亮弁護士、北周士弁護士、神原元弁護士らの不当懲戒請求問題、最近は見かけなくなっている従軍慰安婦問題とも同根ではないかと考えることのあったことにつながるものです。
従軍慰安婦問題は、弁護士らが作り上げた種まきの成果物という側面があるように考えてきたのですが、同じ戦時中の日本軍の問題行動として著名なインパール作戦があります。いずれも間接的な情報以外に確認は無理だと考えるのですが、とんでもない扱いをしているも深澤諭史弁護士が顕著です。
深澤諭史弁護士の語るインパール作戦は、いわゆる成仏理論と同じく、司法制度改革や弁護士としての社会的待遇への不満あるいは怨嗟として、しきりに取り上げています。
前に「かぐや姫の物語」を視聴したとき、月から神仏の一団が、かぐや姫を迎えに来て強制的に連れ去っていく場面をみたとき、その人の運命を決定づける大きな力に、法曹の力を見る思いがあり、それが深澤諭史弁護士の世界観に重なって見えるものがありました。
今回は、ノーカット版という放送を視聴した後、Twitterの検索で感想や反応を見ていたのですが、そのなかに人の死をビジュアルに表現している、というものがあって視野が広がり、違った視点を持ったような気持ちになりました。
数年前のアカデミー賞のノミネートとで大きな話題となり、「かぐや姫の物語」という長編アニメの存在を知ってすぐの頃だったと思いますが、娘の健やかな成長を願った両親から、自分が平成4年4月1日の傷害・準強姦被告事件で健康な体を奪ってしまったという考えがありました。
しかし、その事件の本当の原因、事実は石川県警察の捜査で解明されず、本来、安藤文さんを窮地に追い込んだ市場急配センター関係者らの作り上げた外形的な事実で塗り替えられた物語となってしまいました。本来、捜査の不備を指摘する立場の弁護士らが、それを悪用するかたちで判決を確定させました。
私はもともと、神仏の存在も死後の世界も確認のしようがないという考えなのですが、数百年前、千年前に死んだ人も数日前に死んだ人も余り違いはないのではと漠然と考えるのです。今の私にとって、安藤文さんの両親は生存の確認も出来ない存在ですし、安藤文さんも同じです。
個人差はあると思いますし、21歳という若い時の受傷の方が回復力も旺盛と考えるのですが、なにかで脳に大きなダメージを受けた人は長生きが出来ないと聞いたことがあり、先日の西城秀樹さんの訃報も考えさせられるところがありました。
私と安藤文さん家族の関係は、平成11年8月の安藤健次郎さんに対する傷害事件と、平成17年10月の金沢中警察署の山出警部補が介入した出来事で完全に途切れています。
安藤健次郎さんや石川県警察の本意、本心に関わりなく、その関係を大きく阻害しているのは弁護士だと考えるようになりました。それこそ深澤諭史弁護士が飛びつきそうな御馳走になるのも皮肉な話ですが、それが弁護士妖怪大泥棒神社の物語の顛末であります。
# 久しぶりにテレビで見た検察批判のジャーナリスト青木理氏と、古今東西稀に見るエクストリーム擁護の博覧会という深澤諭史弁護士のツイートから、昭和40年代へ #
自分の記憶をたぐると10日ほど前になるでしょうか、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインの本人のツイートをきっかけに、久しぶりに青木理氏の名前を目にしました。名指しで批判を受けていたので珍しいと思ったのですが、麻疹がきっかけでした。
麻疹という漢字が「はしか」ということもその時初めて知ったように思います。麻という漢字は大麻と同じですが、1年ほど前か芸能人が沖縄で大麻の栽培や吸引をしていたことで大きな問題になり、そのとき神社のしめ縄にも使われているもので、神社との関わりも歴史的に古いと知りました。
テレビで青木理氏の話を聞いていると、開いていた深澤諭史弁護士のタイムラインに更新があり、次のツイートが目に入りました。博覧会という文字がありますが、これは私の経験として麻疹とダイレクトに結びつくものです。
* ツイート%fukazawas(深澤諭史)%2018/05/22 08:02%<https://twitter.com/fukazawas/status/998700470393683968>
{% tweet 998700470393683968 %}
モリカケ問題と,不当懲戒問題という,古今東西,稀に見るエクストリーム擁護の博覧会が同時に2つも見られる偶然。
(;・∀・)
時刻を見ると8時2分となっていて、これは私が台所の方から戻りテレビをつけたときに表示されていた時刻です。初めに昨日の山口県下松のクマの殺処分の場面を目にしたように思いますが、一通りチャンネルを変えて内容を確認してから北陸朝日放送のグッドモーニングを見始めました。
加計学園の新事実のような問題がトップに来るのか見ておきたかったのです。時刻は9時29分ですが、グッドモーニングでは2分ほど前にそれが終わり、よく聞いていなかったですが、3分から長くて5分ぐらいの時間の割当だったと思います。大きな扱いではなかったです。
少し脱線するかもしれないですが、それほど大きな問題なのかと疑問に思ったのは、広島出身の落合洋司弁護士(東京弁護士会)のタイムラインで次のツイートを見ていたからです。
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:35%<https://twitter.com/yjochi/status/998603180811239425>
{% tweet 998603180811239425 %}
こういう腐りきった自民党を支え続ける公明党、学会も、みんな仏罰が下って地獄に落ちるんじゃない?笑
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:30%<https://twitter.com/yjochi/status/998601818044182529>
{% tweet 998601818044182529 %}
自民党の国会議員も、いい加減、嘘つきや人でなしを担ぐのはやめないと、人として恥ずかしいんじゃないの。そういう羞恥心をどこかに置いてきたから自民党なのかもだけど。笑
でも、かつての自民党には、そうあってはいけないという矜持やプライドがあったよね。
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:21%<https://twitter.com/yjochi/status/998599738449514498>
{% tweet 998599738449514498 %}
副総理は、訳のわからないこと言っては撤回、謝罪の迷走太郎だし。世界の笑い者だわな。
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:20%<https://twitter.com/yjochi/status/998599329886625794>
{% tweet 998599329886625794 %}
内閣人事局使って飼いならした下僕官僚は、財務事務次官はセクハラオヤジ、国税庁長官は嘘つきの文書改ざん野郎、元首相秘書官は記憶自由自在男。日本はどうなるんだ。笑
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 01:14%<https://twitter.com/yjochi/status/998597906079797248>
{% tweet 998597906079797248 %}
あべちゃんや仲間たちが、どういう言い訳するか楽しみだな。毎日が言い訳。笑
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 00:05%<https://twitter.com/yjochi/status/998580528382070785>
{% tweet 998580528382070785 %}
秋山兄弟は、坂の上の雲を通じてしか知らないが、ごくごく平凡な士族の家に生まれ、たまたま兄は陸軍、弟は海軍に進んで、進んだ道で職務に物凄く打ち込む、その姿が印象的。愛媛県民の県民性なのかも。兄はロシアのコサック騎兵団を破り、弟はバルチック艦隊を壊滅させる。今度は一強政権を打倒か。笑
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/22 00:00%<https://twitter.com/yjochi/status/998579358095716352>
{% tweet 998579358095716352 %}
ご覧いただき、ありがとうございます。 https://t.co/d4m3ujJpBE
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/21 23:58%<https://twitter.com/yjochi/status/998578897636675586>
{% tweet 998578897636675586 %}
愛媛県が、あべちゃんや取り巻きを、徐々に追い込みつつあるのが凄い。素朴に感心している。
* ツイート%yjochi(落合洋司 Yoji Ochiai)%2018/05/21 23:57%<https://twitter.com/yjochi/status/998578533021630464>
{% tweet 998578533021630464 %}
愛媛県職員って、記録を取ることについて、驚くべき執念深さ、丹念さを持っていると、率直に感心している。秋山兄弟を輩出した土地柄か。
* ツイート%asahi(朝日新聞(asahi shimbun))%2018/05/21 23:18%<https://twitter.com/asahi/status/998568610657267716>
{% tweet 998568610657267716 %}
加藤厚労相、加計側との面会認める 愛媛県新文書に記載 https://t.co/zPZAVUmkQ8
昨夜、3時間もののサスペンスドラマを見ていた関係で、気が付かないままチャンネルがそのままの状態でMRO北陸放送のNEWS23という番組を見ていたのですが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)が出ていて顔出しで何かコメントしていました。アメフトの問題だったような気もします。
スマホで撮影していたテレビの画面で確認したのですが、やはりアメフトの悪質タックル問題でした。短い時間で撮影に成功していましたが、落合洋司弁護士(東京弁護士会)の出ている場面は23時23分の時刻が表示されていました。
そういえば、最近は深澤諭史弁護士のタイムラインでも落合洋司弁護士(東京弁護士会)のツイートはリツイートとして見かけていないように思いました。
さきほど深澤諭史弁護士のツイートからエクストリームという言葉を調べたのですが、極端、過激という意味の他に、スポーツ的な要素として、離れ業などとも書いてありました。
落合洋司弁護士(東京弁護士会)ツイートも極端に感じるものが多いです。深澤諭史弁護士のツイートは見世物小屋の曲芸のように感じるものが多いです。弁護士サーカス団一座というイメージが、寄せ集められた深澤諭史弁護士のタイムラインから伝わってきます。
# 昭和40年代の大阪万国博覧会と麻疹の思い出、天神様の北野天満宮から小田原の村松謙弁護士のツイート #
* ツイート%motoken_tw(モトケン)%2018/05/09 09:19%<https://twitter.com/motoken_tw/status/994008900037894144>
{% tweet 994008900037894144 %}
青木理さん 典型的な他人に守られていることを知らない知識人 麻疹は死ぬよ #BLOGOS https://t.co/Iqg81NL1ca
テキスト保存しているモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のツイートのまとめファイルから「麻疹」で検索をして見つけ出したのですが、5月9日の9時19分の投稿となっていました。午前中に目にしたような記憶もあります。
リンクの記事を読み筆者のTwitterも見たのですが、「元自衛隊医官 危機管理専門血液内科医」というプロフィールの人でした。
麻疹と聞いて思い出すのは、大阪万国博覧会に行ったことで、万博会場の記憶もほとんど残っておらずテレビで見た映像と区別がつかなくなっているのですが、唯一記憶に残っているのが、京都の親戚の家で半月ほどと聞いたように思うのですが病気で静養していたことです。それが麻疹でした。
なんとなく寝込んでいたような記憶もかすかに残っているのですが、しんどい思いをしていたという記憶はありません。記憶に残っているのは体が良くなって、明日帰ると聞いた日のことです。外に出でそこは広い神社の広場だったのですが、強い記憶として天神様と「通りゃんせ」が残っています。
「通りゃんせ」の歌の歌詞にあるように、怖い思いをしながら不思議なものを強く感じていたという体験です。その時の病気が「はしか」であったことも、京都から帰ってから、母親が立ち話をする会話として聞いていたような記憶です。
他に記憶に残っているのは、夜に大きな川の川沿いに赤提灯がいっぱい点灯したような店に入ったことです。今でいう居酒屋だったのかもしれませんが、私が居酒屋という言葉を聞くようになったのは、昭和58年の初めころに、「居酒屋」という曲が流行したことだったと思います。
同じ頃のヒット曲に「氷雨」や「釜山港へ帰れ」がありました。普通免許を取って日の浅かった被告発人大網健二の車で夜によくドライブをして遊んでいた頃のことです。車は自動車修理工場の彼の家の車で、代車に使われたコロナという車種でした。
他にも気になることがあったので、集中力を高めるためにも少しでも疑問を解消しておこうと思い、京都の親戚の住所を探しました。ずっと前に郵送してもらった荷物の送り状をどこかに保管しておいたと思ったのですが、探し出すのにけっこう時間が掛かりました。
その探し物をしている過程で、思わぬ発見として被告発人大網健二の名刺がありました。写真をアップロードでまとめ記事にしています。平成11年8月以降の名刺です。同じ社名と住所のものは、金沢市桂町の元チェリー商事の倉庫として目にしていたもので、写真も記録しています。
北野天満宮については、それまでにも調べたことがあったのですが、目的の発見のようなものはありませんでした。親戚の住所もGoogleマップで調べていたと思いますが、発見と思うようなものはありませんでした。
5月9日に調べた時は、ストリートビューで京都の親戚の家まで見つけることになりました。母親の妹の次女のおばさんの家だと思います。比較的新しい家だったので、昭和40年代にあった家には到底思えませんでした。同じ場所で建て替えがあったのかも不明です。
ストリートビューで近くの検索として「北野天満宮」を指定すると、ずいぶん近くに表示されたのですが、それでも2キロちょっとでした。私の家から宇出津新港のアルプまでがそれくらいの距離になるのだと思いますが、子供が歩いて行けるような距離には思いませんでした。
親戚の家の周辺もストリートビューで調べたのですが、私の記憶にあるような、大きな敷地の神社やお寺は見当たりませんでした。寺院は近くにありましたが、周辺の住宅に古いものは見当たらなかったので、新興の住宅地として開発された地域にも見えました。
前に、モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)の法律事務所と八坂神社を調べたときも同じぐらい離れた距離でしたが、移動時間は車でもバスでもけっこう長めでした。あらためてモトケンこと矢部善朗弁護士の法律事務所の周辺をGoogleマップで見ていると、別の発見がありました。
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/22 11:19%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/998750058391654400>
{% tweet 998750058391654400 %}
八坂神社 から 四季の風法律事務所 - Google マップ https://t.co/1VHkSYLbU0
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/22 11:20%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/998750451494350849>
{% tweet 998750451494350849 %}
門前町 から 四季の風法律事務所 - Google マップ https://t.co/T5uW4Iwfyi
門前町まで1.4キロと表示されています。下京区です。有名な西本願寺の大きな土地が広がっていますが、初めに京都市の門前町としてスマホで調べた時は、この情報が見つかりませんでした。
半年ほど前になると思いますが、病院で会話が出来るとき、母親が何度も「もんぜんちょう」と口にするようになったのです。それも京都の上京区の門前町だといいます。近くに本願寺があるのかと尋ねても、知らないと答えていました。これは一貫しています。
認知症も進んでいるのでまともな会話は出来ないし、眠たがってまったく起きようとしないことも多いのですが、「門前町」と「小島伝次郎」のことは一緒によく口にするようになったので、気になっていました。前は「おとうちゃん」と京都の言葉で言っていたのですが、それが変わってきました。
能登にも門前町があって、現在は輪島市ですが、宇出津が能都町だった頃は同じ石川県鳳至郡でした。門前町の輪島市への編入の方が1,2年早かったかもしれません。ずっと「もんぜんまち」と耳にしていたので、母親が「もんぜんちょう」と言い出したときも違和感を感じました。
輪島市門前町は總持寺祖院として有名ですが、歴史が古く大火で消失があるまでは大本山か総本山だったということです。それが神奈川県の横浜市の方に移ったということも2015年頃に理解したように思います。
数年前、總持寺祖院に行き拝観をしたのですが、それらしい説明は見たように思うものの理解が出来ませんでした。輪島と横浜を同時に意識するようになったのも、2015年の連続テレビ小説まれ、がきっかけでしたが、同じ頃に横浜弁護士会の名称変更の問題もありました。
全国の弁護士会で、県名を使わず市の名前を使っているのは、神奈川県の横浜と石川県の金沢だけ、というような情報も見かけていました。神奈川県弁護士会所属と思われる弁護士には、かねて注目してきた弁護士が数人いて、その一人が小田原市の村松謙弁護士でした。
童謡というジャンルになるのか「通りゃんせ」という曲も、前に調べたことがあったと思うのですが、5月9日に調べると、他にも1つあるようでしたが、小田原市の神社が歌の発祥になるという情報をみて、これまでの常識がひっくり返ったような気分になりました。
あらためてなぜ京都のイメージが固定化されていたのか考えると、曲調が古都の京都らしいというのもありますが、「天神様」と歌詞に出てくるので、菅原道真が祀られている北野天満宮と考えるのが、やはり自然なことだと思いました。
栃木県の思川が、北九州の宗像、沖ノ島に祀られる田心姫命に由来するという情報をネットで見たときも驚きでしたが、伝統文化の広い分布として、それで少し慣れていましたが、昔の関東というのは東国武士や東人の無骨なイメージがあるだけに、やはり違和感を感じます。
小田原市というのも、歴史的に有名で大きな拠点となった場所というイメージがあります。そういう歴史的伝統文化も踏まえ、村松謙弁護士はかねてより不思議に感じる存在感がありました。山伏や修験道者のような理解を超えた存在感があり、それが小田原市という場所にも溶け込んでいました。
# 村松謙弁護士のタイムラインで目にした女性弁護士アカウントの日大反則タックルの問題で、若い世代に伝えたいです、ということ #
また中断をしていました。昨日は誘いがあって久しぶりに小木港東一文字堤防にアジ釣りに行っていました。中断前の予定では、小田原から座間市、八王子市へと説明をつなぐつもりでいたのですが、その後多数の問題が入り込んできて混乱気味でした。
新潟の高島章弁護士(新潟県弁護士会)にも大きな動きがあったのですが、色合いの強すぎる古参の弁護士より、法教育にたずさわり、小さい子供がいるというツイートも前にみたことのある小田原の村松謙弁護士を軸に、若い世代にも影響を与えそうな女性弁護士にしらばくフォーカスを移します。
[link:] 2018年05月25日14時10分の登録: #村松 謙 @kmuramatsu#のツイート/2018-05-23_2025〜2018-05-25_1343/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月25日14時09分 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/kmuramatsu2018-05-2320252018-05.html>
上記のまとめ記事をベースにします。2018-05-23 20:25から198件:最新2018-05-25 13:43という範囲(1日17時間18分)の取得
24件目 (リツイート): kmuramatsu(村松 謙)|nmr_ems(弁護士 塩見直子) 日時:2018-05-25 08:44/2018-03-09 15:49 URL: <https://twitter.com/kmuramatsu/status/999798445178171393> <https://twitter.com/nmr_ems/status/972001520320311299>
{% tweet 999798445178171393 %}
面白いので是非読んでみてください!ただ、①パートナーなのでよく一緒にされるけど私はヤリ○○でもエキセントリックでもないということと、②三輪弁護士も仕事に対してはいたって真面目(むしろこのキャラでよくあんな真面目に仕事できるな)、と… https://t.co/frjAVEsF8D
リンクの記事は以前読んだことのあるものでした。一月ぐらいは経っているように思います。男女問題として色々と思うところはありましたが、特に取り上げておきたいとは判断しませんでした。
今回、村松謙弁護士がリツイートをしているのは、塩見直子弁護士です。アイコンの顔写真を見てすぐに気が付きましたが、三輪記子弁護士のTwitterで固定ツイートにツーショットの写真がある相方の女性弁護士でした。
* ツイート%bi_miwa(三輪記子)%2017/10/25 08:54%<https://twitter.com/bi_miwa/status/922974687373574145>
{% tweet 922974687373574145 %}
この度、京都修習同期である塩見直子弁護士と新事務所を開設しました。
事務所の名前は『東京ファミリア法律事務所』で、最寄駅は表参道です。新事務所開設に伴い、京都弁護士会から第一東京弁護士会に登録替えをしまして、昨日は入会式に出席して… https://t.co/bIjrx1tfsw
あらためてツイートを読むと、京都修習で同期だったと書いてありました。京都で司法修習といえば、忘れることのないものがあります。弁護士業界の独特の雰囲気もお伝えできればと思うので、探してご紹介しておきます。
* ツイート%taniyama(弁護士谷山智光)%2013/02/28 22:16%<https://twitter.com/taniyama/status/307117053783986178>
{% tweet 307117053783986178 %}
無罪判決をとったら修習生をお茶屋に連れていこう。
すんなり見つけ出すことが出来なかったのですが、調べる過程で次の野田隼人弁護士のツイートも見つけて思い出しました。数が多いと忘れてしまうものも多いです。部分的な言葉から探し出すのも難儀することが多いです。
* ツイート%nodahayato(弁護士 野田隼人)%2016/10/24 23:23%<https://twitter.com/nodahayato/status/790559410233847808>
{% tweet 790559410233847808 %}
@SATOMasako @Dr_yandel えーっと、祇園のお茶屋へのご案内でよいですか?
上記の野田隼人弁護士のツイートが、佐藤正子弁護士への返信ツイートだったというのは、初めて気がついたように思いました。佐藤正子弁護士にはだいぶん前からブロックされているのですが、夫婦別姓で共同経営する野田隼人弁護士のパートーナーではないかと想像したこともありました。
<2018年05月25日(金) 15時31分41秒にTwitterAPIで取得したSATOMasako(佐藤正子)のプロフィール情報>
サトマコです。弁護士をしています(滋賀弁護士会、高島法律事務所)。一般財団法人河合隼雄財団監事、日弁連取調べの可視化本部事務局員など。大阪生まれ。美人でセクシーかつおもしろくてかしこい人になるのが目標です。wezzy連載中。#2015dec_baby https://t.co/Y6OMAmjON8
<2018年05月25日(金) 15時33分13秒にTwitterAPIで取得したnodahayato(弁護士 野田隼人)のプロフィール情報>
滋賀弁護士会/62/京都大学LS非常勤講師(刑事弁護実務)/成功報酬制の債権回収,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。月2日くらいフィリピン/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
[4891] % mysql -u root benngosi_twitter -e 'SELECT profile FROM tw_user_tweet WHERE user LIKE "nodahayato" ORDER BY tw_date ASC;' -s|sort|uniq
滋賀弁護士会/62/京都大学LS非常勤講師(刑事弁護実務)/成功報酬制の債権回収,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。月2日くらいフィリピン/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/62/京都大学法科大学院非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/62/京都大学法科大学院非常勤講師(刑事弁護実務)/成功報酬制の債権回収,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。月2日くらいフィリピン/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/京大LS非常勤/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国の事件に対応。月5日は東京。同じくらい大阪。/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
滋賀弁護士会/京都大学法科大学院非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。/元マ的なもの/全国対応。月5日は東京。同じくらい大阪。/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
弁護士(滋賀弁護士会)/京産大・京都大学 非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,自宅に住み続けられる破産,フィリピン法務。他の人があんまりやっていないこと。/全国の事件に対応/事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
弁護士(滋賀弁護士会)/京都産業大学・京都大学 法科大学院非常勤講師/刑事弁護,債務超過企業の再建・事業承継,フィリピン法務/全国対応 事務所サイト https://t.co/7k6r71HQZ1 フィリピン法務 https://t.co/46tmnFRfND
弁護士(滋賀弁護士会)/高島法律事務所-滋賀県高島市/京都産業大学・京都大学 法科大学院非常勤講師/日弁連では刑事法制・独禁法・中小企業支援、中小企業の海外進出支援/元マ的なもの・現役でIT屋さん
弁護士(滋賀弁護士会)/高島法律事務所-滋賀県高島市/京都産業大学・京都大学 法科大学院非常勤講師/日弁連では刑事法制・独禁法・中小企業支援、中小企業の海外進出支援/元マ的なもの・現役でIT屋さん/「とある弁護士さん」(某書)
弁護士(滋賀弁護士会)/高島法律事務所-滋賀県高島市/京都産業大学・京都大学非常勤講師/日弁連では刑事法制・独禁法・中小企業の海外進出支援/元マ的なもの・現役でIT屋さん
野田隼人弁護士が既婚者かどうかわかりませんが、自信のない記憶ではあるものの以前、子供のことをツイートしていたような気もします。他の弁護士アカウントと取り違えている可能性はありますが、それらしいツイートを見たような気もするのです。
子供のことをツイートしていた弁護士アカウントとして割合はっきり憶えているのは、村松謙弁護士と「ほうたろう」です。娘と息子の顔写真も頻繁にアップロードしているのはローカスこと三浦義隆弁護士です。
時刻は、5月26日10時07分です。昨夜、テレビで気になるニュースがあってローカルニュースだったと思うのですが、今朝の北陸中日新聞の朝刊に出ていました。朝刊の方は年齢と名前が出ていなかったのですが、ネットのニュースではどちらも出ているものが半々ぐらいでした。
[link:] 線路上で男児2人が意識不明 はねられたか 石川 | NHKニュース <https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180525/k10011453121000.html>
上記は名前と年齢が出ていないニュースです。昨夜のテレビニュースでは、はねられた、とも言わず。線路で倒れていたというだけの報道であったように思います。第一報ということになりそうですが、新潟の小2女児殺害事件の時の夜の報道と似ているように感じていました。
今回も、線路で遊んでいたという一面を印象づける報道と、二人で線路にしゃがんでいたというドライブレコーダーの映像のことを書く報道がありました。楽しい世界に旅立つつもりで二人は線路で遊んでいたのかと考えました。
昨夜は21時のNHKのニュース番組をみながら眠ってしまったように思います。夜中の2時半頃かに一度目が覚めました。それで民放の報道を見逃したのですが、森友学園の籠池夫妻の保釈のニュースは、余り大きくない印象でしたし、Twitterでも少しだけしか取り上げを見ていません。
さて、昨日の続きになる塩見直子弁護士のツイートのご紹介です。アカウントの存在を初めてみたように思ったのですが、自作のコマンドで調べるとリストに登録済みのようでした。
* ツイート%nmr_ems(弁護士 塩見直子)%2018/05/24 02:39%<https://twitter.com/nmr_ems/status/999344007288254465>
{% tweet 999344007288254465 %}
日大アメフト部の会見やっと追いつきました!結局、上は責任逃れで誰も守ってはくれない。だからこそ、「自分の意思を強く持って、違うと思ったなら違うと言える強さを持ってほしい」「自分が立っている狭い世界が全てだと思わないで」ということを若い世代に伝えたいです。
樋口:読んでいただけばわかりますが、この本は育児日記とは名ばかりの、妻の男性遍歴暴露日記ですから。
三輪:私は別に何を言われても全然平気なのですが、男の人が同じことをやったら「武勇伝」で、女がそれをやると「ヤリマン」と蔑まれることに対するおかしさはずっと感じてますね。
私は武勇伝のつもりはまったくないし、自慢するつもりもまったくないんですけど、男女の扱いの違いは本当に納得がいかない。
ヤリマンが尊称にならないとおかしいと思ってます。ヤリマン尊称化プロジェクト、略してYSP実行中ですよ!
[source:] /引用元:/ 奔放すぎる女性弁護士と翻弄される主夫作家 三輪記子&樋口毅宏のファンキーな日々 <https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/fusako?utm_term=.hfbeQodwnG#.yxN79W3A5P>
昨日は、記事のリンクを紹介した塩見直子弁護士のツイートだけの紹介になっていましたが、上記がその記事です。
日本でも古い時代、女性が集落の複数の男性と性交渉を行い、誰が父親なのかにこだわらず共同で育てたという話を半年ほど前に何かで読んだことがありました。同様の習慣というか風俗は、中国の辺境の少数民族にあると数年前にテレビで見たような記憶もありました。
日大の反則タックル問題ですが、ネットでは殺人タックルとするものも。弁護士らはほとんど手放しで日大側を痛烈に批判しています。その辺りも含め、次に、三輪記子弁護士とローカスこと三浦義隆弁護士をセットにして、兼ねて感じてきた商売性優先の弁護士不信を交えて書いておきたいと思います。
# 三輪記子弁護士とローカスこと三浦義隆弁護士に共通して感じてきた弁護士の商売性、と日大の悪質タックル問題の世論の熟成環境 #
[link:] 2018年05月26日10時58分の登録: #三輪記子 @bi_miwa#のツイート/2018-05-11_1936〜2018-05-26_1043/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月26日10時58分 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/bimiwa2018-05-1119362018-05.html>
[link:] 2018年05月26日10時59分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-19_1820〜2018-05-26_1045/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月26日10時58分 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1918202018-05.html>
あとで更新するかもしれないですが、当面は上記の2つのまとめ記事をご説明のベースにしたいと思います。三輪記子弁護士のタイムラインは、これまでほとんど見ていなかったのですが、先程URLの取得でスクロールダウンをしていたところ、ずいぶんリツイートが多いと思いました。
三浦義隆弁護士のタイムラインも余り見てはおらず、他の弁護士のリツイートとして目にするものが多かったと思います。上記の記録もタイムラインを開かないまま「ubpost.rb lawkus」という方法でコマンドを実行しました。
コマンドの引数にTwitterのアカウント名を指定していますが、引数を指定しない場合は、スクリプトの条件式でクリップボードに保存されたツイートのURLからアカウント名を抽出し、それを変数に代入して使うようにしています。
三輪記子弁護士は「2018-05-11 19:36から198件:最新2018-05-26 10:43という範囲(14日15時間7分)の取得」。
ローカスこと三浦義隆弁護士は「2018-05-19 18:20から199件:最新2018-05-26 10:45という範囲(6日16時間25分)の取得」。
ローカスこと三浦義隆弁護士のツイートは、主に日大の悪質タックル問題に関連して気になるものを見かけていたので、記録もこまめにしていると思います。ここ最近の一覧を取得してみます。
2018年05月03日14時59分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月03日14時59分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805031459.html
2018年05月03日22時32分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月03日22時31分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805032231.html
2018年05月04日05時40分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月04日05時40分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805040540.html
2018年05月04日11時45分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月04日11時45分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805041145.html
2018年05月04日21時38分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月04日21時38分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805042138.html
2018年05月05日15時04分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月05日15時04分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus201805051504.html
2018年05月06日07時52分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-24_0639〜2018-05-05_2223/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月06日07時52分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2406392018-05.html
2018年05月06日23時18分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-24_1618〜2018-05-06_2253/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月06日23時18分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2416182018-05.html
2018年05月07日22時48分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-25_0132〜2018-05-07_2229/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月07日22時48分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2501322018-05.html
2018年05月08日23時00分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-04-28_0056〜2018-05-08_2259/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月08日23時00分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-04-2800562018-05.html
2018年05月10日17時14分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-07_2316〜2018-05-10_1629/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月10日17時14分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-0723162018-05.html
2018年05月10日17時24分の登録: \ystk @lawkus\橋下氏が煽った懲戒請求は、一応「被告人の不利益になる弁護活動をした」という体裁を取り得た(少なくとも扇動者の橋下氏はそういう言い方をしていた) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus.html
2018年05月11日12時15分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-08_2212〜2018-05-11_1154/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月11日12時15分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-0822122018-05.html
2018年05月12日10時17分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-09_1205〜2018-05-12_1003/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月12日10時17分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-0912052018-05.html
2018年05月13日19時22分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-10_0723〜2018-05-13_1246/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月13日19時22分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1007232018-05.html
2018年05月14日13時13分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-10_0813〜2018-05-14_1310/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月14日13時13分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1008132018-05.html
2018年05月14日20時31分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-10_0953〜2018-05-14_1809/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月14日20時31分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1009532018-05.html
2018年05月15日16時56分の登録: REGEXP:”光市”/ystk(@lawkus)の検索(2010-03-23〜2017-12-15/2018年05月15日16時55分の記録13件) http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/regexpystklawkus2010-03-232017-12.html
2018年05月16日02時11分の登録: \ystk @lawkus\弁護士になって7年弱だが、「弁護士は一定の経済的余裕を持つのが望ましい。仕事に飢えた弁護士は危険」というのが偽らざる実感ですね。 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus7.html
2018年05月17日20時00分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-13_0704〜2018-05-17_1901/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月17日20時00分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1307042018-05.html
2018年05月17日21時05分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-13_0704〜2018-05-17_1901/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月17日21時05分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1307042018-05_17.html
2018年05月18日01時35分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-13_1046〜2018-05-18_0132/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月18日01時35分 http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-1310462018-05.html
今月5月に入ってからのものだけを上記に掲載しましたが、思いの外、数は多く感じられました。この数は記録の必要性、重要性の反映でもあります。
* ツイート%s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター)%2018/05/26 10:32%<https://twitter.com/s_hirono/status/1000187974422708224>
{% tweet 1000187974422708224 %}
2018-05-26-103219_三輪記子(@bi_miwa)さん | Twitter.jpg https://t.co/6iDwiSUlPD
上記は、三輪記子弁護士のTwitterアカウントのスクリーンショットになります。ずっと気になってきたのは、アイコンのことです。かれこれ半年以上は同じものだと思いますが、1年前となると違っていたような気もします。
3年ぐらい経つでしょうか、Twitterのアイコンの絵柄が丸い縁で切り抜いたようなかたちになりました。角がなくなったとも言えるのですが、その部分に文字があると見えなくなってしまいました。
自画像のような絵があって右に「おまん」左に「こんにちわ」と見えます。右が3文字、左が5文字ですが、左の1番目の「こ」の字を、右の下に持ってくると「お」「ま」「ん」「こ」という卑猥な放送禁止用語が出来上がります。とても軍前途は思えないメッセージ性を感じるものです。
時刻は、5月28日10時24分です。中断していました。昨日のお昼、アッコにおまかせ、という情報番組に三輪記子弁護士が出演していましたが、台所でアジの南蛮漬けを作っていたので、コメントも見ていませんでした。このところテレビで見る機会も増えていると思います。
ここ数日気になっているのは、高島章弁護士(新潟県弁護士会)のTwitterに更新がないことです。
* リツイート→BarlKarth(高島章(弁護士))>tsukassaito(斎藤司)|2018/05/25 11:25/2018/05/25 00:08|<https://twitter.com/BarlKarth/status/999838935336370176>/<https://twitter.com/tsukassaito/status/999668383246270465>
{% tweet 999838935336370176 %}
刑法学会WS趣旨説明のスライド、レジュメなどもなんとか完成。当日、うまくいくといいなぁ。
上記が最新のものになりますが、その一つ前が同じくリツイートになりますが、中村元弥弁護士のツイートのリツイートです。
* リツイート→BarlKarth(高島章(弁護士))>1961kumachin(中村元弥)|2018/05/25 11:25/2015/11/26 14:31|<https://twitter.com/BarlKarth/status/999838841295945728>/<https://twitter.com/1961kumachin/status/669750388401180674>
{% tweet 999838841295945728 %}
バール先生こと高島章先生は、日本刑法学会などで実際にお会いしてみると、ものすごくセクシーでチャーミングで物静かで「この人、モテるだろうなあ」と感じさせる方である
2015年11月26日の中村元弥弁護士のツイートですが、ずいぶん前のものです。これを少しでも多くの人に見てもらいたいために、更新をストップしているのかと勘ぐることもあるのですが、本当のところはわかりません。
ここ最近、弁護士という職業に対してオカルト性というものをこれまで以上に強く感じるようになってきました。塩見直子弁護士のツイートには、少年少女漫画の要素も感じていたのですが、漫画と現実の距離がここまで近く感じたことはなかったと思います。月との関係にも似ています。
# 昭和40年代のオカルト漫画「恐怖新聞」を彷彿とさせる、最近のテレビ報道における弁護士の社会的影響 #
[link:] 2018年05月28日10時42分の登録: #ystk @lawkus#のツイート/2018-05-23_2333〜2018-05-28_1041/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月28日10時42分 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/ystklawkus2018-05-2323332018-05.html>
前の小項目で、三輪記子弁護士とセットで取り上げる予定だったローカスこと三浦義隆弁護士のことをほとんど書かないまま締めくくってしまったことに気がついたので、そのタイミングでまとめ記事を作成しておきました。このところタイムラインも開いていません。
あらためて「恐怖新聞」について調べてみました。
つのだじろうによる恐怖漫画作品。『週刊少年チャンピオン』誌(秋田書店)において、1973年から1975年まで連載(全29話)された。1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まる「恐怖新聞」によってもたらされる、不幸な未来の恐怖を描く。主人公・鬼形礼にまつわる長期的なストーリーと、鬼形が狂言回しとして登場する独立した短編作品からなる。
1970年代のオカルトブームの一端を担い、アニメ、ビデオ、ゲームソフト、映画、パチスロ機、電子ブックからタイピング練習ソフトまで様々なメディアでリメイクされ続けている。
同じ作者の『うしろの百太郎』は霊に関するストーリーだが、本作には霊のみでなく、UFOや悪魔なども取り入れられている。霊に関するストーリーでは、根本的な原因が解決しないまま話が終わることもある。
[source:] /引用元:/ 恐怖新聞 - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E6%80%96%E6%96%B0%E8%81%9E>
このところ日大の悪質タックル問題がテレビで大きく取り上げられていますが、似たスポーツのラクビーの場面を漫画の恐怖新聞で目にしたような記憶がかすかに残っています。たぶんその影響もあるのだろうと、ちょうど今気がついたところです。
日大の問題が報道されるようになる少し前、歌手の西城秀樹さんの訃報があって、昭和40年代後半の映像も繰り返し紹介されていました。昭和47年のデビューだったというのも初めて知りましたが、古い記憶の整理のような機会にもなりました。
その一つに「愛と誠」という映画があって、西城秀樹さんが出演していたことはなんとなく記憶にあったのです。もともと漫画のイメージが強かったのですが、この愛と誠の漫画は単行本として書店に並んでいるのを見たという記憶は思い出せません。
wikipediaでみたところ、週刊少年マガジンの連載となっていましたが、思っていたよりずいぶん長い連載で、ストーリーなどをみても最終回を含め後半の辺りは、登場人物も筋書きもほとんど記憶にないものでした。
娯楽が少ない時代でもあったので、小中学生の頃はよく漫画をみていました。なかでも週刊少年マガジンは、いつも行っていた仙人町の「いのひら」という理髪店に揃えてあったので、他の週間漫画よりは欠かさず見る機会が多かったようにも思います。
「愛と誠」で最も印象的だったのはスキー場での怪我の場面でしたが、座王権太という大男も記憶に残る存在感がありました。長距離トラックの仕事で仙台方面に行くようになってからも、国道286号線で蔵王の近くを通るたびに「愛と誠」の漫画を読んだ小学校低学年の頃を思い出すことがありました。
映画「愛と誠」のYouTube動画を見ていると、作品紹介のようなものでしたが、「悪の花園」というのが出てきて、古い記憶が少し蘇りました。
もともと昭和40年代の後半というのは、家の近くの水産高校のグラウンドでラクビー部が練習する様子をみていました。京都の花園ラクビー場の話も聞いていて、石川県の代表で花園大会に出場する常連の羽咋工業高校とは、対戦の度に100体0で負けているという話も聞いていました。
京都の親戚からも京都の花園高校の話を聞いていたような記憶もあります。母親の兄弟の長男のおじさんの長男が、当時、高校生で、友達数人でバイクで遊びに来たこともありました。ちょうどダウンタウンブギウギバンドが流行している頃で、それに影響を受けた感じでした。
1972年末にサディスティック・ミカ・バンドに対抗した長いバンド名「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を思いついた宇崎竜童が、当時のバンド仲間(アマチュア)にレコーディングの話を持ちかけたところ全員怖気づいて解散状態になる。その後メンバー集めに奔走し、1973年4月に改めてバンドを結成、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと命名する。同年12月に東芝/エキスプレスレーベルからシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。
1974年12月に「スモーキン'ブギ」(70万枚の大ヒット[1])、1975年3月に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を発表。
[source:] /引用元:/ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%AE%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89>
確認のため調べたのですが、自分の記憶との齟齬が感じられました。スモーキングブギが昭和49年12月、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が昭和50年3月となっています。私は昭和50年4月に宇出津の小棚木に引っ越したはずです。京都の従兄弟がバイクで来たのは夏のはずです。
昭和50年4月に宇出津の小棚木に引っ越してから京都の従兄弟が遊びに来たという記憶はなく、辺田の浜の家にバイクで来たのはよく憶えている記憶です。
ダウンタウンブギウギバンドも当時は真新しさが際立っていましたが、ボーカルの宇崎竜童は、昭和50年代なるとテレビで表立つことはなくなり、山口百恵の楽曲の作曲家として存在感が大きくなりました。妻が作詞をしていていたので、それも有名になっていました。
キャンディーズの方がピンクレディーよりデビューも早かったと思いますが、そのキャンディーズも昭和50年4月より前、辺田の浜に住んでいた頃にはテレビで見たという記憶も残っていません。
「恐怖新聞」は、週刊少年チャンピオンの連載としても見た記憶が残っていますが、それより単行本として読んだ印象の方が若干強く残っています。千間書店の棚にも並んでいたと思いますし、それを立ち読みしたような記憶も残っています。
辺田の浜に住んでいた頃も千間書店には行っていたと思いますが、宇出津小学校から自宅とは逆方向でもあったので、行くのは少なかったと思います。
中学生の頃は、よく千間書店に行っていました。立ち読みをする時間も長かったと思います。能都中学校の通学路ということもありましたが、夕方にふらりと出かけることもありました。
2009年に羽咋市から宇出津に戻り、2,3年後ぐらいだったと思いますが丸1年程かけて梶川橋の架替え工事がありました。梶川橋の横にあった千間書店は、その工事が始まる前に取り壊して移転していたように思います。道路を挟んでその向かいには同じ梶川沿いに被告発人大網健二の家がありました。
千間書店で被告発人大網健二と顔を合わせ、そのまま彼の家に遊びに行くこともありました。彼の家の横の梶川沿いは、あばれ祭りで神輿を川に落とす場所でもあります。デジカメなどなかった時代から川沿いには多くのカメラマンが集まっていました。
小さい頃にも梶川に神輿を落とすのをみていたのですが、母親と一緒にいたという記憶は残っておらず、そのあとの八坂神社の松明の方では、母親と一緒にいたような記憶がかすかに残っているだけです。
「恐怖新聞」ですが、その後、羽咋市に住んでいるときダイナム羽咋店のパチスロ機で目にすることがありました。設置台数は少なめだったと思いますが、正面の出入り口に近い陽当りの良い場所に台がありました。
昨年の5月に七尾市でスマホをiphoneに変更したのですが、そのとき一ヶ月間の無料体験で漫画の閲覧アプリのサービスがあって、その無料期間中に、「恐怖新聞」の漫画をみたこともありました。画面がきれいすぎたので多少違和感がありましたが、昔見たストーリーと同じだと思いました。
「恐怖新聞」も連載の初めの方だけ見たという記憶で、どのような結末として連載が終わったのか記憶にはないのですが、「恐怖新聞」が終わったあとのようなタイミングで見るようになったのが「うしろの百太郎」でした。
「うしろの百太郎」の方がオカルトブームの火付け役となったように思いますが、自分が見たと記憶にあるのも初期の作品だけで、印象に残っているのは「丑の刻参り」だけです。
その後、ブームは「大霊界」などに繋がっていったような印象として記憶がありますが、その頃には見向きもしなくなっていたので、内容もしらないのですが、少しは何かで見たような記憶も少しは残っています。Gメン75の印象が強い丹波哲郎が中心になっていました。
時刻は、29日11時15分です。また色々と考える時間が長くなって中断をしていました。今日は日大前監督とコーチの処分が出されるようです。前監督は最も重い処分、コーチは2番目に重い処分が出るような関係者の情報が出ているようです。
前々から薄々感じていたことですが、日大のアメフトの問題で、弁護士の影響力の大きさをオカルト的に考えるようになってきました。平安時代は陰陽師という占い師が暗躍したような話も聞いたことがありますが、現代社会における時代絵巻を見るような気持ちでテレビを見ています。
時刻は11時29分です。2,3日更新が止まっていて気になっていた高島章弁護士(新潟県弁護士会)のタイムラインで、大量の更新があったことを確認しました。現時点で15時間前のツイートに集中がみられますが、最新のツイートでも10時間前となっています。
ちょうど、久保利弁護士について取り上げておこうかと考えているタイミングでした。タイプに違いがあると思いますが、魔法使いのようなオカルト性を感じるところは両者に共通しています。
ともあれ、高島章弁護士(新潟県弁護士会)のTwitterが更新されたのは朗報です。何かと勉強になるし参考になる弁護士ですし、資料としても一級品だと考えています。
# 弁護士業界に大量配布されたという久保利英明弁護士が中心となる選挙無効請求事件の上告理由書、を風刺する恐怖新聞の挿絵 #
昨日の朝になりますが、目当ての挿絵の記事を探すのに、集中して2時間ほど時間をつぶしました。思いの外手間取り、絞り込むのも難しかったのですが、それはそれで思わぬ発見にもつながりました。昨日のツイートを含む自分のツイートのまとめ記事を作成したので、参照しながら振り返ります。
[link:] 2018年05月29日11時34分の登録: #奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語 @hirono_hideki#のツイート/2018-05-27_0001〜2018-05-29_1037/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年05月29日11時34分 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/hironohideki2018-05-2700012018-05.html>
132件目 ツイート: hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語) 日時: 2018-05-27 02:10 URL: <https://twitter.com/hirono_hideki/status/1000423897412485122>
{% tweet 1000423897412485122 %}
弁護士 野田隼人さんのツイート: "弁護士が高プロに文句言ってるのは、これ以上誰かに死んでほしくないというだけの理由なんだが、そんなに分かりにくいかね?" https://t.co/gsCgXxLAYT
上記のツイートより前、つまり133件目以降のツイートは、録画再生でみた「逆転人生」のリツイートが続きます。133件目のリツイートの時刻は、5月27日1時51分です。日付が変わっていますが土曜日の深夜です。
土曜日の夜は、小木港東一文字堤防のアジ釣りから戻り、大量の小アジを調理していました。そのあと、録画していた「逆転人生」を視聴したのですが、これも期待をはるかにこえる大きな発見がありました。
大阪で起こったえん罪事件を取り上げるらしいことは事前の情報でわかっていたのですが、てっきりガソリンスタンドの領収書の時刻が決め手となった誤認逮捕の事件かと思っていました。
[link:] 2018年05月26日23時44分の登録: REGEXP:”逆転人生”/データベース登録済みツイート:2018年05月26日23時43分の記録:ユーザ・投稿:4/4件 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/regexp20180526234344.html>
[link:] 2018年05月27日02時04分の登録: \村松 謙 @kmuramatsu\いけね。。。今気づいた。。。orz>NHKドキュメンタリー - 逆・転・人・生「えん罪・奇跡の逆転無罪判決」 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/kmuramatsuorznhk.html>
[link:] 2018年05月28日09時57分の登録: REGEXP:”奇跡の逆転無罪判決”/データベース登録済みツイート:2018年05月28日09時57分の記録:ユーザ・投稿:5/7件 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/regexp20180528095757.html>
不十分だと思ったので、まとめ記事をあらたに作成しました。
[link:] 2018年05月29日12時18分の登録: REGEXP:”(逆・転・人・生|逆転人生)”/データベース登録済みツイート:2018年05月29日12時18分の記録:ユーザ・投稿:14/70件 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/05/regexp2018052912181470.html>
上記のまとめ記事は、総数で70件ですが、ページを開いて確認したところ、私のツイートが2件、私のリツイートが51件でした。表立った反応の乏しさが傾向としてうかがわれることを再確認しました。
131件目 ツイート: hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語) 日時: 2018-05-27 06:26 URL: <https://twitter.com/hirono_hideki/status/1000488365295157248>
{% tweet 1000488365295157248 %}
高プロ制度の解説をします(佐々木亮) - 個人 - Yahoo!ニュース https://t.co/nwSnfAR8OF
この土曜日の夜、私は「高プロ」という言葉を初めて見たように思ったのですが、まとめ記事を作成するとずいぶんな数のツイートがあって、とても不思議に感じたのです。
「高プロ」という略語は、これだけで意味を類推するのは無理だと思います。調べて内容をみると、ああこの問題のことかとすぐに納得しました。深澤諭史弁護士などもしきりに強調してきた労働問題でした。
佐々木亮弁護士は、労働問題を専門にしているように自己紹介しており、その関連のツイートや記事も多いのですが、過去に大きな冤罪事件に関与しています。徹底的に争って有罪判決が確定していますが、佐々木亮弁護士の主張を見る限り、有罪になったのがとても不思議なお伽噺のような事件です。
佐々木亮弁護士は、北周士弁護士、神原元弁護士とともに大量懲戒請求問題の中心となる弁護士です。2,3日前の北陸中日新聞の朝刊に、神原元弁護士の提訴が小さい記事となっていました。提訴の日付がかなり前でしたが、その日の記事になっているのも少々不思議に感じていました。
時刻は、6月1日11時35分です。また中断をしていました。自分でもよくわからないことがあるのですが、なんとなく手を止めてしまうことが多いのです。しかし、今回はいくぶん理由が明確化してきたなかで、それに関連した思わぬ発見がありました。
ようやく探し当てたこまかい経緯について書いておくつもりでいたのですが、結果としての発見だけ、とりあえずご紹介しておきたいと思います。
[link:] WebLOG弁護士中村真 アナタに届け、ボクの上告理由 <http://nakamuramakoto.blog112.fc2.com/blog-entry-226.html>
なかなか見つけることが出来なかった原因に、上記の記事の日付が古かったことがあります。「2014-05-13(02:00)」という部分が記事の投稿日時だと思われます。私の記憶では昨年の11月ころに見たという記憶だったので、当初はそのあたりを中心に探していました。
探すといえば、新潟の日帰り登山で行方不明になっていた親子が発見されたという速報が3,4日前にありました。15時半頃の速報でミヤネ屋の放送中でした。
「20150601001.pdf」というファイル名で保存されていたPDFファイルの作成日が2017年10月26日となっていたので、そこから探し出すことが出来ました。
よく見ると、恐怖新聞の挿絵のブログ記事が2014年5月13日で、ダウンロードしたPDFファイルのファイル名で日付をあらわすものがおよそ1年後の2015年6月1日となっています。
[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/2017年10月26日 - Twilog <https://twilog.org/hirono_hideki/date-171026>
* リツイート→hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター)|2017/10/26 23:38/2017/10/26 23:34|<https://twitter.com/hirono_hideki/status/923559570865139712>/<https://twitter.com/s_hirono/status/923558481835188225>
{% tweet 923559570865139712 %}
2017-10-26-233431_WebLOG弁護士中村真 アナタに届け、ボクの上告理由.jpg https://t.co/8xgqnyY2Bd
上記の日付のTwilogにざっと目を通したのですが、「WebLOG弁護士中村真 アナタに届け、ボクの上告理由」を発見した経緯はよくわかりませんでした。
あまり時間を掛けたくないので十分な確認作業も出来ないのですが、私としては、愛媛の原発の差し止め訴訟で原告弁護団が勝訴し、河合という弁護士がピンク色の背広でテレビで出ていたのがそもそものきっかけではないかと考えていたのです。
私の記憶の混同という可能性もあるのですが、その河合という弁護士と久保利英明弁護士が、いわゆる一票の格差訴訟の弁護団の中心となっていたように考えていました。久保利英明弁護士の関与は間違いありません。なんどかテレビで派手な背広とネクタイで横断幕を行進させる場面を見ています。
河合という弁護士は、だいぶん前にホームページをみていろいろと深く考えさせれることがありました。それも記憶が曖昧になっていますが、大物弁護士として紹介されているのを初めに目にしました。
# 河合弘之弁護士について自分のTwilogで確認、ざっと目を通したところ久保利英明弁護士との関係は見当たらず #
メモ書き程度に書いておきたいと思いますが、河合弘之弁護士と久保利英明弁護士の関係は別に調べて確認をしておきたいと思います。世間に誤解を与えないためにも必要なことです。
[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「河合 弁護士」の検索結果 - Twilog <https://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E6%B2%B3%E5%90%88+%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB&ao=a&order=allasc>
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2013/09/03 13:13%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/374746832184045568>
{% tweet 374746832184045568 %}
河合氏は91年、業務停止4カ月の懲戒処分を受けている。 2億円の会社売買で、依頼を受けた相手方からも利益を受けた弁護士法26条(汚職行為の禁止)に抵触したため。 http://t.co/ovsSIZODC9
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2013/09/03 13:14%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/374747248103796736>
{% tweet 374747248103796736 %}
浜岡原発差し止め訴訟の弁護団長を務めた弁護士の河合弘之委員は、 事故の際の指揮拠点となる免震事務棟や、放射性物質を減らすフィルター付きベント装置などの対策が完成する前に、大飯原発を再稼働させようとする関電の姿勢を問題視。 http://t.co/kndwodiKZM
時刻は12時21分です。「さすが議員さんだけにしっかりしていますね」というバイキングの司会者、坂上忍さんの声がテレビから聞こえてきました。速報っぽい感じでご紹介しておきます。
「2013/09/03 13:13」が「河合 弁護士」のキーワードを含む私の最初のツイートになりますが、このツイート自体は「河合氏」となっており、リンクの記事も削除されていました。1分後の次のツイートに「弁護士の河合弘之委員」とあるので、同一人物に間違いはなさそうです。
その他、ざっとTwilogのタイムラインのツイートをみたところ、福島原発事故の弁護団の中心人物だったと思い出すことが出来ましたが、これには海渡雄一弁護士も関わっているようです。政治家で弁護士の福島瑞穂氏の夫でもありますが、私には違った印象もあります。
簡単に書いておきますが、海渡雄一弁護士のことを私が知ったのは、落合洋司弁護士(東京弁護士会)のブログで、落合洋司弁護士が一緒にイギリスなどへの刑事施設の視察に行ったと書いていたことで、刑事政策にも受刑者の権利を守る立場で関わっているという印象を受けました。
その落合洋司弁護士(東京弁護士会)のブログの記事も、私がまだ羽咋市に住んでいる頃だったので、2009年3月より前ということになるかと思います。
* リツイート→hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>K_Pro_2014(映画『日本と原発』『日本と再生』)|2017/03/05 11:45/2014/09/19 12:19|<https://twitter.com/hirono_hideki/status/838218824054820864>/<https://twitter.com/K_Pro_2014/status/512803065179541504>
{% tweet 838218824054820864 %}
この映画は、弁護士河合弘之と盟友弁護士海渡雄一、訴訟を共に闘う木村結の3... http://t.co/ME1qXNn2e4
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2017/03/05 11:46%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/838219244202520576>
{% tweet 838219244202520576 %}
河合弘之(かわいひろゆき・弁護士)公式サイト https://t.co/0MZtxqtddb
私のリツイートになるようですが、「この映画は、弁護士河合弘之と盟友弁護士海渡雄一」という内容は、まったく記憶に残っておらず、河合弘之弁護士と海渡雄一弁護士をセットで考えることもなかったと思います。セットで考えてきたのは、久保利英明弁護士の方です。
このときに、河合弘之弁護士のホームページをみたようですが、流れはわかりません。Twilogで当日のタイムラインを開けば、わかることや思い出すこともあるかと思いますが、今のところそれほどの重要性は念頭にありませんので、踏み込むことはしません。
最近になって河合弘之弁護士に注目するようになったのは、原発の問題とは無関係で意外な組み合わせとして反カルト宗教のイメージが強い紀藤正樹弁護士と弁護団を組む姿を見たからです。紀藤正樹弁護士の事務所に山口貴士弁護士がいることも前に書いていると思いますが、それも意外な組み合わせです。
山口貴士弁護士の名前を知らない人は多いと思いますが、国民の大多数がテレビでその姿を一度を目にしているものと思います。数日前に保釈されたばかりの森友学園の籠池氏の証人喚問で補佐人としてテレビに出ていたのが山口貴士弁護士です。繰り返し報道のあった場面です。
カルト宗教といえば、弁護士としては紀藤正樹弁護士、ジャーナリストは江川紹子氏というイメージがとても強いものとなっています。今ほどテレビを見ることのない時期だったとも思いますが、どちらも忘れられないような印象深さがありました。
そのジャーナリストの江川紹子氏ですが、昨日あたりに宗教性絡みの記事の発見がありました。初めにその記事の存在をしったのは一昨日だったと思いますが、ジャーナリストの江川紹子さんの記事だと気がついたのは昨日だったと思います。それも弁護士の大量懲戒請求の問題でした。
時刻は15時08分です。しばらくテレビの方に注目をしていましたが、ここ2,3日は「速報」という見出しがやけに目につきます。内田前監督の理事解任、日大のアメフト部の問題での第三者委員会の設置が決まったというのも「速報」扱いになっていました。
赤地に白の文字で強調するのもここ最近よく目にするようになりました。今も「絶対服従」という文字がその文字修飾になっています。
Googleで調べたところ、河合弘之弁護士の一票の格差訴訟の関与は確認できませんでした。
[link:] 久保利英明教授「現代弁護士論」公開授業について | 桐蔭横浜大学法科大学院 <http://toin.ac.jp/lawschool/event/2015gendaibengoshiron/>
上記のページも検索の過程で見つけたものですが、河合弘之弁護士を講師として招聘した痕跡のようです。赤地で「全日程終了しました」と書いてあることと、URLに2015という文字列があるので、おそらくは2015年の開催だったものですが、記事に年がないのでわかりづらくなっています。
久保利英明弁護士が大学の教授をしていることは以前検索をしたときにも情報を見ていました。桐蔭というのは高校野球の強豪校で、つい数分前にもテレビのミヤネ屋のボードで名前を見たのですが、改めて見ると「桐蔭横浜大学法科大学院」となっています。
[link:] 選抜高校野球:連覇狙う大阪桐蔭、延長サヨナラで決勝進出 - 毎日新聞 <https://mainichi.jp/koshien/articles/20180403/k00/00e/050/263000c>
確認のため調べたのですが、やはり桐蔭高校は「大阪桐蔭」でした。記事で智弁和歌山と決勝とありますが、どちらが優勝校になったのは記憶にありません。
[link:] 選抜高校野球:決勝打「ホッと」大阪桐蔭・宮崎仁斗左翼手 - 毎日新聞 <https://mainichi.jp/koshien/articles/20180405/k00/00m/050/060000c>
どうも大阪桐蔭が優勝したようですが、上記の記事のタイトルをみても優勝したとはわかりづらいもので、他にも見出しで優勝校がわかるものは、なぜか見当たりませんでした。どうも思っていた以上の強豪校だったようです。
[link:] 大阪桐蔭中学校・高等学校 - Wikipedia <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%A1%90%E8%94%AD%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1>
他に気になることもあったので調べてみたのですが、大阪桐蔭の所在地は大阪府大東市でした。2,3日前の夜、花園ラクビー場について調べたのですが、京都市とばかり思い込んでいたのが大阪府だと知り驚いたということもありました。
Googleマップで調べたところ大東市は東大阪市に隣接していました。東大阪市の鴻池というところに佐川急便の大きな集荷場があって、昭和60年頃、中西運輸商の仕事をしている頃、よく行っていました。
河合弘之弁護士のことも一通り書いたので、次に移り、昭和60年当時のことを少し書いておきたいと思います。
# 昭和60年当時、中西運輸商の仕事でよく行った東大阪市の佐川急便鴻池センター、被告発人大網健二との関係 #
先程の小項目で「大阪桐蔭」について調べたところ大阪府大東市で、どの辺りなのか確認するためGoogleマップで調べたところ、東大阪市に隣接していることがわかりました。「花園ラクビー場」についても調べたところ、東大阪市でした。
私は昭和40年代後半の小学生低学年の頃の記憶で、高校ラクビーの全国大会がある花園ラクビー場は京都市かその近郊と思い込んでいました。京都市内で花園という地名や名称を見たことはないとも思うのですが、京都のイメージに溶け込んでいたように思います。
石川県でも花園という地名は聞いたことがないと思うのですが、記憶にあるのは大阪府西成区の花園という交差点と埼玉県の花園インターでした。関越道のインターで熊谷市の近くだったと思いますが、割りとよく乗り降りするインターでした。
大阪府西成区の花園という交差点は、交差点の角に冷蔵庫があって、そこに仕事に行くことがあったのですが、トラックの下に潜り込みお金を払うまで動かないなど危ない人がいるので、気をつけろと指導を受けていました。昭和59年、金沢市場輸送でのことです。
このところ毎日のように日大のアメフト部の問題がテレビで報じられています。新潟の小2女児殺害事件の被疑者が逮捕されて2,3日した頃だったように思いますが、悪質タックルの映像が繰り返し報道され、それ一色に塗りつぶされた感がありました。
ルールの違いなど知らないですが、似た学生スポーツとしてラクビーのことを思い出す機会も多くなり、気になって調べたこともありました。射程に入ったものがたぶんあると思うので、ツイートのまとめ記事からここ数日の流れをご紹介したいと思います。
[link:] 2018年06月01日14時50分の登録: #奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語 @hirono_hideki#のツイート/2018-05-30_1331〜2018-06-01_1448/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年06月01日14時50分 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/06/hironohideki2018-05-3013312018-06.html>
150件目 ツイート: hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語) 日時: 2018-05-30 22:30 URL: <https://twitter.com/hirono_hideki/status/1001818151003226115>
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スクール☆ウォーズ - Wikipedia https://t.co/za01XOSBp8 \n 『スクール☆ウォーズ』(School Wars)は、1984年10月6日から1985年4月6日まで、大映テレビ制作・TBS系で毎週土曜日2… https://t.co/TVcwCZgtty
「スクールウォーズ」というテレビドラマについて調べました。この検索は前にもやったことがあると思いますが、この時は念入りに調べました。日大のアメフト問題の帰趨、影響が気になるからでもあります。
時刻は16時12分です。5分ほど前になりますが、テレビで「スターウォーズ」の最新作の紹介がありました。テレビ金沢の「花のテレ金ちゃん」という番組です。月曜から木曜は「となりのテレ金ちゃん」なのですが、金曜日だけ番組名が少し違っています。気がついて一年は経っていないと思います。
5月30日の夜になりそうですが、「スクールウォーズ」というドラマについて調べたところ、「スターウォーズ」を参考にしてタイトル名を決めたという話と、当初は「八時だよ全員集合」の後継として放送があったという話を見かけました。
「スクールウォーズ」と「スチュワーデス物語」は、どちらも夕方の16時台ぐらいの放送として視聴した記憶だけが残っています。どちらも夜の人気ドラマの再放送だったようですが、夜の放送というのはどちらも全く記憶にありません。
いずれも中西運輸商で4トン車に乗務していた時期のことでした。中西運輸商の事務所は金沢市寺中町の金石街道沿いにあって、同じ並びの少し先に金沢西警察署があったのですが、当初はトラックの駐車場もなく、金石街道沿いに駐車していました。たぶん駐車違反だったと思われます。
その後、事務所の金石街道の向かい側に数台の大型トラックも駐車できる駐車場が出来たのですが、小さい駐車場でした。そのような駐車場の事情もあったので、日報の提出や運行費をもらうなど特に用事がない場合は会社事務所にいないことが推奨され、普通になっていました。
中西運輸商のトラックの駐車場は、金沢市木越の佐川急便の敷地の向かいにあって、砂利道で舗装もされていなかったかもしれません。トラックを自家用車代わりに使うことが多かったので、駐車場に乗用車を駐車したという記憶もなく、そもそも乗用車を持っていない時期だったとも思います。
もう一つ、中西運輸商には小さな駐車場がありました。地図でみると金沢市畝田中になるのかと思いますが、その桂町の近くでした。いちおう主要道路沿いになっていたとも思いますが、その駐車場の裏手にアパートがあって、昭和58年の春頃、よく遊んでいた場所でした。
その時から中西運輸商のトラックは見ていたのですが、保冷車ばかりの水産会社という感じでした。社名も中西水産輸送でしたが、昭和60年当時もトラックと運転手の社員は中西水産輸送で、配車業務を主体とする中西運輸商の仕事を請け負うという体裁をしていると聞いていました。
もともとは大洋マルハの仕事が中心であったとも聞きましたが、白ナンバーの摘発を受けて会社がつぶれ、再起を果たし佐川急便の仕事をするようになったのが中西運輸商と聞いていましたが、正確には佐川急便の仕事をする東広島市の西日本運輸興業の下請けでした。
私は中西運輸商の社長に指示を受け、西日本運輸興業の会社までお米を届けたこともあったのですが、田園の広がる田舎には異様に見える大きな運送会社でした。しかし、その西日本運輸興業も数年後には倒産したと聞きます。
中西運輸商がやっていた佐川急便の仕事というのは、富山、金沢、加賀、福井からの広島、福岡への定期便でした。当時、佐川急便は市内の集配だけが自社の仕事で、長距離の方はすべて外部の運送会社を使っているという話でしたが、見た目は佐川急便と同じカラーや飛脚のマークの運送会社もいました。
飛脚のマークの佐川カラーではなかったと思いますが、関東方面への長距離運送を手がけるのが大東実業という運送会社でした。今のそのままの会社名で存在するのかもしれないですが、調べてはいません。
当時の佐川急便の長距離の仕事というのは、他にはない決まりがあって、荷物を隙間なく満杯に積み込むのが原則で、荷物の隙間に拳が入ってはいけないと指導されていました。運賃は一車いくらと決まっていて、満載でも箱一つでも運賃は同じだと言われていました。
実際に積み残しの荷物を1個だけ運ぶ仕事をしたことがありました。それも臨時でよそから頼まれたような仕事で、横浜市の佐川急便まで運びました。横浜市の南部市場の近くだったと思います。横浜市内でもずいぶんはずれた場所で、当時は空き地の多い場所でもありました。
誰かの乗用車で4,5人でドライブ気分で行った記憶があり、夕方の明るい時間には当時住んでいた金沢市東力2丁目のアパートに戻っていました。その後、皆で豚肉をフライパンで焼いて食べたような記憶もその時のものとして残っているのですが、とても脂が多すぎたという記憶です。
豚肉だけを焼いて食べたというのも当時の変わった生活の一面でしたが、面子にこだわったのかガス代を払うと言い出した同居者が支払いをせず、真冬に水風呂に入ったということも2,3度ありました。
中西運輸商で仕事を始める前だったと思いますが、7人ぐらいでお金を出し合い、無料券が出るというカレーの大食いに挑戦し、店で一人がカレーを食べるのを見るだけで帰ってきたということもありました。野々市のターバンカレーで工大前店となっていたようにも思います。
今では金沢カレーということで全国版の情報番組でもみかけることがありますが、個人的にはそのターバンカレーが元祖だったというイメージがあります。他にももう1店舗あるような話も聞いていましたが、見たことも行ったこともなかったと思います。
野々市のターバンカレーにはよく行っていましたが、近くの金沢市馬替にたまり場のアパートがあったのが大きかったと思います。宇出津の一つ先輩のアパートでした。さきほどの畝田中と思われるアパートも同じ宇出津の一つ先輩のアパートでした。輪島市の町野高校行っていた先輩です。
畝田中のアパートに住むTUさんは、出張のような仕事が多かったらしく、ほとんど不在で、そこに他の友人と泊まり込むような感じだったのですが、付近には店もなく不便でした。まだ普通免許を持っていない時期で、私は自動二輪で取り消し処分を受けていたので、同級生より半年以上遅れたのです。
中西運輸商に入社したのは昭和59年の12月の20日頃だったと思います。入社したときは、宇出津のTSさんも大型の保冷車に乗務していました。年末に中西運輸商の社長の自宅で忘年会があり、一緒に出席したのですが、年が明けてからはそのまま出社せずやめていったように思います。
宇出津のTSさんは、4つか5つ年上だと聞いていました。3つ年上ぐらいだと知っている人もいたのですが、それ以上の年上となると知らない人がほとんどでした。金沢市横川の大きな交差点の側にアパートがあって、そこにも2,3度遊びに行ったという記憶は残っています。
なにか縁があったのか、私が初めに金沢市場輸送に入社したときも、宇出津のTSさんが金沢市場輸送で大型保冷車に乗務していましたが、私が入社してすぐに辞めていきました。乗務していたのは日野の新車の保冷車で、2台の新車がありましたが、もう一台の新車に乗務していたのが本恒夫でした。
以前は被告訴人本恒夫ともしていた本恒夫ですが、私の記憶が薄らいでいることもあり、現在は被告発人からも外した扱いにしています。事件の鍵を握る関係者で、とくに重要なのが被告発人安田敏との関係です。
私が金沢市場輸送に最初に入社したのは、昭和59年の1月で中頃か20日頃だったと思います。宇出津のTSさんがいるらしいという話も聞いてはいたのですが、飛び込みで電話を掛けて面接に行ったように思います。
私は、昭和58年の3月から5月頃、正味で一月半ぐらいだったと思いますが、小林運送で長距離助手という仕事をしていました。寮で住み込みというような仕事でもありましたが、早朝に大型車の洗車をする仕事も多く、そのすぐ近くに金沢市場輸送の駐車場がありました。
金沢の中央卸売市場の裏側から金石街道よりの場所で、当時は田んぼか畑が多かったのですが、その後、広い道路が出来たり、建物も出来て原型をとどめないほど様変わりしました。その中央卸売市場に一番近い辺りに出来たのが、市場急配センターの事務所でした。
当時は、中央卸売市場の裏手、螺旋状の通路の辺りになりますが、そこから金石街道までは視界を遮るものがほとんどなく、田園風景が広がっていたように記憶にあります。一つだけやや大きな建物があって、それが小林運送の会社でした。
連合赤軍が立てこもった要塞にもみえる古いコンクリートの建物でしたが、もとは病院の建物だったと聞いたようなこともあり、寮となっていた他に何もない殺風景な部屋のも病院にあるようなパイプのベッドがあったように思います。収容所のような雰囲気もありました。
Googleマップでみると「石川県金沢市駅西本町5丁目6−18」というあたりが小林運送のあった場所かと思いますが、もう少し市場急配センターに近かったようにも思います。その市場急配センターの建物も現在は「市場急配センター研修室」などと表記されています。
いずれも金沢市駅西本町となっていますが、平成4年当時は金沢市二口町で、平成16,7年ころに駅西本町に住所が変わっていたことに気がついたような記憶も残っています。小林運送の建物は平成11年頃の時点で更地になっていたような気もします。
金沢の中央卸売市場の敷地内の建物というのは、Googleストリートビューでみたところ、昭和58年の春と変わっていないように思います。市場の正門付近から小林運送の会社の方に歩いたこともあったのですが斬新な建物で、銀河鉄道999の星の町に来たような気分になったことも憶えています。
現在は変わっているのかもしれませんが、平成4年頃までの中央卸売市場の付近というのは、夕方になると物静かで明るいまま真夜中になっているような他ではみかけない不思議な雰囲気もありました。夜中から朝方、午前中とあわただしくなるのも市場の仕事の特徴が反映された光景でした。
さきほど金沢市場輸送に初めて入社した時期のことを書いたと思いますが、だいたい1月の中頃だったと思います。早ければ10日頃、遅ければ20日ころかと思います。昭和59年のことです。
4月に入ってからだったと思いますが、私の紹介というかたちで被告発人大網健二も金沢市場輸送に入社して4トン車で同じ長距離の仕事を始めました。当時はアルバイトというのも学生ぐらいだったので、会社で仕事をするということは、入社して社員になるということとほとんど同じ時代でした。
被告発人大網健二が東京から戻ってきてすぐのことだったと思います。こまかい記憶は抜け落ちてしまっているので断片的ですが、まず二人でアパートを探しました。他にも迷う候補はあったのですが、東力2丁目の犀畔荘というアパートだったと思います。
犀という字は、金沢を代表する川の一つ犀川からとったものだと思います。もう一つが浅野川でこちらの方が友禅流しなどで有名かもしれません。犀川は片町という繁華街のすぐ近くも流れています。
六畳二間の水洗トイレの風呂付きで当初家賃は2万8500円だったと思います。その後、大家さんが2千円下げてくれたのですが、相場より安かったのは近くに滝本組司会という暴力団事務所があったのが大きかったと思いますが、その後しばらくして組事務所の人の出入りはなくなったように思います。
前にも書いたことがあると思いますが、被告発人大網健二が金沢市場輸送で仕事をしたのは7月の初めころまでです。当時は7月の7,8日と日にちが決まっていた宇出津のあばれ祭りで、腰を痛めたと言い出し、そのまま入院したのです。
当初は二度と起きがられないような話もしていたのですが、どこまで本当なのかはわかりませんでした。中学生のとき、第二体育館の天井が破れて落ちて、腰の骨を折る大怪我をしたのは事実でした。屋根裏に登って遊んでいたという話でした。
被告発人大網健二は能都中学校の卓球部で、第二体育館では卓球部と剣道部が練習をしていました。講堂の体育館の方はバレー部とバスケットボール部がいつも練習をしていましたが、私は相撲部で石川県立水産高校の方に練習に行っていたので、放課後にいることが少ない時期だったと思います。
被告発人大網健二が持木病院に入院しているとき、学校帰りに割とよく見舞いに行ったという記憶もあります。5階ぐらいの病室で、風船に水を入れて下に落とすという遊びをやっていて、風邪で訪れた女児の頭に直撃させ、問題になったこともありましたが、その場だけでおさまったと思います。
金沢市場輸送にいた頃、私は60万円ほどで買ったカリーナ1600GTという車に乗っていたのですが、3台目の車でローンを組み換え、月々5万7千円ほど支払いがありました。3年払いだったように思います。150万円ほどのローンという認識でいました。
そのカリーナの車を被告発人大網健二が事故で廃車にして、現金で10万円をくれたのです。まだ入院していた時期だったかもしれないですが、遊び回っていたようです。私に渡した10万円で片町に皆で飲みに行くことを期待するような感じもありましたが、私はそれで北海道に行きました。
半月か3週間ほどで札幌から戻りましたが、現地の2人を連れて戻り、1人の車で小樽港からフェリーで戻ったので、夜行列車に乗ったのは行ったときだけだったと思います。早朝の明け方に函館に着いたような記憶も残っています。
北海道にはその年の7月にも行っていました。ちょうど宇出津のあばれ祭りが終わった直後で、祭りには帰っていなかったのですが、急な仕事で富山から網を積んで根室の花咲港に行くことになったのです。
富山の経田という漁港だったと思います。魚津市と黒部市の間でしたが、その漁港にはちょうど一年ほど前の秋口、真脇の一つ後輩の漁師に頼まれて、車で送ったことがありました。黒部駅の方から経田の漁港に行ったという記憶もあります。
その黒部市には、昭和58年の12月頃、ダクトの仕事で泊まり込みの仕事をしたことがありました。現場はYKK吉田工業のなかでしたが、映画に出てくるようなレトロな雰囲気の民宿に宿泊をしていました。
そのダクトの仕事をしていたのも2,3ヶ月程度だったと思いますが、泊まり込みの仕事は黒部市だけでした。北陸自動車道の有磯海サービスエリアの近くで、吹雪の中、走る大型保冷車の姿を見て、長距離トラックの仕事がしたいと真剣に考え、しばらくあとに金沢市場輸送に入社することになりました。
小林運送で長距離助手の仕事をしたのは、職安で学歴不問となっていたのが大きかったのですが、自分でトラックを運転することは考えていなかったように思います。
今考えるとダクトの仕事をする少し前にもなるかと思いますが、金沢市観音堂の被告発人安田敏のアパートに居候しているとき、たまに顔を出していた珠洲の三崎のHMに誘われ、中西運輸商の4トン車に同乗したことがありました。日産のポンコツの4トン車で幌がけのトラックでした。
ブタマスクとも呼ばれていた古い型の日産ディーゼルの4トン車でした。行き先は山口県の小野田市だったと思います。その日のうちに広島県の港で帰りの荷物を積みました。三原市ではなかったかと思います。岸壁で大きな船から直接荷物を積んだような記憶も残っています。
荷物の行き先は、静岡県清水市でした。国道2号線を走り、神戸の阪神高速から吹田インターで阪神高速に乗ったような記憶があり、朝方の暗い時間にそのあたりのパーキングに入ったような記憶があります。
そのあと、静岡で荷物をおろした状況は霞んでぼやけているのですが、そこから山梨方面に向かい松本市から大糸線で新潟県の糸魚川の姫川で国道8号線に出た状況が、わりあい鮮明な記憶として残っています。
小林運送の長距離助手の仕事では、愛知県の豊橋市、静岡県の磐田市付近からメロンを積んでくる仕事が多かったのですが、横浜市の本牧埠頭にドラム缶を運ぶ仕事がありました。東京や大阪への仕事は珍しいと聞いていましたが、今考えると選んでくれた仕事だったのかもしれません。
時刻は22時44分です。夕方、19時を過ぎてからだったと思いますが、Aコープ能都店に買い物に行ってきました。
小林運送の長距離助手で、横浜に行ったのはその時が初めてだったと思います。トラックで東京に行ったのもその時が初めてだったと思います。東京に初めて行ったのは能都中学校の修学旅行のとき、2回目にワゴン車で行ったのが、昭和57年の春で、被告発人大網健二の家の会社の慰安旅行の同行でした。
横浜の本牧埠頭行きのドラム缶を積み込んだのは富山県の高岡市であったように思いますが、糸魚川の姫川から大糸線を走り、国道20号線から八王子市に入ったのもその時が初めてだったと思われます。
金沢市場輸送でも東京に行くのに大糸線はよく走りました。鮮魚を積んで築地の魚市場に初めて行ったときは、上越市から国道18号線の長野市経由だったかもしれません。最短距離の安房峠を走ることもありましたが、松本市から先は大糸線と同じだったと思います。
大糸線は、長野県の大町市から新潟県の糸魚川市という意味だったと思います。鮮魚を積んで急ぎの仕事の時は、諏訪南というインターから中央自動車道に乗ったことも記憶にあります。松本市からそのまま国道20号線で甲府市から八王子市まで出るという道も割りとよく通行しました。
甲府市内はバイパスのようになっていて割合賑やかでしたが、その前後は山の街道沿いという感じで寂しい道を長い時間走ったという記憶があります。初めてのときは途中寝ていたような気もしなくはないのですが、山間の道をずっと走って、いきなり都会に出たという印象が八王子市でした。
ワゴン車で初めて東京に行った時は、東名高速から首都高でした。銀座の辺りが特に賑やかに見えたことが印象的でした。その東京には夜のうちに着いたのですが、そのあとのことが記憶にありません。朝までの時間のことです。
能都中学校の修学旅行では、箱根で一泊してから東京に入ったのだと思います。羽田空港での集合写真は今でも家に残っているはずです。京都、奈良、箱根、東京という4泊5日の修学旅行でした。宿泊先で記憶にあるのは初日の京都と最終日の東京だけです。
東京での宿泊先は、東京大学の近くだと聞いていましたが、大きな旅館の大部屋で、お寺で寝泊まりをしたような印象が残っています。東京タワーの見学もありました。予定では皇居に行くはずだったと記憶にあります。
今でも顔と名前を憶えている同級生の2人が、バスの窓から空き缶を投げ捨て車とトラブルになって、予定の皇居が中止になったという記憶もありますが、細かくは憶えていません。
次に東京に行ったのは、昭和58年7月20日過ぎのことで、普通免許を取得してすぐのことでした。フジタ自動車のポンコツの代車を運転して被告発人大網健二の住む東京の浅草に向かいました。途中で待ち合わせをして、横浜港に行き、喫茶店に入ったことも憶えています。
翌日だったと思いますが、東京ディズニーランドに遊びに行きました。開園して2,3ヶ月後のことでした。被告発人大網健二の案内でしたが、浅草の花屋敷に行ったことも記憶にあります。2泊したという記憶はないですが、夜に新宿に遊びに行ったことも憶えています。
東京へは少女3人を同乗させていました。いずれも2つ年下でしたので、当時は16,7歳の少女でした。その一人がのちに被告発人大網健二の妻となった崎山のOMちゃんでした。当時は高校生で、石川県立水産高校の製造科を卒業したと思います。
高校を卒業した彼女は大阪に就職しバスガイドの仕事をしていました。私の同級生が高校を卒業したのが昭和58年の春だったので、2つ年下の彼女の卒業は昭和60年の春のはずです。
その昭和60年の秋、寒くなった頃だったので11月とも思いますが、被告発人大網健二は、ホンダのVT250というバイクに乗って、東力2丁目のアパートに来て、今から大阪に向かうと挨拶をして出発しました。仕事はあちらで探しとも話していました。
そのあと、長距離トラックの仕事をしたとか、宝塚でステーキ店に働いたとも話していましたが、神戸で落ち着き彼女と一緒に住んでいると話していました。神戸市の北の方で六甲山の麓だとも話していたとも思います。一度遊びに行きたいと考えていました。
金沢市場輸送の大型保冷車7599号に乗務している頃、宮崎県の都城市から特殊車両の大きなタイヤを積み込んで神戸市に行く仕事があり、その時、遊びに行く話をしていたのですが、途中で少し寝過ごしてしまい時間がなくなって行けなくなったということもありました。
他にもタケノコやスイカを積んで徳島の市場に行く仕事が何度かあって、神戸市の須磨区ではなかったかと思いますが、淡路島行のフェリーがあって、そのフェリー乗り場から神戸市の被告発人大網健二の家に電話をして話をするということもありました。
昭和63年の8月のお盆休みは、まだ神戸市に住んでいて宇出津に帰省していましたが、そのあとしばらくして神戸から石川県に戻り、その年の12月には金沢港の近くの無量寺のアパートで彼女と生活を初めていました。まだ長女は誕生していなかったかもしれません。
いつ頃かはっきりしないのですが、宇出津の、のむら呉服店や漁運会輸送で仕事をしていたという時期もありました。金沢市の高畠の方で車のブローカーの仕事をしているとか、よく仕事を転々としていましたが、ようやく落ち着いたのが、後に営業課長にもなった本陣不動産株式会社でした。
時刻は23時43分です。割り込みになりますが、テレビのZEROで、日大の田中理事長の経歴の紹介をしながら、日大は保育所から大学院まであわせるとおよそ11万6千人と解説をしていました。これまでのテレビでは、日大で7万5千人、7万6千人という話を見ていました。過去には10万人とも。
この小項目は昭和60年当時の中西運輸商と被告発人大網健二との関係を中心にする予定でいましたが、あちこちに飛んでしましました。大網健二の金沢市場輸送での入社と退社時期のことはすでに書いたと思います。
被告発人大網健二は、金沢市場輸送の世話で保険をつかい波多野整形外科に入院していましたが、その後職場に復帰することはなかったです。入院期間もよく憶えていないですが、10月頃には退院をして遊び回っていたと思います。
翌年の昭和60年も同じような時期に、被告発人大網健二は私の紹介で中西運輸商に入社し、同じ4トン車で長距離の仕事をしていましたが、仕事をしていた期間も2,3ヶ月程度で、金沢市場輸送のときよりいくぶん短かったかもしれません。
その後、しばらく姿を見せなくなっていたようにも思うのですが、先述の通り、突然姿を見せてそのまま250ccのバイクで大阪へと旅立って行ったのです。その場には私の前妻もいました。漫画で木枯らしが吹くような寒くなったような時期で、さみしげに立ち去っていったのも印象的でした。
書き忘れていましたが、神戸市では車のブローカーの仕事をしているような話でした。シトロエンというフランス車で帰省していたこともあったと思います。同じ車で、神戸の市場の近くのバナナセンターで積荷の待機をしていた私に会いに来たこともありました。
東京の浅草で生活をしていた頃も、中古の改造車というチェイサーという車に乗り、お盆休みにその車で帰省もしていたと思います。昭和58年のことです。東京では駐車場の料金だけで金沢市でのアパート代かそれ以上のお金がかかるとも話していました。駐車場は花屋敷の近くだったかも。
ずっとあとのことですが、被告発人大網健二は、私に金沢市場輸送で仕事をしていた事実自体を否定し、被告訴人としていた竹沢俊寿をしらないとも返事を返したことがありました。金沢市諸江のそば店の駐車場での会話です。時期が今ひとつはっきり思い出せなくなっています。
金沢市の諸江というのも東西南北あるいは上中下として分かれ、広い範囲の地名でした。前述の畝田もそうですが、同じ国道8号線バイパス沿いの藤江も同じでした。諸江の方がはっきりとバイパスにまたがっていました。
蕎麦屋の場所は、北安江に近い場所で、アルプラザの敷地の道路をはさんだ向かい側でしたが、その隣に24時間営業の酒店がありました。実態は今のコンビニと同じだったと思いますが、まだ金沢市内にコンビニが出来る前から24時間営業をしていたように思います。
昭和59年の時点ではコンビニはなかったかもしれません。それに近い店は少しあったようにも思いますが、コンビニという言葉自体がまだなかったかもしれません。有名だったのはセブンイレブンで関東や福島県内では店舗を利用していましたが、コンビニという言葉は浸透していなかったとも思います。
# 「かぐや姫」のテーマの締めくくり、次のテーマは「お地蔵さま」に決定 #
[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「かぐや姫」の検索結果 - Twilog <https://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E5%A7%AB&ao=a>
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/28 19:52%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/1001053625139871744>
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迎えに来た天人の話によると、かぐや姫がこの世に送られたのは罪を償うためなのだという。しかし、その肝心な罪について一切書かれていない。それがこの物語の最も深い謎の部分だが、解明しようとする説がたくさんある。 https://t.co/ENNl8ABc8c
Twilogで確認したところ、引用した記事のタイトルのメモを忘れていたようです。ツイートのリンクの記事を開いたことで、次のタイトルの記事だと確認が出来ました。
[link:] 男たちを弄んだ「かぐや姫」が犯した本当の罪(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース <https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180527-00222193-toyo-soci&p=5>
記事のページの関連記事として、次の記事も続けて読みましたが、そちらの方は次のツイートで情報をたどるためのメモの部分が残されていました。
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/05/28 20:00%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/1001055630419836928>
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「かぐや姫」に隠された恐怖の裏ストーリー | 日本人が知らない古典の読み方 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 https://t.co/20fgAqXQE4
「竹取物語」は愛の物語なんかじゃない
上記の2つの記事を読んで、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」の内容が、「竹取物語」という古典の物語をベースにしていることがわかりました。同じ頃に「羅生門」の映画の予告編をYouTubeで視聴したと思うのですが、いろいろと考えたり、発見になることがありました。
「羅生門」が平安時代を時代背景や舞台にしながら刑事ドラマや裁判の事実認定のような内容になっていることは意外な発見でした。芥川龍之介の「羅生門」という小説があることも思い出したのですが、同じページに「杜子春」も作品として紹介されていて、久しぶりに思い出しました。
ネットでははっきり思い出すことはないですが、裁判の書面では何度か「杜子春」のことを書いているはずです。それも津本陽という作家の「則天武后」という小説に出てくる杜子春なのですが、「羅生門」を視聴したのに近いタイミングで、津本陽氏の訃報がテレビのニュースになっていました。
杜子春については次の「お地蔵さま」のテーマで取り上げたいと思います。関連項目は、愛媛、岩崎弥太郎などです。
もう一つ、かぐや姫とどこまで関係があるのか不明ですが、Twitterのトレンドで「かぐや様」というのを見つけたので、メモをご紹介しておきたいと思います。それも告るという組み合わせで、当初、告発や告訴が頭に浮かんだのですが、すぐに告白だろうと考え直しました。
[link:] 奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(@hirono_hideki)/「かぐや様」の検索結果 - Twilog <https://twilog.org/hirono_hideki/search?word=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E6%A7%98&ao=a>
検索のヒットは6月1日だけでした。ツイートが2件、リツイートが3件です。
* ツイート%hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)%2018/06/01 11:24%<https://twitter.com/hirono_hideki/status/1002375402117988352>
{% tweet 1002375402117988352 %}
「かぐや様は告らせたい」TVアニメ化!相手から告白させようとする天才2人描く - コミックナタリー https://t.co/FRJLPatK9l
テレビアニメといえば、ゲゲゲの鬼太郎ですが、今日の日曜日で4週連続見逃したように思います。もっとも初回は放送が始まっている認識がない段階でのことでした。これもTwitterのトレンドでの発見で、もう一つの注目キーワードが「幽霊列車」でした。
私はかなり前から、「鉄道」や「列車」を人生や弁護士に関連付けて考えるくせがついています。妖怪と弁護士を結びつけるのは、誤解のマイナスの方が大きいかと思い長い間自重していたのですが、この幽霊列車をみて考えが変わりました。
中断が多かった、この「かぐや姫」のテーマですが、ここで記述する予定でいたものも次の「お地蔵さま」のテーマに先送りする予定です。本来この「お地蔵さま」は、2017年の1月の時点で取り上げる予定でいたものが、ここまで長引いてしまったのですが、納得の出来る大きな発見が昨夜ありました。
時刻は、6月4日16時21分です。昨日の午前中から中断をしていたように思いますが、次のテーマへの切り替えのタイミングで、深澤諭史弁護士のリツイート、ツイートを目にしたことが停止の原因となりました。いくつかご紹介しておきたいと思います。
[link:] 2018年06月04日03時49分の登録: ツイートの記録資料:\法務検察・石川県警察宛\/深澤諭史(@fukazawas)/”2018年06月03日”:39件 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/06/fukazawas2018060339.html>
書式が修正されていなかったので、別のスクリーンショットでまとめ記事を作成しました。射程には十分入っていると思います。
[link:] 2018年06月04日16時24分の登録: #深澤諭史 @fukazawas#のツイート/2018-05-31_1129〜2018-06-04_1256/法務検察・石川県警察宛参考資料/記録作成措置実行日時:2018年06月04日16時24分 <http://hirono2014sk.blogspot.com/2018/06/fukazawas2018-05-3111292018-06.html>
39件目 (リツイート): fukazawas(深澤諭史)|shima_chikara(嶋﨑量(弁護士)) 日時:2018-06-03 09:07/2018-06-02 22:43 URL: <https://twitter.com/fukazawas/status/1003065522206883840> <https://twitter.com/shima_chikara/status/1002908668080222208>
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せっかく最高裁判決を二つも紹介してあげたのに、「弁護士のくせに、感情論ばかり」などと言われても困る。 \n 論理的に争点そらしを指摘しているだけでしょうに。
38件目 (リツイート): fukazawas(深澤諭史)|KshAb76(ちゃんおに) 日時:2018-06-03 09:36/2018-06-03 09:31 URL: <https://twitter.com/fukazawas/status/1003072848179560448> <https://twitter.com/KshAb76/status/1003071607802245120>
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弁護士資格へのネガキャンは良くない、受け入れろという意見もある \n \n しかし、何年も何百万円もかけて取得する資格だから、低収入や不安定を受け入れ難いのは当然。 \n 仕事内容も、超ストレスフルだし… \n \n 初めから分かっていたら、目指さない人が… https://t.co/oEkS7zJnfW
37件目 (リツイート): fukazawas(深澤諭史)|Bibendum65(仙猫カリン) 日時:2018-06-03 09:36/2018-06-03 00:24 URL: <https://twitter.com/fukazawas/status/1003072897600983040> <https://twitter.com/Bibendum65/status/1002933955929051136>
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田端さんみたいな上流市民は知らないと思うけど、 \n \n 仕事がつらいんで辞めました \n いま無職です \n 生活保護お願いします \n \n って言って、ほいほい受給できるほど、生活保護は甘くねーんだよ
34件目 (リツイート): fukazawas(深澤諭史)|KshAb76(ちゃんおに) 日時:2018-06-03 09:51/2018-06-03 09:50 URL: <https://twitter.com/fukazawas/status/1003076554459451392> <https://twitter.com/KshAb76/status/1003076354726694917>
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いま俺は弁護士として食べてはいけているが、 \n 増員で業況が益々悪化する中、今後、10年、20年と食べていけるかは不安しかない。子供をきちんと育てられるか… \n \n 弁護士になるまでの費用・時間・努力、仕事のハードさからして、全くペイしない… https://t.co/O5AElyFqMs
33件目 (リツイート): fukazawas(深澤諭史)|KshAb76(ちゃんおに) 日時:2018-06-03 10:22/2018-06-03 09:58 URL: <https://twitter.com/fukazawas/status/1003084474358292480> <https://twitter.com/KshAb76/status/1003078497714106368>
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あと、弁護士資格で嫌なところは、紛争を扱ってしかも一方当事者につくので、とにかく恨まれやすいこと。 \n \n 相手方本人からは、ほぼ100%恨まれる。 \n 依頼者からも、思い通りの結果にならず、ときおり恨まれる。 \n \n なので、事件を受ける度に、… https://t.co/dOj2WrNgWK
31件目 (リツイート): fukazawas(深澤諭史)|superwepon(羅生門) 日時:2018-06-03 11:39/2018-06-01 12:37 URL: <https://twitter.com/fukazawas/status/1003103917637373952> <https://twitter.com/superwepon/status/1002393592571166720>
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食堂で『いただきます』と『ごちそうさま』ってやったら隣の若僧共に笑われた。 \n \n 笑いたきゃ笑えばいいよ。 \n \n 世の中がどう変わろうが、この二つの言葉は不変の掟だ。 \n \n 絶対にやり続けてやる。
30件目 ツイート: fukazawas(深澤諭史) 日時: 2018-06-03 12:26 URL: <https://twitter.com/fukazawas/status/1003115663727063040>
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カンヌ受賞の是枝裕和監督を祝福しない安倍首相を、フランスの保守系有力紙が痛烈に批判 https://t.co/qrrRI75Jlq
以上が、昨日中断した頃の深澤諭史弁護士のタイムラインでのツイートです。取扱を含めいろいろ考えてしまいました。今日はもっとすごいのも出ています。お願いしているわけではないのですが、問題提起参考事例として役立ちます。
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