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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年4月6日金曜日

# 平成11年の建設・建築現場への日雇い派遣の仕事、その中でも一番長く通った金沢市山科の河川の災害復旧工事の現場 #

# 平成11年の建設・建築現場への日雇い派遣の仕事、その中でも一番長く通った金沢市山科の河川の災害復旧工事の現場 #

 仕事では山科と聞いていたのですが、さきほどGoogleマップで確認をすると、金沢市山科と別に金沢市山科町があって、この山科町の方が山際になるので、本当は山科町の現場と呼ぶのが正しいようです。

 いや、Googleマップをよく見ると山科町というのは、泉ヶ丘通りから離れすぎていて、あとで宅地造成された新興の住宅地とも考えられます。手前に広い道が見えますが、これが山側環状道路のはずです。平成11年の時点でも工事は始まっていたのかもしれないですが、道路は存在しませんでした。

 県道45線の泉ヶ丘通りに近い山科の地名を見ると、やはり円光寺に隣接していました。円光寺は金沢市内で知名度も高くバスターミナルのようなものもあって商店街のような町並みもあったと記憶します。

 時刻は17時07分です。先程、テレビのとなりのテレ金ちゃんで、穴水町のサバ踊り、という神社の神事をやっていたので、ネットで調べていました。穴水町木原という地名で、どこ辺りなのかとGoogleマップで調べると、能登空港の珠洲道路から反対側にある集落でした。

 どこかで20戸か20人ほどの集落という情報も見かけましたが、400年続いている神事とのことです。神社の名前も白山神社でした。同じ能登町でも近年になって初めて知った集落も少なくはないのですが、サバ踊りというのも山間の集落で、全く聞いたことがなかったので、意外性も高かったです。

 まな板に塩サバと包丁を紐で括り付けていました。被害を与え、娘までさらった白ムジナを退治したのが神事の始まりとのことです。能登町の旧柳田村には猿鬼伝説がありますが、10年ほど前になりますか、今も続いているらしいマラソン大会の同名のポスターで初めて知りました。

 昔話と言えば、一つに竹林が出てくるというイメージがあります。かぐや姫の竹取物語のイメージが強いのだと思いますが、悲しい別れとなる物語だったと思います。数年前、アカデミー賞だったかの候補になっていたアニメをテレビで見ました。

 昔テレビで見た昔話とは違って、仏像のような集団が迎えに来るというラストシーンであったと記憶しています。なぜ仏像なのかと不思議に思ったのですが、それが宗教的なイメージとの融合にもなったと思います。

[link:] 高畑勲監督の「かぐや姫の物語」アカデミー賞候補に 海外で高い評価 <https://www.huffingtonpost.jp/2015/01/15/kaguya-hime-academy-awards-takahata_n_6483632.html>

 調べると、「かぐや姫の物語」というタイトル名だったようです。上記は2015年1月16日の記事となっていました。同じく短編アニメの候補に「ダムキーパー」というブタの少年の物語がありましたが、かなり強く影響を受けています。弁護士脳汚染という世界観につながっていきました。

 2015年と言えば、4月の初めかあるいは3月の終わりに、能登の輪島と横浜を舞台にした連続テレビ小説まれ、の放送が始まりましたが、同じ年のことであったということも記憶から抜け落ちていました。

 「かぐや姫の物語」というタイトル名は記憶になかったのですが、私がTwitterのアカウントのプロフィールの名前に含めた「泥棒神社の物語」にも多少は影響があったのかもしれません。宮沢賢治の銀河鉄道の夜はイメージとしてモチーフに含まれていたのですが、物語ではなかったです。

 平家物語は、モチーフの要素として含まれていたと思いますが、この平家物語も最近になって白山市との関わりを知ることになりました。それも銭湯のテレビがきっかけで、となりのテレ金ちゃんの放送でした。

 さきほど、Googleマップで「金沢市高尾」で検索したところ、地区の輪郭が強調表示されましたが、山の奥の方に伸びる見たこともないような変わった地形となっていました。私が知っていた高尾の場所は、中心部ではあるもののざっと見た感じ、15分の1ぐらいの場所だったようです。

 同じく15分の1ぐらいが住宅地で、その他の広い場所はほとんどが山林のようです。同じ山林で窪町が隣接していますが、その隣に先程の山科町が見えます。

[link:] 高尾町 - Google マップ <http://bit.ly/2GUSPqi>

[link:] 山科 - Google マップ <http://bit.ly/2GAQYnr>

[link:] 山科町 - Google マップ <http://bit.ly/2GzIvAy>

 それぞれ確認すると、山科の方はほとんどが住宅地でした。山科町の方は一部に住宅地があるもののほとんどが山林で、それもかなりの広さです。地図で見ると離れた場所だと思っていた野田山墓地と隣接していることも確認されました。

 山科町と高尾の山林では、季節がわからないものの山の緑の色がずいぶん違っていて、山科町のほとんどの山は深緑で草に近い低木が密生しているように見えます。

 辺りの山にこだわるのは大きな竹林があったからです。昭和59年に金沢市場輸送の仕事を始めた頃から筍の出荷地として知っていました。円光寺の山と聞いていたようにも思います。一度、直接、筍を積みに行ったような記憶もあるのですが、円光寺のバスターミナルの近くで泉ヶ丘通り沿いの場所でした。

 金沢市円光寺で指定すると、全て山間から離れた住宅地で、それも思っていたよりずいぶん狭い範囲でした。わかりやすい目安の地名として円光寺が、筍の産地のようになっていたようです。

 金沢の筍の出荷時期というのは4月の終わりから5月の前半で、詳しくは思い出せないですが、2,3週間の時期だったと思います。昭和59年に初めて筍の仕事をした時は、4月に入ってからだったように思いますが、被告発人大網健二も一緒に金沢市場輸送の長距離の仕事を始めた時期でした。

 筍の仕事の終わりの方と少し重なっていたと思いますが、次に同じように忙しくなるのが金沢港でのスルメイカの仕事でした。昭和59年の時は、7月に入ってからも続いていたように思いますが、5月から6月の間に一ヶ月間ほど続けてスルメイカの仕事があったように思います。

 平成11年の時、山科の現場が終わったすぐ後だったような気もするのですが、別の仕事で泉ヶ丘通りで山科からもう少し奥に行ってから、左手に山の上を方をぐんぐん登っていく現場に行ったことがありました。林道が蛇行していましたが、上の方に行くと見たことのない大きな竹林が広がっていました。

 時刻は18時29分になったところです。3分ほど前、同じテレビ金沢で穴水町のサバ踊りをやっていましたが、さらわれた娘を救い出すためサバを使っておびき寄せた、という説明がありました。前に見たのも同じ内容だったのかもしれませんが、途中になってからサバ踊りという言葉で目を向けました。

 山科の現場での最終日は、早い時間に仕事が終わり、いつも一緒に行っていた小松市から来ていた溶接の職人と二人で、その人が早く会社に戻ると他の現場に行かされるかもしれないので、時間をつぶそうと言い出し、どこか高尾の辺りの商業施設の駐車場にいた場面が記憶に残っています。

 山科の現場は、2月の20日過ぎに日雇い派遣の仕事を始めてから早い段階の仕事だったと思います。ほぼ毎日のように通うことが多かったですが、それは派遣先の現場からの指名によるものでした。堀田建設という会社の仕事でした。直接会社に行くことはなかったですが野々市町と聞いたように思います。

 野々市町と松任市の境の辺りに土場がありました。資材置き場で土砂置き場にもなっていました。周囲はほとんど家がなく田んぼになっていたとも思いますが、あまり良く思い出せない場所です。そこで土嚢を作ることもありました。

 この堀田建設の仕事は、ほとんどが川での災害復旧工事の仕事でした。山科の仕事が終わってからどのくらい間があったか憶えていませんが、6月頃には集中的に山中温泉の山奥の現場に通うようになっていました。安藤健次郎さんと頻繁に連絡するようになった時期のことです。

 今は聞かなくなったので変わっている可能性もありますが、当時の山中温泉は江沼郡となっていたと思います。福井県に近い石川県のはずれでした。片山津、山城と並んだ加賀温泉の一つで全国的にも温泉地としての知名度はある程度あるように思います。

 時刻は18時51分です。「誉のドコ行く?」というコーナーが終わったところでしたが、白山市白峰が出ていました。もう3ヶ月ぐらいずっと白山市の奥の方を回っているようです。初めに見たのも白峰かと思ったのですが、それは「はじめてのおつかい」との勘違いかもしれないと思い直しました。

 最初の頃に印象的だったのは、白山市の奥の方の集落の蕎麦屋で、その店の山岸という主人が元警察官と番組で話していたことでした。白山市に注目するようになった最初のきっかけだったかもしれません。あとで確認します。

 山科の現場の仕事が終わったのは4月中だったと思います。終わる数日前か、数日後の日曜日に、久しぶりに被告発人大網健二から連絡があって、西金沢の展示中の建売住宅で会って話をしました。豊蔵組の東京出張所や群馬県の山に現場があるような話を彼がしていた時のことです。

 ふと、数年ぶり、あるいは10年以上ぶりに思い出したのですが、西金沢には昭和59年の金沢市場輸送の仕事をしていた時、よく荷物を積みに行く工場がありました。羽二重餅という商品名が記憶にあるのですが、これは福井県の名物のようです。敷地内には、西金運輸のトラックもいました。

 冷凍食品の工場であったとも思うのですが、思い出せることは少ないです。西金沢の駅からも近い場所にかなり大きな敷地となっていましたが、平成に入った頃には工場を見かけることもなくなっていたかもしれません。冷凍食品のようなものを運んでいたことは間違いないように思います。

 時刻は4月6日21時46分です。中断をしていたと思います。JekyllとBloggerのどちらでも埋め込みツイートを表示できるようにしたのですが、Bloggerの方ではまって10時間以上の時間を軽く潰してしまいました。解決は思わぬものでしたが基本的な出力に見落としがありました。

 ずっと正規表現の記述を疑っていたのですが、そちらに間違いはなかったので、検証を重ねたことで少し自信を深めるプラスの作用もありました。

 中断前に、西金運輸と羽二重について書いていましたが、西金運輸は現在、金沢市無量寺の住所になっていました。こちらは前にも調べた結果と同じように思いました。西金沢の羽二重は、羽二重豆腐が正式名称でした。会社の場所を勘違いしていたのですが、同じ場所にあることを確認しました。





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