告発状2021-03#### 3月3日の小夜衣からデジカメと斐川雅文弁護士の上告趣意書,深澤諭史弁護士らの成仏理論から弱者救済,お小夜塚(1)
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五箇山は今でも秘境という印象があるが、昔から人が通えないような土地として、加賀前田家の流刑地にされていた。この塚の主のお小夜も、加賀藩の罪人としてこの地に連れて来られた一人である。
お小夜は能登門前町の貧農の家に生まれ、13歳の時に近くの輪島にある素麺屋へ奉公に出された。そして18で年季を終えて実家に戻ると、今度は金沢の遊女に売られてしまう。
当時の金沢では遊郭の営業は認められていなかったが、お小夜の雇い主は、加賀藩士の高崎半九郎らと結託して密かに出会茶屋を経営していた。それが発覚したため高崎らは流刑、商人らも極刑などに処せられたのであった。そして店で働いていたお小夜ら遊女20名も流罪と決まったが、決まった流刑先が輪島であったため、お小夜だけは郷里に近いという理由から、一人五箇山への配流となったのである。元禄3年(1690年)、お小夜が21歳の時であった。
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- お小夜塚 | 日本伝承大鑑 [https://japanmystery.com/toyama/osayo.html](https://japanmystery.com/toyama/osayo.html)
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比較的自由な生活をしていたお小夜は、村の若者・吉間と恋仲となった。しかし子を身籠もってしまったため、状況は一変する。流刑の身の者と集落の者が結婚することも子をなすことも御法度であった。このままでは村にも累が及ぶと思い悩んだお小夜は、とうとう庄川へ身を投げて死を選んだのである。
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- お小夜塚 | 日本伝承大鑑 [https://japanmystery.com/toyama/osayo.html](https://japanmystery.com/toyama/osayo.html)
上記に2箇所引用しました。前にも読んでいる記事だと思います。特に記事の終わり近くにある「お小夜投身の地」という写真が印象に残っていて,写真の下の方に「日本伝承大鑑」とあることに気が付きました。しかし,初めて知ったように思ったのは,流刑がお小夜,21歳のときというところです。
「当時の金沢では遊郭の営業は認められていなかったが、お小夜の雇い主は、加賀藩士の高崎半九郎らと結託して密かに出会茶屋を経営していた。」というのも改めて考えさせられる江戸時代,加賀藩の歴史です。お小夜,21歳が元禄3年(1690年)ということにも気が付きました。
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生類憐れみの令ののちに出された「捨て子禁止令」(1690年)が綱吉の死後も続いたことから、生類憐れみの令は、子どもを遺棄することが許される社会から許されない社会への転換点となったとも評価される[4][8]。そして、子どもを遺棄する行為が悪と考えられるようになったことから、遺棄された子どもを保護する仕組みが構築されていったと指摘される[9]。
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- 生類憐れみの令 - Wikipedia [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%A1%9E%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%BB%A4](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%A1%9E%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%BB%A4)
元禄ということで生類憐れみの令を思い出したのですが,「生類憐れみの令ののちに出された「捨て子禁止令」(1690年)が綱吉の死後も続いたことから」とあります。生類憐れみの令は遊郭,遊女とは特に関連がなかったらしくページ内検索に該当はありませんでした。
「遊廓開設後、吉原は元禄期の大尽遊び (紀伊国屋文 遊女屋はこの紙を受け取ると太夫が揚屋に向けた。遊左衛門)、享保期の商人らの通人遊び、また最後の明和、 女が揚屋に来るまでの間、客は幇間(ほうかん)(男芸6化政期の岡場所 の発達を経て、幕末を迎えた。」を見つけました。
上記の引用部分はPDFファイルのため文体が崩れ,表示とは異なる部分があるかもしれません。Googleの検索ですが,検索結果をクリックすると,そのまま確認もなくダウンロードが実行されていました。これまでに経験のないことです。
「そして,昭和三十三(1958)年売春防止法が実施されると、遊廓吉原の歴史はついに終わったのである。」ともあります。PDFファイルのページが横書き2段組になっているのですが,範囲選択をすると隣の段の同じ列の文字列までコピーされているようです。今回は,修正しました。
弁護士鉄道遊郭編をつくったのは,昭和33年の売春防止法のこともあります。なぜ法律が出来たのか具体的な経緯を知らず,まだ調べてもいないのですが,かねて提唱してきた弁護士報酬禁止法に通じるものがあります。弁護士に対するご法度,取締です。
ダウンロードされたPDFファイルは5ページなのですが,4ページ目の下に161というページ番号がありました。
それに気がついてから読み進めると,太夫は遠い地方の貧乏な農村から買い集めてきて,小さい頃から育てた女性である。そして,その子供が将来立派な太夫になれるか判断する人を女衒という,とありました。文章そのままではなく要約をしています。
女衒という言葉は知っていましたが,侮蔑するような意味で使われた例しか見ることがなかったように思います。
「陳羿秀:江戸前期と明末清初における遊廓文化について」が標題のようですが,本格的な学術論文となっています。次がURLですが,前述の通りダウンロードが始まりました。→ https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjltZbqzJfvAhVmzDgGHUaZBsAQFjADegQIAhAD&url=https%3A%2F%2Fteapot.lib.ocha.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_action_common_download%26item_id%3D6647%26item_no%3D1%26attribute_id%3D21%26file_no%3D1&usg=AOvVaw29Cdr8ZM70qfXYzBRB41-R
元禄文化というぐらいなので,華やかな時代という印象がありますが,加賀藩で遊郭の営業が禁止されていたとのことです。この加賀藩というのも遊郭の歴史と接点があり,東京の白山神社のことで知りました。
東京の白山神社は,江戸時代の裁判で火あぶりの死刑となった八百屋お七について調べている時に最初に知ったように思います。同じ加賀藩の屋敷が現在の東京大学とゆかりがあることは,その前から少し知っていました。
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(py37_env) ➜ ~ twilog-serch 白山神社|grep 東京
./hirono_hideki210304.csv:2020-12-18 07:24:39 "白山神社【はくさんさま】 - 東京都神社庁 http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/bunkyo/5901/ " https://twitter.com/hirono_hideki/status/1339698046066573312
./hirono_hideki210304.csv:2020-12-18 07:20:37 "白山神社 (文京区) - Wikiwand https://www.wikiwand.com/ja/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA) 白山神社(はくさんじんじゃ)は、東京都文京区にある神社である。旧称白山権現社。この一帯の「白山」という地名の由来である。 " https://twitter.com/hirono_hideki/status/1339697030814334977
./kk_hirono210304.csv:2019-10-08 20:51:59 "東京で加賀というのは加賀藩の藩邸があったことで東京大学の近くが情報として見かけてきました。その東京大学の近くというのは能都中学校の修学旅行の宿泊として記憶に残るものでもありますが、白山神社から八百屋お七というのも検索から情報が出てきたことがありました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1181537722042683392
./kk_hirono210304.csv:2019-03-02 21:41:57 "東京都文京区に白山神社を見つけたのがきっかけで、八百屋お七の地蔵尊などの情報が出てきたと記憶しますた、東京都文京区では、テレビのニュースで少しだけみた母親が子どもを道連れにした無理心中事件があったことも思い出しました。東金沢駅でも飛び込み自殺。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/1101824967262392320
./kk_hirono210304.csv:2017-04-27 02:07:42 "昨年の曳山の横転事故では、同じ町内の30代の若者が片足を失いました。その白山神社の曳山のテーマが、「仙台高尾身請け話」でしたが、今年の曳山祭の前、その仙台高尾が高尾大明神とも呼ばれ、戦災で大きな打撃を受けた東京の小さな神社でまつられていることも、初めて知りました。 " https://twitter.com/kk_hirono/status/857280035417239552
./s_hirono210304.csv:2018-07-13 13:49:12 "2018-07-13-121721_白山神社と東京大学 Googleマップ.jpg http://pic.twitter.com/AqHrQKDXub " https://twitter.com/s_hirono/status/1017632011790323712
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長文でツイート出来なかったものも→東京都文京区に白山神社を見つけたのがきっかけで、八百屋お七の地蔵尊などの情報が出てきたと記憶しますた、東京都文京区では、テレビのニュースで少しだけみた母親が子どもを道連れにした無理心中事件があったことも思い出しました。東金沢駅でも飛び込み自殺。
「twilog-serch 白山|grep 遊郭」の検索結果がなく,他にも2つほど試したのですが情報は出てきませんでした。直接,Googleで検索したところ,よりわかりやすい情報が見つかったようです。
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白山駅のすぐ後ろに、白山神社がある。
社伝によると、948年に加賀一宮白山神社が本郷元町に奉勅され、後に現在の場所に移ったという。
東京十社(富岡八幡宮、芝大神宮、山王日枝神社、品川神社、赤坂氷川神社、根津神社、神田神社、亀戸天神社、白山神社、王子神社)に含まれる勅祭神社の一つ。
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- 白山神社から白山一丁目(旧花街) [http://www1.tcn-catv.ne.jp/hatake113/s_hakusan/hakusan.html](http://www1.tcn-catv.ne.jp/hatake113/s_hakusan/hakusan.html)
- 白山神社から白山一丁目(旧花街) https://t.co/c7mAc2ARsw 白山下から東に向って本郷台地に登る坂道「浄心寺坂」の途中左に、「八百屋お七」の墓所である圓乗寺がある。(文京区説明掲示板)
- 白山神社から白山一丁目(旧花街) https://t.co/c7mAc2ARsw 白山下から、白山通りのすぐ東隣に商店街が平行して伸びている。その東奥---白山一丁目の南端の狭い一画にかっての三業地「白山花街」があった。
- 白山神社から白山一丁目(旧花街) https://t.co/c7mAc2ARsw 三業地とは、料理屋、待合、芸妓屋の三業が集まって営業する公認の風俗地域のことで、警察(戦前まで)の許可が必要とされる特殊地帯であった。
- 白山三業地 ~樋口一葉『にごりえ』の舞台を歩く~ | Nostalgic Landscape https://t.co/Ilbhpf1iJE
範囲選択の出来ないページですが,「白山はかつて「指ヶ谷」といって,明治時代,この地は銘酒屋が立ち並ぶ私娼窟だった。ここに住んでいた一葉は,私娼からの書き物を頼まれたり相談相手になったり交流があったという。」などとあります。
拘置所にいるとき官本で名前を知ったように思う樋口一葉ですが,5千円札になっていることを別に調べて確認しました。
範囲選択の出来ないページですが,「白山はかつて「指ヶ谷」といって,明治時代,この地は銘酒屋が立ち並ぶ私娼窟だった。ここに住んでいた一葉は,私娼からの書き物を頼まれたり相談相手になったり交流があったという。」などとあります。
拘置所にいるとき官本で名前を知ったように思う樋口一葉ですが,5千円札になっていることを別に調べて確認しました。
- 樋口一葉を5分で!お札に選ばれた理由は?有名作品や特徴は?│れきし上の人物.com https://t.co/cD7PFPtrR3 1895年、大ヒット作「たけくらべ」が掲載されると、森鴎外(もりおうがい)から大絶賛を受け、一葉は人気作家となりました。
- 樋口一葉を5分で!お札に選ばれた理由は?有名作品や特徴は?│れきし上の人物.com https://t.co/cD7PFPtrR3 一葉は、その後も人気作を次々と発表しますが、結核を患い1896年11月に24歳の若さでこの世を去りました。
樋口一葉が24歳で肺結核で亡くなっていたというのお知らなかったか,読んでいても記憶になかったのですが,被告発人梅野博之が被害者安藤文さんに向けて,軽く笑いながら言った「美人薄命」という言葉を思い出しました。最近は見かけない言葉でパソコンで見るのは初めてかもしれません。
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(py37_env) ➜ ~ hatena-log-search 美人薄命
0件(該当なし) ”美人薄命”を過去のはてなダイアリーの記事から検索 ”2021-0305 08:03”の実行
(py37_env) ➜ ~ twilog-serch 美人薄命
./hirono_hideki210304.csv:2021-01-01 09:17:45 "絶世の美女、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話と祀られている神社 | はじめてのお葬式ガイド https://www.e-sogi.com/guide/27985/ 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は、桜の如く華やかに咲いて、桜のように儚く散った絶世の美女。まさに美人薄命を絵に描いたような神様です。 " https://twitter.com/hirono_hideki/status/1344799940791308288
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Twilogでも1件だけで,「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は、桜の如く華やかに咲いて、桜のように儚く散った絶世の美女。まさに美人薄命を絵に描いたような神様です。」という部分に該当していました。被告発人梅野博之が出てこなかったのは新たな発見になりました。
桜というのも無関心だったのですが,平成4年4月,金沢地方検察庁から金沢西警察署に戻るマイクロバスで,旧金沢城のお掘りのような道路沿いの桜並木を,後ろを振り向きながら見たのがとても印象に残り,それからは多少,桜にも徐々に関心を持つようになっていきました。
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