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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2018年5月18日金曜日

# 気になって調べた高島章弁護士(新潟県弁護士会)の年齢と経歴 #

# 気になって調べた高島章弁護士(新潟県弁護士会)の年齢と経歴 #


1962年生まれ。神奈川大学法学部卒。第45期司法修習生。
93年、新潟県弁護士会登録。2000年、新潟県弁護士会副会長。

キリスト教原理主義者
新潟水俣病第3次訴訟弁護団長
朝鮮総聯新潟県本部顧問弁護士
にいがた東響コーラス団員(バス)
日弁連刑事法制委員会幹事
朝まで生テレビ「激論!ド~なる?!裁判員制度~」に出演

[source:] /引用元:/ 法政大学文化連盟 ★祝勝無罪2★ 高島章弁護士からメッセージ <http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-876.html>


 wikipediaのページでは年齢など見当たりませんでした。何年か前にも調べたことがあったと思うのですが、昭和37年生まれということで、前もそれぐらいと情報を見たような気がしました。

 生まれた月がありませんが、昭和39年11月生まれの私には学年が2つか3つの年長ということになるかと思います。同世代といえば、そうかもしれないですが、中学校1年生の頃の3年生や高1となると、ずいぶん大人に見えたものですし、上下関係の厳しい時代でした。

 45期司法修習生とありますが、テレビでも問題行動が取り上げられた東京高裁の岡口基一裁判官とは、修習が同期だと情報を見ています。それで同じ新潟修習を受けた小倉秀夫弁護士と同期かと思ったのですが、否定するとともに嘘つき扱いするような返信が小倉秀夫弁護士からありました。

 当時の司法修習は2年だったはずですが、そのうちの半年とか高島章弁護士と修習が一緒になったという小倉秀夫弁護士の返信でした。小倉秀夫弁護士は昭和43年生まれという情報を見ているので、6歳ほど年が離れていることになります。

 修習時代から相性は悪かったとのことです。小倉秀夫弁護士が悪口を書くために高島章弁護士が主催する「刑事訴訟愛好会」というFacebookページに入会したという話もありました。

 この刑事訴訟愛好会については、あらためて書いておきたいことがあります。

 刑事訴訟愛好会は現在でも存在するような情報も見かけていますが、私のFacebookアカウントでログインした状態だと存在を確認することは出来ず、Twitterと違ってログインしないと見ることは出来ないのだと思います。

探しだした「刑事訴訟愛好会」という小倉秀夫弁護士もメンバーになっていたFacebookページのスクリーンショット | 2016年告訴状_金沢地方検察庁御中 https://hirono2016kk.wordpress.com/2016/10/22/%E6%8E%A2%E3%81%97%E3%81%A0%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%8C%E5%88%91%E4%BA%8B%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E6%84%9B%E5%A5%BD%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%B0%8F%E5%80%89%E7%A7%80%E5%A4%AB%E5%BC%81/>

 刑事訴訟愛好会の検索で出てきた上記のページをざっと目を通したところ、意外な発見があったので、小項目として記録化しておきたいと思います。

 今日も新潟絡みで、気になるツイートを発見した広島出身の落合洋司弁護士(東京弁護士会)は、昭和39年生まれで、3月かあるいは2月生まれだったので、学年は一つ上になりそうでした。

 今日の高島章弁護士のTwitterのタイムラインでは、昨日のバイキングの放送中に一報を知った西城秀樹さんの訃報に関して、子供の頃遠足のバスで「情熱の嵐」という曲を歌っていたというようなことをツイートしていました。

 昨日からテレビで繰り返し出ている西城秀樹の代表曲の一つですが、昭和48年のヒット曲と出ていました。私が子供の頃は、中学生でも遠足のバスの中で歌を歌うということはなかったように思います。

 歌を歌ったことで記憶にあるのは、ちょうど宇出津小学校を卒業するときに、当時大ヒットしていた「青春時代」という曲を合唱したことぐらいです。

 中学生になってからジュリーと呼ばれた沢田研二の曲がヒットするようになり、まねて歌うような同級生も出てきたことが記憶にあります。寺内貫太郎一家というドラマが人気だったのも同じ頃だったと思います。「昭和枯れすすき」というドラマに出てくる曲も印象的でした。

 枯れすすきといえば、幽霊を連想させるものがありますが、高島章弁護士やモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士も現実離れした、理解を超えた世界観を感じるものです。非現実性と言いますか、初めにそのような世界観を感じたのもテレビのゲゲゲの鬼太郎でした。

 この前の日曜日になりますが、ひよんなことで昭和40年代のゲゲゲの鬼太郎のアニメをネットで視聴しました。砂かけババアのキャラクターが記憶にあるものとは違っていたので、私が物心つく前の放送だったのかもしれません。



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