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告発\金沢地方検察庁\最高検察庁\法務省\石川県警察御中
弁護士と裁判官が共同で確定させた傷害・準強姦被告事件判決の再捜査要請に係る石川県警察珠洲警察署提出書面の情報公開

殺人未遂事件幇助の被告訴人: 木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)、岡田進弁護士(金沢弁護士会)、長谷川紘之弁護士(金沢弁護士会)、若杉幸平弁護士(金沢弁護士会)
名誉毀損罪の被告訴人: モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)、小倉秀夫弁護士(東京弁護士会)
市場急配センター株式会社 石川県金沢市駅西本町5丁目10番20所在
作成管理者: 石川県鳳珠郡能登町字宇出津 廣野秀樹
金沢地方検察庁御中

2019年2月3日日曜日

告発の事実/昭和59年/金沢市場輸送/金沢市大野町と茨城県鹿嶋市から振り返る本件告発事件の人間関係と背景

#+TITLE: "告発の事実/昭和59年/金沢市場輸送/金沢市大野町と茨城県鹿嶋市から振り返る本件告発事件の人間関係と背景"
#+AUTHOR: 廣野秀樹
#+EMAIL: hirono2013k@gmail.com
#+DATE: 2019-01-31 13:58:05 +0900
FILE_NAME: 2019-01-31-135805_金沢市大野町と茨城県鹿嶋市から振り返る本件告発事件の人間関係と背景.org
CATEGORY: 石川県警察御中,金沢地方検察庁御中
tags: 金沢市場輸送 被告発人大網健二 OYN 平成4年4月 傷害・準強姦被告事件
記事タイトル名の文字数:52 保存ファイル名の文字数:55

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* 行方不明となっていた茨城県神栖市で遺体が発見された東京葛飾の女子大学生の事件
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CLOCK: [2019-01-31 木 14:16]--[2019-01-31 木 15:57] => 1:41
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>>>2019-01-31(木曜日)14:16_[これからの記述範囲の開始時刻]>>>

 数日前からテレビで報道されていた女子大学生の行方不明事件ですが、ちょうど取り調べの黙秘のことで捜査状況に思いを巡らせながら注目していた事件でした。遺体が発見されたというニュースは、落合洋司弁護士(東京弁護士会)のタイムラインで初めて知りました。

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RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2019-01-31 14:25/2019-01-31 11:20 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1090843482824925186 https://twitter.com/s_hirono/status/1090796969612591105


2019-01-31-094125_落合洋司🇯🇵「ニチョウ東京地検特捜部特別分室」発売中!さんがリツイート> TBSNEWS(@tbs_news): 【速報】行方不明の東京・葛飾区の女子大.jpg https://t.co/jzFCTZ1S30
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 この行方不明事件では、当初の報道より、鹿島神宮駅からタクシーに乗ったという足取りが解説されていたのですが、今日になって調べると、鹿島神宮駅は鹿嶋市内で、そちらが神栖市の最寄り駅だったようです。その後のテレビではタクシー代が3千円ほどという話も出ていました。

 任意の取り調べという報道でしたが、車まで押収しているとして運搬する写真か映像まで出ていたので、よほど嫌疑は濃厚で逮捕も時間の問題なのかと考える一方、家出の可能性を示唆するようなテレビの報道もあり、容疑が固まっているにしては長引いているとも考えていました。

 容疑者が逮捕されたということで、日の目を見た感もありますが、鹿島神宮駅ということもあり、人知を超えた神隠しのようなミステリー性も少なからず感じていた折のことでした。

 逮捕後の今日のテレビの報道では、片道の交通費だけで神栖市に向かい、お金がないので東京に帰れないと近所の人に話していたという話もありました。ネットゲームで知り合ったという可能性も数日前は有力視されていましたが、被疑者の逮捕後は、より切実に目的を持った行動だったようです。

mv ./2019-01-25_215728_tv.jpg ./2019-01-25_215728_テレビの画面・報ステ・父親「無事でいてほしい・・・」 東京の女子大学生が行方不明.jpg

 調べたところ、上記の情報が見つかりました。父親が顔出しで番組に出ていたのですが、そのあとの報道ではボカシが入るようになっていました。すべての放送を記録しているわけではないですが、私が見た範囲では、次のNHKのニュース報道が最初のものだったようです。

mv 2019-01-24_213821_tv.jpg 2019-01-24_213821_テレビの画面・NEWS9・女子大学生 行方不明 事件に巻き込まれたか 警視庁 亀有警察>署 東京葛飾区.jpg

 2019-01-24_213821_tv.jpgというのはGoogleフォトにアップロードしたファイル名で、その後にあるのが元のファイルめになります。

 mvというのはUNIXのコマンドでファイル名のコマンドをするものです。上記のテキストをファイルの存在する場所で実行すると、ファイル名をアップロード前のものに戻すことができます。

 これは中断の最初のきっかけとなったと思いますが、Googleフォトに日本語を含むファイル名のアップロードができなくなっていました。調べたところ情報は少なかったですが、Googleの仕様変更という見方も出ていました。

 この日本語ファイル名のファイルがアップロードできなくなったという問題に対処するため、スクリプトの作成などしていました。なお、アルバム名は「tv_2019-01-23_115840~2019-01-29_141139」などとしています。

 これまでもGoogleフォトから過去の写真をダウンロードすることはありました。パソコン内で見つからなくなっていたファイルというのもありました。

 容疑者の逮捕後の報道を見ていると、車内で殺害した可能性があるようです。車内での男女間のトラブルで事件になったというのは、数日前、金沢市の大野町でもありました。80歳の夫が79歳の別居中の妻に油を掛けて火を付けたという事件でした。殺人未遂容疑の逮捕でしたが、死亡事件となりました。

 たしか、午後2時半頃に発生したという事件で、最初にテレビで報道を見たのは16時少し前の石川県内ニュースだったと思うのですが、その時点では「命に別状はない」という報道になっていたのも不思議な事件でした。1時間ほど後の報道では、相当ひどい容体と思われたからです。

 なお、人が燃えている、という通報があったとのことです。当初は駐車場となっていたので、からくり記念館のことかと思ったのですが、埠頭の先端部分の船上げ場のような場所で、あとには「空き地」という報道に変わっていたとも思います。

 さきほどTwitterの検索で「父親」を検索ワードに加えるサジェストが出たので、実行したところ、テレビの取材で、ヘラヘラしている、半笑いなどと疑問視するものが散見され、私は元々の人柄なのかと見ていたのですが、なかにはその父親を疑う人もいたので驚きました。

<<<2019-01-31(木曜日)15:57_[これまでの記述範囲の終了時刻]<<<

* 「大野からくり記念館」の駐車場出入り口付近となっていた、平成4年の傷害・準強姦被告事件の傷害事件現場
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>>>2019-01-31(木曜日)16:04_[これからの記述範囲の開始時刻]>>>

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RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2019-01-31 16:08/2019-01-31 16:05 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1090869354583879680 https://twitter.com/s_hirono/status/1090868586405490689


2019-01-31-154400_大野からくり記念館 - Google マップ.jpg https://t.co/avmqsxIYQy
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 さきほどGoogleマップで金沢市大野町の埠頭の先端付近を再確認したのですが、「大野からくり記念館」の建物は駐車場から離れていて、埠頭の突き当りの道路に近接していることに初めて気が付きました。

 この大野埠頭の突き当りですが、金沢市内から来た道路が突き当たり、左に折れると30メートルぐらいで行き止まりになっていたと記憶にあります。平成4年4月1日の傷害・準強姦被告事件の夜も、私はその行き止まりでアルトワークスの軽四をUターンさせたことを憶えています。

 軽四でしたが道幅が狭かったのか、動転していたこともあると思いますが、数回の切り返しをしました。切り返しをして道を戻りだしてすぐだったと思いますが、対向車が入ってきて、そのときも焦りました。パニックに近い状態だったと思いますが、普通はない体験だと思います。

 大野からくり記念館の駐車場の手前に、左に入る道路があります。Googleマップで見ると道幅はより広く見えます。道幅が広く目立つ交差点ですが、平成4年当時はなかった道路だと思います。

 私がその道路を左折したのは、平成9年8月のお盆休みが始まった頃のことでした。少し行くと大きな橋が架かっていましたが、ずいぶん新しい橋に見えました。橋を渡って直進すると、しばらくして右手に金石の海岸がありました。

 ふとした出来心というのか、代車で乗っていたローレルで、その金石海岸の砂浜に入り、身動きができなくなってJAFを呼んだことは、4ヶ月ほど前にも書いたことがあるかと思います。

» 告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中(@kk_hirono)/「金石 海岸」の検索結果 - Twilog https://t.co/UMev5maizH



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RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)|kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中) 日時:2019-01-31 16:29/2018-12-04 12:09 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1090874714912829440 https://twitter.com/kk_hirono/status/1069790693579603968


そのホンダトゥディを買ったのは、平成9年8月の終わりか9月に入った頃のことです。8月のお盆休みでは、代車だったローレルに乗っていました。金石の海岸で砂に埋まりJAFを呼び、その夜、あすなろ公園で被告発人多田敏明と会った後、金沢西警察署に相談に行きました。
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 3,4ヶ月ほど前かと思ったのですが、調べてみると昨年12月4日の投稿となっていました。お盆休みは3日から長くて5日だったと思いますが、宇出津に戻ったのは、そのあとだったと思うのですが、改めて考えると、宇出津から戻った後という可能性もありそうな気がしてきました。

 お盆休みに帰省した宇出津では、ほとんど被告発人大網健二と一緒に行動をしていたように思います。宇出津の魚市場の近くのカネ八の前の曲がり角で、OSNが夜釣りをしていたのが印象的でした。偶然を装った出会いで、待ち構えていたような雰囲気も感じられました。

 少なくとも本格的な釣り道具ではなかったと思います。宇出津の湾内での夜釣りといえば、宇出津でカワダイと呼ばれた黒鯛釣りがお決まりでしたが、黒鯛釣りの5メートル30,40センチの長さの釣り竿ではなかったと思います。

 夜釣りというのは、日中に多いエサ取りとも呼ばれる小魚を避け、大物を狙うという目的もあり、道具もそれに見合ったものになるのが普通のはずなのですが、まるで手取りフィッシュランドの釣り堀でやっている様子に見えたのも印象的に記憶に残っています。

 なお、現在の黒鯛釣りは集魚剤とオキアミを混ぜた撒き餌をするのが普通なのですが、平成9年当時というのはまだ撒き餌を使った魚釣りというのは、普及していない時代であったかもしれません。当初は環境汚染として撒き餌を問題視する傾向も強かったとは聞いています。

 オキアミと集魚剤を撒き餌とした釣り方は、フカセ釣りと呼ばれています。潮流に撒き餌をのせて誘い出すとも聞いています。このフカセ釣りというのを私はほとんどしたことがありません。撒き餌の横で釣りをしたことはありました。他にやったのも遠投カゴ釣りです。

 黒鯛釣りは、やり始めるとのめり込む人も多いようです。釣り竿だけでも10万円とか、ずいぶんとお金を掛けている人が多いという印象もあります。中学生の頃は、大棚木の赤灯台で、黒鯛釣りをしたことがありましたが、イワムシという高価なエサを自分で掘り起こしてやっていました。

 イワムシは海に体の半分以上入り、大きな鉄の棒で岩を砕いて採っていましたが、もう何年もそういうことをやっている人の姿は見たことがなく、イワムシを置いている釣具店もないように聞いています。

<<<2019-01-31(木曜日)17:08_[これまでの記述範囲の終了時刻]<<<

* ナンパのスポットとして「チャンカイ」と呼ばれた平成4年当時の金石海岸
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>>>2019-01-31(木曜日)17:11_[これからの記述範囲の開始時刻]>>>

 さきほどGoogleマップを見ていると、「大野弁吉屋敷跡」という場所が目につきました。初めてのことです。となりに「大野日吉神社」が見え、周辺は緑に囲まれているように見えます。

 大野弁吉というのは人物名だと思いますが、これが金沢市大野町という地名の由来になっているのかと思いました。いくらか離れた場所には銭屋五兵衛銅像とあって、こちらも初めて知りましたが、人物名は学校の授業でも習ったような気がします。北前船の関係だったと思います。

 Googleマップを見ると、金沢港の大野埠頭の一帯は、出島か中洲のような地形となっており、これも昨年の12月の初めあたりになって初めて気がついたことだったと思います。本日は、その前の金沢港の海が「大野川」となっていることに初めて気が付き、少し驚きました。

 大野埠頭は金沢港の入り口のような場所ですが、これを見ると金沢港全体が大野川の一部に見えます。河口に魚市場があることで印象的だったのは、千葉県銚子市の魚市場で、川沿いに魚市場があるのが不思議な光景に見えました。

 銚子の魚市場の対岸は茨城県だったと思いますが、そこから鹿島というのもそう遠くない距離であったように記憶には残っています。今日、調べたところ、現在の茨城県鹿嶋市は以前、鹿島郡鹿島町となっていたようです。この鹿島は記憶に残る場所でしたが、それも金沢市の大野と繋がっています。

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RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2019-01-31 17:29/2019-01-31 17:28 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1090889833398992896 https://twitter.com/s_hirono/status/1090889657649324032


2019-01-31-172758_大野醤油醸造協業組合 - Google マップ.jpg https://t.co/rxRqboNRbL
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 Googleマップを拡大しても橋の名前が出てこなかったのですが、次のヤマト醤油の手前になる金沢港沿いの大きな橋です。川のように見えますが、これが海の一部であったとは、最近まで気が付きませんでした。

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RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2019-01-31 17:35/2019-01-31 17:33 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1090891428895416321 https://twitter.com/s_hirono/status/1090890737913278464


2019-01-31-173301_(株)ヤマト醤油味噌本社工場 - Google マップ.jpg https://t.co/FHKp0Ggflp
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 このヤマト醤油の前に金沢港の岸壁がありますが、ここはイワシの運搬の仕事でよく行っていた場所です。昭和63年12月からの、私の1回目のイワシのシーズンは、この岸壁だけがイワシの水揚げの場所となっていたと思います。ここには浜田漁業金沢工場の現場事務所の小屋もありました。

 2回目の平成元年12月からのイワシのシーズンでは、次の無量寺の県魚連の埠頭での水揚げが始まり、3対2から4対1の割合でそちらが多くなったとも思います。あるいは大野埠頭での水揚げが例外的となっていたかもしれません。

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RT kk_hirono(告発\市場急配センター殺人未遂事件\金沢地方検察庁・石川県警察御中)|s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2019-01-31 17:45/2019-01-31 17:44 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1090893726556155904 https://twitter.com/s_hirono/status/1090893540819759104


2019-01-31-174335_石川県信用漁業協同組合 連合会金沢支店 - Google マップ.jpg https://t.co/EZ2UCO7j31
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 Googleマップで見当たりませんでしたが、県魚連の一角は無量寺埠頭と呼ばれていたと思います。石川県内ニュースで見たようにも思いますが、私たちは魚連や県魚連と呼んでいました。2つある金沢港での魚市場の1つでした。もう一つというのは南浦漁協のことです。

 イワシの運搬をしていたのは無量寺の埠頭の右手になります。その手前の方に「金沢港いきいき魚市」とありますが、この建物のことは今日まで知りませんでした。

 最近もカニまつり、などということでテレビで県内ニュースとなっていましたが、当初は県魚連の建物を臨時で会場にしているなどと聞いていたように思います。仮設にしては本格的な店舗が並んでいると思っていたのですが、別の建物となっているので常設の営業とも思われます。

 「金沢港いきいき魚市」のある場所に、以前何があったのかは記憶にないですが、隣の奥側の取り壊し中の建物は冷蔵庫だったと思います。下関市から積んできた韓国産のカワハギを、そこで降ろしていたことだけは記憶に残っています。3、4回ぐらいやった仕事でした。

 その取り壊し中の冷蔵庫の奥の建物ですが、埠頭の先端になるその場所にも冷蔵庫があって、夏場に氷を運ぶ場所の1つでした。金沢市場輸送で合間にやらされていた仕事でした。

 時刻は18時53分です。雪舞う中、かくだストアに買い物に行き、10分か15分ほど前に戻りました。

<<<2019-01-31(木曜日)18:54_[これまでの記述範囲の終了時刻]<<<


>>>2019-02-03(日曜日)15:14_[これからの記述範囲の開始時刻]>>>

 「2019-01-31(木曜日)18:54」と記録が残っているので、思ったより長く中断をしていたようです。昨日は、当日の朝に決めたことでしたが、小木港にアジ釣りに行っていました。

 金沢市の大野町について書いていたところでしたが、今日は思うところがあって、別の事柄を先に書いておきたいと思いました。最初のきっかけとなったのはNHKの「のど自慢」の番組です、そのあと15時ころに、今もやっている旅番組をみたことで、さらに思いが強くなりました。

 その前にこの小項目を締めくくっておきたいと思います。金沢市の金沢港ですが、市内の中心部からは離れています。金沢市の規模から見ても大きな港ではないと思います。私は個人的に仕事で金沢港に行くことは多かったですが、金沢市内でもほとんど行かない人が多いかもしれません。

 最近は、石川県内のローカル番組で、大野町の紹介を見ることがありますが、これは甘酒や麹などの食文化のブームとも関係しているようです。大野や金石は北前船の歴史もあるので、そういう観光をする人もいるのかと思いますが、以前は観光地というイメージもなかったと思います。

 金石ですが、金沢市に住んだことがある人でないと「かないわ」とは読まないように思います。古い漁師町のような一面もあって、何度か仕事で行ったこともありましたが、能登の漁師町に共通した雰囲気を感じることはあり、そのまま規模を大きくしたような感じでもありました。

 「チャンカイ」というのは「チャンペ街道」のことです。この言葉を私が耳にするようになったのは平成3年からではないかと思います。その情報の出処というのも被告発人多田敏明であったと思われます。

 「チャンペ」というのは、女性器と性行為そのものを指す方言です。石川県では全域で共通していると思いますが、福井県や富山県でも同じと聞いたこともありました。被告発人多田敏明の大好きな言葉で、たびたび彼の口からこの「チャンペ」という言葉を聞いていました。

 金石海岸がナンパのスポットとして、性行為目的の「ちゃんぺ街道」という話でしたが、私が18,19歳頃は、ナンパのスポットといえば、香林坊から南町と言われていました。これは金沢市の中心部になり、繁華街である片町から少し離れています。

 香林坊から武蔵ヶ辻の間と言っても良いと思いますが、夜にそこを歩いている若い女の子は、車で男に声を掛けられるのを目的にしているという了解事項のものがあったわけです。

» 南町 - Google マップ https://t.co/KR33xW7vDy




 Googleマップで金沢市南町の場所を確認しました。こういう範囲の確認というのはGoogleマップがない地図だけの時代だとなかなか困難があったように思います。南町は金沢のオフイス街というイメージがありますが、昭和50年代は夜になると、ナンパの場所でした。

» 金石海岸 - Google マップ https://t.co/ZYGrM0mjT5




 次に金石です。ここにはほとんど行ったことがなかったように思います。海水浴もできそうな砂浜ですが、海水浴に行ったという話を聞いたこともなく、金沢市で海水浴といえば、内灘から千里浜、それと県民プールの近くの海でした。犀川の河口となっているので水質も悪そうです。

 その金石海岸が「チャンペ街道」と呼ばれたのは、「金石街道」のもじりもあるのかと思われます。正式なことは知らないですが、金沢駅の近くの六枚の交差点から金石のバスターミナルまでの片側2車線の主要道路が「金石街道」という認識で、そのように呼ばれていました。

» 石川県金沢市六枚町 から 金石バスターミナル - Google マップ https://t.co/tc88M95vZR




 「ちゃんぺかいどう」とそのまま読む人は少なかったとも思います。その略称と思われる「ちゃんかい」と呼ばれていました。実体験がなかったので、余りピンとは来なかったのですが、一度だけ夜にその金石海岸の場所に行ったことがあったような気はします。平成4年以前です。

 平成3年から4年のその当時は、ヤンキーという言葉も一般的なものとなっていましたが、昭和50年代にはなかった言葉で、何かの映画の影響で広まった言葉のようには考えていました。最近は余り見かけなくなっていますが、意味はまだ十分に通じると思います。

 以前、辞書でヤンキーについて調べたことがあったのですが、その頃は用語として登録はされていませんでした。もともとはアメリカの歴史的な一面を指す言葉であったとは思います。

```
当項目における“ヤンキー”とは、日本国内において、「深夜にコンビニ前にたまり、うんこ座りをしながらタバコを吹かしてる俺かっこいい」という志向を持つ少年少女を指す俗語を指す。また、それらの少年少女に特有のファッション傾向や消費傾向などライフスタイル全般を含める場合もある。

口伝えで広まった言葉のため、語源とは関係なく曖昧な定義のまま使用されることが多く、「非行少年」「不良」「チンピラ」「不良集団」などを指すものとして広範な意味で使用されている。

[source:] ヤンキー (不良少年) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC_(%E4%B8%8D%E8%89%AF%E5%B0%91%E5%B9%B4)
```

 暴走族というのも最近は、ほとんど見かけなくなった言葉ですが、平成3年頃はまだ普通に存在していたもので、より郊外型になったという話も聞いていました。繁華街や市内の中心部ではそれだけ警察の交通規制が厳しくなっていたとも考えられます。

 そういう事情もあって、金石海岸がナンパのスポットになったのかと考えていましたが、ナンパされる女子にすれば、歩いてそこに行くのは困難だったと思います。金石海岸には駐車場もなかったと思うので不便は他にもあったと思いますが、詳しいことはわかりません。

 このチャンカイで、他に印象に強く残っているのは、金沢西警察署の留置係だった小坂さんが、「チャンカイにいるような女じゃないんやろ。」、つき合う気がない、あるいは、嫌なら車に乗ってくるとは思えない、などと感想を漏らしていたことです。

 小坂という名前も記憶がはっきりしなくなっていますが、当時、25歳と聞いていました。私が27歳のときでしたが、しっかりした感じで年下には思えず、警察官というよりは、お寺の修行僧のような印象のある人でした。

 一人で中国を旅行したという話もしていました。海外旅行がそれほど一般的ではなかった時代だと思います。中国語で会話が出来るのか疑問をぶつけたところ、筆談で十分というような笑顔の返答があったのも印象に残る一場面です。

 平成4年当時の金沢西警察署の留置係というのは、入れ替わりで来る警察官が数名いて、中には交番勤務から応援に来ていると話す人もいました。決まった留置の担当と思われたのは、その小坂さんと藤井さんの二人でした。藤井さんの方は、もう少しで定年という年齢でした。

 当時の金沢西警察署の留置場は、留置の部屋が3つだったと思います。かなり古いつくりで、七輪のようなイメージがありました。長方形の留置施設でしたが、中にマッチの箱のような居房スペースがあり、それが3等分されていたことになります。

 その3つの居房スペースは、七輪のような重厚な壁に囲まれていましたが、周囲は通路に囲まれていました。留置施設に入って左手の奥には、もっと小さな長方形の空間がありましたが、そこが運動場となっていました。6畳間の長辺の畳2枚を外したようなスペースだったと思います。

 平成11年の金沢中警察署も同じでしたが、留置施設の運動場というのはまともに空を見ることもできず、波板の隙間から空を見るような感じでした。壁に窓はないので、見える外の景色というのは、ごくごく限られたものです。

 ただ、平成4年の金沢西警察署の場合は、留置施設の左奥のあたりに、洗濯物を干しに行くことがあり、今ではかすかなことしか思い出せないのですが、窓の隙間から神社の参道や鳥居のようなものが見えました。

<<<2019-02-03(日曜日)16:51_[これまでの記述範囲の終了時刻]<<<

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