# 趙誠峰弁護士のツイートで知った五大法律事務所の企業法務弁護士,矢上浄子弁護士のプロボノ活動
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目が覚めてスマホで時間を見たのが4時59分,横になったまま眠れず,起きたのが7時10分でした。昨日は午後に銭湯に行き,ゆっくりお湯に入ったのですが,右腕の痛みは消えず,昨夜はときどき,それまで以上の痛みを感じることもありました。
昨日,1月2日の夕方は,YouTubeで鬼滅の刃の動画をみたりしていたのですが,またいくつか新たな発見があり,いくらか印象に変化を受けるとともにいくらか理解も深まりました。それでもほとんどは断片的な情報ばかりでした。
今朝も起きてからいくつか新たな発見という出会いがあったのですが,その一つが,ここで取り上げる矢上浄子弁護士になります。ページにある顔写真をみると,どこかでみているような気もしたのですが,名前の方は記憶にないもので,浄土と同じ漢字でとても珍しい名前に思いました。
趙誠峰弁護士のツイートで知ったのですが,リンクのページで,特に気になった点を箇条書きで引用したいと思います。
▶▶▶ kk_hironoのリツイート ▶▶▶
- RT kk_hirono(刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中)|cho_seiho(CHO Seiho/趙誠峰) 日時:2021-01-03 10:07/2020/12/25 18:16 URL: https://twitter.com/kk_hirono/status/1345537112779624448 https://twitter.com/cho_seiho/status/1342398886476857346
涙を流す理由で記事になるとは。 矢上さんさすがだわ笑 https://t.co/P6TCQazss6
- 大手法律事務所のエリート弁護士が、面談中に思わず流した涙の理由 | PRESIDENT WOMAN Online(プレジデント ウーマン オンライン) | “女性リーダーをつくる” https://t.co/a2Fmah6ido
- 矢上浄子さんは、日本の五大法律事務所の一角を成すアンダーソン・毛利・友常法律事務所で、独占禁止法、国際取引・契約交渉、国際訴訟などの案件に取り組む弁護士だ。2019年からは「パートナー弁護士」として、管理職としての役割も担っている。
- 別の職場で働く弁護士の夫との間に、9歳、7歳、4歳の三人の娘がいる。
- そんな矢上さんが、6年ほど前から携わっているのが、日本にいる難民の難民認定申請手続きを支援するプロボノ活動だ。
- 生い立ちや本国での迫害の内容を詳細に聞き取り、時系列を整理しながら申請を補強するための陳述書を作成したり、迫害の事実を立証するための証拠を作成していく。
- 「英語なら本人から直接話が聞けますが、そうでなければ通訳が入るので、聞き取りにはとても時間がかかります。複雑な案件では、毎回3、4時間以上かけて10回くらい面談し、30~50ページもの書類をまとめたこともあります」
- 聞き取りは時間がかかるだけでなく、内容もハードだ。難民の中には、銃撃されたり家を焼かれたり、家族の身に危険が及んだ人も多い。逃げる途中で子どもが行方不明になってしまった人もいる。「そうした、本人にとって思い出すのも苦しい、むごい経験を聞き出すのは本当につらい」という。
- 大学時代は法学部だったが、「当時の日本の司法試験は合格率5%といった狭き門。『試験勉強よりも、先に世界が見たい』と思い、大学を卒業した年に、学生時代にバックパッカーとして一人旅をした中国の大学院に留学した。
- 法科大学院時代に、難民支援活動に従事する弁護士の講義を聞いて関心を持ったことが直接のきっかけではあったが、「移民や難民の問題に関心を持つようになったのは、高校時代の交換留学の経験からかもしれません」という。
- 2019年の日本の難民申請者は1万375人で、同じ年に認定を受けた人は44人と、認定率は0.4%にとどまる。認定数が少なすぎるという国際的な批判があるほか、申請から認定までに非常に時間がかかることも問題視されていて、矢上さんが関わったケースでも「3年以上かかるのはざら」だという。
- 着きながらも、支援団体や弁護士の支援を受けることなく難民申請をして不認定となり、命の危険があるにもかかわらず本国に強制送還される例もまだ多いのです」と矢上さんは話す。「弁護士が必要な難民認定申請者はもっとたくさんいるはずですが、まだ全然足りていないんです」と力を込める。
- 「普段は、企業の方とビジネスに関する話をすることが多いのですが、難民認定の支援という、まさに人権に関わる活動をしていると、弁護士としての意義や使命を再確認させられます。この瞬間も、世界のどこかでは迫害を受けて命の危険に
- 今では、「職業上の専門的なスキルや経験を生かしたボランティア活動」の全般を指す「プロボノ」という言葉だが、もともとは、アメリカで弁護士が法律家としてのスキルを活用して行うボランティア活動を指していた。
- 日本でも、いくつかの弁護士会では所属弁護士に一定時間のプロボノ活動を義務付けているが、本業の忙しさもあって、プロボノ活動に時間を割いている弁護士はそれほど多いわけではない。
- 一部の個人弁護士や、リソースに余裕がある大手・外資系弁護士事務所、外資系企業の法務部が中心となっている。
- 矢上さんは、こうしたプロボノ活動を通じて「弁護士としてまだまだ果たすべきことは多く、道のりの遠さを認識します」という。「人の人生の、生きるか死ぬかといった分かれ目に立ち会うことになる。その責任と意義はとても大きいと感じています」
日本の四大法律事務所の方を多く見かけてきたように思ったのですが,ここでは五大法律事務所とあって,アンダーソン・毛利・友常法律事務所もみてきたのですが,四大,五大いずれかで,見る機会が少なかったとも思う大手法律事務所でした。
以前とは違って弁護士業務で渉外というのは見かけない気もするのですが,同じような分野になるのではと思います。私自身,言葉の意味をしっかりと理解していないので,少し調べて確認をしておきます。
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一般に渉外弁護士と呼ばれる弁護士がいます。
「渉外」とは、辞書によれば①外国を含む外部と連絡・交渉すること、または②ある法律事項が内外国に関連を有すること、とされ、弁護士については、外国あるいは外国法が関係する業務を扱う弁護士を意味します。
最近は、国際弁護士という呼び方も親しまれていますが、ほぼ同じ意味と考えてよいです。
いずれも正式な名称というわけではなく、便宜上の名称です。
国際弁護士については「国際弁護士とは」を御覧ください。
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- 渉外弁護士とは?国際弁護士との違いや業務について [https://www.higuchi-law.jp/columns/foreign-attorney/](https://www.higuchi-law.jp/columns/foreign-attorney/)
法クラのタイムラインで渉外弁護士というのも見かけていないと思いますが,以前は,刑事弁護に無関心だとか弁護士会の活動にも非協力的だとか,そういったものを見かけてきました。
外国の企業との交渉や契約をするのが主な弁護士としての仕事なのかと考えますが,当然ながら英語のスキルは必須で,外国人の難民申請で聞き取りをするのも得意分野を活かすことになるのでしょう。ただ,ページにもありましたが,英語以外だと通訳が必要となり,負担が大きくなると書いてあります。
「「英語なら本人から直接話が聞けますが、そうでなければ通訳が入るので、聞き取りにはとても時間がかかります。複雑な案件では、毎回3、4時間以上かけて10回くらい面談し、30~50ページもの書類をまとめたこともあります」という部分です。
平成11年の事件のとき,金沢中警察署で警察官から通訳の負担について話を聞いたことがありましたし,ちょうどベトナム人のグループの犯罪で,金沢中警察署から金沢地方検察庁に取り調べの同行などがありました。ベトナム人は男女とも聞いた覚えがあり,特に女性の取り調べる難儀しているとか。
Twitterなどでも外国人の取り調べについてみることがありましたが,公的に支給される通訳料が相当の額で,弁護士の報酬の方が割に合わないというような話であったかと記憶にあります。
3,4時間以上の面談というのは,午前中一杯などに相当しそうです。それが10回ぐらいもあるというのですから,週休二日や祭日を考慮に入れると,実質,残業抜きで半月分の仕事の半分という仕事量になりそうです。
さらに「2019年の日本の難民申請者は1万375人で、同じ年に認定を受けた人は44人と、認定率は0.4%にとどまる。認定数が少なすぎるという国際的な批判があるほか、申請から認定までに非常に時間がかかることも問題視されていて」とあります。
これだとまさに焼け石に水で,総体的な負担ばかりが大きくなって,本来の目的である救える難民の数も増えることはなく,それが「国際的な批判があるほか、申請から認定までに非常に時間がかかることも問題視」に拍車をかけ,日本の国際的な信用を害しているだけとも思えてきます。
昭和の時代になるのかずいぶんと前のことですが,テレビでボートピープルなどという言葉がしきりに聞かれ,社会問題になっていた時期でした。ベトナムからの難民だったとも思いますが,ポルポト政権とは時代が違っていたようにも思えます。これも確認のため少し調べます。
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宮嶋:「横浜市泉区にあるいちょう団地です。この中には30年前、ボートピープルとしてやってきたベトナム難民の人たちが少なくありません。」
今から35年前、ベトナム戦争が終結し、その後社会主義体制に移行したベトナムから逃れるために、小さな漁船で命をかけて海に乗り出した人たち、いわゆるボートピープルを、日本は「難民」としてはじめて受け入れました。
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- 宮嶋泰子 [https://www.tv-asahi.co.jp/announcer/personal/women/miyajima/essay/104.html](https://www.tv-asahi.co.jp/announcer/personal/women/miyajima/essay/104.html)
ページには小さな写真があって字幕に,「1975年ベトナム戦争終結 社会主義体制に移行」,「1975ー1995年 13,768人がボートピープルとして日本に到着」とあります。昭和50年がベトナム戦争の終結というのも意外で,その数年前に終わっていたものと考えていました。
- 虐殺・拷問・強制労働…ポル・ポト政権崩壊から40年:朝日新聞デジタル https://t.co/cT4fFoYkdG 約170万人の虐殺に関わったカンボジアのポル・ポト政権が崩壊して7日で40年がたった。
- 虐殺・拷問・強制労働…ポル・ポト政権崩壊から40年:朝日新聞デジタル https://t.co/cT4fFoYkdG ポル・ポト派は1975年に実権を握り、極端な共産主義思想のもと、都市の住民らを農村に強制移住させ、強制労働や拷問、虐殺を繰り返した。
- 虐殺・拷問・強制労働…ポル・ポト政権崩壊から40年:朝日新聞デジタル https://t.co/cT4fFoYkdG 78年12月にベトナム軍がカンボジアに侵攻し、79年1月に同政権は崩壊した。
ベトナム難民とポルポト派の虐殺は,5年ぐらいは時代が離れ,ベトナム難民のニュースの方が後だと思っていたのですが,どうも同じ昭和50年の出来事で,「ベトナム軍がカンボジアに侵攻し、79年1月に同政権は崩壊した。」というのも知らなかったように思います。
1970年代というのは他に,中国の文化大革命もその時代と思いますが,ベトナム戦争など国外の大きなニュースが身近にある時代でした。
ページの終わりには小さめの写真ですが,「休暇中の矢上さん家族(写真=本人提供)」という家族5人の写真があります。夫も弁護士と記事にありましたが,とても真面目で誠実そうに見える人物,矢上浄子弁護士も真面目な人柄が伝わります。
難民問題とは違いがあるのかもしれないですが,出入国管理の施設で外国人が不当な処遇を受けたというツイートを,これまで何度か見かけてきました。
国外あるいは世界に向けて,日本の検察,刑事司法の未成熟度を強く発信し続けてきたのも特定の弁護士らで,その渦中の中心にあったのが,弘中惇一郎弁護士と高野隆弁護士になるかと思います。今朝は,ちょうど同じ趙誠峰弁護士のタイムラインで,その関連の情報も見かけています。
日本で四大,五大といわれる大手法律事務所は,収入も高額と聞いてきたのですが,矢上浄子弁護士の家族の写真を見ると,弁護士の家族とも想像がつかないような普通の家族の姿にみえます。
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